宮中
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/06/11 21:01 UTC 版)
宮中(きゅうちゅう)とは、宮殿の中を指す語である。とりわけ皇居のことを指すことが多い[1]。昔、中国の王城の門が九つ重なっていたところから、宮中は「九重」と表現されることがある[2]。また神社の中や境内を指すこともある[1]。宮殿の中の意味でつかわれる場合は禁中や禁裏と同義である[1]。
概要
主に府中(国政)の対義語として問題になった[3]。本来立憲君主制の下では宮中と府中は分離され、国政についての責任機関が確立している必要があるが、明治前期の太政官制のもとでは天皇親政下太政大臣・左大臣・右大臣・参議・卿などの国政の職位が天皇の家臣(朝臣)としての色彩が強く、しかも従来からの天皇の家臣である公家出身者がその職につくことが多かったため宮廷事務と国政事務の区別が明確になっていなかった[3]。
明治憲法制定で立憲体制が整えられた後も同憲法に定められた天皇の権限が大きかったため、宮中内の天皇側近者は政治に影響を及ぼしやすかった。これを宮廷グループ、あるいは宮中グループと呼んだ[4]。元老、内大臣、宮内大臣、侍従長やその周辺を指し、昭和期には西園寺公望を旧宮廷グループ、近衛文麿や木戸幸一らを新宮廷グループと呼んでいた[4]。
参考文献
- 増田知子「宮中」(『日本史大事典 2』(平凡社、1993年(平成5年)) ISBN 978-4-582-13102-4)
- 藤原彰「宮中グループ」(『日本歴史大事典 1』(小学館、2000年(平成12年)) ISBN 978-4-095-23001-6)
- 茶谷誠一『昭和戦前期の宮中勢力と政治』(吉川弘文館、2009年(平成21年)) ISBN 978-4-642-03792-1)
出典
- ^ a b c 精選版 日本国語大辞典「宮中」
- ^ 『九重』 - コトバンク
- ^ a b 世界大百科事典 第2版「宮中」
- ^ a b 日本大百科全書(ニッポニカ)「宮廷グループ」
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「ジパング (漫画)の登場人物一覧」の記事における「宮中」の解説
木戸幸一(きど こういち) 内大臣。 山本のみらい補修作業の交換条件を目的とした要請で二式大艇にて相模湾に停泊中のみらいを来訪。資料室で日本の敗北を知り、陸海軍の主戦派を押さえ込むため米内と共に終戦工作を行うことを決意する。
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藤原 宣孝(ふじわら の のぶたか) 従五位上・右衛門権佐(うえもんのごんのすけ・大内裏全体を警護する部署「右衛門府(うえもんのふ)」のNO.2)。内裏警護担当で則光の友人の一人。プレイボーイだが品が無く、清少納言からは役職にちなんで「ゴンスケ」と呼ばれるなど小馬鹿にされている。少納言をブスと呼ぶ。 藤原傍流をコンプレックスにしており、実は影で努力をしており、口説き文句の和歌と弓については一目ある腕前の持ち主。 ちょい悪プレイボーイのイメージで描かれており、他の姫君の寝所の朝からの描写が多い。 この逢い引きの行動をストーキングし続けた紫式部を“ガキんちょ”と呼び気にかけ、ある日宿直の途中雑用を夜遅くまでこなしていた式部の行動を見かねて強引に牛車を走らせ須磨の海に連れ出す。 この行動が元で式部を女性として意識するようになり、道長の催した宴で起きた騒動の責任を取らされ(実行犯は少納言と則光だが、式部も情報を漏らしており、わざと憎まれ口をたたくことでかばった)従五位上・肥後守に任ぜられた顛末を見て涙ながらに告白した紫式部に、自分が戻ってくるまで待てとプロポーズする。 