はぜ‐の‐き【黄=櫨/×櫨】
ハゼ
櫨
黄櫨
黄櫨
ハゼノキ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/24 21:14 UTC 版)
ハゼノキ(櫨の木[6]・櫨[7]・黄櫨の木[8]・黄櫨[9]、学名: Toxicodendron succedaneum)はウルシ科ウルシ属の落葉小高木。単にハゼとも言う[10]。東南アジアから東アジアの温暖な地域に自生する。秋に美しく紅葉することで知られ、ウルシほどではないがかぶれることもある。日本には、果実から木蝋(Japan wax)を採取する資源作物として、江戸時代頃に琉球王国から持ち込まれ、それまで木蝋の主原料であったウルシの果実を駆逐した。
注釈
出典
- ^ a b 米倉浩司・梶田忠 (2003-). “Toxicodendron succedaneum (L.) Kuntze ハゼノキ(標準)”. BG Plants 和名−学名インデックス(YList). 2023年12月25日閲覧。
- ^ William Henry Edwards or シデナム・エドワーズ
- ^ 米倉浩司・梶田忠 (2003-). “Rhus succedanea L. var. japonica Engl. ハゼノキ(シノニム)”. BG Plants 和名−学名インデックス(YList). 2023年12月25日閲覧。
- ^ 米倉浩司・梶田忠 (2003-). “Rhus succedanea L. var. dumoutieri (Piérre) Kudo et Matsuura ハゼノキ(シノニム)”. BG Plants 和名−学名インデックス(YList). 2023年12月25日閲覧。
- ^ 米倉浩司・梶田忠 (2003-). “Rhus succedanea L. ハゼノキ(シノニム)”. BG Plants 和名−学名インデックス(YList). 2023年12月25日閲覧。
- ^ a b c d e f g h 鈴木庸夫・高橋冬・安延尚文 2014, p. 103.
- ^ a b c d e f g h i j k l 田中潔 2011, p. 61.
- ^ a b c d 亀田龍吉 2014, p. 29.
- ^ a b c d e f g 林将之 2008b, p. 40.
- ^ a b 樹皮・葉でわかる樹木図鑑 (2011)、170頁
- ^ a b c d 平野隆久監修 永岡書店編 1997, p. 248.
- ^ a b c d e f g h 林将之 2008a, p. 139.
- ^ a b 林将之 2011, p. 145.
- ^ 林将之 2011, p. 144.
- ^ “木蝋(もくろう)-文化財を維持する特用林産物”. 日本特用林産振興会. 2019年4月24日閲覧。
- ^ 櫨の道. 松山櫨復活委員会. (2015年8月1日)
- ^ 桜島町郷土誌編さん委員会 1988, p. 153.
- ^ 鹿児島県 1967.
- ^ 「第三章 城下町と近郊農村の産業」『広島市史 第三巻 社会経済編』pp224 昭和34年8月15日 広島市役所
- ^ 「櫨紅葉」「櫨の実」「櫨採り」は晩秋・植物の季語。一方、「櫨」「櫨の木」は仲夏・植物に、「櫨の花」は初夏・植物に分類される季語である。- 齋藤慎爾・阿久根末忠編『必携季語秀句用字用例辞典』柏書房、1997年、P.871。
- ^ 9位 柳坂曽根の櫨(福岡県久留米市)葉と実 一幅の絵のよう『日本経済新聞』2019年9月7日・土曜朝刊別刷りNIKKEIプラス1「何でもランキング」(2面)2021年1月3日閲覧
ハゼノキ
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薩摩藩産の櫨蝋の品質もまた粗悪であり、市場での評価は低かった。低評価の薩摩藩産の櫨蝋に対する大坂商人の扱い方はぞんざいで、計量もいい加減であった。そこで調所は取引時に薩摩藩側の担当者を同席させ、厳正な取引を行わせるようにした。 櫨蝋の品質向上のため、産地の調査を実施するとともに安芸から職人を招請して技術導入に努めた。その結果、櫨蝋の品質は目だって向上し、改革前の倍近い価格で取り引きされるようになった。また天保10年(1839年)頃には櫨蝋の生産高が減少したため、大坂でハゼノキの苗木を購入し、また筑後からハゼノキの接ぎ木の専門家を招請した。
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