オイルショックからバブル経済とは? わかりやすく解説

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オイルショックからバブル経済

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/16 00:33 UTC 版)

住友銀行」の記事における「オイルショックからバブル経済」の解説

1973年秋のオイルショックきっかけ引き起こされ内外経済不況の中で、総合商社安宅産業破綻露呈した当時経営陣は、安宅産業経営危機信用不安引き金となって日本経済危機につながることを危惧しさまざまな検討熟慮の末、安宅産業伊藤忠商事との合併の道を選び内外経済混乱避けられた。しかしながら16行の銀行団の償却債権額総額2,000億円にのぼり、住友銀行そのうち1,132億円を負担1977年9月末の決算全額償却余儀なくされた。 1977年、後に「住友銀行中興の祖」と呼ばれる磯田一郎頭取就任1983年1990年まで会長)。磯田は、前述安宅産業吸収合併手腕発揮したほか、東洋工業(現・マツダ)・アサヒビールなどの企業再建を手がけた。また、1979年7月マッキンゼーコンサルティングにより導入した総本部制・総本部長青天井決裁権限等に代表される機構改革は、迅速な意思決定可能にした。住友銀行近畿銀行から全国展開する上位としての地位築き頭取就任から3年1980年9月末の決算において都市銀行収益トップの座となった一方同時期の1978年地元近畿地区効率化目指し系列である関西相互銀行関西アーバン銀行経て、現・関西みらい銀行)の吸収合併計画進められたが、従業員取引先強固な反対運動沸き起こり頓挫している。 業容においては1986年10月には東京相互銀行平和相互銀行合併し懸案であった首都圏における店舗充実させ、全国300店におよぶネットワーク完成預金量も富士銀行逆転し合併により首位立った第一勧業銀行に次ぐ都銀2位躍進したが、救済合併した平和相銀不良債権により、再び収益力都銀1位の座を失うことになる。磯田は「向こう傷恐れるな」と大号令発し、わずか2年後1988年都銀1位を奪回している。 こうした磯田バブル経済下における積極融資方針に、当時頭取であった小松康は懐疑的であったそもそも小松平和相互銀行吸収合併反対であったが、このことが磯田逆鱗触れ2期目任期満了を2ヶ月残し1987年10月頭取解任された。これ以降住友銀行積極融資歯止めが利かなくなり、さらに富士銀行との間に展開された「FS戦争」と呼ばれる融資競争は、バブル崩壊により膨大な不良債権生み出すことになる。 なお、この頃進展する国際化金融自由化対応するため、各国主要都市への拠点開設や、1984年スイス名門プライベート・バンキング・ゴッタルド銀行買収、カード・リース等関連金融子会社設立など、積極的な取り組みをみせた。

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オイルショックからバブル経済

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 15:11 UTC 版)

東海銀行」の記事における「オイルショックからバブル経済」の解説

日本経済が2回のオイルショック経て安定成長期移行するなか、各銀行多様化する金融ニーズへの対応に注力していた。東海銀行でも、1982年4月には金の店頭販売1983年4月には長期国債販売1984年6月には公共債ディーリングなどを開始法人部門では、1983年11月東海パソコン情報サービスはじめとするファーム・バンキング充実1988年2月初の法人取引店舗である麹町支店開設などを実施した個人部門では、1978年8月東海カードローン1984年12月トヨタ生協日本初バンクPOS取扱などを開始したが、利便性欠けるところがあり、普及には至らなかった。 海外部門では引き続き業務多様化支店駐在員事務所拡充努めまた、1992年EC統合にらんで1989年にロンドン・パリなど、ヨーロッパ5市場株式上場した事務面では1988年9月第3次オンラインシステム「TWINS21」をスタートさせた。 また、1991年6月創立50周年という大きな節目迎える中、これを機に業務関連事業社会関連事業2つ記念事業展開した業務関連事業では、本店と全営業店リアルタイムで結ぶ銀行界初の衛星通信システムSWAN」を導入社会関連事業では、美術品展示文化遺産保護コンサート開催などを通じて地域文化発展努めた1975年5月東海財団1983年9月東海銀行国際財団設立するなど、早くから社会貢献活動重視し1992年6月には社会貢献活動推進室を設置するなど、その充実努めた

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