パパパパパフィーとは? わかりやすく解説

パパパパパフィー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/09/09 22:05 UTC 版)

パパパパパフィー』は、テレビ朝日系列局で放送されていたテレビ朝日製作のバラエティ番組である。製作局のテレビ朝日では1997年10月1日から2002年3月31日まで放送。番組表上でのタイトル表記は「パパパパPUFFY」で、実際のタイトルロゴは「PA PA PA PA PUFFY」だった。


  1. ^ ゲストは必ずPUFFYに土産を渡すお約束があるが、一度だけTUBEがゲスト出演した時は罰ゲームの関係でPUFFYが土産を渡した。
  2. ^ トータス松本がPUFFYに『ヒゲのOL薮内笹子』を紹介した放送後、問い合わせが殺到し、しりあがり寿が大ブレイクした。
  3. ^ 同時期に放送開始したテレビ朝日の深夜番組『ぷらちなロンドンブーツ』とコラボレーションし、VTRの前後半を各番組で放送した。
  4. ^ 大貫が『鬼平犯科帳』の大ファンである。
  5. ^ 来日中のエアロスミス横浜アリーナでのコンサートにて、大貫がタイラーに衣装を届けるために舞台に上がった。
  6. ^ 森高が平気で激辛カレーを平らげたのがきっかけで番組内で激辛ブームが起こった。
  7. ^ 大貫は小学生の頃に2年間ソウルに住んでいた。
  8. ^ 当初はロケの予定であったが、現地であまりにPUFFYが人気のため、急遽ホテル内で企画を行うことになった。
  9. ^ 敗者の罰ゲームとして、広島のコンサートで大貫が「モミジマンジュウ」のギャグをやらされた(ライブビデオに収録)。
  10. ^ 富士急ハイランドのコニファーフォレストにて行われた野外ライブ。13000人を集めた。翌年にも開催。
  11. ^ 大運動会の罰ゲーム。
  12. ^ 前回クエストの罰ゲーム。
  13. ^ 大泉は「北海道の大スター」としていつもジャージ姿で登場していた。ジャージは大泉が出演する『水曜どうでしょう』内では「正装」だが、当時同番組は全国的には知られていなかったためにPUFFYに理解されず、毎回進行にテンパる大泉を2人が罵倒するのが恒例だった。なお、制作局・北海道テレビでは、1998年4月から、テレビ朝日の『パパパパパフィー』の枠で『水曜どうでしょう』を放送していた(『パパパパパフィー』は、火曜→木曜に放送)。
  14. ^ バドミントンのチーム名。
  15. ^ 正月放送のボウリング対決の罰ゲーム。
  16. ^ 亜美が扮する白ずくめの占い師。
  17. ^ この回からセットをリニューアル。
  18. ^ 番組プロデューサーの自宅。
  19. ^ アメリカのテキサス州で開催された「SXSW」に出演した模様が放送され、後のPUFFYの全米進出に影響を与えることとなった。
  20. ^ ほか、ボウリング対決の罰ゲームでKiroroが一日ADを務めた。
  21. ^ 前回出演時の対決に敗れた罰ゲーム。
  22. ^ 大貫が左足靭帯断裂により3週間松葉杖で出演。
  23. ^ 新曲「ハリケーン」のバックダンサーを募ってオーディションを行った。ダンサーらはPVにも出演した。


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