コモン‐ロー【common law】
コモン・ロー
【英】: common law
同義語: 慣習法
ローマ法の流れをくむ独・仏などの大陸法の法体系と別途に発達した英米法の法体系において、立法府が必要に応じて制定した成文法に対して、永年の判例の積み重ねによって形成されてきた慣習法体系のこと。英国で何世紀にもわたって熟成され、米国を含む旧英国植民地であった国々に広まった。これらの国々のなかでは、特定の事柄についての制定法によってカバーされない、本来的、基本的な個人間の法的な関係などはコモン・ローによって裁かれている。コモン・ローにおいては、土地の所有権はその地下にまでおよび、地下に埋蔵されている鉱物に関する権益は土地所有者に帰属する。英米法の国々の中でも英国、オーストラリアなどの国々は第二次大戦後になって石油・ガス鉱業権は国が賦与することを制定法によって定めたが、米国およびカナダにおいては鉱物採掘権に関する法体系はコモン・ローによっており、それに基づく石油・ガス採掘に関するリース契約が、これらの国における石油・ガス探鉱開発の法的関係の基盤となっており、その法体系は百数十年にわたる多数の判例によって確立発展してきた。連邦有地、州有地についてのリースに関しては、それぞれ連邦、州の制定法があるがそれは手続きや期間の特定などが主眼で、政府とリース権者との法的関係はコモン・ローによって解釈されることに変わりはない。なお、これらの国々でも、石油・ガス資源開発の技術的合理性を保持させるために、石油資源保存(コンサーベーション)関係の成文法を制定して行政府に操業についての規制権を与えている。 |
慣習法
コモン・ロー
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/10 19:54 UTC 版)
コモン・ロー(英: common law)は、以下に記すように、多義的な概念である。
注釈
- ^ しかし、この原理はのちの1640年の長期議会、1649年の王の処刑、1649 年の共和制、1660年の王政復古、1688年の名誉革命と翌年の権利章典の成立などで議会の力が絶対王政に対峙して強力になったため確立したものである
- ^ 庶民といっても、騎士 (Knights) と一定の資産を有する「名望家」 (Burgesses) のことを指す。名望家は市民とも訳されるが、誤解を招きやすい。
- ^ 一般的な訳であるが、平民上訴裁判所と訳する者もおり、ここでの文脈ではこちらのほうがわかりやすい。
- ^ 20世紀までの合衆国では、金銭賠償を規定する通常法と状況に応じた救済を与えるエクイティとが併存する状況が続いていた地区がほとんどであったが、連邦裁判所ではコモン・ローとエクイティとは同じ裁判所が管轄する。もっとも、デラウェア州では今もなお通常裁判所と衡平法裁判所とを分けており、一つの裁判所の中で通常法を管轄する部とエクイティを管轄する部とを分けている州も多い。
- ^ 生命そのものは財産的評価が不可能であるから、故人は生命侵害による損害賠償請求権を取得し得ない。しかも、生命侵害により故人が何らかの請求権を取得し得るとしても、その請求権が発生したその瞬間に故人は既に死亡しているのであるから、その請求権は誰にも帰属することができず消滅する。したがって、生命侵害により故人に生じた損害の責任を訴えにより追及することはできない、というのがコモン・ローの(そして大陸法の)伝統的な発想であった(日本の判例残念事件を参照)
- ^ 違憲審査制を参照
- ^ 司法積極主義とも比較せよ
- ^ 立法府の判断は制定法の文言という形で示されるから、立法府の判断を尊重するためには、制定法を文言どおりに理解するのが大原則となる。例えば、制定法の文言上適用範囲に含まれない問題については、立法府はその問題にその制定法を適用しないとの判断をしたということができるから、制定法の文言の解釈をあれこれ工夫して適用範囲を広げれば立法府の判断に逆らうことになるわけである。
出典
- ^ The History of the Common Law of England by Matthew Hale1713 Matthew Hale [1] ・Commentaries on the Laws of England (1765-1769) Sir William Blackstone [2]
- ^ 伊藤正己『イギリス公法の原理』弘文堂、p.1。
- ^ 桑田三郎訳 「外国法の包括的継受は正当とされるか」 比較法雑誌7巻1-2号 p.256 中央大学比較法雑誌所収記事データベース。
- ^ F・W・メイトランド『イングランド憲法史』創文社、1981年、P.20頁。
- ^ 上掲「アメリカ法入門(4版)」92頁
- ^ 参照:上掲「アメリカ法入門(4版)」50頁
- ^ 参照:上掲『英米判例百選(3版)』78頁
コモンロー
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/07/30 14:11 UTC 版)
コモン・ローにおいて、土地所有者は、その土地について国王から最初に与えられた所有権にさかのぼって、自らの権利を証明する必要がある。土地取引に関する文書は集合的に、「累代証書」(title deeds)または「権利の鎖」と呼ばれる。国王から土地の所有を許されたのは数百年前であることもあり、現所有者に至るまでの譲渡回数は数十回にのぼることもある。その所有権に異議を唱える者が現れれば、所有者は多大な法的コストの負担を迫られ、土地の開発をも妨げる。 土地売買の際、権利移転の連鎖を徹底的に調査しても、買主は完全に安心することはできない。これは、主に「何人も自己の所有しない物を譲り渡すことはできない」(nemo dat quod non habet)という法原理および当該土地に関する未解決かつ未発見の権利が存在し得ることに起因する。たとえば、1872年のPilcher対Rawlins事件において、売主は単純不動産権(fee simple)を有する土地をP1に譲り渡したが、累代証書を手元に残し、P2に当該土地を二重譲渡した。P2は、売主が保有していた権原のみを手に入れることができた(すなわち、何も手に入れることができなかった)。 不動産を購入しようとする者の実施する調査を最小限に抑えるための立法により、コモンローの立場には多少の変化が見られる。たとえば、いくつかの法域では、買主は譲渡前の一定の期間の権原証書のみを入手すれば足りる旨規定された。
