【ハイジャック】(はいじゃっく)
Hijack.
暴力や脅迫によって乗り物の乗員・乗客を不法に占拠し、運行を妨害する行為。
日本では、一般的に航空機の機内で発生した人質篭城事件を指すものと解釈されている。
一方、英語圏では乗り物の種類を問わずこう称しているが、対象が航空機である事を明示する場合に「スカイジャック」と称する事がある。
犯行の主な目的としては「政治的迫害による外国への亡命」「収監されている政治犯やテロリストの解放要求」「身代金の要求」などがある。
9.11事件など、航空機を奪取し利用する事そのものを目的としていた場合もあれば、乗り物自体に対する異常な興味や精神疾患に起因するもの、意味不明な模倣犯などもわずかながら存在する。
基本的には、どの国でも窃盗・強盗に類する犯罪として扱われる。
ただし、公共交通機関に対するハイジャックを単なる強盗以上の重大な犯罪と位置づける国は多い。
関連 よど号事件 9.11事件 特殊急襲部隊 GSG9 スカイマーシャル 拿捕
語源と日本における誤用
「Hi,Jack!」
これは駅馬車が交通機関として用いられていた時代、御者を呼び止める際によく叫ばれていた言葉である。
ここから転じて駅馬車強盗を指すスラングとなり、やがて公式に通じる表現として定着していったものとされる。
言葉だけ見るとJackさんに対する日常的な挨拶と区別が付かないため、英語圏の空港では「Hi,Jack」「Hey,Jack」などと挨拶する事を慎み、無用の混乱を避けるように呼びかけている所もある。
Jack は、英語圏における男性の典型的なファーストネームのひとつであると同時に、「つり上げる」「殴る」「盗む」などを意味する動詞でもあるので、「おい、おまえ!」とも「こんにちわ、死ね!」とも「やぁ、(この車は)もらうぜ!」とも解釈できる一種のブラックジョークである。
本来は、対象が船であっても列車であっても自動車であっても「ハイジャック」と表記する。
ただし、日本では1970年の「よど号事件」に際して「Hi」を「High(高い)」と誤訳した報道があったため、航空機奪取のみを対象とする言葉だと誤解され、そのまま定着して今日に至っている。
そのような誤解から、今日では日本語の「ジャック」が英語圏における「Hijack」とほぼ同義語になっており、以下のような派生表現を作り出している。
- 「シージャック」(船が乗っ取られた場合)
- 「カージャック」(自動車が乗っ取られた場合)
- 「トレインジャック」(列車が乗っ取られた場合)
- 「電波ジャック」(正規の無線通信に使用されている電波と同一、もしくは近接した周波数帯域に、意図的にそれらより高出力の電波を発射して通信を妨害すること)
- 「番組ジャック」(テレビ・ラジオ番組で、(演出上の都合により)当初の出演予定になかった人物が乱入すること)
- 「核ジャック」(核兵器やその原材料となる放射性物質を奪取すること)
…などなど。
ハイジャック
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/19 14:38 UTC 版)
ハイジャック(英語: hijack、hijacking)は、不法に輸送機関や貨物の強奪や乗っ取りを行うことで、特に航空機に対する行為に用いられ、日本の法律用語では「航空機強取」や「航空機不法奪取」と呼ばれる。以下、本項では航空機のハイジャックを中心に扱う。
注釈
出典
- ^ 稲坂 2006, pp. 103–104.
- ^ a b c “Aviation Safety Network > ASN Aviation Safety Database” (2018年1月7日). 2018年1月6日閲覧。
- ^ a b c “ハイジャック”, ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 2018年1月4日閲覧。
- ^ a b c d e f “Hijacking”, Britannica Academic, (2017) 2017年12月11日閲覧。
- ^ a b “hi・jack”, 小学館ランダムハウス英語大辞典 / JapanKnowledge Lib, 小学館 2018年1月14日閲覧。
- ^ a b 稲坂 2006, p. 36.
- ^ 安藤 2014, p. 32.
- ^ 安藤 2014, pp. 71–76.
- ^ a b “ハイ‐ジャック”, 日本国語大辞典 / JapanKnowledge Lib, 小学館 2018年1月14日閲覧。
- ^ a b “hi・jack・er”, 小学館ランダムハウス英語大辞典 / JapanKnowledge Lib, 小学館 2018年1月14日閲覧。
- ^ “Oxford Dictionary of English”, hijack
- ^ Evans 1969.
- ^ “áir pìracy”, 小学館ランダムハウス英語大辞典 / JapanKnowledge Lib, 小学館 2018年1月21日閲覧。
- ^ “sky・jack”, 小学館ランダムハウス英語大辞典 / JapanKnowledge Lib, 小学館 2018年1月14日閲覧。
- ^ a b c d 池田, 文雄, “ハイジャック”, 日本大百科全書(ニッポニカ) / JapanKnowledge Lib, 小学館 2017年12月12日閲覧。
- ^ 稲坂 2006, pp. 40–51.
- ^ 稲坂 2006, pp. 42, 51–52.
- ^ ゲロー 1997.
- ^ ゲロー 1997, p. 13.
- ^ ゲロー 1997, p. 16.
- ^ “ASN Aircraft accident Douglas DC-3 registration unknown Miami International Airport, FL (MIA)” (2018年2月4日). 2018年2月3日閲覧。
- ^ a b 稲坂 2006, pp. 40–41.
