いろは丸 (航運社)
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いろは丸 (いろはまる)は、明治時代に東京に存在した舟運会社・航運社が所有した蒸気船である。同名の船が4隻(「第一」から「第四」)存在し、1882年(明治15年)から利根川水系を経由して東京と小見川・銚子・鉾田を結ぶ航路に就航したが、地元舟運会社との競争に敗れて1884年には航路を撤退した[1]。
- ^ a b c d e 第三章 いろは丸の登場と衰微の予兆 - 木下まち育て塾(木下河岸物語)
- ^ 『川蒸気船銚子丸の誕生とその終焉』木下まち育て塾、2011年10月30日、9 - 10頁。
- ^ 『印西の歴史』第三号、印西市教育委員会、2001年3月、32頁。
- ^ 明治20年ごろの利根川の海運・交通について - レファレンス共同データベース(千葉県立図書館)
- ^ 第二章 木下の蒸気船概要 - 木下まち育て塾(木下河岸物語)
- ^ 第四章 ドコーピル鉄道計画といろは丸 - 木下まち育て塾(木下河岸物語)
- ^ 『印西の歴史』第三号、印西市教育委員会、2001年3月、38頁(表16図、上段1行目から24行目の上段)
- 1 いろは丸 (航運社)とは
- 2 いろは丸 (航運社)の概要
「いろは丸 (航運社)」の例文・使い方・用例・文例
- いろは丸の絵が見つかる
- 7月27日,長崎市歴史民俗資料館は「いろは丸」の絵が見つかったと発表した。
- いろは丸は坂本龍(りょう)馬(ま)が設立した団体「海(かい)援(えん)隊(たい)」が運用していた西洋式蒸気船だ。
- いろは丸は1867年4月,瀬戸内海で別の船と衝突し,後に沈没した。
- 「いろは丸」の名前は記録に載っていないが,この絵の中の船はいろは丸であると確認された。
- いろは丸は絵の中のものと同様にマストが3本あるスクリュー船だった。
- いろは丸の所有者は大(おお)洲(ず)藩(はん)で,絵の中の旗の1つは大洲藩の家紋を示している。
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