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コモン・ロー
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/18 06:20 UTC 版)
中世に成立し、近代政治原理に影響を与えたものとしては、イギリスにおいて成立したコモン・ローを挙げることができる。コモン・ロー(common law)とはイングランド王国の一般慣習法という意味で、11-12世紀ごろから地方ごとに存在していたゲルマン慣習法を統合して成立した。このコモン・ローは人為的に変更不可能とされ、13世紀には法曹院が成立し、裁判活動や法曹家の養成において支配的な役割を果たすようになり、コモン・ローは法曹院を通じて整理・体系化された。ここに君主の権力に対する「コモン・ローの優位」が確立され、コモン・ローは王権神授説に基づくステュアート朝の絶対王政に対する有力な対抗理論となり、名誉革命後の権利の宣言・権利の章典により王権神授説は否定され、議会主権の原理に結びついた。裁判所はコモン・ローに基づくのみならず、議会の制定した法律にも従うべきことが規定され、「法の支配」が確立された。以後この思想は、イギリス法体系の基本原則となった。一方で、「コモン・ローの優位」の思想は独立前後のアメリカにも大きな影響を及ぼし、しかもここではむしろ議会の制定した法律に対する有力な対抗理論となった。それは議会の立法権に対する司法権の優位の主張に結びつき、1803年には違憲立法審査権の確立という形で成果となって現れた。
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コモン・ロー
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/01 09:49 UTC 版)
放火罪(Arson、スコットランドではfire-raising)は、コモン・ローでは、「他人の住居を故意に燃やすこと」と定義される。 要件は、 故意に (malicious) 他人の 住居を (dwelling) 燃やすこと である。 故意 - コモン・ローの解釈上、「故意 (malicious)」とは、燃焼の重大な危険を引き起こす行為を意味する。犯人が、住居を燃やすため、故意に (intentionally) またはわざと (willfully) その行為をしたことを要しない。 他人の - 自分の住居を燃やすことは、コモン・ロー上の放火罪を構成しない。ただし、コモン・ロー上の放火罪の解釈上、所有権ではなく占有が「その住居は誰のものか」を決定する。したがって、自分が借りている家を燃やした場合、コモン・ロー上の放火には該当せず、他方、家主が他人に貸している家を燃やした場合、放火罪に該当する。 住居 - 「住居」とは、居住する場所をいう。空室の建物を破壊する行為は放火罪ではなく、「放火罪は、住居を保護するためのものであり、空室の建物を燃やすことは放火罪を構成しない」とされる。コモン・ローでは、建造物は最初の居住者が入居するまで住居にはならず、居住者が再び居住する意図もなくその建物を去ることで住居ではなくなる。住居は、建物及び宅地内にある離れを含む。住居は家に限られない。住居として占有されていれば、物置きも放火罪の対象となりうる。 燃やす - コモン・ローでは、住居の一部を焦がすだけでこの要件を満たす。住居に重大な損傷を与えることを要しない。他方、煙によって変色したというだけでは足りない。建材に対する現実の毀損が必要であり、カーペットや壁紙等の表面のカバーの損傷では足りない。放火罪は、木造建築物を燃やすことに限られるわけではない。熱や炎によって生じた建造物の損傷であれば足りる。 さらに、「保険金のために、自己の住居を燃やすことは、コモン・ロー上の放火罪を構成しない。初期イングランドにおいて、一般的に、人は、自己の財産をいかなる手段によっても破壊する権利を有すると考えられていたからである」とされる。
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コモン・ロー
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/05 20:07 UTC 版)
「オーストラリアの司法制度」の記事における「コモン・ロー」の解説
アメリカ合衆国の最高裁判所と違い、1903年に設置されたオーストラリアの最高裁判所(High Court of Australia)は州の最高裁判所から抗告をして 。かくしてオーストラリアのコモン・ローは統一される。アメリカ合衆国と異なり、オーストラリアの最高裁判所(High Court of Australia)は州や準州の最高裁判所の上に位置する。1963年以前、最高裁判所は貴族院の裁定に法的拘束力を持たせており、オーストラリアと英国のコモン・ローは一貫性があった。1978年、最高裁判所は枢密院の司法委員会の法的拘束力を解除した。南オーストラリア州では地方裁判所で賠償金の支払いを裁定することができるようになった。クイーンズランド州においても、刑事裁判を行った法廷で賠償金の支払いを裁定することが可能となった。タスマニア州では、タスマニア最高裁判所の司法官、記録官や準記録官により賠償金支払い裁定が行われる。
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「コモンロー」の例文・使い方・用例・文例
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固有名詞の分類
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