ピストル康とは? わかりやすく解説

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堤康次郎

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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/23 03:24 UTC 版)

堤 康次郎(つつみ やすじろう、1889年明治22年〉3月7日 - 1964年昭和39年〉4月26日)は、日本実業家もしくは財界人で、滋賀県選出の衆議院議員として政治家でもあった。西武グループ(旧コクド及び旧セゾングループ)の創業者。第44代衆議院議長滋賀県大津市名誉市民。滋賀県平民[1]正三位勲一等。「ピストル」の異名を持つ。


注釈

  1. ^ 堤家については麻を取り扱ったりしていた農家であったことは確定的であるが、「代々小地主自作農を主業とし、副業として麻布工場などを経営しており、村では一応旧家に属していた」(永川幸樹著『野望と狂気』33頁)「家業は製麻業であったが、数歩(すうたんぶ)の田畑を所有し、一部は小作に出すなど暮らし向きは豊かな方であった。」(立石泰則 著『淋しきカリスマ堤義明』22頁)「いわゆる五反百姓だった。田畑は7だったという説を唱える土地の古老もいたが、いずれにしても貧農である」(猪瀬直樹 著『ミカドの肖像』304頁)などとその暮らし向きについては諸説がある。
  2. ^ ちなみに西武鉄道グループの社是は堤家支配が崩壊するまで長きにわたり『感謝 奉仕』であった
  3. ^ 1921年(大正10年)頃。だが、この湯の花沢分譲地は全く売れなかったと言われている。(『堤康次郎傳』 57頁)
  4. ^ 実際保守合同が実現したのは1955年11月。
  5. ^ 死後、鎌倉霊園の巨大な墓地で眠っているが、堤家支配時代の西武鉄道グループ社員全員には墓参が義務付けられていた。

