ビクトリア【Victoria】
ビクトリア【Victoria】
読み方:びくとりあ
[1819〜1901]英国女王。在位1837〜1901。1877年からインド女帝を兼任。64年に及ぶ治世の間は、資本主義の発達、全世界にまたがる植民地の獲得などを通して、ビクトリア時代とよばれる大英帝国の黄金時代となった。
ビクトリア【Victoria】
読み方:びくとりあ
オーストラリア南東部にある州。19世紀初頭に英国の流刑植民地として開発が開始。州都はメルボルン。
カナダのブリティッシュコロンビア州の州都。バンクーバー島南東部にある港湾都市。木材・水産物などを輸出。保養地。ブッチャートガーデンをはじめ、英国式の庭園が多いことで知られる。人口、都市圏35万(2008)。
マルタの都市。ゴゾ島中央部に位置する。同島で最も人口が多い。旧称ラバト。英国統治時代、ビクトリア女王の在位50年を記念して現名称になった。17世紀にマルタ騎士団がオスマン帝国や海賊から町を守るために築いた大城塞のほか、ゴゾ大聖堂がある。
セイシェル共和国の首都。セイシェル諸島南西部、マヘ島の北東岸に位置する。同国の政治、経済の中心地であり、外航船用の港をもつ。大聖堂、ヒンズー教寺院、自然科学博物館のほか、ロンドンのビッグベンを模した時計塔がある。
カナダ、プリンスエドワードアイランド州の町。プリンスエドワード島南部に位置する。天然の良港をもち、かつて海運の中継地として栄えた。現在は観光業、漁業が行われ、海事博物館がある。ビクトリアバイザシー。
ビクトリア
ビクトリア
メンバメイコボルスミ11
この存命人物の記事には検証可能な出典が不足しています。(2020年5月) |
メンバメイコボルスミ11 | |
---|---|
メンバー | ビク・トリア ココ・シャネル |
別名 | メンバメイ |
結成年 | 1985年 |
解散年 | 1988年 |
事務所 | 吉本興業 |
活動時期 | 1985年 - 1988年 |
出身 | ラジオのオーディション番組 |
現在の活動状況 | 解散 |
芸種 | 漫才 |
同期 | 130R、今田耕司など(数カ月先輩)、東野幸治(ほぼ同期) |
受賞歴 | |
1987年 ABC漫才・落語新人コンクール審査員奨励賞 |
メンバメイコボルスミ11(メンバメイコボルスミじゅういち)は、かつて吉本興業に所属していた女性お笑いコンビ。
メンバー
ビク・トリア(本名:岡村 理世[1] 1969年3月19日[2] - )
ココ・シャネル(本名:栄 孝子[1] 1968年4月2日[3] - )
- 大阪府大阪市出身。
- 通称「ココ」。
- 血液型AB型。
- 解散後はピン芸人として活動。
※共に大阪市立住吉商業高等学校卒業。
来歴
この節に雑多な内容が羅列されています。 |
- 1985年、南海ホール(後の心斎橋筋2丁目劇場)で行われたラジオ大阪の素人お笑いオーディション番組「心斎橋お笑い探検隊」で芸能界デビューを果たした[4](結成日は「1986年2月15日」とも公表されている[1])。この「心斎橋お笑い探検隊」でデビューした者は非NSC組であり、番組が輩出した芸人達には東野幸治、リットン調査団などがいるが、メンバメイのほぼ一定の低いテンションで掛け合い、「(やっている本人達が)笑わない漫才」という漫才のスタイルは当時としては斬新で、他と違う芸風が売りでもあった。このように既成の漫才を打ち破ったとされるスタイルで2丁目劇場では注目株と言われ[1]、本人達もこのスタイルを「ツー・スタント・コミック」と呼んでいたことがあった[1]。
- 1987年1月、朝日放送主催で毎年成人の日に生放送される関西若手お笑い芸人の登竜門的なコンテスト「第8回ABC漫才・落語新人コンクール」(現;ABCお笑いグランプリ)で審査員奨励賞を獲得[1]。その後1988年5月26日を以ってコンビは解散する[5]。
- 解散後、ビク・トリアは美容師へ転身したのに伴い引退[5]し、ココはピン芸人として活動。ブランクを経て大阪ガスのCMに竹中直人を突っ込む主婦役で出演。(なお浪曲師に転身し春野ココという芸名で活動中という風説が立ったが全くの別人である)
- 2013年に約24年振りにビク・トリアがテレビ番組に出演し、2丁目劇場時代の思い出を月亭方正、シルクらと共に語った。
- 2016年6月に『ケンゴローサーカス団』(MBSテレビ)にビクが出演。
