カントリー・ハウスの凋落
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/31 07:47 UTC 版)
「カントリー・ハウス」の記事における「カントリー・ハウスの凋落」の解説
カントリー・ハウスの凋落は1870年代に発生したイングランドにおける農業不況と20世紀初頭の第一次世界大戦がきっかけであった。カントリー・ハウスの維持には低賃金で働く大量の使用人が必須であったが、産業革命による社会構造の変化によって富裕な大貴族といえども大量の使用人を雇うことは経済的に困難になった。大戦が勃発すると、上流階級に属する若者たちの多くがノブレス・オブリージュの伝統に従ってフランドル戦線へと出征し、二度と故郷へ戻らなかった。決定的な原因となったのは二つの大戦においてカントリー・ハウスの多くが政府によって接収されたことである。主に兵舎として利用されたカントリー・ハウスは戦争中ほとんどメンテナンスを受けておらず、終戦後もそのままの状態で返却された。労働党政権による増税と農業生産物価格の下落も追い打ちをかけ、多くの貴族が先祖伝来の館を手放した。中には館を取り壊したうえで建築資材として転売する例もあった。 多くのカントリー・ハウスが学校、病院さらには刑務所へと改装して利用された。「ステイトリー・ホーム」という名称とは裏腹に威厳は失われ、住居として利用される例も減少した。クリブデンやハートウェル・ハウスは郊外における高級ホテルとして利用されたが、これは建物にとり幸運な例であったといえる。ジョン・マーティン・ロビンソンの著した『近年のカントリー・ハウス』("The Latest Country Houses") によると1875年から1975年の間に全体の4分の1にあたる1,116ものカントリー・ハウスが何らかの原因で荒廃したとされる。年別にみたピークは1955年で、76棟のカントリー・ハウスが破壊された。
※この「カントリー・ハウスの凋落」の解説は、「カントリー・ハウス」の解説の一部です。
「カントリー・ハウスの凋落」を含む「カントリー・ハウス」の記事については、「カントリー・ハウス」の概要を参照ください。
- カントリー・ハウスの凋落のページへのリンク