- ^ 稲坂 2006, pp. 40–48.
- ^ 稲坂 2006, p. 43.
- ^ a b c d 稲坂 2006, p. 47.
- ^ 稲坂 2006, pp. 41–42, 50–51.
- ^ a b 稲坂 2006, pp. 50–51.
- ^ 稲坂 2006, p. 51.
- ^ a b c ゲロー 1997, p. 124.
- ^ Gray, Geoffrey (2007-10-21), “Unmasking D.B. Cooper”, New York magazine, ISSN 0028-7369 2018年1月27日閲覧。
- ^ 「ベトナムの英雄に懲役45年」『朝日新聞』昭和47年(1972年)7月11日夕刊、3版、9面
- ^ a b c 稲坂 2006, pp. 41, 48–50.
- ^ a b c Thomas 2008, pp. 103–104.
- ^ 稲坂 2006, p. 41.
- ^ a b c d e 稲坂 2006, p. 49.
- ^ 稲坂 2006, pp. 3–19, 49–50.
- ^ 稲坂 2006, pp. 51–52.
- ^ a b c d 稲坂 2006, p. 52.
- ^ 工藤 2016, p. 1.
- ^ a b 稲坂 2006, pp. 139–140, 152.
- ^ a b “国際組織犯罪等・国際テロ対策推進本部における「スカイ・マーシャルの実施について」の決定について” (2004年12月10日). 2018年2月13日閲覧。
- ^ “国際民間航空機関(ICAO)”. 外務省. 2018年2月19日閲覧。
- ^ a b 川久保 2010, pp. 30–31.
- ^ a b 林 2014, p. 4.
- ^ a b c 稲坂 2006, p. 145.
- ^ 工藤 2016, pp. 1–2.
- ^ a b c “航空:機内持込・お預け手荷物における危険物について”. 国土交通省. 2018年2月18日閲覧。
- ^ “機内持込み・お預け手荷物における危険物の代表例”. 国土交通省. 2018年2月18日閲覧。
- ^ a b 齊藤基雄; 戸崎肇, “航空手荷物”, 日本大百科全書(ニッポニカ) / JapanKnowledge Lib, 小学館 2018年2月18日閲覧。
- ^ 航空局安全部空港安全・保安対策課航空保安対策室. “量的制限の対象となる液体物のリスト”. 国土交通省. 2018年2月18日閲覧。
- ^ a b 林 2014, pp. 4–5.
- ^ a b c 稲坂 2006, p. 135.
- ^ a b 林 2014, p. 5.
- ^ a b KOHASE, Yusuke (2017-03-29), “羽田と成田、ボディスキャナー導入 国際線で”, Aviation Wire 2018年2月18日閲覧。
- ^ “空港のセキュリティ事情”. SECURITY SHOW. Nikkei Inc.. 2018年2月17日閲覧。
- ^ “航空貨物の危険物代表例”. 国土交通省. 2018年2月18日閲覧。
- ^ 稲坂 2006, pp. 136, 148.
- ^ 清水, 隆雄 (2006), “テロリズムとその対策―国際社会の取組み (特集 テロリズム対策)”, 外国の立法 (国立国会図書館調査及び立法考査局) (228): 5-23, ISSN 0433096X 2018年2月18日閲覧。
- ^ a b 川久保 2010, pp. 29–30.
- ^ 工藤 2016, pp. 3–4.
- ^ 稲坂 2006, p. 136.
- ^ a b 稲坂 2006, p. 135–136.
- ^ “大辞林 第三版の解説 スカイマーシャル”. コトバンク. 2018年2月15日閲覧。
- ^ “連邦航空保安官24時! 本気でテロと戦う現場では何が起きているのか?”. クーリエ・ジャポン. 2018年2月15日閲覧。
- ^ “スカイ・マーシャルの実施について” (2004年12月10日). 2018年2月13日閲覧。
- ^ 稲坂 2006, pp. 126, 152.
- ^ a b 稲坂 2006, pp. 139–140.
- ^ a b 稲坂 2006, pp. 126, 153–155.
- ^ 稲坂 2006, pp. 149–150, 156.
- ^ a b ICAO 2016, §13-2.
- ^ a b 稲坂 2006, pp. 149–150.
- ^ a b c 稲坂 2006, p. 149.
- ^ “First hijack of an aircraft”. Guinness World Records. 2017年12月10日閲覧。
- ^ a b ASN Aircraft accident Ford Tri-Motor registration unknown Arequipa Airport (AQP)の事故詳細 - Aviation Safety Network. 2017年12月12日閲覧。
- ^ a b c d e f 稲坂 2006, p. 42.
- ^ a b c ゲロー 1997, p. 11.
- ^ ASN Aircraft accident Consolidated PBY-5A Catalina VR-HDT Pearl Riverの事故詳細 - Aviation Safety Network. 2017年12月11日閲覧。
- ^ Thomas 2008, p. 143.
- ^ ASN Aircraft accident Convair CV-440 registration unknownの事故詳細 - Aviation Safety Network. 2017年12月12日閲覧。
- ^ a b c 浅野 1989, p. 45.
- ^ 加茂, 雄三, “キューバ革命”, 日本大百科全書(ニッポニカ) / JapanKnowledge Lib, 小学館 2018年1月21日閲覧。
- ^ a b Gravel, Michael (2008年11月13日). “History of the Federal Air Marshal Service” 2022年12月30日閲覧。
- ^ 稲坂 2006, p. 109.
