ファリードゥッディーン・アッタールとは? わかりやすく解説

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ファリードゥッディーン・アッタール

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/06/30 08:46 UTC 版)

ファリードゥッディーン・アッタールペルシア語: فَریدالدّین عطّارFarīd al-Dīn ‘Aṭṭār: 1140年代頃 - 1221年頃)は、現在のイラン東部、ホラーサーン地方ニーシャープール出身の、代表的なホラーサン派神秘主義詩人[1]。全名はファリードゥッディーン・アブー・ハミード・ムハンマド・ブン・イブラーヒーム・アッタール・ニーシャープーリー ペルシア語: فَریدالدّین ابوحامِد محمّد بن ابراهیم عطّار نيشاپورى‎ Farīd al-Dīn Abū Ḥāmid Muḥammad b. Ibrāhīm ‘Aṭṭār Nīshāpūrī、ファリード・アッタールの雅号で知られている[1]。代表作は韻文では『鳥の言葉[2]: The Conference of the Birds)、散文では『神秘主義聖者列伝』がある。ジャラール・ウッディーン・ルーミーはじめ後世のスーフィー詩人たちに多大な影響を与えているが、自著で自分自身についてはほとんど語っていない事もあり、その生涯については後世に付加されたと思われる伝説的な色合いの逸話が多く、詳しく分かっていない。単にアッタールとも呼ばれる。


  1. ^ a b c 藤井守男 (2002). “アッタール,ファリードゥディーン”. 岩波イスラーム辞典: 24. 
  2. ^ 訳し方によっては『鳥たちの集会』『鳥の会議』とも訳される。
  3. ^ アッタールとは - コトバンク、2012年10月21日閲覧。
  4. ^ a b アッタール - Yahoo!百科事典日本大百科全書、2012年10月21日閲覧。
  5. ^ パールシーネジャード編 (1998). ペルシア文学史概説. 東京外国語大学語学研究協議会 


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