ピロシュカとは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 固有名詞の種類 > 人名 > 実業家 > 貴族 > アールパード家 > ピロシュカの意味・解説 

ピロシュカ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/06/04 15:05 UTC 版)

エイレーネー / ピロシュカ
Ειρήνη / Piroska
東ローマ皇后
ハギア・ソフィア大聖堂にある聖母子皇帝ヨハネス2世・エイレーネー(ピロシュカ、右)夫妻のモザイク
在位 1118年 - 1134年

出生 1088年
ハンガリー王国エステルゴム
死去 1134年8月13日
配偶者 東ローマ皇帝ヨハネス2世コムネノス
子女 アレクシオス英語版
マリア
アンドロニコス英語版
アンナ
イサキオス
テオドラ
エウドキア
マヌエル1世
家名 アールパード家
父親 ハンガリーラースロー1世
母親 アデライデ・フォン・ラインフェルデン
テンプレートを表示

ピロシュカ(Piroska、1088年 - 1134年8月13日)は、東ローマ帝国コムネノス王朝の第2代皇帝ヨハネス2世コムネノス皇后。父はハンガリーラースロー1世、母はシュヴァーベン公ルドルフ・フォン・ラインフェルデンの娘アデライデ・フォン・ラインフェルデン。ギリシャ名はエイレーネー(Ειρήνη)。

生涯

エステルゴムで生まれる。2歳で母と、7歳で父と死別して孤児となった彼女は、父の跡を継いでハンガリー王となった従兄カールマーンのもとで育てられた。

カールマーンは東ローマ皇帝アレクシオス1世コムネノスと交渉し、ピロシュカを皇子のいずれかに娶せようと計画した。ピロシュカは、1092年より父と共同統治帝となっていたヨハネス・コムネノスと結婚することとなった。

1104年にピロシュカはコンスタンティノープルで結婚し、名前もギリシャ風にエイレーネー(Ειρήνη・Eirene、中世ギリシャ語ではIrene「イリニ」)と変えた。2人の間には、8人の子が生まれた。

  • アレクシオス英語版(1106年 - 1142年)- 父と共同統治帝(在位:1122年 - 1142年
  • マリア
  • アンドロニコス英語版(1108年頃 - 1142年)
  • アンナ
  • イサキオス(1113年頃 - 1154年)
  • テオドラ
  • エウドキア
  • マヌエル1世(1118年 - 1180年) - 東ローマ皇帝

1134年に死去し、正教会において聖人に列せられた。





固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳

英語⇒日本語日本語⇒英語

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「ピロシュカ」の関連用語

ピロシュカのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



ピロシュカのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのピロシュカ (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2026 GRAS Group, Inc.RSS