トレンティーノの聖ニコラウスの戴冠
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/11/04 21:05 UTC 版)
| イタリア語: La Coronazione di San Nicola da Tolentino 英語: The Coronation of St. Nicholas of Tolentino |
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| 作者 | ラファエロ・サンツィオ エヴァンジェリスタ・ダ・ピアン・ディ・メレート |
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| 製作年 | 1500年-1501年 |
| 種類 | 油彩、板 |
『バロンチの祭壇画』(バロンチのさいだんが、伊: La Pala Baronci, 英: The Baronci Altarpiece)として知られる『トレンティーノの聖ニコラウスの戴冠』(トレンティーノのせいニコラウスのたいかん、伊: La Coronazione di San Nicola da Tolentino, 英: The Coronation of St. Nicholas of Tolentino)は、盛期ルネサンスのイタリアの巨匠ラファエロ・サンツィオが1500年から1501年に制作した祭壇画である。油彩。チッタ・ディ・カステッロのサンタゴスティーノ教会にあるバロンチ家礼拝堂のために制作された。当時17歳であったラファエロにとって初めての公的発注となった作品で、エヴァンジェリスタ・ダ・ピアン・ディ・メレートと共同で制作した。祭壇画は18世紀に起きた地震で損傷したため、いくつかの断片が切り取られた。現在知られている断片は4つあり、画面上部の『父なる神』と『聖母マリア』(L'Eterno Padre, Madonna)がナポリのカポディモンテ美術館に[1][2][3][4]、画面左下の『天使』(L'angelo)はパリのルーヴル美術館に[1][3][5][6][7][8]、画面右下の『天使』(L'angelo)はブレシアのトジオ・マルティネンゴ絵画館に所蔵されている[1][3][5][9]。また全体の構想を描いた準備素描がフランスのリール宮殿美術館に所蔵されている[7][10]。
主題
トレンティーノの聖ニコラウスは聖アウグスチノ会に属した隠修士・神秘主義者である。1245年にイタリア中部のアンコーナ地方の都市サンタンジェロ・イン・ポンターノに生まれた。16歳の時に聖アウグスチノ会に入会。聖アウグスチノ会はその名前の通り、聖アウグスティヌスが定めた会則に従って生活する修道会派として13世紀に成立した。1270年に25歳で叙階されるとすぐに説教で知られるようになった。1274年、聖ニコラウスはトレンティーノに移住し、内乱の和平交渉で活躍。生涯をトレンティーノで過ごし、1305年9月10日に死去した。生涯を人々に対する説法と善行に捧げた聖ニコラウスは、多くの奇跡譚を持つことで知られ、聖セバスティアヌスや聖ロクス同様に伝染病からの保護が祈願された。西洋美術では聖ニコラウスは聖アウグスチノ会の黒い修道服を着た姿で描かれた。聖ニコラウスの絵画でしばしば登場する2羽の鳩は、病気で臥せっていたときに皿で運ばれてきた2羽の鳩を生き返らせた伝説にちなむ。1446年に列聖された[11][12][13]。
制作経緯
バロンチ家礼拝堂祭壇画『トレンティーノの聖ニコラウスの戴冠』は1500年12月10日、羊毛商アンドレア・ディ・トンマーゾ・バロンチ(Andrea di Tommaso Baronci)の発注により制作された。この発注はチッタ・ディ・カステッロで活躍していた画家ルカ・シニョレッリの紹介によるものであった可能性が指摘されている[5]。ラファエロの父ジョヴァンニ・サンツィオが幼い息子を残して死去したのは1494年のことである。そのためジョヴァンニの工房運営はラファエロが成長するまでの間、忠実な共同制作者であったエヴァンジェリスタ・ダ・ピアン・ディ・メレートにいったん引き継がれたと考えられている[2]。それから6年を経てバロンチ家から本作品の発注を受けたときには、ラファエロはすでに周囲から若くして工房を任せることができる実力の持ち主であると認められていたようである。この点は本作品の発注により作成された契約書の中で、ラファエロはエヴァンジェリスタよりも先に名前が挙げられ、名前に「親方」(magister)という敬称が付されていることから確かなことと思われる。この事実から、本作品の制作はラファエロ主体で進められ、エヴァンジェリスタは二次的な装飾的な要素を担当したと考えられる[2]。主題に聖ニコラウスが選択された理由については、特にチッタ・ディ・カステッロでは1500年頃にその崇敬が最も高まっていたことと関係している[8]。礼拝堂がある場所は聖アウグスチノ会派のサンタゴスティーノ教会であったため、関係の深い聖人が選択されるのは自然であった。あるいは聖ニコラウスは伝染病の流行に際して保護が祈願されたため、ペストの流行が原因かもしれない[14]。祭壇画は完成すると1501年9月13日に納品された[14]。2人に支払われた報酬は33ドゥカートであり、ラファエロはそのうち半分を受け取った[3]。
