けん‐い〔‐ヰ〕【健胃】
けん‐い〔‐ヰ〕【権威】
読み方:けんい
1 他の者を服従させる威力。「行政の—が失墜する」「親の—を示す」
2 ある分野において優れたものとして信頼されていること。その分野で、知識や技術が抜きんでて優れていると一般に認められていること。また、その人。オーソリティー。「—ある賞を受賞する」「心臓外科の—」
けん‐い【険×夷/×嶮×夷】
けん‐い【険易】
けん‐い〔‐ヰ〕【顕位】
犍為
ケンイ | ||
むかし前漢武帝は蜀から僰道・青衣への道を開通するよう僰道県令に命じたが、費用がかさむばかりで完成せず、百姓の恨みが高じた。司馬相如が諫めたので、武帝は唐蒙を使者として僰道県令を逮捕し、斬首しようとした。このとき僰道県令が「成都を見られなかったのが残念だ」と言ったので、彼を成都に送って処刑した。唐蒙は石を斬って道路を切り開き、犍為都尉に任命されて南夷道で政務を執った。のち郡治は南広、僰道、武陽と遷る。男の性質は仁徳・孝心に篤く、女は貞淑である。公孫述が蜀を領有したとき功曹朱遵は従わず殺され、また門を閉ざしたり隠棲する者があった。そのため光武帝は「士大夫の郡である」と評している。成都を去ること百五十里にあり長江を渡らなければならないが、昔の人は長さ一里半にもなる大橋を架けていた。夏になると水かさが増して橋が落ちてしまうので、毎年修理しなければならず、百姓は苦しんでいた。しかし建安二十一年(二一六)に太守李厳が天社山を開削して尋江に車道を通し、三つの渡し場を設けて橋を廃止したので官吏・人民はともに喜んだ。李厳はさらに役所を改築し、壮麗な展望台は益州名物となった。同二十四年に武陽県に黄龍が現れ、川には赤い水が九日も流れた。蜀漢では劉氏が勃興する瑞兆だと考えた。 【郡人】程瓊 / 費立 / 費緝 |
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