ペンネーム
( 筆名 から転送)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/03 14:35 UTC 版)
ペンネーム(pen name)は、文芸作品を発表する際に使用される、本名以外の名のこと。筆名(ひつめい)ともいう。小説や批評などの文章、漫画などの作者が用いる場合が多いが、稀に実用書や論文などでも見られる。
注釈
- ^ また、曙太郎も格闘界に転向後は四股名の苗字「曙」をリングネームにした。
出典
- ^ デビュー作『ココロコネクト ヒトランダム』巻末コメント(あとがき)より。
- ^ a b c GOGOワイドらぶらじ SBSラジオ 「海外の人名由来の芸名」2011/1/18
- ^ 公式サイトのドメインより
- ^ どおくまんBLOG: どおくまんプロ結成秘話 | その1
- ^ 歌謡界の作曲家“四天王”が「杉岡弦徳」としてコラボ!珠玉の1曲を松本明子が歌う スポーツニッポン2019年12月5日
筆名
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/01 14:58 UTC 版)
「伊集院静」というペンネームは実は自身に付けられたものではなく、ある小さな広告代理店に入社予定になっていた女性のコピーライターにつけられるはずの名前であった。本人は仕事は「趙」で行うつもりであったが、そこの社長が人が入ってくると本名で仕事をさせないと云う考えの持ち主だったこともあり、ある時、スポンサーへのプレゼンテーション時にある程度知られていた「趙」を使うのがあまり良くないと判断され、「今日はこれでやってください」と渡された名刺に印刷してあったのが「伊集院静」であった。
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筆名
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/07 03:22 UTC 版)
日本文芸家協会会員で、由崎迫三(ゆき さこみ)の筆名で登録されている。
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筆名
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/03 13:47 UTC 版)
「ウラジーミル・レーニン」の記事における「筆名」の解説
File:Lenin - What Is Soviet Power.ogg レーニンの演説 この音声や映像がうまく視聴できない場合は、Help:音声・動画の再生をご覧ください。 ウラジーミル・ウリヤノフが恐らくシベリアのレナ川に由来する「レーニン」という筆名を初めて公に使用したのは1901年12月であった。ウラジーミルは他にも複数の偽名を使用していたが、『何をなすべきか』を「レーニン」の筆名で発表して以降、他のマルクス主義者からこの名前で広く認知されるようになった。ウラジーミルはしばしば「N・レーニン(Н. Ленин)」という形でこの名を用い、イニシャルの「N」は実際には無意味であったが、のちにこれが「ニコライ」を示すとする誤解が一般的に広まった。なお、一般的に「ウラジーミル・イリイチ・レーニン」という名前の表記も用いられるが、本人自らがそのように署名した例はない。 「レーニン」の名は、帝国警察から身元を隠すためにウラジーミルが使用した150以上の偽名の中の1つであり、その由来についての定説は存在していない。ウラジーミルが1901年当時に敬愛していたゲオルギー・プレハーノフの用いた多数の偽名の中に、ヴォルガ川にちなんだ「ヴォルギン」があり、そこから同じくロシアの大河であるレナ川にちなんだ「レーニン」の名を考案したとの説があるほか、自身が送られた流刑地の近くを流れていたのがレナ川だったためという説も挙げられるが、彼のいたシュシェンスコエの側を流れていたのはエニセイ川であり、実際にレナ川を訪れたことは一度もなかった。ほかにも、中高等学校時代の級友の名前に由来するという説や、過去に交際した女性の名前に由来するとの説などが存在するが、ロバート・サーヴィスは諸説について「擬似心理学的な憶測」と述べている。
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筆名
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/13 17:12 UTC 版)
デビュー当時に使用していた南里こんぱると言うペンネームは、昭和初期の俳優で後には企画スタッフとしても東映映画に関わった南里金春の名前をもじったもの。なお、唐沢は後年刊行された初期作品集の名前に「金春」と名付けている。
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筆名
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/10/28 02:32 UTC 版)