作品
『トレンティーノの聖ニコラウスの戴冠』は現在ではわずかな部分しか現存していないが、その全体像は各美術館に現存する4点の断片的な板絵と、リール宮殿美術館所蔵の全体的な構想を描いた準備素描、および損傷後の1791年にエルメネジルド・コスタンティーニによって制作された祭壇画下部の模写、文書記録などによって、ある程度まで再構成することが可能である。それによると祭壇画はおおよそ次のようなものであった。
主題である聖ニコラウスは画面中央下に描かれた。聖ニコラウスがいる場所はアーチ状の建築物を背景にした空間の中央であり、聖アウグスチノ会の黒い修道服を着て、右手に十字架を、左手に開かれた書物を持って立っている。聖人の両側には天使たちがおり、聖人はその間で足元に横たわった悪魔を踏みつけている。画面左下の天使が持っている巻物には聖ニコラウスの祝日の晩課で歌われる聖歌が記されている[3]。画面上部では父なる神、聖母マリア、サンタゴスティーノ教会の守護聖人である聖アウグスティヌスが描かれた。父なる神は輝きを発しながらアーモンド状のマンドルラから上半身を現している。父なる神はちょうど背後にはあるアーチの上部と重なるように配置され、その周囲をケルビムに囲まれている。父なる神、聖母マリア、聖アウグスティヌスの三者は聖ニコラウスに黄金の王冠を授けるべく、いずれも手に王冠を持ち、聖ニコラウスの頭上に掲げている[3][14]。
本作品は資料の少ないラファエロの修業時代を知るうえで重要である。ラファエロの修業時代については、若い頃からウンブリア地方を代表するピエトロ・ペルジーノのもとで修業したとする説と、ウルビーノにあった父ジョヴァンニの工房で修業したとする説がある。しかし実際にはペルジーノの影響が強く表れるのは最初期よりも少し後のことである。さらにペルジーノは肌の表現において通常は薄塗りを用いたが、本作品では厚塗りが使用されている。また初期においてはルカ・シニョレッリの影響で強い立体感と表現力に関心を持つようになったことも無視できない[2]。この問題においてトジオ・マルティネンゴ絵画館所蔵の『天使』は示唆的であり、各部分の描写は洗練され、繊細かつ入念である。これらの特徴からラファエロは父の工房で継続的に活動することで、技法や表現力を習得したと考えられる[5]。
帰属については祭壇画全体がラファエロによって描かれたことは広く認められているものの[2]、『父なる神』と『聖母マリア』をラファエロに帰属することについて消極的な見解があり、共同制作者のエヴァンジェリスタ・ダ・ピアン・ディ・メレートに帰属する者もいる[5]。
祭壇画および関連作品
現在、祭壇画に関するものとして、祭壇画から切り取られた断片3点、準備素描4点、プレデッラ3点が知られる。
祭壇画の断片
祭壇画の断片は3点が現存している。
- 『父なる神』と『聖母マリア』(L'Eterno Padre, Madonna)
- 『天使』(L'angelo)
- 『天使』(L'angelo)
カポディモンテ美術館所蔵の『父なる神』と『聖母マリア』はそれぞれ祭壇画の画面上中央の父なる神を描いた部分と、左側の聖母マリアを描いた部分を切り取ったものである[2]。ルーヴル美術館所蔵の『天使』は画面左下、聖ニコラウスの右隣に立った天使の上半身を切り取ったものである[8][14]。本来はこの天使と聖ニコラウスとの間にもう1人の天使が描かれており、わずかに『天使』の画面の中に隣にいた天使の翼が残存している。トジオ・マルティネンゴ絵画館所蔵の『天使』は画面右下、聖ニコラウスのすぐ左隣に立った天使の上半身を切り取ったものである[5][9]。画面の中には背後の建築要素と聖ニコラウスが左手に持った開かれた書物の一部が残存している[5]。
準備素描
準備素描は以下の4点が知られる[7]。
- 全体の構想を描いた準備素描(リール宮殿美術館所蔵[10])
- 聖人たちの手の細部に関する準備素描(表、アシュモレアン博物館所蔵[15])
- 画面左下の天使に関する準備素描(裏、アシュモレアン博物館所蔵[15])
- 悪魔の頭部に関する準備素描(ルーヴル美術館所蔵[7])
リール宮殿美術館所蔵の準備素描は祭壇画に描かれた登場人物の多くが描かれている点で注目される。天使のうち3人が描かれていないものの、聖アウグスティヌスの姿を伝えるものとして貴重である。また父なる神はラファエロが若いモデルを使用してポーズの研究を行ったことを伝えている[10]。アシュモレアン博物館所蔵の素描は1枚の紙の表と裏に描かれている[15]。
プレデッラ
祭壇を装飾するために横長の画面のプレデッラが3点制作された。いずれもトレンティーノの聖ニコラウスの奇跡譚から採られている。
- 『二羽の鳩を蘇らせるトレンティーノの聖ニコラウス』(San Nicola da Tolentino resuscita due colombe)
