流人とは? わかりやすく解説

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りゅう‐じん〔リウ‐〕【流人】

読み方:りゅうじん

他国さすらう人。流浪の人

流刑処せられた人。るにん。


る‐にん【流人】

読み方:るにん

流罪の刑に処せられた人。


流人

作者江馬修

収載図書飛騨百姓騒動
出版社春秋社
刊行年月1989.1


流人

作者菊地秀行

収載図書懐かしあなたへ
出版社講談社
刊行年月1992.9

収載図書懐かしあなたへ
出版社講談社
刊行年月1995.12
シリーズ名講談社ノベルス

収載図書懐かしあなたへ
出版社講談社
刊行年月2002.5
シリーズ名講談社文庫


流人

読み方:ルニン(runin

作者 江馬修

初出 昭和27年

ジャンル 小説


流罪

( 流人 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/13 09:37 UTC 版)

流刑(るけい、りゅうけい)とは、刑罰の一つで、罪人を辺境やに送り、その地への居住を強制する追放刑の一種[1]。日本においては律令制五刑の一つ流罪(るざい)が知られ、流刑と同義語で用いられることもある。流刑地に処することは配流(はいる)という。


注釈

  1. ^ この刑を導入することを主張した源賀がその根拠として用いたのが『尚書』舜典であり、儒教思想的な要素が加えられることで徒遷刑の性格を大きく変えるとともに引き続き正刑である流刑の根拠としても用いられ、更に「流刑(流罪)」の名称の由来になったとも考えられている[17]
  2. ^ 類似の措置として加害者を強制的に移住させて被害者や告発者およびその家族と接触させない「移郷」と呼ばれる措置があることから流刑の距離も居住地からの距離とする説が通説とされている。一方で、恩赦として都に近い場所に移す措置が行われる場合があり、(居住地と都が三千里以上離れているケースなど)居住地によってはさらに遠方に送られる可能性を指摘してあくまでも皇帝のいる都から遠隔地への放逐が流刑の目的であり、距離の基準は都であるとする異説もある。なお、この議論は畿内を基準とした日本の流罪の距離が中国と異なる仕組を導入したのか、中国の仕組を日本に当てはめたものかという問題にもつながることになる[18]
  3. ^ 始め保元の乱に連座して土佐へ流され、帰京後太政大臣に登ったが、治承三年の政変によって再度尾張へ流された。
  4. ^ 始め長徳の変で出雲へ流されたが、のち優詔によって但馬に留め置かれた。

