デュオの凋落とは? わかりやすく解説

デュオの凋落

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/26 06:18 UTC 版)

ティナ・ターナー」の記事における「デュオの凋落」の解説

1975年から1976年2年の間ずっと、アルコール依存症とコカイン中毒のため、アイク・ターナー良質な音楽を創り出すことができなくなっていた。公演中止延期となるものが出てきて、結果としてチケット売り上げ低落することにつながったティナ・ターナー1971年創価学会インタナショナル入会し、「南無妙法蓮華経」を唱えるようになっていた。彼女はこの信仰おかげで辛い時期を過ごすことができたのだが、彼女を苦しめたのはアイクによる虐待であった1976年7月2日一晩コンサート開いたことがあるテキサス州ダラスにあるダラス・スタットラー・ヒルトンに向かう途中ティナアイク激し殴り合い喧嘩をしてしまう。到着後まもなく、ティナアイク置いて、わずか36セント(「25セント硬貨10セント硬貨、そして1セント硬貨1枚ずつ」とティナ言っている)と、モービル・ガソリンのクレジットカードだけしか持たないままで逃げ出したティナ1976年7月27日裁判所離婚訴え起こした。これはデュオ永遠に終わらせることを意味していた。これ以後数ヶ月の間、ティナ色々な友達の家でアイクから隠れて過ごしたアイク離婚同意するのを待ったのであるティナは後に、法華宗信心と「南無妙法蓮華経」と唱えること、これが彼女に自分一人生きていく勇気与えてくれたと語っている。ともあれツアー最中アイク見捨てて立ち去ったことで、中止されショーに対して彼女が法的な責任を持たねばならなくなったことを彼女は知ったのだった一年間法廷争った後、1978年3月29日に彼らの離婚確定した離婚によりティナは完全にアイクとは道を分かち芸名そのまま彼女のものとすること、また中止されツアーにより生じた負債国税庁要求していたかなりの額の担保について彼女が引き受けること、こうしたことが決まった

※この「デュオの凋落」の解説は、「ティナ・ターナー」の解説の一部です。
「デュオの凋落」を含む「ティナ・ターナー」の記事については、「ティナ・ターナー」の概要を参照ください。

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