- ^ ゲロー 1997, p. 20.
- ^ 稲坂 2006, pp. 109–111.
- ^ ゲロー 1997, p. 9.
- ^ ゲロー 1997, pp. 9, 59.
- ^ a b ゲロー 1997, p. 59.
- ^ 稲坂 2006, pp. 48–49.
- ^ a b c 稲坂 2006, p. 48.
- ^ 稲坂 2006, pp. 38–39.
- ^ 稲坂 2006, p. 53.
- ^ 浅野 1989, p. 42.
- ^ a b 浅野 1989, p. 35.
- ^ a b c “国際民間航空機関(ICAO)が作成する条約”. 外務省. 2017年12月16日閲覧。
- ^ a b c d e f g h 浅野 1989, p. 41.
- ^ a b c 浅野 1989, p. 47.
- ^ 浅野 1989, pp. 35, 41.
- ^ a b c “4 ボン サミット - 航空機のハイジャックに関する声明”. 外務省. 2018年2月4日閲覧。
- ^ a b c “4 日本航空(株)寄航の外国空港におけるハイジャック防止体制の強化”. 国土交通省. 2018年2月4日閲覧。
- ^ a b c 安藤 2014, p. 35.
- ^ 安藤 2014, pp. 35–36, 109.
- ^ a b “テロ防止関連諸条約について”. 外務省. 2018年2月8日閲覧。
- ^ 安藤 2014, pp. 35–36.
- ^ a b 安藤 2014, p. 38.
- ^ a b 安藤 2014, pp. 41–42.
- ^ ASN Aircraft accident Boeing 707-3B5C HL7406 Tavoy, Myanmar (Andaman Sea)の事故詳細 - Aviation Safety Network. 2017年12月15日閲覧。
- ^ ASN Aircraft accident Boeing 747-121A N739PA Lockerbieの事故詳細 - Aviation Safety Network. 2017年12月15日閲覧。
- ^ ASN Aircraft accident McDonnell Douglas DC-10-30 N54629 Ténéré desertの事故詳細 - Aviation Safety Network
- ^ 稲坂 2006, p. 40.
- ^ a b 安藤 2014, p. 44.
- ^ 安藤 2014, p. 45.
- ^ a b 安藤 2014, pp. 44–45.
- ^ a b c ASN Aircraft accident Boeing 767-223ER N334AA New York, NYの事故詳細 - Aviation Safety Network. 2017年12月15日閲覧。
- ^ a b c ASN Aircraft accident Boeing 767-222 N612UA New York, NYの事故詳細 - Aviation Safety Network. 2017年12月15日閲覧。
- ^ a b ASN Aircraft accident Boeing 757-223 N644AA Washington, DCの事故詳細 - Aviation Safety Network. 2017年12月15日閲覧。
- ^ a b ASN Aircraft accident Boeing 757-222 N591UA Shanksville, PAの事故詳細 - Aviation Safety Network. 2017年12月15日閲覧。
- ^ a b 稲坂 2006, p. 142.
- ^ 稲坂 2006, pp. 142–143.
- ^ a b 稲坂 2006, pp. 145–146.
- ^ 稲坂 2006, pp. 143–144.
- ^ 稲坂 2006, p. 144.
- ^ a b 川久保 2010, p. 31.
- ^ “Aviation Safety Network > Statistics > By period > airliner hijackings”. 2018年2月17日閲覧。
- ^ “carjacking, n.”, OED Online, Oxford University Press, (January 2018) 2018年3月17日閲覧。
- ^ “カージャック”, 情報・知識 imidas 2017 2018年3月17日閲覧。
- ^ “seajack, v.”, OED Online, Oxford University Press, (January 2018) 2018年3月17日閲覧。
- ^ “シージャック”, 情報・知識 imidas 2017 2018年3月17日閲覧。
- ^ 情報処理推進機構 セキュリティセンター (2015-03), 安全なウェヴサイトの作り方 (改訂第7版) 2018年3月17日閲覧。
- ^ Burgers, Willem; Verdult, Roel; Van Eekelen, Marko (2013), Prevent session hijacking by binding the session to the cryptographic network credentials, pp. 33–50
- ^ “「バスジャック」という言い方は?”. NHK放送文化研究所. 2018年3月17日閲覧。
- ^ “メディアジャック”. imidas 現代人のカタカナ語辞典. 2021年1月13日閲覧。
ハイジャック