出典

  1. ^ 石井良助. "流刑". 百科事典マイペディア. コトバンクより2023年8月19日閲覧
  2. ^ 『人物日本の歴史5』105頁。
  3. ^ 小石 2005, pp. 7, 12–13.
  4. ^ a b "流罪". 百科事典マイペディア. コトバンクより2023年8月19日閲覧
  5. ^ 小石 2005, pp. 14–15.
  6. ^ 渡邉俊 2016, p. 40-41.
  7. ^ 渡邉俊 2016, p. 45-48.
  8. ^ a b 渡邉俊 2016, p. 38.
  9. ^ 清水克行『喧嘩両成敗の誕生』P.94
  10. ^ 清水克行『喧嘩両成敗の誕生』P.97-98
  11. ^ 清水克行「室町幕府「流罪」考」『室町社会の騒擾と秩序』(吉川弘文館、2004年) ISBN 978-4-64202-834-9
  12. ^ a b c 山本清司「関東幕領に於ける遠島刑」『法政史学』第14巻、法政大学史学会、1961年10月、92-130頁。 
  13. ^ a b 小石 2005, p. 39.
  14. ^ 小石 2005, p. 105.
  15. ^ 手塚豐 1954, p. 1-2.
  16. ^ 手塚豐 1954, p. 19、21.
  17. ^ 辻 2010, pp. 26–31.
  18. ^ 辻 2010, pp. 78–88, 97.
  19. ^ a b Archives, The National. “The National Archives - Homepage” (英語). The National Archives. イギリス国立公文書館. 2022年10月4日閲覧。
  20. ^ 実業之日本社『ブルーガイドわがまま歩き16 オーストラリア』2016年、33頁
  21. ^ 実業之日本社『ブルーガイドわがまま歩き16 オーストラリア』2016年、70頁
  22. ^ 幕末・牟岐沖漂着の異国船 英囚人強奪の海賊船か”. 徳島新聞 (2017年6月1日). 2019年10月3日閲覧。
  23. ^ 実業之日本社『ブルーガイドわがまま歩き16 オーストラリア』2016年、160頁
  24. ^ 囚人、流刑囚 オーストラリア辞典 - 大阪大学大学院 西洋史学研究室”. www.let.osaka-u.ac.jp. 2022年9月12日閲覧。
  25. ^ Convicts and the British colonies in Australia”. オーストラリア政府. 2016年1月1日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年5月8日閲覧。
  26. ^ a b c Chronologie relative à la déportation, transportation et relégation française”. archive.wikiwix.com. 2022年10月4日閲覧。
  27. ^ a b c d e イヴ・ジャンクロ、小梁吉章「フランス刑法の200年」『広島法学』第36巻第3号、広島大学法学会、2013年1月18日、92-130頁。 
  28. ^ 遠藤 誠. “パナマの法制度の概要”. BLJ法律事務所. 2023年4月12日閲覧。
  29. ^ 市川本太郎 「日本律令の刑罰と中国思想」『国士舘大学文学部人文学会紀要』8巻 国士舘大学文学部人文学会、1976年1月、115頁。
  30. ^ 小山松吉 「我國に於ける流刑に就て」 『早稲田法学』10巻 早稲田大学法学会、1930年3月、4頁。
  31. ^ 県指定有形民俗文化財 流刑小屋こきりこの里・上梨
  32. ^ 籠の渡し五箇山 合掌の里
  33. ^ フランツ・シュミット 『ある首切り役人の日記』 藤代幸一訳 白水社 2003年 ISBN 4560073643 p.96.
  34. ^ 都市空間の変遷に関する歴史的考察”. 京都大学 (1994年3月23日). doi:10.11501/3094410. 2022年9月28日閲覧。
  35. ^ サクラ : 日本から韓国へ渡ったゾウたちの物語 著者:キムファン 出版社:学研教育出版 出版年:2007 ISBN:4052025261、9784052025266
  36. ^ 朝鮮王朝実録
  37. ^ ゲオルギー・マナエフ (5月 10, 2021). “人間扱いされたロシアの鐘:投獄、処刑されることも”. Russia Beyond 日本語版. 2023年7月8日閲覧。
  38. ^ レファレンス事例詳細(Detail of reference example)



流人

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/03 15:25 UTC 版)

アンゴルモア 元寇合戦記」の記事における「流人」の解説

朽井迅三郎(くちい じんざぶろう) 声 - 小野友樹 本作主人公二月騒動幕府に捕えられ、対馬流刑された若き鎌倉武士義経流(ぎけいりゅう)の武芸者フィクションの人物であるが、八幡愚童訓に、対馬での戦い参加した流人として「口井藤三」という名が載っており、名前はここから取られた。 諱は光影(みつかげ)。 鬼剛丸(おにたけまる) 声 - 小山力也 巨漢海賊。迅三郎捕縛され対馬へ共に流される敵将劉復亨との一騎打ち死亡したかと思われたが、博多編で生存していた。 白石和久しらいし かずひさ) 声 - 乃村健次御家人地頭)。自ら「馬上打物白石和久右に出る無し」というほど、馬上打物を得意とする蒙古軍内通していた男衾を斬り、代わりに自分内通者となる。内通がばれた際は朽井と一騎打ちをし、首を落とされる。首は輝日姫に渡され裏切者であるが手厚く葬られた。 男衾三郎(おぶすま さぶろう) 声 - 浜田賢二御家人。「武蔵国大将軍」と呼ばれた自称する。兄を討ち家督奪ったが、幕府露見し対馬送られた。宗氏勢の金田城への入城後、蒙古軍内通する白石内通誘い断られて斬ろうとするが逆に斬られる。 阿無志(あむし) 声 - 堀江瞬 夜目効き斥候を得意とする少年京都盗みをして捕まった。島の孤児たちを逃がすために敵軍焚火に「てつはう」を入れて混乱させたが、海に逃げ込む際に首を射抜かれ死亡。 導円(どうえん) 声 - 小林裕介 僧侶金創医。「日本一名医」と自称する漢人石火矢撃たれ死亡。 火垂(ひたり) 声 - 竹内良太 弓を得意とする蒙古軍交戦中に額を射抜かれ戦死。 張明福(ちょうみんぷく) 声 - 斉藤志郎 筥崎長者謳われた商人本人言葉によれば、宋国の生まれ役人たちにも賄賂渡してきたが流刑身になる

