イタリア学派 (数学)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/10/01 08:02 UTC 版)
イタリア学派(イタリアがくは、イタリア語: Scuola italiana (di geometria algebrica) :イタリア代数幾何学派[1][2])は、19世紀後半のイタリアにおいて発達した代数幾何の学派である。直観を重視し、スキームを用いない古典代数幾何を展開した。
概要
イタリア学派はイタリア統一後の1870年代から1930年代において活動した[3]。
論理的な厳密さや代数的計算よりも図形的な直観、巧みな計算や幾何学的議論を重視し、そのスタイルはフェデリゴ・エンリケスの「予想は貴族の仕事、証明は平民の仕事」という言葉に集約されている[注 1]。この技巧は交点理論の発達に繋がった[3]。
イタリア学派の創始者はローマのルイージ・クレモナである[4]。クレモナは幾何学の研究で他国に後れをとっていたイタリアを最先端に押し上げ、以後イタリア学派の代数幾何学はローマを中心に発達した。後に教育大臣を務めたクレモナをはじめ、政治家となった人物が多い。
トリノのコラード・セグレは曲面の分類を開始し、その仕事は三頭政治(il triumvirato)として知られるグイド・カステルヌオーヴォ、フェデリゴ・エンリケス、フランチェスコ・セヴェリ)に受け継がれ、ブリル=ネーター理論を発展させた。曲線の種数(ジーナス)や双有理同値(双有理幾何学)の概念を整理し、曲面についても種数・特異点・代数的性質による分類を試みた。曲面の分類は、現代的には小平邦彦によりエンリケス・小平の分類(小平理論)として整理された[3]。
主な数学者
- ルイージ・クレモナ
- 三頭政治(il triumvirato)
- グイド・カステルヌオーヴォ
- フェデリゴ・エンリケス
- フランチェスコ・セヴェリ
脚注
注釈
- ^ 英語では"intuition is the aristocratic way of discovery, rigour the plebian way"。
出典
- ^ 菅井準一 等 編『科学技術史年表』平凡社、1956年。NDLJP:2421819。
- ^ 森毅『数学の歴史』紀伊国屋書店、1988年。ISBN 9784061588448。
- ^ a b c Agency, Japan Science and Technology. “イタリア代数幾何の歴史”. researchmap.jp. 2025年9月29日閲覧。
- ^ Guerraggio & Nastasi 2005.
参考文献
- George Abram Miller (1916). Historical Introduction to Mathematical Literature. The Macmillan Company
- Guerraggio, Angelo; Nastasi, Pietro (2005). Italian mathematics between the two World Wars
外部リンク
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