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/01 17:46 UTC 版)
1968年7月23日、ロンドン発ローマ経由テルアビブ行きの426便がローマを離陸した直後にパレスチナ解放人民戦線(PFLP)のテロリストにハイジャックされた。エル・アルのハイジャックが成功した唯一の事例で、その後、エル・アルの対ハイジャック対策が向上する(エル・アル航空426便ハイジャック事件)。 1969年1月、チューリッヒ発テルアビブ行きの707便がPFLPのテロリストにハイジャックされた。しかし、搭乗していたスカイマーシャルが1人を射殺、残りの犯人も逮捕され、世界を驚かせた。 PFLP旅客機同時ハイジャック事件 - 1970年9月、PFLPが起こした航空機の同時ハイジャック事件。ハイジャックされた5機のうち、1機はテルアビブ発アムステルダム経由ニューヨーク行きの219便であったが、ハイジャックの実行に当たったテロリスト2名の行動が稚拙で事前に一部の乗客や客室乗務員らに察知された上、客室乗務員から通報されたスカイマーシャルが1名を射殺し、残る1名も銃撃戦の末乗客や乗員らによって取り押さえられたことから完全な失敗に終わった。
※この「ハイジャック」の解説は、「エル・アル航空」の解説の一部です。
「ハイジャック」を含む「エル・アル航空」の記事については、「エル・アル航空」の概要を参照ください。
ハイジャック
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/16 05:06 UTC 版)
「アメリカン航空11便テロ事件」の記事における「ハイジャック」の解説
7時59分、ローガン国際空港の滑走路4RにてAA11便は離陸滑走を開始した。順調に離陸したAA11便は、航空交通路管制センター (ATC) の指示に従い右旋回して機首を西へ向けた。8時11分、機体は1分あたり約1,900フィート(約580メートル)の上昇率で、指示された高度29,000フィート(8,800メートル)へ向かった。 オーケー、私の名前はベティ・オング。私は11便のナンバー3(訳注:3番目のフライトアテンダントの意)です。当便のナンバー1が刺されました。パーサーが刺されました。誰が誰をさしたか分かりません。誰も息ができないので、今はビジネスクラスに入ることすらできません。そして、私たちはコックピットに入れません。ドアが開かないのです。 客室乗務員のベティ・オング、アメリカン航空の緊急回線での交信 事件後にアメリカ政府が設置した同時多発テロに関する調査委員会(英語版)(以下、9/11委員会)は、ハイジャックが始まったのは8時14分頃と推定している。8時13分29秒、マサチューセッツ州中央部を高度26,000フィート(7,900メートル)で飛行していたAA11便に対し、ボストン航空路交通管制センター (Air Route Traffic Control Center; ARTCC) は右方向へ20度旋回するよう指示し、同便から正常に応答があった。8時13分47秒、管制センターは巡航高度35,000フィート(11,000メートル)へ上昇するようAA11便に伝えたものの乗員の応答がなかった。通常の飛行であれば、おおむねこの頃にシートベルト着用のサインが消灯され、客室乗務員がサービスの準備を始めるタイミングだった。レーダーによると、8時16分頃に高度29,000フィート(8,800メートル)で機体は水平飛行に移った。 8時19分、客室乗務員はアメリカン航空にハイジャックの第一報を入れた。この報告を含め、客室乗務員のエイミー・スウィーニとベティ・オングがアメリカン航空と交信しており、ハイジャック進行中の機内の状況を報告している。彼女らによると、ファーストクラスに搭乗していたワリード・アルシェフリとワイル・アルシェフリがまず行動を起こし、客室乗務員2名が刺された。 9/11委員会の報告書によると、ハイジャッカーがどのようにしてコックピットに侵入したかは分かっていない。当時の連邦航空局 (Federal Aviation Administration; FAA) の規定では飛行中のコックピットは施錠することになっていた。したがって、ハイジャッカーはコックピットに侵入する目的で客室乗務員を刺し、それによりコックピットの鍵を奪ったか、客室乗務員にドアを開けさせたか、コックピットからパイロットを誘い出したと同報告書では推測している。そのタイミングで、ハイジャッカーの中で唯一飛行機の操縦免許を取得していたアタと、恐らくオマリーもコックピットに入った。 その際、座席番号9Bに座っていた乗客のダニエル・ルインが刺殺された。ルインの座席はアタとオマリーの斜め後ろにあたる9Bで、その真後ろの10B席はスカミの席だった。ルインは、アメリカ生まれで10代後半をイスラエルで過ごしアラビア語を解した。彼は、IT企業のアカマイ・テクノロジーズの創業者の1人であり、イスラエル国防軍の特殊部隊であるサイェレット・マトカルで士官を務めた経験があった。9/11委員会の報告書によると、ルインは後ろにいたスカミに気づかずに前の2人のハイジャック行為を止めようとした可能性があり、刺したのは恐らくスカミだとされている。そして、ルインはこの日起こった同時多発テロ事件の最初の犠牲者と考えられている。 客室乗務員のオングは、アメリカン航空の運航センターと4分間通話し、コックピットに連絡がつかず立ち入ることもできないこと、そして乗客が負傷したことを報告した。彼女はハイジャッカーの座席番号も伝えており、これは後に調査において犯人特定に役立った。 管制センターは何度もAA11便を呼び出したが同機が応答することはなく、8時21分、位置や飛行高度などを知らせるAA11からのトランスポンダ信号が途絶えた。