トリプルJ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/12 10:10 UTC 版)
「ジャマール・マッシュバーン」の記事における「トリプルJ」の解説
1993年のNBAドラフトにてダラス・マーベリックスから1巡目4位指名を受けてNBA入りを果たす。マッシュバーンの得点能力はNBAでも即戦力として通じ、開幕戦のユタ・ジャズ戦ではいきなり22得点を記録、4試合目では早くも30得点オーバーとなる36得点をあげた。ルーキーシーズンとなった93-94シーズンは73試合に先発出場、19.2得点4.5リバウンドのアベレージを残し、オールルーキーファーストチームに選ばれた。またマブスの新人記録を7つ更新した。デビューから好調なマッシュバーンの一方で、マブスは13勝69敗という泥沼の状況に陥っていた。しかしドラフトでは上位指名権を得られることができ、1992年のNBAドラフトではジム・ジャクソンを、翌年にはマッシュバーンを指名し、さらに翌1994年のNBAドラフトではジェイソン・キッドを指名。彼ら3人の頭文字をとって“トリプルJ”、あるいは“3J's”と銘打たれたトリオに率いられ、マブスは将来を嘱望されるチームとなるはずだった。キッドを迎え入れた94-95シーズンには36勝46敗とチーム成績は上向き、キッドは新人王に選ばれ、マッシュバーンもジャクソンに次ぐチーム2番目の平均24.1得点をあげ、11月12日のシカゴ・ブルズ戦ではキャリアハイとなる50得点を記録する など、マブスもマッシュバーンの将来も順風満帆に見えたが、3人の間に私情のもつれからくる軋轢が生じ、翌シーズンは26勝56敗と期待はずれの結果に終わった。またマッシュバーンを怪我という不幸が襲い、このシーズンの出場試合数は僅か18試合に留まった。96-97シーズン、3人の関係の悪化はいよいよ修復が効かないところまでいき、モチベーションが低下したマッシュバーンの平均得点は10.6得点まで落ち込んだ。そしてシーズン中の2月に、マイアミ・ヒートにトレードされた。
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トリプルJ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/16 02:22 UTC 版)
「ダラス・マーベリックス」の記事における「トリプルJ」の解説
低迷していた90年代前半には、復調を予期させる有望な新人がチームに集まっていた。92年のドラフトではジム・ジャクソン、93年にはジャマール・マッシュバーン、94年にはジェイソン・キッドを獲得し、この3名は頭文字をとって「トリプルJ」と呼ばれた。しかしトリプルJは私情のもつれなどもありうまく機能せず、チーム成績も上向かずに一人一人チームから離れた。90年代は、十年間連続でレギュラーシーズンを負け越し、プレーオフ出場を逃し、特に1993年には11勝71敗にまで落ち込んだ。この時代のマブスは典型的なドアマットチームであり、チャールズ・バークレーなどのジョーク好きなプレーヤーにネタとされた。
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