- 『溺れる少年を救うトレンティーノの聖ニコラウス』(San Nicola da Tolentino soccorre un fanciullo che annega)
- 『トレンティーノの聖ニコラウスと絞首刑に処された男たち』(San Nicola da Tolentino e gli impiccati)
前者2点は現在デトロイト美術館に[16][17]、後者はピサ王宮国立博物館に所蔵されている。帰属はピエトロ・ペルジーノのサークル[16][17]、ラファエロ、エヴァンジェリスタ・ダ・ピアン・ディ・メレートなど様々である[1]。
来歴
完成した祭壇画は約300年もの間、サンタゴスティーノ教会にあったが、1789年にイタリア中部を襲った壊滅的な地震で激しく損傷した[2][3][8]。祭壇画は教会を再建する資金を調達するため[3]、ローマ教皇ピウス6世に売却された。その後、損傷した祭壇画からいくつかの断片が切り取られ、ヴァチカン宮殿に設置された[2][4]。1796年から1797年のイタリア戦役でナポレオン率いるフランス革命軍はイタリア北部でのオーストリアとの戦争に勝利した。ナポレオンは翌1798年には教皇領に宣戦布告し、ローマに到着するとヴァチカンから多くの財宝を略奪してパリに持ち去った。この混乱の中で祭壇画の断片はフランス革命軍に押収され、ローマのサン・ルイジ・デイ・フランチェージ教会に運ばれたのち、分散した[2][14]。
このうち来歴をほぼ正確にたどることができるのは『父なる神』と『聖母マリア』である。この2点の断片は1799年にナポリ王国のシチリア・ブルボン朝の密使であったドメニコ・ヴェヌーティ(Domenico Venuti)によってサン・ルイジ・デイ・フランチェージ教会から持ち出され、ナポリに運ばれた[2][14]。この人物はフランスがナポリ市内のコレクションから略奪した美術作品を持ち帰ることを使命としており、この人物の働きによってラファエロの『アレッサンドロ・ファルネーゼ枢機卿の肖像』(Il Ritratto del cardinale Alessandro Farnese)などの貴重な作品が取り戻された。祭壇画の断片は1802年までにナポリのフランカヴィッラ宮殿に収蔵されたのち、カポディモンテ美術館の収蔵品の一部となって現在に至る[14]。
天使の頭部断片の1つ(画面右下)は数十年にわたって行方不明となるが、1822年から1823年にフィレンツェで売りに出された。これをブレシアの美術収集家パオロ・トジオ伯爵が購入した[3][5][14]。その後、トジオ伯爵は天使の断片を含むコレクションをブレシア市に遺贈し、さらに後にトジオ・マルティネンゴ絵画館に収蔵された[14]。
もう1つの天使の頭部断片は1798年頃に所在不明となったため不明な点が多い。19世紀前半、フランス革命軍によってパリに持ち去られたらしいが、ナポレオン美術館に収蔵されることはなかった[14]。そのため長年にわたって失われたと考えられていたが、1981年にフランスの個人コレクションに再び現れたのち、ルーヴル美術館によって購入された[3][8][14]。
再発見と復元
フランス革命戦争の混乱により断片に関する記録が失われ、また断片も各地に分散してしまった。これらの断片が同じ祭壇画の一部として再発見されるには20世紀まで待たなければならなかった。まず1908年にチッタ・ディ・カステッロの出身で同地の地方史に深い関心を寄せていた美術史家ジョヴァンニ・マゲリーニ・グラツィアーニが祭壇画の契約文書を発見した[2]。さらに1911年、画家・修復家のルイジ・カヴェナギによってトジオ・マルティネンゴ絵画館所蔵の『天使』の修復が行われた。この修復によって背景を覆っていた厚塗りが除去され、その下から天使の翼と、背景の建築物、聖ニコラウスが手にした書物の一部が現れた[3][5]。この発見を受け、美術史家オスカー・フィシェルは翌1912年にトジオ・マルティネンゴ絵画館所蔵の『天使』がバロンチ家礼拝堂の祭壇画『トレンティーノの聖ニコラウスの戴冠』の一部であることを明らかにした。この特定には1791年に画家エルメネジルド・コスタンティーニによって描かれた模写が大きく貢献した。コスタンティーニの模写は地震後に作成されたもので、祭壇画の下部しか描かれておらず、聖ニコラウスの周囲に配置されていた4人の天使のうち3人しか描かれていない不完全なものであった。しかしフィシェルはこれを参照することで『天使』が祭壇画の画面右下の天使から切り取られたものであることを特定した。さらに1913年にはフィシェルは現在カポディモンテ美術館所蔵の『父なる神』と『聖母マリア』が同祭壇画の一部であることを明らかにした[5]。なお、トジオ・マルティネンゴ絵画館所蔵の『天使』を覆っていたものと同様の厚塗りは『聖母マリア』やルーヴル美術館所蔵の『天使』でも確認された[5]。
祭壇画の図像の復元は過去に何度か試みられた。フランスの美術史家シルヴィ・ベガンはルーヴル美術館が断片の1つである『天使』を購入した翌年の1982年に復元図を作成した[14]。最近ではフィレンツェのガリレオ博物館は、2021年10月30日から2022年1月9日にかけてチッタ・ディ・カステッロ市立絵画館で開催された展覧会「チッタ・ディ・カステッロの若きラファエロとその視線」( Raffaello giovane a Città di Castello e il suo sguardo)を記念し、デジタル技術を用いて祭壇画の復元図を作成した[18]。