8時23分には、アメリカン航空の運航統制室がAA11便のコックピットと連絡を取ろうとしたが成功しなかった。 8時23分のモハメド・アタの音声 8時23分にATCに届いたモハメド・アタの最初の放送 この音声や映像がうまく視聴できない場合は、Help:音声・動画の再生をご覧ください。 8時24分、アタは乗客向けに放送を行おうとした。しかし、彼は操作を誤り地上(管制センター)との回線を開いてしまい、それに気づかずこう言った: 我々はいくつかの飛行機を保持している。静かにしていれば大丈夫だ。我々は空港に引き返しつつある。 受信した管制官は何のことか理解できなかったが、数秒後にアタは以下のように続けた: 誰も動くな。何もかも大丈夫だ。もし動こうとするなら、自分だけでなくこの飛行機も危険に晒すことになる。静かにしていろ。 管制センターはAA11便がハイジャックされたと理解した。8時25分から32分までの間にボストン管制センターは、連邦航空局の手順に従ってハイジャックの報告を開始した。8時28分には、当時バージニア州ハーンドン(英語版)にあった航空交通管理システム指令センター (Air Traffic Control System Command Center) にAA11がハイジャックされた可能性を管制センターから報告している。 この間、AA11便は高度30,400フィート(約10,400メートル)付近へ上昇し、8時26分頃に左旋回して南へ変針した。8時30分頃には南南西に針路を調整し、高度29,000フィート(8,800メートル)で飛行した。
※この「ハイジャック」の解説は、「アメリカン航空11便テロ事件」の解説の一部です。
「ハイジャック」を含む「アメリカン航空11便テロ事件」の記事については、「アメリカン航空11便テロ事件」の概要を参照ください。
ハイジャック
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/06 22:54 UTC 版)
「ルフトハンザドイツ航空」の記事における「ハイジャック」の解説
1972年2月22日、ルフトハンザドイツ航空649便(東京発 - 香港・バンコク・デリー・アテネ経由 - フランクフルト行き、ボーイング747-200、D-ABYD)が、デリーのパーラム国際空港出発後、5人の過激なシオニストのテロリストたちによってハイジャックされた。彼らはドイツ政府に身代金として500万ドルを要求した。翌日、イエメンのアデン国際空港に緊急着陸し、犯人グループの要求が受け入れられると、乗員・乗客全員が解放された。詳細は英語版記事参照。 1972年10月29日、ルフトハンザドイツ航空615便(ダマスカス発 - ベイルート・アンカラ・ミュンヘン経由 - フランクフルト行き、ボーイング727-100、D-ABIG)が、ベイルート国際空港を離陸した直後、2人のアラブ人によってハイジャックされた。彼らはミュンヘンオリンピック事件で逮捕されたパレスチナの過激派組織「黒い九月」の3人のメンバーを解放を要求、西ドイツ政府はこれに応じた。11人の乗客と7人の乗員はリビアのトリポリ国際空港で解放された。詳細は英語版記事参照。 1973年12月17日、パンアメリカン航空110便がローマのフィウミチーノ空港でハイジャックされた事件で、パレスチナ人のハイジャック犯たちが数人の人質を連れて、偶然同空港に居合わせたルフトハンザ機(ボーイング737、D-ABEY)に押し入り、アテネ、ダマスカス、クウェートへの飛行を強制した。犯人たちはクウェート国際空港で拘束された。詳細は英語版記事参照。 1977年10月13日~10月18日、ルフトハンザドイツ航空181便(パルマ・デ・マヨルカ発 - フランクフルト行き、ボーイング737-200、D-ABCE、「ランツフート (Landshut)」)が、パレスチナ解放人民戦線のメンバー4人によってハイジャックされた。 1979年9月12日、ルフトハンザドイツ航空機(便名不詳 フランクフルト発 - ケルン行き)が、男性1人により乗っ取られる。犯人は機体をボン空港に着陸させて乗員・乗客128人を拘束、12時間後に解放後、当局に逮捕された。犯人に精神障害の疑い。 1993年2月11日、ルフトハンザドイツ航空592便(フランクフルト発 - カイロ経由 - アディスアベバ行き、エアバスA310-300、D-AIDM)が、フランクフルトを出発してから約35分後にエチオピア人の乗客によってハイジャックされた。犯人はニューヨークのジョン・F・ケネディ国際空港への飛行を強制。ニューヨークに到着後、FBIの特殊部隊による交渉に応じ、一人の死傷者も出すことなく事態が収束した。詳細は英語版記事参照。
※この「ハイジャック」の解説は、「ルフトハンザドイツ航空」の解説の一部です。
「ハイジャック」を含む「ルフトハンザドイツ航空」の記事については、「ルフトハンザドイツ航空」の概要を参照ください。
ハイジャック
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/07 04:17 UTC 版)
前述のように国内線に多数導入されたことから、1970年代に日本国内でハイジャックが多発した際には日本航空史上初のハイジャック事件となった日航のよど号ハイジャック事件、351便ハイジャック事件、全日空のアカシア便ハイジャック事件、72便ハイジャック事件、724便ハイジャック事件、817便ハイジャック事件の計6件で当機が被ハイジャック機材となった。
※この「ハイジャック」の解説は、「ボーイング727」の解説の一部です。
「ハイジャック」を含む「ボーイング727」の記事については、「ボーイング727」の概要を参照ください。
ハイジャック
