料紙
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/09 02:37 UTC 版)
料紙は縹色に染められた漉染紙で、薄墨の罫線が幅3.6cmで引かれている。大きさは縦28.7cm×横154.9cmで、現状は巻子1巻に仕立てられている。通常、諡号勅書には白色の紙が使われるところ、円珍を顕彰するための配慮として縹紙が採用されたとする説がある。なお、文書の切断や改竄を防ぐため、本書には、朱文方印「天皇御璽」(8.7cm×8.7cm)が13顆、裏面に2顆捺されている。
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料紙
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/14 04:26 UTC 版)
大聖武の料紙は、マユミの靱皮繊維を原料とした真弓紙に胡粉を塗布したものである。1紙の寸法は縦27.5cm、横58cmほど。おおよそ縦23.3cm、横2.6cmの墨罫を引く。 大聖武や中聖武・小聖武に使用された料紙には、黒または茶褐色の極小さな粒子が無数に見える。この粒子については、かつて釈迦または光明皇后の遺骨を粉末状にして漉き込んだものであるという伝承があった。荼毘紙という名称はここに由来する。後に、荼毘紙の顕微鏡観察から、この粒子は香木を細かに砕いたものではないかという説が唱えられ、防虫と荘厳を兼ねて香木を漉き込んだ料紙であるというのが定説になっていた。 しかし、近年の繊維分析や復元などを伴うより詳細な研究によって、荼毘紙はマユミの靱皮繊維を原料とした料紙であり、粒子はマユミの靱皮繊維に含まれる樹脂成分が凝集したもの、または粗い繊維であることが判明した。なお称賛浄土仏摂受経の修理報告ではこの粒子について「マユミの靭皮繊維に含まれる樹脂成分や粗い繊維と思われるもの」とし、髙橋裕次もその表現を踏襲している。また久米康夫は「マユミ原料の塵入り紙であり、微粒子はマユミの靱皮の塵であるという説もある」というが、宍倉佐敏は久米の書を引いた上で、「この異物は繊維に貼り付いて粘着性があるので、塵ではなく何らかの樹脂成分であろうと推察される」と樹脂成分説をとる。 この真弓紙(檀紙)という語は正倉院文書に散見されるものの、従来マユミを原料とする料紙が確認されず、また後世には檀紙という語は楮を原料とした紙を指していたために、その存在が疑われていた。しかし、荼毘紙がマユミを原料とした紙であることが判明し、真弓紙の存在が裏付けられた。 正倉院文書の真弓紙の記述は、天平感宝元年(749年)から天平宝字2年(758年)の9年間にしか存在せず、真弓紙はほぼこの期間にのみ漉かれたものと推定される。当時紙は貴重品であり、白紙のまま長期間保存することは考えにくいことから、大聖武の書写年代もおおよそこの頃だと思われる。また、かつて大聖武は和経か請来唐経かで議論があったが、料紙が和製真弓紙であることが判明し、和経で決着した。
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