人間像とは? わかりやすく解説

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にんげん‐ぞう〔‐ザウ〕【人間像】

読み方:にんげんぞう

性格容貌行動思想などのすべてを含めたその人の姿。「社会期待される—」


人間像

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/12 02:05 UTC 版)

源義経」の記事における「人間像」の解説

死後百年の間にあらゆる伝説生まれ実像離れた多く物語作られ義経であるが、以下には史料残され義経自身言動と、直接関わった人物義経評を挙げる『吾妻鏡』治承4年1180年10月21日条によると、奥州にいた義経頼朝の挙兵知って急ぎ頼朝合流しようとした際、藤原秀衡義経強く引き留める。しかし義経密かに館を逃れ出て旅立ったので、秀衡は惜しみながらも留めることを諦め追って佐藤兄弟義経の許に送った同じく『吾妻鏡』によると、養和元年1181年7月20日鶴岡若宮宝殿上棟式典で、頼朝義経大工賜る馬を引くよう命じた義経が「ちょうど下手を引く者がいないから(自分身分釣り合う者がいない)」と言って断ると、頼朝は「畠山重忠佐貫広綱がいる。卑しい役だと思って色々理由付けて断るのか」と激しく叱責義経すこぶる恐怖し、直ぐに立って馬を引いた。 『玉葉』によると、寿永3年1184年2月9日一ノ谷の合戦後、義経討ち取った平氏一門の首を都大路引き渡し獄門にかけることを奏聞するため、少数の兵で都に駆け戻る。朝廷側は平氏皇室外戚であるため、獄門にかけることを反対するが、義経と範頼は、これは自分達の宿意(父義朝の仇討ち)であり「義仲の首が渡され平家の首は渡さないのは全く理由が無い。何故平家味方するのか。非常に不信である」と強硬に主張公卿達は義経らの強い態度押され結局13日平氏の首は都大路渡り獄門かけられた。 『吉記元暦2年1185年正月8日条によると、平氏残党恐れ貴族達は、四国平氏追討に向かう義経都に残るよう要請するが、義経は「2,3月になると兵糧尽きてしまう。範頼がもし引き返すことになれば、四国武士達は平家付き、ますます重大なことになります」と引き止める貴族達を振り切って出陣する。『吾妻鏡』によると、2月16日屋島出陣する義経宿所訪れた高階泰経後白河院使者)が「自分兵法詳しくないが、大将たる者は先陣競うものではなく、まず次将を送るべきではないか」と訊いた。これに対し義経は「殊ニ存念アリ一陣ニオイテ命ヲ棄テント欲ス(特別に思う所があって、先陣において命を捨てたいと思う)」と答えて出陣した『吾妻鏡』筆者はこれを評し、「尤も精兵謂うべきか(非常に強い兵士と言うべきか)」と書いている。また18日義経は船で海を渡ろうとしたが、暴風雨起こって船が多数破損した。兵達は船を一艘も出そうとしなかったが、義経は「朝敵追討するのが滞るのは恐れ多いことである。風雨の難を顧みるべきではない」と言って深夜2時、暴風雨の中を少数の船で出撃し、通常3日かかる距離を4時間で到着した壇ノ浦の合戦後に届いた義経専横批判する梶原景時書状受けて『吾妻鏡』は「自専ノ慮ヲサシハサミ、カツテ御旨ヲ守ラズ、ヒトヘニ雅意ニマカセ、自由ノ張行ヲイタスノ間、人々恨ミヲナスコト、景時ニ限ラズ義経はその独断専行によって景時に限らず人々関東武士達)の恨み買っている)」と書いている。その一方で義経自害の後、景時と和田義盛郎従20騎がその首を検分した時、「観ル者ミナ双涙ヲ拭ヒ、両衫ヲ湿ホス(見る者皆涙を流した)」とあり、義経への批判哀惜両面うかがえる壇ノ浦合戦後、義経密かに招いて合戦様子聞いた仁和寺御室守覚法親王記録左記』に「彼の廷尉は、ただの勇士にあらざるなり。張良三略陳平・六奇、その芸を携えその道を得るものか(義経尋常一様でない勇士で、武芸兵法精通した人物)」とある。 『玉葉』・『吾妻鏡』によると、頼朝対立した義経文治元年1185年10月11日13日後白河院の元を訪れ、「頼朝無実叔父を誅しようとしたので、行家もついに謀反企てた自分は何とか制止しようとしたが、どうしても承諾せず、だから義経同意してしまった。その理由は、自分頼朝代官として命を懸けて再三大功立てたにもかかわらず頼朝は特に賞するどころか自分領地地頭送って国務妨害した上、領地ことごとく没収してしまった。今や生きる望みもない。しかも自分殺そうとする確報がある。どうせ難を逃れられないなら、墨俣辺り向かい一矢報いて生死決したいと思う。この上頼朝追討宣旨頂きたい。それが叶わなければ両名とも自害する」と述べた。院は驚いて重ねて行家を制止するよう命じたが、16日「やはり行家に同意した理由先日述べた通り。今に至って頼朝追討宣旨賜りたい。それが叶わなければ身の暇を賜って鎮西向かいたい」と述べ天皇法皇下公卿らを引き連れて下向しかねない様子だったという。 追いつめられ義経平氏木曾義仲のように狼藉を働くのではと都中が大騒ぎになったが、義経11月2日四国九州荘園支配権限与え院宣を得ると、3日早朝に院に使者をたて「鎌倉譴責逃れるため、鎮西落ちます最後にご挨拶したいと思いますが、武装した身なのでこのまま出発します」と挨拶して静かに都を去った。『玉葉』の記主である九条兼実頼朝派の人間であったが、義経平穏な京都退去対し院中已下諸家悉く以て安穏なり。義経所行、実に以て義士と謂ふ可きか。洛中尊卑随喜せざるはなし(都中の尊卑これを随喜しないものはない。義経所行まことにもって義士というべきか)」「義経大功ヲ成シ、ソノ栓ナシトイヘドモ、武勇仁義トニオイテハ、後代佳名ヲノコスモノカ、歎美スベシ、歎美スベシ(義経大功成し、その甲斐もなかったが、武勇仁義においては後代佳名を残すものであろう賞賛すべきである)」と褒め称えている。

※この「人間像」の解説は、「源義経」の解説の一部です。
「人間像」を含む「源義経」の記事については、「源義経」の概要を参照ください。

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