なお、史実でも紫式部とは夫婦である。 作者Blogから金髪であることが判明した。 藤原 斉信(ふじわら の ただのぶ) 太政大臣・藤原為光の次男で正四位下・右近衛中将(うこんのちゅうじょう・内裏外周の警護を行う「右近衛府(うこのえのふ)」のNO.2)、のちに参議を兼ね「宰相中将(さいしょうのちゅうじょう)」と呼ばれる。則光の友人の一人。優男。 藤原嫡流である北家の嫡男というスーパーエリート貴公子ではあるが、本人はいたって自然体のお坊ちゃん。 則光と宣孝と3人で行動しているが他の2人に比べると出番は少ない。 清少納言達によって仕組まれた宰相の君とのお月見の際に、一世一代の告白を宰相の君から受ける。 橘 敏政(たちばな としまさ) 則光の父。従五位下・中宮亮(ちゅうぐうのすけ)。息子の許嫁候補(清少納言)は定子に仕えているが、本人の上司は彰子の父である中宮大夫・道長と、微妙な立場にある。 一条天皇(いちじょうてんのう) 時の天皇。やや気弱ではあるがとても温厚なお人柄。中宮定子を寵愛するが、道長の策略によって彰子を女御とする。 定子のためには桃の花を用意したり、臨月で物忌みで別居した定子に身分を隠して会いに行くほどの行動力を見せる。 笛が得意で、その笛が縁で彰子は自ら中宮としての振る舞いを目指すようになる。 藤原 道隆(ふじわら の みちたか) 中宮定子の実父。関白。出番はかなり少ないが、温厚な人。大酒呑みであり、それが元で早死にしたらしい。 藤原 伊周(ふじわら の これちか) 関白道隆の嫡男で中宮定子の兄。位は従二位・内大臣。関白の嫡男という家柄・容姿は申し分ないスーパー貴公子だが、実は能力はいまいちな凡人。 プレッシャーにとても弱く、鏡で自己暗示をかけて天才貴公子を演じたり、何かあると妹である定子に泣きつくほど。弓が得意。 後に父の引退に伴い内覧となるが、プレッシャーの弱さ故失敗・失言を繰り返し、道長に役目を譲らざるを得なくなる。 そしてそのストレスのため、ある夜間男と勘違いして既に出家済みである先帝花山法皇(一条天皇の従兄弟)に矢を射かける騒動を起こし、大宰府送りになる。 この騒動が、後に定子と清少納言達の運命を揺るがすことになる。 藤原 道長(ふじわら の みちなが) 道隆の弟で彰子の父。正三位・中宮大夫→左大臣。兄道隆と権勢を争う。作中では権力にしか興味のない「ショッパイ親父(和泉・談)」として描かれている。 性格は冷淡で能面、その権力を使って裏で根回しをするのが得意。 実の娘である彰子ですら駒扱いするほど。 一条天皇の母(国母)である詮子は実の姉であり、反道隆派として同盟している。 右近内侍(うこんのないし) 一条天皇につかえる上女房。武勇に優れ、少納言からは「女則光」や「修理亮(のスケ)もどき」と呼ばれる。 白拍子の様に黒髪を後ろでまとめ、烏帽子・束帯をまとう和装だが、前髪だけ青色にデザインされている。 藤原行成(ふじわら の ゆきなり) 従四位相当の蔵人頭・権左大弁(くろうどのとう・ごんのさだいべん、天皇の秘書官および太政官の職)を兼任する頭弁(とうのべん)。後に三蹟の一人に数えられる能書家。若い頃は不遇であり、装束の背中に「不死倭羅上等(ふじわらじょうとう)」と特攻服風に書いているヤンキー系。 清少納言の汚い字を見てその感性に惚れ夜這いに行くも、出した歌に激怒した則光に脅される、それをネタに清少納言に難題を押しつけられるなどの苦労人。 言葉遣いも“っス。”とヤンキー系である。 前髪だけ特徴のある髪型となっている。 詮子(せんし) 道長の姉で道隆の妹。一条天皇の実母。一見若々しいが、感情が激すると顔面に亀裂が入るほどの厚化粧をしている。 その血筋を遺したくないほど兄の道隆を嫌っている。
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