中興とは? わかりやすく解説

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ちゅう‐こう【中興】

読み方:ちゅうこう

[名](スル)いったん衰えた物事や状態を、再び盛んにすること。「古寺を—した僧」


中興

読み方:ナカオキ(nakaoki)

所在 新潟県佐渡市

地名辞典では2006年8月時点の情報を掲載しています。

中興

名字 読み方
中興なかおき
名字辞典では、珍しい名字を中心に扱っているため、一般的な名字の読み方とは異なる場合がございます。

中興

読み方
中興なかおき

中興

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/10 14:57 UTC 版)

中興(ちゅうこう)は、一度衰えていたり途絶えたりしたものを復興させるという意味。元号に付けられるほか、王朝寺院を復興させた人物に「○○(宗)中興の祖」などのように付けられることがある。




「中興」の続きの解説一覧

中興

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 14:28 UTC 版)

寺山観音寺」の記事における「中興」の解説

正治2年1200年)頃、法橋行縁が入寺し、荒廃していた観音堂を中興した。寺山観音寺縁起によれば法橋行縁が荒廃していた寺山観音寺観音堂修造・中興したのは、正応6年1293年10月18日修造開始)から正和2年1313年10月17日修造終了)のこととしている。しかし、その縁起では、行縁は北条時政により遣わされたとされ、年代的に符合しない。その一方で寺所木造行縁僧都坐像栃木県指定有形文化財)の胎内墨書銘には、「正治元年1199年己未十月十八日始之、正治二年(1200年庚申十一月十七修理之也」と記されており、北条時政により派遣されたという伝承とも年代符合し縁起記された中興年は「正治」と「正応正和」の年号が、何らかの理由誤って伝わった可能性大きい。

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中興

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/02/25 07:12 UTC 版)

トゥドハリヤ1世」の記事における「中興」の解説

紀元前1440年頃、エジプトトトメス3世ヤムハド王国を含むシリア大部分征服した。しかし紀元前1436年頃にエジプト対す反乱起き、この地域ミタンニ支配下置かれる。この状況乗じてトゥドハリヤはヒッタイト南東隣接するキズワトナ(英語版)と従属条約を結び、シリアへの進出開始する。トゥドハリヤはミタンニ勝利し、ハラプ(アレッポ)を再びヒッタイト支配下収めることに成功したヒッタイト南方との交易路関心をもっていたとされる一方東方ユーフラテス河対岸にあたるイシュワ、アジジ、ハヤサに対して遠征行った北方山地に住むカシュカ族に対す討伐繰り返したが、こちらは決定的勝利を収めることは出来なかった。カシュカはこの時代以降勢力強めてヒッタイト帝国深刻な強敵となるため、この時代北方カフカス?)から移住してきたのではないかとする説もあるが、真相不明である。トゥドハリヤはさらに西方のアルザワ(英語版)国、「セハ川の国」、そしてヒッタイト属国攻撃仕掛けたアヒヤワ(Ahhiyawa)のアッタルシヤス王と戦った。トゥドハリヤはまた「アシュワ」国と戦ったが、その位置確定されていないものの(一般にヒッタイト西方とされる)、この国名が「アジア」の語源となったという。さらにトゥドハリヤはその一国タルウィサおよびウィルサヤに言及しているが、この国名は「トロイア」「イリオス」を指すと考えられている。 トゥドハリヤの治世から、ヒッタイト文化とりわけ宗教の面で急速にフルリ化が進んでゆく。このためトゥドハリヤ自身フルリ人血を引いているのではないかという説もある。トゥドハリヤの王妃上記通り人間関係錯綜しているため確定していないが、アルワムナ王の娘とされるニカルマティ英語版)(Nikal-mati)、その娘でキズワトナ出身とされるアシュムニカル(英語版)(mu-nikal)などが候補として挙げられており、このうちアシュムニカルはフルリ人血を引いているという。トゥドハリヤの跡は婿養子とされるアルヌワンダ1世継いだが、トゥドハリヤの築いた帝国急速に弱体化しシリアミタンニ奪われることになる。 聖書学者には、旧約聖書の「創世記14章1節に登場する「ティドアル王」は、トゥドハリヤ1世のことではないかとする説もある。

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中興

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/30 09:08 UTC 版)

飯豊山神社」の記事における「中興」の解説

1595年文禄4年)、若松城となった蒲生氏郷は、蓮華寺の僧宥明に命じて廃絶していた参詣道整備させ、これ以降、麓宮がある一ノ木口表参道とされ、蒲生氏に代わった松平氏時代にも、会津守護として手厚く保護された。山の反対側である米沢藩においても手厚く保護され上杉氏治世下で大日(現・山形県西置賜郡飯豊町岩倉)に岩倉神社建立され代々米沢藩主の奉納木札残されている。

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中興

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 05:27 UTC 版)