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/17 07:43 UTC 版)
1970年3月31日 日本航空351便板付空港(現・福岡空港)行きが赤軍派を名乗る9人に乗っ取られる。機体は、板付空港、ソウルの金浦空港を経て北朝鮮・平壌市内の飛行場へ着陸。犯人グループ9人は北朝鮮に亡命。日本における最初のハイジャック事件(よど号ハイジャック事件)。 1971年5月13日 全日空801便仙台行きのYS-11が東京湾上空でビニール電線を持った男にハイジャックされ、犯人は羽田に緊急着陸後逮捕。 1971年12月19日 全日空758便福井発のフォッカー F27が羽田への着陸準備中に男が機内トイレに放火し、消火活動のすきに操縦席に押し入り、ナイフで機長を切りつけた。犯人は羽田に着陸後逮捕されたが、逮捕後に死亡した。 1972年11月6日 日本航空351便福岡行きのボーイング727が覆面をかぶった男にハイジャックされ、羽田に緊急着陸。犯人の要求で逃亡機として日本航空はDC-8-62 (JA8040) を用意させたが、犯人は逃亡機への移動中に逮捕された(日本航空351便ハイジャック事件)。 1975年4月9日 日本航空514便(千歳)発のボーイング747-SRが滑走路を滑走中に、男が拳銃で乗員を脅迫。犯人は乗客を解放後に逮捕。 1975年7月28日 全日空63便札幌(千歳)行きのトライスターが宮城県松島上空で高校生にハイジャックされ、ハイジャック機は羽田へ引き返し、犯人は羽田に到着後逮捕。 1977年3月17日 全日空817便仙台行きのボーイング727が離陸後に暴力団員にハイジャックされ、機内で乗客を改造モデルガンで殴打した上、改造モデルガンが暴発。羽田に緊急着陸した。犯人は機内で服毒自殺した(全日空817便ハイジャック事件)。 1999年7月23日 全日空61便札幌(新千歳)行きのボーイング747-400D (JA8966) が離陸後に包丁を持ったフライトシミュレーターマニアの男にハイジャックされ、機長を殺害して自ら操縦。副操縦士のコクピットへの突入により男は取り押さえられ、羽田に緊急着陸した。羽田空港のターミナルビルにおける構造・警備上の欠陥が指摘され、後に改修工事が行われた(全日空61便ハイジャック事件)。
※この「ハイジャック」の解説は、「東京国際空港」の解説の一部です。
「ハイジャック」を含む「東京国際空港」の記事については、「東京国際空港」の概要を参照ください。
ハイジャック
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/22 07:12 UTC 版)
「大韓航空機YS-11ハイジャック事件」の記事における「ハイジャック」の解説
1969年12月11日、韓国国内線として運航されていた江陵発ソウル行きの大韓航空機(日本航空機製造YS-11:登録番号HL5208、製造番号2043)は、ほぼ満席の乗客47人と乗組員4人を乗せて午後12時25分(韓国標準時)に離陸した。 しかし、離陸10分後、大関嶺上空でハイジャックされ、午後1時18分に北朝鮮の元山付近の宣徳飛行場に着陸した。北朝鮮当局は事件の翌日、操縦士2人の記者会見を通して「両操縦士がすすんで北朝鮮に脱出した」と発表し、操縦士による「亡命」であると主張した。しかし実際には、北朝鮮諜報部門による拉致工作であった。解放された乗客の証言や韓国当局の発表によれば、乗客として一番前の席に座っていた北朝鮮スパイの趙昶煕(当時42歳)が離陸後機長室に侵入し、ユ・ビョンハ機長にピストルを突きつけ北朝鮮に向かうように脅迫したという。人質になった人々は、北朝鮮の戦闘機3機が宣徳から平壌までエスコート飛行し、諜報員は平壌に着くと軍関係者に迎えられ、車で走り去ったこと、また、乗客乗員50人は飛行機から降ろされる前に目隠しされたことを証言している。
※この「ハイジャック」の解説は、「大韓航空機YS-11ハイジャック事件」の解説の一部です。
「ハイジャック」を含む「大韓航空機YS-11ハイジャック事件」の記事については、「大韓航空機YS-11ハイジャック事件」の概要を参照ください。
ハイジャック
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/18 12:15 UTC 版)
「ユナイテッド航空93便テロ事件」の記事における「ハイジャック」の解説
それから1分後の27分に4人のハイジャック犯がコックピットに押し入った。この時にパイロットが抵抗したため、この間に旅客機の高度が低くなり、高度は700 ft近く (約200 m) にまで落ちた。この間、コックピットではパイロットから複数の悲鳴等が発せられ、他機や管制官らは93便へ応答を求めたが回答はなかった。 9時32分、ハイジャック犯らは機内アナウンスを行い、アラビア語訛りの英語で「皆さん、キャプテンは無事です。我々は爆弾を持っています。無事でいたければ、その場に静かに座っていて下さい」と告げた。これがハイジャック犯らの誤りにより航空管制通信の電波を通じて管制官に伝わっており、管制官が「もう一度ゆっくり言ってもらえますか」と返答すると同じ言葉が返ってきた。その後、93便は進路を東に変えながら高度を下げていく。
※この「ハイジャック」の解説は、「ユナイテッド航空93便テロ事件」の解説の一部です。
「ハイジャック」を含む「ユナイテッド航空93便テロ事件」の記事については、「ユナイテッド航空93便テロ事件」の概要を参照ください。
ハイジャック
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/12 09:18 UTC 版)
「ルフトハンザ航空181便ハイジャック事件」の記事における「ハイジャック」の解説