陳淏が本名で刊行した書物は『精選国朝詩余』などが確認できるだけであり、ほとんどは陳淏子、扶揺子、墨浪子などの筆名を用いている。このうち前二者は陳淏自身の名および号に子字をつけただけのもので、特に問題となることはない。陳淏は『西湖佳話』においては図版部分のみならず書物の制作に全面的に関わっていることが明らかであるから、『西湖佳話』に用いられている古呉墨浪子という筆名が陳淏のものであることは認められる。これに先行して、『酔菩提』(全称『済顛大師酔菩提伝』)という全20回の長篇小説が出されており、この作品では西湖墨浪子の名を用いているが、『西湖佳話』巻9「南屏酔蹟」はこの『酔菩提』から12話を選んで1篇に仕立てたものにほかならず、同じ作者の手になったものである。この場合「西湖」と「古呉」の別にさほどの意味はない。陳淏は筆名のまえにおく冠称として、「西湖」をはじめ、「湖上」「武林」「古杭」「古呉」など、杭州・西湖の古名や雅名をさまざまに用いている。 陳淏との関係で解明すべきもう一つの筆名は清初小説史最大の謎となっている「天花蔵主人」である。小説史の面から『西湖佳話』の墨浪子と、順治・康煕年間に才子佳人小説を数多く世に出した天花蔵主人とを同一人物と見なす立場からの研究があり、この主張は作品の形式面、内容面の比較などによってほぼ裏付けられる。両者を結びつける決定的な資料こそ見つかっていないが、陳淏は天花蔵主人の人物特定の面からも欠かせない研究対象である。
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筆名
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/23 04:27 UTC 版)
「一葉」は雅号で、戸籍名は奈津。「なつ」「夏子」とも呼ばれる。「樋口一葉」として知られるが、歌人としては夏子、小説家としては無姓志向の一葉、新聞小説の戯号は浅香のぬま子、春日野しか子として筆名を使い分けている。発表作品においては「樋口夏子」に類する本名系と「一葉」の雅号系に分類される。「樋口一葉」と混合した署名を用いている例はわずか一つであり、『たけくらべ』未定稿などにおいて「一葉」と記された署名に別人の手により姓が書き加えられているケースがある。明治前半期の女性作家においては家への抵抗や姓の変遷などから同様に姓の忌避や創作世界においては雅号を用いるといった署名傾向があり、一葉にも女戸主としての意識が強くあったとも考えられている。一葉という筆名は、当時困窮していた事(お足が無い)と一枚の葦の葉の舟に乗って中国へ渡り後に手足を失った達磨の逸話に引っ掛けたものである。
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筆名
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/26 02:18 UTC 版)
以下に筆名を整理する。 木村 祥一(きむら しょういち) - 本名 木村 光久(きむら みつひさ) きむら 光久(きむら みつひさ) 木村 ただし(きむら ただし) きむら ただし(きむら ただし) 木村 光志(きむら みつじ) 京 さゆり(きょう さゆり) 木村 仁(きむら じん) 希村 仁(きむら じん) 貴村 光(きむら こう) 木村 祥刀(きむら しょうとう) - 剪紙
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筆名
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/01 15:30 UTC 版)
「小林司 (精神医学者)」の記事における「筆名」の解説
小林司はエスペラント関係の著作には朝比賀昇(あさひが のぼる)の筆名を使ったものが多数ある。この筆名は、エスペラントの著名な詩"La Tagiĝo"(ラ・タギージョ、意味は「夜明け」、「日が昇ること」)に由来する。また夫人の筆名の「東山あかね」はこの筆名と組になる名前である。
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筆名
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/09 17:22 UTC 版)
田中ロミオ (1973 - ) - 日本のゲームシナリオライター、ライトノベル作家。
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筆名
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/04 06:27 UTC 版)
筆名を作ったのは、小林が正業につかないのを親戚が嫌っていたからであるという。 「日本のことを勘違いして論じるアメリカ人」という設定のウィリアム・C・フラナガン名義の作品もある。 1958年、失業中に書いた「消えた動機」という推理短篇が江戸川乱歩時代の『宝石』誌1959年2月号に掲載され、のち三木洋 という変名のもとにテレビ化および映画化(山田洋次監督『九ちゃんのでっかい夢』)されたことがある。 その他の筆名に有馬晴夫、類十兵衛、スコット貝谷など。
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筆名
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/07 03:36 UTC 版)
筆名は、中学生時代に3人の友人らと互いに呼び合うのに用いた雷 / 雨 / 雲 / 風という符丁、そして受験雑誌への投稿時代にペンネームとして使用した「風」に由来する。当初は「かぜたろう」と読ませたかったようである(国立国会図書館のデータベースにその名残が見られる)が、最終的に「ふうたろう」で定着した。なお、戦前・戦後の映画・芸能雑誌をコレクションしていた色川武大が、その雑誌の中から、たまたま学生時代の「風太郎」名義の投稿を発見し、その頁のコピーを山田に送ったこともある。 生前に戒名を「風々院風々風々居士」と自ら定め、八王子の上川霊園にある墓石には「風ノ墓」と刻まれている。
※この「筆名」の解説は、「山田風太郎」の解説の一部です。
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