出典

  1. ^ 『人事興信録. 7版』(大正14年)つ三一
  2. ^ 筑井正義『堤康次郎傳』15頁
  3. ^ a b 立石泰則 著『淋しきカリスマ堤義明』23頁
  4. ^ 『私の履歴書 昭和の経営者群像2』 9頁
  5. ^ 『私の履歴書 昭和の経営者群像2』 12頁
  6. ^ 『私の履歴書 昭和の経営者群像2』 15頁。康次郎自身の回想によると、渋谷で鉄工所を経営したり日本橋蛎殻町三等郵便局長を務めたり(1911年(明治44年))し、後藤毛織の株で6万円(現在の貨幣価値にしておよそ7000万円 永川幸樹著『野望と狂気』84頁)儲けたりしたと言う。
  7. ^ 会員名簿 昭和2年11月』早稲田大学校友会、1927年、141頁https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1462439/98 
  8. ^ 内海孝「堤康次郎の青年期と転機の回路(下)出版業から土地開発業への転回をひもとく」『東京外国語大学論集』第72号、東京外国語大学、2006年、115-139頁、ISSN 04934342NAID 120000992450 
  9. ^ 堤は『私の履歴書』の中で「もう自分は世の中に生きている値打ちのない人間だとまで思った。思い悩んだ末考え付いたのがもうけよう、もうけようと考えたのがいけない。自分はもうけなくてもよいからこの世の中のために少しでもできるだけのことをしようという奉仕の心だった。そして最初に考えたのが不毛地の開発事業だった」と書いている。
  10. ^ 猪瀬直樹 著『ミカドの肖像』
  11. ^ 堤は『私の履歴書』の中で「大体私は人生で最高の仕事は政治だと思っている。金をかけて事業をやってみたところでそれは国全体のある一部分でしかない。国全体を考え、国民全部を幸福にするのはかかって政治にある。それで私は早くから政治を志していた」と書いている
  12. ^ 衆議院事務局 編『第15回衆議院議員総選挙一覧』衆議院事務局、1926年、77頁https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1337792/168 
  13. ^ 拓務省職員録 昭和7年11月25日現在』拓務大臣官房秘書課、1932年、17頁https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1272136/12 
  14. ^ 総理庁官房監査課 編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1948年、690頁。 
  15. ^ 第16回国会衆議院会議録第1号、昭和28年5月18日、p.1
  16. ^ 第30回衆議院議員総選挙一覧』衆議院事務局、1964年、298-299頁https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1351319/156 
  17. ^ a b 上之郷利昭『堤義明は語る』 講談社 1989年 ISBN 4-0618-4383-4 126頁
  18. ^ 立石泰則 著『淋しきカリスマ堤義明』73-74頁
  19. ^ 「創業100年企業の血脈」 第二回 西武鉄道 「社員にカレーを振る舞ったピストル堤」 より
  20. ^ 筑井正義著「堤康次郎伝」121頁
  21. ^ 永川幸樹著 「堤義明・男の凄さ」212頁
  22. ^ 永川幸樹著 堤義明男の凄さp235
  23. ^ 三笠書房「堤義明男の凄さ」P122 永川幸樹著
  24. ^ [名言DB https://systemincome.com/18843]
  25. ^ 永川幸樹著『野望と狂気 「西武」の創始者堤康次郎波瀾の生涯』187頁
  26. ^ 永川幸樹著『野望と狂気 「西武」の創始者堤康次郎波瀾の生涯』199 - 200頁
  27. ^ 永川幸樹著『野望と狂気 「西武」の創始者堤康次郎波瀾の生涯』200頁
  28. ^ a b c 『昭和・平成 日本黒幕列伝時代を動かした闇の怪物たち』31頁
  29. ^ a b c 神一行 『閨閥 改訂新版 特権階級の盛衰の系譜』318頁
  30. ^ 「わが堤一族、血の秘密」(『文藝春秋』昭和六十二年八月号)、立石泰則 著『淋しきカリスマ堤義明』56-57頁
  31. ^ a b c d e 永川幸樹著『野望と狂気 「西武」の創始者堤康次郎波瀾の生涯』193頁
  32. ^ 立石泰則 著『淋しきカリスマ堤義明』56頁
  33. ^ a b c d 立石泰則 著『淋しきカリスマ堤義明』57頁
  34. ^ a b c 立石泰則 著『淋しきカリスマ堤義明』40頁
  35. ^ 「堤義明・男の凄さ」81頁 永川幸樹著
  36. ^ a b c d 「日本ユダヤ教総本山・滋賀県」(『文藝春秋』1958年(昭和33年)11月号)、立石泰則 著『淋しきカリスマ堤義明』39頁
  37. ^ a b c 内海孝「堤康次郎の青年期と転機の回路(上)出版業から土地開発業への転回をひもとく」『東京外国語大学論集』第71号、東京外国語大学、2005年、215-236頁、ISSN 04934342NAID 110004071815 
  38. ^ a b 雷帝堤康次郎(1889-1964)神奈川県立図書館
  39. ^ a b c d e f g h i j 『人事興信録. 6版』(大正10年)つ二六
  40. ^ 『人事興信録. 7版』(大正14年)な一〇七
  41. ^ a b c 神一行 『閨閥 改訂新版 特権階級の盛衰の系譜』319頁
  42. ^ 『閨閥: 新特権階級の系譜』神一行、1989年、p282
  43. ^ 立石泰則 著『淋しきカリスマ堤義明』50頁
  44. ^ 『堤清二: 西武流通グループを築いた男の光と影』安田信治、1985、p43
  45. ^ 立石泰則 著『淋しきカリスマ堤義明』54頁
  46. ^ a b c d 神一行 『閨閥 改訂新版 特権階級の盛衰の系譜』327頁
  47. ^ 立石泰則 著『淋しきカリスマ堤義明』83頁
  48. ^ 『家の履歴書』梶山寿子、光文社、2012年、p152
  49. ^ 『誰も語りたがらない 鉄道の裏面史』佐藤充、彩図社、2015年、p1982
  50. ^ 堤清二が資料を提供した研究伝記。老川慶喜・前田和利と共著





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