90式戦車
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性能諸元 | |
---|---|
全長 | 9.80m |
車体長 | 7.55m |
全幅 | 3.40m(サイドスカートを含む) |
全高 | 2.30m(標準姿勢) |
重量 | 50.2t |
懸架方式 |
ハイブリッド式 (油気圧・トーションバー併用) |
速度 |
70km/h (加速性能0-200mまで20秒) |
行動距離 | 350km |
主砲 | 44口径120mm滑腔砲Rh120 |
副武装 |
74式車載7.62mm機関銃(主砲同軸) 12.7mm重機関銃M2(砲塔上面) |
装甲 |
複合装甲 (砲塔前面 及び 車体前面) |
エンジン |
三菱10ZG32WT 水冷2ストロークV型10気筒ターボチャージド・ディーゼル 1,500ps/2,400rpm(15分間定格出力) 最大トルク4,410N・m(450kgf・m) 排気量21,500cc |
乗員 | 3名 |
概要
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北海道に着上陸侵攻してくるソ連軍の機甲部隊に対抗することを開発目標としており、世界の第3世代戦車トップクラスに比肩する性能を有する。
製造は、車体と砲塔を三菱重工業、120mm滑腔砲を日本製鋼所が担当し、1990年(平成2年)度から2009年(平成21年)度までに61式戦車の全てと74式戦車の一部を更新するために341輌が調達された。価格は1輌あたり約8億円である。
120mm滑腔砲と高度な射撃管制装置により高い射撃能力を持つ。西側諸国の第3世代主力戦車では初となる自動装填装置を採用しており、乗員は装填手が削減され3名となっている。装甲には複合素材が用いられ、正面防御力は当時世界最高水準と評価されている。
北海道に重点配備されており[1]、北部方面隊以外では教育部隊の富士学校・武器学校にしか配備されておらず[注 1]、本州以南の機甲部隊は74式を主力とする。
平成23年度以降は冷戦の終結、防衛方針の変化や防衛費の削減、東アジアの軍事バランスの変化など、世界、国内の情勢変化を受けて、全国的な配備を目指した後継の10式戦車が配備される。一方で、平成23年度以降に係る防衛計画の大綱で示された動的防衛力の方針から、90式戦車も北海道以外の地域で活動を行えるよう、訓練が実施されるようになっている。
開発
本車輌の開発は74式戦車が制式化された直後、1977年に神奈川県相模原市にある防衛庁技術研究本部第4研究所(現・防衛装備庁陸上装備研究所)が、新戦車の各種構成要素の研究試作をスタートさせている[2]。当時は米ソ冷戦下にあり、ソ連軍及びワルシャワ条約機構軍の質的向上、量的増大による東側陣営の軍事的脅威が高まっていた時期でもある[3]。同時期、ソ連軍は125mm滑腔砲を搭載させた戦車の配備を進めている[2]。
1979年にシステム設計を開始し[4]、1980年には開発要求書がまとめられた[2]。1982年度-1983年度までに1次試作(その1)として日本製鋼所とダイキン工業などが主砲、弾薬、自動装填装置の試作を行った[2]。120mm滑腔砲向けの自動装填装置の開発は世界初となったが、当初から主砲に関してはドイツのラインメタル社製44口径120mm滑腔砲Rh120をライセンス生産する方針になっていた[2](日本製鋼試作の120mm砲は性能面ではラインメタル製よりも若干優れていたがコストパフォーマンスの面でラインメタルに優位が認められた[5])。テスト用として、オリジナルのラインメタル社製120mm滑腔砲と弾薬も輸入されている[2]。これは、アメリカ陸軍のM1エイブラムスと同じものであり、アメリカと同じ弾薬が使えるようにも配慮された。
1983年-1985年にかけて三菱重工業が参画し、試作1号車と弾薬の試作が1次試作(その2)として1次試作(その3)として試作2号車と弾薬の試作が行われた[2]。この1次試作、2次試作で合計6輌(1次試作:2輌、2次試作:4輌)の試作車が製造され、各種試験に投入された[6]。
1次試作の試作車による技術試験は1983年10月-1986年10月までに、機動性能・火力性能・防護性能などの試験が実施された[6]。