※この「流人」の解説は、「アンゴルモア 元寇合戦記」の解説の一部です。
「流人」を含む「アンゴルモア 元寇合戦記」の記事については、「アンゴルモア 元寇合戦記」の概要を参照ください。


流人

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/28 14:46 UTC 版)

宇喜多秀家」の記事における「流人」の解説

関ヶ原の後、宇喜多家家康によって改易されたが、秀家は伊吹山中に逃げ込んだ。この時、落ち武者狩り矢野五右衛門遭遇するが、五右衛門は秀家を自宅に約40日も匿った(五右衛門の子孫は屋敷のあった場所に現在も居住し記念碑建っている)、とする話が伝わっている。秀家は京の太秦潜伏京都所司代奥平信昌発見される逃走成功。同じ西軍であった島津義弘などを頼って薩摩国落ち延び牛根郷(現在の鹿児島県垂水市)に匿われた。後世の編である『常山紀談』では薩摩遁れ剃髪して、成元さらに休復と号したとしている。このとき、秀家が島津氏に兵を借り琉球支配しようとしたという伝説残っている。 しかし「島津氏が秀家を庇護している」という噂が広まったため、慶長8年1603年)に島津忠恒義弘の子)によって家康のもとへ身柄引き渡された。なお、身柄引き渡しの際に一緒についてきた家臣2名を島津家仕官させるが、このうち一人本郷義則は、薩摩日置流弓術師範の祖、東郷重尚最初弓術師匠となる。 島津忠恒並びに縁戚前田利長懇願により死罪免れ駿河国久能山幽閉される。慶長11年1606年4月同地での公式史上初の流人として八丈島配流となった八丈島では苗字浮田、号を久福と改め妻の実家である加賀前田氏宇喜多旧臣であった花房正成らの援助受けて初期には秘密裏に、晩年公に隔年70俵の援助を得ることが幕府より許された)50年過ごし高貴な身分相まって他の流人よりも厚遇されていたとも伝えられるまた、八丈島所領としていた源(みなもと)家によく招かれ、宴を楽しんだ記録残っている。源家宗福寺住職兼ねているが、この寺院宇喜多家菩提寺である。 また、元和2年1616年)に秀家の刑が解かれ前田利常から秀家に、前田家から10万石を分け与えるから大名復帰したらどうかとの勧めを受けるが、秀家はこれを断って八丈島に留まった、とも伝わる。 八丈島での生活は不自由であったらしく、「偶然嵐のため八丈島退避していた福島正則家臣に酒を恵んでもらった話」や「八丈島代官おにぎり馳走してもらった話」(飯を二杯所望し、三杯目はお握りにして家族へ土産にした説もあり)などの逸話伝わっている。また、秀家が島で水汲女(現地妻)を置いたかどうかについては全くわかっていないが、その記録一切ないことから水汲女を置かなかったと考えられている。 明暦元年1655年11月20日、秀家は死去した享年84。このとき、既に江戸幕府4代将軍徳川家綱治世であった。墓は東京都八丈町大賀郷稲場墓地前田家所縁東京都板橋区板橋東光寺同じく石川県金沢市野町の宝池山功徳院大蓮寺などにある。法名は尊光院殿秀月福大居士正室豪姫法名樹正院殿命室寿晃大禅定尼大名宇喜多家滅亡したが、秀家と共に流刑となった長男次男の子孫が八丈島血脈伝え、後に分家浮田称す)が3家興った明治以後宇喜多一族赦免となり、元・加賀藩主前田氏庇護の下で東京本土)の前田家土地移住したが、そのうち何名かは数年後八丈島戻った。この島に戻った子孫家系が現在も秀家の墓を守り続けている。秀家が釣りをしていたと伝わる八丈島大賀郷南原海岸には、西(=備前国)を臨む秀家と豪姫石像建てられている。

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流人(るにん)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 16:15 UTC 版)

流罪」の記事における「流人(るにん)」の解説

流刑を受ける罪人

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流人

出典:『Wiktionary』 (2021/08/14 11:56 UTC 版)

名詞(1)

(るにん)

  1. 流罪処せられた人。

関連語

名詞(2)

りゅうにん

  1. 外国さすらう者流浪の人。
  2. 流罪処せられた人。るにん。

「 流人」の例文・使い方・用例・文例

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