ギャラリー
- プレデッラ
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『溺れる少年を救うトレンティーノの聖ニコラウス』デトロイト美術館所蔵[17]
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『絞首刑に処されたトレンティーノの聖ニコラウスと男』ピサ王宮国立博物館所蔵
脚注
- ^ a b c d 『西洋絵画作品名辞典』 1994, p. 861。
- ^ a b c d e f g h i j k 『Raffaello ラファエロ』 2013, p. 54「父なる神、聖母マリア」。
- ^ a b c d e f g h i j k “Raphael”. Cavallini to Veronese. 2025年11月2日閲覧。
- ^ a b “God the Father and the Virgin Mary (fragments of the Baronci Altarpiece)”. Web Gallery of Art. 2025年11月2日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j k 『Raffaello ラファエロ』 2013, p. 58「天使」。
- ^ “Ange tenant un phylactère”. ルーヴル美術館公式サイト. 2025年11月2日閲覧。
- ^ a b c d “Ange”. フランス文化省公式サイト. 2025年11月2日閲覧。
- ^ a b c d e “Angel (fragment of the Baronci Altarpiece)”. Web Gallery of Art. 2025年11月2日閲覧。
- ^ a b “Angel (fragment of the Baronci Altarpiece)”. Web Gallery of Art. 2025年11月2日閲覧。
- ^ a b c d “Projet pour le retable de "Saint Nicolas De Tolentino"”. リール宮殿美術館公式サイト. 2025年11月2日閲覧。
- ^ 『西洋美術解読事典』 1988, pp. 264-265「ニコラウス、トレンティーノの(聖)」。
- ^ “St. Nicholas of Tolentino. The Catholic Encyclopedia”. New Advent. 2025年11月2日閲覧。
- ^ “NICOLA da Tolentino. Dizionario Biografico degli Italiani - Volume 78 (2013)”. Treccani. 2025年11月2日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j k l “Ars Longa: The Turbulent Fate of Raphael's Baronci Altarpiece”. フリック・コレクション公式サイト. 2025年11月2日閲覧。
- ^ a b c d e “Recto: Studies for the Coronation of St Nicholas of Tolentino, Verso: Study of an Angel and a standing Man”. アシュモレアン博物館公式サイト. 2025年11月2日閲覧。
- ^ a b c “Saint Nicholas of Tolentino Restoring Two Partridges to life”. デトロイト美術館公式サイト. 2025年11月2日閲覧。
- ^ a b c “Saint Nicholas of Tolentino Rescuing a Boy from Drowning”. デトロイト美術館公式サイト. 2025年11月2日閲覧。
- ^ “Digital reconstruction of Raphael's St. Nicholas of Tolentino”. ガリレオ博物館公式サイト. 2025年11月2日閲覧。
参考文献
- 黒江光彦 監修『西洋絵画作品名辞典』三省堂、1994年、861頁。ISBN 978-4385154275。
- ジェイムズ・ホール 著・高階秀爾 監修『西洋美術解読事典』河出書房新社、1988年、292-296, 307-308頁。 ISBN 978-4309267500。
- 渡辺晋輔 責任編集、渡辺晋輔、金山弘昌、飯塚隆 他 編『Raffaello ラファエロ』読売新聞東京本社、2013年、54, 58頁。 ISBN 978-4-906536-66-5。
外部リンク
- トレンティーノの聖ニコラウスの戴冠のページへのリンク