試験中に1次試作の2輌は合計約11,000kmの走行試験、合計約1,220発の射撃試験を実施、また、1985年7月に実施された装備審査会議調整部会の決定により2次試作ではラインメタル社製120mm滑腔砲を採用することを決定した[7]。
1987年9月-1988年12月までに行われた2次試作の試作車による試験は、1次試作の試作車の試験を受けた仕上げ作業に加えて、小隊行動試験も実施された[6]。この試験では、下北試験場にて試作車への射撃試験も行われている[6]。1989年2月からは陸上自衛隊による実用試験が、同年8月まで実施された[8]。実用試験では潜水渡渉準備、NBC使用状況下の行動、重機関銃による対空射撃、弾薬補給などあらゆる事態を想定した試験が行われた[8]。
試験中に2次試作の4輌は合計約20,500kmの走行試験、合計約3,100発の射撃試験を実施した[7]。
実用試験の結果、陸上自衛隊は「部隊の使用に供し得る」との報告書をまとめ[8]、1989年12月15日に装備審査会議調整部会において陸自側の報告内容を追認し[8]、「制式の採用を適当と認める」との決定を下した[8]。翌1990年8月6日に新型戦車は「90式戦車」として制式化された[4]。同年、30輌の調達が開始された[8]。
現在、この試作車のうちの1輌が陸上自衛隊広報センターで展示されている(広報センター開館時より2020年のリニューアル工事前までは屋内展示、リニューアル工事以降は屋外展示)。この車両は、元々日本原駐屯地に用途廃止車として屋外展示されていたものを、広報センター開設のために化粧直しをして移管したものである。これは初めて90式が公開されたときの写真と同じく、砲塔正面装甲をキャンバスで覆い隠している。また、車体前面には92式地雷原処理ローラ用の6箇所の取付け座がある。試作車は土浦駐屯地と前川原駐屯地でも1輌ずつ屋外展示されており、後者にはストレートドーザが取り付けられている。
注釈
- ^ かつては第1機甲教育隊にも配備されていた。
- ^ 後継の10式戦車では情報モニターの設置など、操作計器の簡素化も行われている。
- ^ 各国の軍事機関を例に挙げても米軍のMIL規格、日本の防衛省規格NDSなど様々な基準・仕様・規格が存在する。
- ^ 自己位置評定のみ。
- ^ 90式より高腔圧に対応
- ^ 2008年度予算から初度費が一括計上されており、10式の単価には初度費は含まれていない。
- ^ 平成元年度防衛白書中の資料「平成元年度主要事業の経費」によれば、56両に対し22,175百万円。
- ^ 1965年と2022年の物価を消費者物価指数で換算。
- ^ 2005年の9月12日・9月19日に90式戦車と74式戦車が、2006年の8月31日・9月13日と2007年の8月31日・9月12日と2008年の9月2日・9月10日と2009年9月1日・9月9日に90式戦車が移動。
- ^ 90式より5トンから10トン以上重い主力戦車を保有する欧米でもゴムパッド付きの履帯で、一般公道を自走しての移動が行われている。
- ^ 上富良野駐屯地から上富良野演習場、鹿追駐屯地から然別演習場、北千歳駐屯地または北恵庭駐屯地から北海道大演習場といった各駐屯地から演習場までの国道や道道・市道にはアスファルトでは無くコンクリート補強された道路が設置されており、当該路面を戦車が通常の履帯で走行する状態を確認する事ができる。
- ^ JR・旧国鉄の在来線は横幅3メートル弱の車両を前提に設計されているが、74式以降はいずれも車幅が3メートルを超えている。なお、戦車以外では、在来線で施設科などの小規模な輸送が行われている。
出典
- ^ “第3世代戦車の最高峰「90式戦車」、攻守の能力を高次元でまとめた陸上自衛隊の現用主力”. Motor-Fan (2021年9月25日). 2023年4月3日閲覧。
- ^ a b c d e f g 古是三春 & 一戸崇雄, p. 113.
- ^ 古是三春 & 一戸崇雄, p. 112.
- ^ a b 丸 2002, p. 72.
- ^ “『90式戦車を制式化』”. 戦車兵のブログ. 2022年11月8日閲覧。
- ^ a b c d 古是三春 & 一戸崇雄, p. 114.