- 2022年10月10日放送の『しゃべくり007』(日本テレビ)にビクが出演、兄のように慕っていたという今田耕司と再会した[6]。
コンビ名の由来
- コンビ名は2人が高校のコンピュータの授業で同じクラスだったことに由来し、「メンバメイ」(=メンバー名)、「コボル」(=プログラミング言語COBOL)、「スミ」(=出身学校の大阪市立住吉商業高等学校)、11(=岡村理世の出席番号)という意味合いがある[1]。
出演
テレビ番組
- '87ABC漫才・落語新人コンクール(1987年1月15日、朝日放送/関西ローカル「ABCホリデーワイド」枠)
- 4時ですよーだ(1987年4月 - 降板時期不明、毎日放送/関西ローカル)
- 「秘密のメンバメイ」、「MEN'S モコモコ(ココのみ)」などのコーナーを担当。
- 週刊ダウンタウン おいしいトコスペシャル(毎日放送)
- 毎週オープニングで今田・木村とのショートコントを披露した。また、「4時ですよーだ」のメンバーにインタビューする「メンバメイのこの人に聞く!」というコーナーを担当。
- ダウンタウンのゆーたもん勝ち(毎日放送)
- 紳助の今夜はねむれナイト(1987年、関西テレビ/関西ローカル)
ココのみ出演
ラジオ
CM
受賞歴
- 1987年 第8回ABC漫才・落語新人コンクール 審査員奨励賞
参考文献
出典
- ^ a b c d e f g h 月刊ラジオパラダイス 1988年7月号 p.78「今月のひと」
- ^ 「よしもと大百科」 データハウス 1987年11月1日発行
- ^ 「2丁目BOOK ダウンタウンからピーチパイまで」 データハウス 1988年9月10日発行
- ^ NHK総合テレビジョン2012年6月2日深夜放送「着信御礼!ケータイ大喜利」において、投稿者のペンネームがきっかけで話題にのぼった際に板尾が「同期」と発言したが、厳密にはメンバメイコボルスミ11はオーディション組であり、デビュー時期はほぼ同時期であるが、NSC同期生ではない。
- ^ a b 月刊ラジオパラダイス 1988年8月号「ラジパラタイムス」p.74
- ^ “2022年10月10日放送 21:00 - 22:54 日本テレビ しゃべくり007”. TVでた蔵. ワイヤーアクション (2022年10月10日). 2022年10月11日閲覧。
ヴィクトリア
ビクトリア(f(x))
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/29 15:19 UTC 版)
※この「ビクトリア(f(x))」の解説は、「青春不敗」の解説の一部です。
「ビクトリア(f(x))」を含む「青春不敗」の記事については、「青春不敗」の概要を参照ください。
ビクトリア
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/31 10:19 UTC 版)
「ドリアン・グレイの肖像」の記事における「ビクトリア」の解説
ヘンリーの妻。
※この「ビクトリア」の解説は、「ドリアン・グレイの肖像」の解説の一部です。
「ビクトリア」を含む「ドリアン・グレイの肖像」の記事については、「ドリアン・グレイの肖像」の概要を参照ください。
ビクトリア(Victoria)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/16 01:56 UTC 版)
「Thief (ゲーム)」の記事における「ビクトリア(Victoria)」の解説
※この「ビクトリア(Victoria)」の解説は、「Thief (ゲーム)」の解説の一部です。
「ビクトリア(Victoria)」を含む「Thief (ゲーム)」の記事については、「Thief (ゲーム)」の概要を参照ください。
ビクトリア
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/01 10:02 UTC 版)
「ぷくぷく天然かいらんばん」の記事における「ビクトリア」の解説
『世界一美しい犬』と言われるトップモデル。犬種は不明。性別はメス。
※この「ビクトリア」の解説は、「ぷくぷく天然かいらんばん」の解説の一部です。
「ビクトリア」を含む「ぷくぷく天然かいらんばん」の記事については、「ぷくぷく天然かいらんばん」の概要を参照ください。
ビクトリア
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/04 05:14 UTC 版)