1977年10月13日、ルフトハンザ航空181便(ボーイング737-200型機、機体記号D-ABCE、「ランツフート号 Landshut」)はスペイン・マヨルカ島のパルマ・デ・マヨルカからフランクフルト・アム・マインへ、休暇帰りの乗客86人と乗員5人の計91人を乗せて離陸した。離陸後、カップル2組を装って搭乗していた「殉教者ハリメ部隊」(Martyr Halimeh)に属する男性2名、女性2名のパレスチナ人ゲリラ(リーダーは Zohair Youssif Akache、および Riza Abbasi、 Nadia Duaibes、 Souhaila Andrawes )が旅客機をハイジャックした。男2人がコクピットを確保、マフムード(Captain Martyr Mahmud)の偽名を名乗るリーダーは銃器と爆発物を持っていると述べて燃料補給のためランツフート号の針路をローマへ変えさせた。 ハイジャックを実行したのはパレスチナ解放人民戦線(PFLP)だが、その背後にはドイツ赤軍(RAF)の存在があった。ドイツ赤軍(RAF)は、この一月前の9月に起こしたハンス=マルティン・シュライヤー誘拐事件で、西ドイツ政府に対しシュライヤー解放と引き換えにシュトゥットガルトのシュタムハイム刑務所に収監されているRAFの第一世代に属する幹部ら11人の釈放を求めたが、西ドイツ政府はこれに応じなかった。焦るRAFは西ドイツ政府にさらなる圧力をかけるため、共闘しているPFLPと組んでこのハイジャック事件を起こした。 ハイジャック犯のリーダーは西ドイツ政府の全権特使で政治家のハンス=ユルゲン・ヴィシュネヴスキー(Hans-Jürgen Wischnewski)に対し、RAFメンバー11人の釈放と現金1,500万米ドルを要求しながら、乗員乗客を人質にしてキプロスのラルナカ、バーレーン、ドバイと転々とした。しかしランツフート号はドバイに至るまでにも中東各国に着陸を拒まれ、ドバイから先はアラビア半島のどの空港からも着陸の許可は下りなかった。10月15日、ドバイで、ランツフート号機長のユルゲン・シューマン(Jürgen Schumann・ドイツ語版)はハイジャック犯の人数を外部へ交信して知らせることに成功するが、これによってリーダーから殺害の脅迫を受ける結果となる。 ランツフート号は同日ドバイを発ち、交渉にあたっていた西ドイツ政府当局はその行方を見失った。この間、ランツフート号はオマーンのサラーラに向かったが着陸を拒否され、南イエメンのアデンに針路を変更した。南イエメン政府も着陸を拒みアデン空港の主滑走路は車両で封鎖されていたが、ランツフート号の燃料は少なくなっていたため、シューマン機長は脇の砂地に強行着陸するしかなかった。無理な着陸によるランディング・ギアの損傷がないか調べるため、機長はハイジャック犯を説得して短時間機外に出る許可を与えられた。 しかし車輪の検査後も機長はすぐに機内に戻ろうとせず、ハイジャック犯が呼び戻そうと何度も叫んでも飛行機を爆破すると脅してもなかなか戻らなかった。すぐに戻らなかった理由は不明だが、いくつかの報告では、機長は南イエメンの当局者に機内に取り付けられたセムテックスの位置を通報し、南イエメンの当局者は機長に対して管制塔に留まるよう強要したとしている。機長が最終的に機内に戻りアデンを離陸すると、機長はハイジャック犯らに客席の人質たちの前へと連れ出された。機長は事態を説明しようとしたが、リーダーに頭を撃たれ殺された(享年37歳)。 中東の酷暑のなかで長時間留まっていたため客室内は高温になり、人質たちの体力は限界に近付いていた。
※この「ハイジャック」の解説は、「ルフトハンザ航空181便ハイジャック事件」の解説の一部です。
「ハイジャック」を含む「ルフトハンザ航空181便ハイジャック事件」の記事については、「ルフトハンザ航空181便ハイジャック事件」の概要を参照ください。
ハイジャック
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/09 17:51 UTC 版)
「D.B.クーパー事件」の記事における「ハイジャック」の解説
1971年11月24日は感謝祭前日だった。この日、1人の中年男性が黒いアタッシェケースを持ってポートランド国際空港にあるノースウエスト・オリエント航空のフライトカウンターに向かっていた。男は「ダン・クーパー」と名乗り、305便の片道の航空券を現金で購入した。305便は北にあるシアトル行きの飛行時間30分間の便だった。 クーパーはボーイング727-100 (連邦航空局機体記号N467US) に搭乗し、客室の後方にある18C席 (ある情報源では18E席、別の情報源では15D席) に座った。クーパーはたばこに火をつけ、バーボンのソーダ割りを頼んだ。同じ飛行機に乗った乗客たちによれば、クーパーの年齢は40代半ば、身長は178センチメートルから183センチメートルだったという。クーパーは軽量の黒いレインコート、ローファー、黒いスーツ、きちんとアイロンがかけられた襟付きのワイシャツ、黒いクリップ式のネクタイ、真珠母でできたタイピンを身につけていた。 305便はワシントンD.C.からシアトルへ向かう空路で、ミネアポリス、グレートフォールズ(英語版)、ミズーラ(英語版)、スポケーン、ポートランドを経由していた。太平洋標準時午後2時50分、飛行機は予定通りポートランドを飛び立った。飛行機には定員の3分の1程度が搭乗していた。離陸してまもなく、クーパーは自分の最も近くにいた客室乗務員であるフローレンス・シャフナー (英: Florence Schaffner) にメモを渡した。シャフナーは機体尾部のエアステア (昇降用階段) のドアに取り付けられた補助席に座っていた。