チェイサー (漫画)
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『チェイサー』は、コージィ城倉による日本の漫画。『ビッグコミックスペリオール』(小学館)にて、2012年17号から2019年2号まで隔月連載された。
- ^ a b c “虫ん坊 2012年10月号(127):TezukaOsamu.net(JP)”. TezukaOsamu.net(JP). 2023年11月11日閲覧。
- ^ 後の『1978年のまんが虫』『恋とゲバルト』などに繋がっていく内容。
- ^ 手塚治虫は生前、逆サバで年齢詐称していたが、海徳は第一話で六狗からそれを知らされている。ただし、実際は逆サバを知っている編集者や同業者は皆無だったと言われている。
- ^ 海徳と同じく山梨航空技術学校出身の漫画家として、わちさんぺいがいる。また、わちが少年画報で航空戦記漫画『とらの子兵長』『わんわん航空隊』を連載していた時期に、海徳も少年画報で『虎、旋回す』を連載しており、内容も重複している。
- ^ 第3話で日下の誘いで1958年2月8日の第一回日劇ウエスタンカーニバルを取材し、レポート漫画を描いている。
- ^ 熱烈な手塚ファンでありながら手塚作品を否定する奇妙な性格は、とりいかずよしに証言されていたジョージ秋山の性格などがモチーフとなっている。
- ^ しかし、史実では、翌1968年の園田光慶『あかつき戦闘隊』懸賞問題から航空戦記漫画が一気に廃れ、1979年連載開始の新谷かおる『エリア88』まで空白が生じたため、この打ち切りで熱血ボウリング漫画へ転向したことは、結果的に幸運であった。
- ^ 新しいカルチャージャンルの開拓によるヒットは、池沢さとし『サーキットの狼』を先取りする形になっている。
- ^ 初期の週刊少年ジャンプのストーリー漫画で単行本巻数が15巻を越えたのは『プレイボール』の全22巻、『男一匹ガキ大将』『アストロ球団』の全20巻、『侍ジャイアンツ』の全16巻だけで、連載当時の『おれのドラゴンボウル』はかなりの人気漫画だったことが伺える。なお、『ハレンチ学園』は全13巻、『荒野の少年イサム』『包丁人味平』は全12巻、『大ぼら一代』は全11巻で終わっている。また、初期の週刊少年ジャンプにおいてギャグ漫画では1970年代に『あらし!三匹』の全16巻や『トイレット博士』の全30巻、『ど根性ガエル』の全27巻等がある。
- ^ 時期的には、本宮ひろ志が『大ぼら一代』終了後に『ゼロの白鷹』を連載する前。また、大ヒット作の後に飛行機ものを描いて失敗するのは、中島徳博が『アストロ球団』の後に描いた『コンドルの翼』も該当する。
- ^ 1975年の『がきデカ』ヒット直後に企画され、『うる星やつら』が始まった1978年までの間に描かれている。
- ^ 単行本6巻の巻末に掲載された『読売新聞』記者・石田汗太による解説の中で、モデルとなった人物が、1970年代初頭にボウリング漫画『紅蓮のオールウェイ』を執筆した漫画家、徳光こうじであるともっともらしく書いているが、途中でそれはフィクションであり、徳光こうじは架空の自分であると明かしている。また、この演出自体が梶原一騎作品からの引用でもある。
- ^ 1979年に『マンガくん』で連載開始した、新谷かおる『エリア88』による航空戦記漫画の復活を踏まえているが、実際には1980年代の『週刊少年ジャンプ』で女性作家が主力を担うのは極めて稀であった。また、海徳との関係性は板垣恵介、板垣巴留などの親子漫画家が参照されている。
- ^ “レッド公|キャラクター|手塚治虫 TEZUKA OSAMU OFFICIAL”. TezukaOsamu.net(JP). 2023年4月15日閲覧。
- ^ 『おもしろブック』→『少年ブック』→『少年ジャンプ』の経歴は、現実では長野規、中野祐介、西村繁男が該当しているが、編集長職に就いた描写はない。
- ^ “チェイサー 1|コージィ城倉”. 小学館. 2018年1月4日閲覧。
- ^ “チェイサー 2|コージィ城倉”. 小学館. 2018年1月4日閲覧。
- ^ “チェイサー 3|コージィ城倉”. 小学館. 2018年1月4日閲覧。
- ^ “チェイサー 4|コージィ城倉”. 小学館. 2018年1月4日閲覧。
- ^ “チェイサー 5|コージィ城倉”. 小学館. 2018年1月4日閲覧。
- ^ “チェイサー 6|コージィ城倉”. 小学館. 2019年3月29日閲覧。
- 1 チェイサー (漫画)とは
- 2 チェイサー (漫画)の概要
- 3 あらすじ
- 4 脚注
- チェイサー (漫画)のページへのリンク