「クレヨンしんちゃん オタケベ!カスカベ野生王国」の記事における「ビクトリア」の解説
しんのすけが出会った謎の美女。19歳。SKBEの計画を阻止しようと彼らを追っているらしいが、詳細は不明。全身ブランド品に身を包み、燃費の悪いアメ車やバイクを乗りこなし、手榴弾や無反動砲などの武装を使いこなす。クールな性格であるが、エコに興味は示さず服をたくさん買う、しんのすけのシャンプーを全部使うなど過剰な消費思考とそれに伴う無駄使いを好む。
※この「ビクトリア」の解説は、「クレヨンしんちゃん オタケベ!カスカベ野生王国」の解説の一部です。
「ビクトリア」を含む「クレヨンしんちゃん オタケベ!カスカベ野生王国」の記事については、「クレヨンしんちゃん オタケベ!カスカベ野生王国」の概要を参照ください。
ビクトリア
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/08 15:01 UTC 版)
体が弱く、気候と潮風の良いポルタ島に引っ越してきた少女。おしとやかな性格で、強い正義感を持ち合わせている。
※この「ビクトリア」の解説は、「ルーファスの収集品」の解説の一部です。
「ビクトリア」を含む「ルーファスの収集品」の記事については、「ルーファスの収集品」の概要を参照ください。
ビクトリア
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/01/24 07:13 UTC 版)
「ジョン・メルトン・ブラック」の記事における「ビクトリア」の解説
ブラックはメルボルンに移住し、そこで、金鉱業ではなく、運送業の事業を興して財を成した。1855年には、メルボルンのバーク・ストリート(英語版)の北側に、3000人以上を収容できる初代のシアター・ロイヤルを開設した。杮落としで上演されたのは、『悪口学校 (The School for Scandal)』であった。しかし、「壮麗な劇場 (magnificent theatre)」と評されたこの建物の建設には6万ポンドの経費を要し、このためにブラックは結局破産することになった。
※この「ビクトリア」の解説は、「ジョン・メルトン・ブラック」の解説の一部です。
「ビクトリア」を含む「ジョン・メルトン・ブラック」の記事については、「ジョン・メルトン・ブラック」の概要を参照ください。
ビクトリア
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/05/21 03:42 UTC 版)
ダニー・トンプソンのベース演奏の最初の経験はスキッフルのグループとの演奏である。その頃はティー・チェスト(茶箱)・ベースを演奏していた。1960年代の初め頃、バタシーに住むある老人から£5で中古のダブルベースを譲り受けた。そのベースはもっと価値のあるものだったのが、どうしても弾きたいという気持ちに応えてくれたのだった。 彼はそれに「ビクトリア」(Victoria)と名付け、以来ずっと使い続けている。このベースはフランスの弦楽器制作者ガン(Gand)の1865年の作であった。
※この「ビクトリア」の解説は、「ダニー・トンプソン」の解説の一部です。
「ビクトリア」を含む「ダニー・トンプソン」の記事については、「ダニー・トンプソン」の概要を参照ください。
「ビクトリア」の例文・使い方・用例・文例
- ビクトリア朝時代の服装
- この法律はビクトリア女王の時代に制定された
- ロット17番はビクトリア様式のテーブルです
- ビクトリア女王の治世に
- ビクトリア駅
- ビクトリア朝
- Riveredgeで最高の場所にあり、寝室が5 つ、浴室が2 つあるビクトリア朝様式の家を見学してください。
- ビクトリア朝の詩人で唯美主義者
- 私はビクトリア駅へ行った。そしてそこで旧友に会った。
- ビクトリア女王は英国の君主だった。
- そのアパートはビクトリア朝風の家具を揃えてあった。
- ビクトリア時代の服装.
- ビクトリア朝の風習.
- ビクトリア女王の統治下に[で].
- ビクトリア女王の代に.
- ビクトリア街.
- ビクトリア朝 (1837‐1901).
- ビクトリア朝作家.
- 厳格なビクトリア朝風のしつけ.
- ビクトリア女王の時代.
ビクトリア)と同じ種類の言葉
- ビクトリア)のページへのリンク