シャフナーは、メモは孤独なサラリーマンが自分の電話番号を綴ったものだろうと考え、メモを開かずにハンドバッグに入れた。クーパーはシャフナーの方に体を傾けて、次の言葉を囁いた。"Miss, you'd better look at that note. I have a bomb." (「君、そのメモを読まないといけない。俺は爆弾を持っている」) メモはフェルトペンで丁寧に書かれており、全て大文字だった。メモはクーパーが返却を要求してきたため、実際にどう書いてあったかは不明である。しかし、シャフナーの記憶によれば、ブリーフケースの中に爆弾が入っているというようなことが書いてあったという。シャフナーがメモを読むと、クーパーはシャフナーに自分の隣に座るように言った。シャフナーはその言葉に従い、それから爆弾を見せるように冷静に頼んだ。クーパーはブリーフケースを開けて、中身を一目見るだけの時間を与えた。中には赤い円筒形の物体が8本入っていた。4本の上に別の4本が置かれている状態だった。物体には赤い絶縁材で覆われたワイヤーと、大きな円筒形の電池が付いていた。クーパーはブリーフケースを閉じると、自分の要求を伝えた。現金20万ドル ("negotiable American currency"、「交換可能なアメリカの通貨」で払うように指示した)、パラシュート4つ (2つはメイン、残りの2つは予備)、飛行機が到着したときに燃料を補給するための給油車をシアトルで待機させることである。シャフナーはクーパーの指示をコックピットにいる操縦士に伝えた。シャフナーが戻ってくると、クーパーは黒いサングラスを身につけていた。 操縦士のウィリアム・スコット (英: William Scott) はシアトル・タコマ国際空港の航空管制官に連絡をとり、管制官は地元警察とFBIに通報した。他の36名の乗客には、シアトルへの到着が機械の軽度のトラブルにより遅れているという偽の情報が与えられた。ノースウエスト・オリエント航空社長のドナルド・ニューロプ (英: Donald Nyrop) は身代金の支払いを承認し、全従業員にハイジャック犯の要求に十分に協力するように命じた。飛行機はピュージェット湾上空を約2時間旋回し、その間にシアトル警察(英語版)とFBIがパラシュートと身代金を集め、救急隊員を動員した。 客室乗務員のティナ・マックロー (英: Tina Mucklow) によると、クーパーは地元の地理に詳しそうだったという。飛行機がタコマ上空を飛んでいたとき、クーパーは下はタコマのようだというような発言をした。クーパーはマッコード空軍基地(英語版)はシアトル・タコマ空軍基地から (当時は) 車でほんの20分の距離であるとも発言したが、これも正しかった。シャフナーによると、クーパーは穏やかで、礼儀正しく、上品な言葉遣いで、当時一般的に認知されていたハイジャック犯のステレオタイプ (激高した冷酷な犯罪者、キューバへ向かおうとする反体制派) とは全く違っていたという。マックローは、クーパーは神経質ではなかったと述べた。感じの良い人物に見え、冷酷な態度をとったり不快な言動をしたりすることもなく、常に思慮深くて穏やかだったと語った。クーパーは2杯目のバーボンのソーダ割りを頼み、飲み物の代金を支払い、マックローに釣銭を与えようとした。シアトルに留まっていたときには乗員のための食事を要求した。 FBIの捜査官たちはシアトルにある数箇所の銀行から身代金を集めた。用意したものは無傷の20ドル紙幣1万枚で、そのほとんどが通し番号が"L"から始まるものだった。このことはこれらの紙幣がサンフランシスコ連邦準備銀行により発行されたものであることを示す。また、ほとんどがシリーズ1963Aやシリーズ1969からのものだった。紙幣は全てマイクロフィルムの記録が取られた。クーパーはマッコード空軍基地の人員が提供した軍の支給品のパラシュートは受け取らなかった。代わりに手動でリップコードを操作する民間用のパラシュートを要求した。シアトル警察は要求通りのパラシュートを地元のスカイダイビング・スクールから入手した。
※この「ハイジャック」の解説は、「D.B.クーパー事件」の解説の一部です。
「ハイジャック」を含む「D.B.クーパー事件」の記事については、「D.B.クーパー事件」の概要を参照ください。
ハイジャック
「ハイジャック」の例文・使い方・用例・文例
- 万一ハイジャックにあったらどうしますか。
- 飛行機はハイジャック犯たちによって爆破された。
- ハイジャック防止のため機内持ち込み手荷物の検査が厳重だ。
- ハイジャック犯達は飛行機の後部に移った。
- そのハイジャック犯は200万ドルの身代金を要求した。
- ABCニュースによれば、もう一機のジェット旅客機が、中近東でハイジャックされたそうだ。
- 彼らはハイジャック犯人の米国への引き渡しを拒んだ.
- ハイジャック犯たちは投獄中の同志の釈放を要求し, もしそれが容れられなければ飛行機を爆破すると脅してきた.
- そのハイジャックされた飛行機に日本人は搭乗していなかったそうだ.
- 飛行機のハイジャックを防ぐためにいろいろな工夫がこらされている.
- 飛行機がハイジャックされたと知って乗客はパニックに陥った.
- ハイジャック犯から銃を押収しようするほど無鉄砲である
- ハイジャックを防ぐ勇敢な試み
- 公海の上、または、同様の状況ハイジャックすること
- 航空機をハイジャックする
- ハイジャックとテロ戦術において政府によって訓練を受けた人で、(安全上の理由で)航空会社のフライトに乗った乗客
- 乗り物をハイジャックする
- ハイジャック防止条約という国際条約
- ハイジャック防止条約という国際条約の内容
- 乗り物をハイジャックすることができる
固有名詞の分類
- ハイ‐ジャックのページへのリンク