アーロン・コスミンスキー
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「切り裂きジャックと疑われた者たち」の記事における「アーロン・コスミンスキー」の解説
詳細は「アーロン・コスミンスキー(英語版)」を参照 アーロン・コスミンスキー(Aaron Kosminski、出生:Aron Mordke Kozminski、1865年9月11日 - 1919年3月24日)は、1891年にコルニーハッチ精神病院に入院していたポーランド系ユダヤ人 。当時の警察記録では、容疑者候補を挙げている1894年のマクノートンのメモの中に単に「コスミンスキー」として名が登場しており、またポーランド系ユダヤ人が犯人だと記していたロバート・アンダーソン(英語版)警視補の回顧録の余白に、元首席監察官ドナルド・スワンソン(英語版)が書いたコメントにもその名が登場する 。この回顧録でアンダーソンは当時ポーランド系ユダヤ人が犯人だと特定されていたが、目撃者もユダヤ人で証言を拒否したために起訴に至らなかったと書いている 。この信憑性を疑っている者もいるが、逆にこれを自説に利用する著述家もいる 。また、このアンダーソンの記述は、マクノートンのメモでは誰も切り裂き魔とは断定されなかったと書いていることと真っ向から矛盾している。1987年に著述家のマーティン・フィドは、コスミンスキーという名の入院患者がいないか精神病院の記録を調べたところ、該当する唯一の人物アーロン・コスミンスキーを発見した。また、彼はホワイトチャペルに住んでいたこともわかった。しかし、精神病院での彼はほとんど他者には無害な存在であった。彼の狂気は、幻聴、他人から食事を与えられることへの偏執的な恐怖、洗濯や入浴の拒否、そして「自虐」であった。元FBIプロファイラーのジョン・ダグラスは、著書『The Cases That Haunt Us』の中で、コスミンスキーのような偏執狂的な人物は、自分が犯人であれば収監中に公然と殺人を自慢した可能性が高いと述べており、実際のところ、彼がそうした行動をとった記録は残っていない。2014年には、DNA分析によってコスミンスキーと被害者エドウッズのものとされるショールとの関連性がわずかに示されたが、遺伝子指紋法の発明者であるアレック・ジェフリーズ教授をはじめとする専門家たちは、この結果を信頼性に乏しいとして認めなかった。2019年3月にも『Journal of Forensic Sciences』誌が、コスミンスキーとエドウッズのDNAがショールから見つかったとする研究を発表したが 、他の科学者からは疑われている。
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