トヨタ自動車」の記事における「中興」の解説

喜一郎の後を継いだ石田退三社長時代クラウン1955年)、コロナ1957年)、ダイナ1959年)、パブリカ1961年)などロングセラーカーを開発し販売網整備推し進めた1956年クラウンロンドン東京間を走破国産自動車メーカー各社自信となった。のちの中川不器男社長時代スポーツ8001965年)、カローラ1966年)、ハイエース2000GT1967年)などを発売。特にカローラ躍進により、トヨタ国内シェアトップを不動のものとした。このころから北米タイブラジルなどにも進出しカローラ発売10年1974年車名別世界販売台数1位になってトヨタ急速な世界展開リードしたこの頃日本OECD加盟して外国車輸入自由化され日本自動車メーカー生産力に勝るGMフォード対抗するべく業界再編が行われていた。シェア首位トヨタ独占禁止法の関係で他社吸収合併することが認められなかったため、1966年日野自動車と、1967年ダイハツ工業業務提携締結した日野トヨタ生産ノウハウ吸収してトヨタ小型車生産請け負いダイハツカローラパブリカ事実上の上モデルであるシャルマンコンソルテ開発・販売しながら四輪開発経験積んだ。こうしてトヨタは「200体制」に向けた準備整えた豊田英二社長時代センチュリー1967年)、スプリンターマークII1968年)、カリーナセリカライトエース1970年)、スターレット1973年)、タウンエース1976年)、ターセルコルサ1978年)、カムリ1980年)、ソアラ1981年)などを発売し公害問題排ガス規制などに対処した1980年ビスタ店設立しトヨタ店トヨペット店カローラ店オート店(1998年に「(旧)ネッツ店」に改称とともに販売5チャネル体制」を確立した

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中興

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/15 00:25 UTC 版)

願成寺 (東金市)」の記事における「中興」の解説

創建当初より浄土真言律、天台曹洞臨済色々な宗派混在する四宗兼学寺院であったが、大永元年1521年当時土気城主・酒井定隆行ったとされる宗教政策により、真言律宗から日蓮宗改宗しその後顕本法華宗となった上総七里法華」の寺院現在の総本山京都・妙満寺である。 鎌倉期より七堂伽藍大寺であった周辺字名である願成寺(現:願成地)一帯創建時境内考えられ土地宝典にも隣接する字「願前(がんまえ)」などが残る。同じく隣接する字「鹿ヶ谷(しかがやつ)」は元の名を「鹿見塚(ししみづか)」と言、鎌倉浄光明寺寺領寄進されたという資料が、浄光明寺に今も残る。「谷」と書いて「やつ」と読むのは鎌倉松之郷共通している。松之郷区に隣接する道庭区の「道庭(どうにわ)」は元々「堂庭」の記載江戸時代古地図にも見られ広大な寺域誇っていた事が伺える。

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中興

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/10 04:18 UTC 版)

ジルジャン」の記事における「中興」の解説

16001800年代ジルジャン家族継承に関する正確な日付事実は、大半保管場所火災等で全焼したため、残っていないという。 1800年代、ハルーティアン(先代)・ジルジャン長男アベディス2世継承者となった

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中興

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/14 09:41 UTC 版)

神峯山寺」の記事における「中興」の解説

宝亀5年774年)、光仁天皇の子息であり桓武天皇庶兄にあたる開成皇子が、勝尾寺現・大阪府箕面市)から入山し、光仁天皇の命によって本堂建立して住職となったこれを機に神峯山寺天台宗寺院となる。また光仁天皇勅願所となって以降神峯山寺皇室緊密な寺院となり、その関係は幕末まで続いていたとされる境内には開成皇子の埋髪塔(五重塔)や、光仁天皇御分骨塔(十三重塔)があり、天皇皇室を表す十六八重菊使用認められ各所菊の紋章見られる

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中興

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/09 15:41 UTC 版)

法蔵寺 (福島県三春町)」の記事における「中興」の解説

平成7年1995年)、本堂庫裡新築落慶 戦後日本発展平和な社会檀信徒信心多大なる協力有線無線多く機縁恵まれここに7年歳月をかけ、総本堂再建される当山三十六世住職円阿弥照雄当山三十七世住職阿弥道代

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中興

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/26 06:00 UTC 版)

岩松氏」の記事における「中興」の解説

政経政経の代を経て岩松経家頼円)の代には、本宗家の新田義貞鎌倉幕府打倒のための挙兵参加したが、倒幕後は足利氏従った。経家は、建武の新政鎌倉将軍府執権足利直義指揮にあって中先代の乱の際、鎌倉迫った北条時行軍を迎撃する惨敗し討死した。

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中興

出典:『Wiktionary』 (2021/08/21 13:59 UTC 版)

名詞

(ちゅうこう)

  1. 一時衰えていたものを再び勢いづけること。

連語

動詞

活用

サ行変格活用
中興-する

「 中興」の例文・使い方・用例・文例

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