チンドン屋の芸
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/06 14:33 UTC 版)
口上 宣伝すべき内容を伝える役割として重視され、親方が担うことが多い。 飴売ほか物売を祖とすることに加え、昭和初期には活動写真館の弁士、芝居役者なども流入したため、様々なスタイルが混じり合っている。 化粧と衣装 支度と呼ぶ。多くは白塗で、カツラを着けた和装、着帽での洋装いずれにしても華美な衣装を纏う。 初期は化粧をせず、これは寄席芸人出身者がチンドンに流れてきたためと考えられる。村芝居やサーカス出身者が多くチンドン屋業界に流入したことは歴史の節でも述べたが、カツラの着用は、東京では戦前からあったが、関西では戦後に青空宣伝社がはじめた。 和装の場合は、歌舞伎、大衆演劇の役どころを模し、洋装の場合はピエロに扮することが多いが、アニメなどのキャラクターを取り入れたり、着ぐるみを用いることもある。 チンドンコンクールなどでは、大がかりな扮装も見られ、象や戦車などを張りぼてで作った例もある。 寸劇 路上で寸劇を演じることもあり、昭和30年代頃には、10人ほどでチャンバラの立ち回りをすることもあった。 この他、成人の人形を前に抱え、背負われた子供を演じつつ人形を操作する「人形振り」など、独自の芸を持つ者もいる。
※この「チンドン屋の芸」の解説は、「チンドン屋」の解説の一部です。
「チンドン屋の芸」を含む「チンドン屋」の記事については、「チンドン屋」の概要を参照ください。
- チンドン屋の芸のページへのリンク