ナルクシュとイナンチャとは? わかりやすく解説

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ナルクシュとイナンチャ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/21 08:02 UTC 版)

ナイマン」の記事における「ナルクシュとイナンチャ」の解説

集史』「ナイマン部族誌」によると、チンギス・カン勃興以前に、ナイマン王国ではその王位を兄のナルクシュ・タヤン・カンと弟のイナンチャ・カン(イナンチュ・ビルゲ・ブク・カン)とで争っていた。兄のナルクシュは一時タヤン・カン大王可汗)」としてナイマン王国支配したが、彼の死後、弟のイナンチャはナルクシュの子カジル・カンの勢力倒してナイマン王国統一したまた、同「ナイマン部族誌」によればナイマン部族を統べる君主のことを自ら「クシュルク・ハン」または「ブユルク・ハン」と呼んでいたという。「クシュルク・ハン(shlūk Khān)」とは「力強く偉大な君主(pādshāh-i qawī wa `aẓīm)」という意味で、「ブユルク・ハン(Būyurūq Khān)」とは「命令与える者(farmān dihanda)」の意味であるという。 ナイマンは東にケレイト王国隣接していたため、ケレイト王国内紛幾度か関わっている。イナンチュ・カンの時代ケレイト王国ではトオリル・カン(後のオン・カン)が即位したが、親族たちを粛正したためトオリル叔父グル・カンナイマン王国のイナンチュのもとに亡命したグル・カンナイマン軍事的援助によってトオリル撃退してケレイト王位襲いトオリル逆に東のモンゴル部族の有力王イェスゲイ・バアトルのもとに亡命する事となった。トオリルイェスゲイアンダ契り交わしその援助によって、グル・カン打ち破って西夏敗走させ、再びケレイト王位復帰した。しかし、トオリル復位すると弟たちなどを粛正し始めたため、ナイマン王国のもとに亡命したトオリルの弟の一人エルケ・カラがナイマン支援受けて再びトオリル追放しトオリル西夏ウイグルカラ・キタイ西遼)など各地放浪するになった。やがてイェスゲイ息子テムジン(のちのチンギス・カン)が強大になったことを聞いて再びイェスゲイとの縁故頼ってモンゴル部族のテムジン陣営もとに亡命して来た、と『聖武親征録』『集史』『元史』『元朝秘史』などで一致して伝えている。

※この「ナルクシュとイナンチャ」の解説は、「ナイマン」の解説の一部です。
「ナルクシュとイナンチャ」を含む「ナイマン」の記事については、「ナイマン」の概要を参照ください。

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