- ^ a b 防衛庁技術研究本部五十年史 II 技術研究開発 2.技術開発官(陸上担当). 防衛省. (2002-11-15). pp. 44-45
- ^ a b c d e f 古是三春 & 一戸崇雄, p. 115.
- ^ 自衛隊新戦車パーフェクトガイド 2011, p. 36.
- ^ 自衛隊新戦車パーフェクトガイド 2011, p. 34.
- ^ a b c “90式 走行中射撃も可能”. 時事ドットコム. 2021年1月14日閲覧。
- ^ a b 丸 2002, p. 73.
- ^ a b 丸 2002, p. 74.
- ^ 丸 2002, p. 76.
- ^ 『月刊グランドパワー』2006年4月号では、記者が「ほぼ100パーセント」と表現している
- ^ コーエー刊『戦車名鑑1946〜2002 現用編』51頁
- ^ 『月刊グランドパワー』2006年3月号
- ^ a b c d e 丸 2002, p. 77.
- ^ “三菱重工(株)”. 活動報告 その他. 衆議院議員 坂本剛二 (2004年11月11日). 2006年1月5日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年9月28日閲覧。
- ^ http://i.imgur.com/EHxDs87.jpg
- ^ a b 『世界のハイパワー戦車&新技術』(Japan Military Review『軍事研究』2007年12月号別冊)
- ^ [1](2007年9月28日時点のアーカイブ)、[2](2012年6月12日時点のアーカイブ)
- ^ 『世界のハイパワー戦車&新技術』(Japan Military Review『軍事研究』2007年12月号別冊p135、一戸崇雄)
- ^ テレビ朝日 『カーグラフィックTV』 1996年8月24日放映 No.564「陸上自衛隊の働くクルマ逹」より
- ^ http://www.mtu-online-shop.de/fileadmin/dam/download_media/import_print/D_23054E_0601.pdf MTU社MB873エンジン公式資料 (PDF)
- ^ http://www.mtu-online-shop.de/fileadmin/dam/download_media/import_print/D_23112E_0601.pdf MTU社MT883エンジン公式資料 (PDF)
- ^ 防衛庁技術研究本部五十年史 II 技術研究開発 9.第4研究所. 防衛省. (2002-11-15). p. 302
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- ^ 柘植優介「陸自期待のルーキー、10式戦車の姿」『PANZER』第470集、アルゴノート社、2010年9月、22-33頁。
- ^ “「イーグル・アイ」 「玄武2010」で2師団 C4ISRで継戦能力保持”. 朝雲新聞. (2010年11月4日) 2010年11月17日閲覧。
- ^ 鈴木利治「第2戦車連隊−訓練検閲でC4I能力を存分に発揮」『陸上自衛隊の戦闘力−10式戦車』イカロス出版〈イカロス・ムック〉、2021年、18-23頁。ISBN 978-4802210492。
- ^ https://www.mod.go.jp/j/approach/hyouka/seisaku/results/21/jizen/honbun/02.pdf 平成21年度政策評価書 事前の事業評価(本文) (PDF)
- ^ Forecast International Re-evaluates Main Battle Tank Market
- ^ http://doc.danfahey.com/Tanks-ArmorMag.pdf ARMOR-July-August 1999 (PDF)
- ^ 装甲車両・火器及び弾薬の開発・調達について (PDF) - 防衛省経理装備局艦船武器課 平成23年2月
- ^ JapanDefense.com
- ^ 防衛白書の検索
- ^ 新たな時代の安全保障と防衛力に関する懇談会 - 第5回配布資料 「防衛生産・技術基盤」平成22年(2010年)4月(防衛省) (PDF)
- ^ レオパルト2の方向指示器(後部)が見える写真/ルクレールの方向指示器(前部)が見える写真
- ^ “戦車、民間フェリーで移動…北海道から大分へ”. 読売新聞. (2011年10月26日). オリジナルの2011年10月28日時点におけるアーカイブ。
- ^ “自衛隊、南西シフト鮮明=九州・沖縄で相次ぎ演習-鉄道、民間船で列島縦断”. 時事通信. (2011年11月3日)[リンク切れ]
- ^ 追跡・静岡:戦車砲身破裂 重なった人為ミス 届かなかった中止命令 /静岡
- ^ 戦車横転で隊員死亡 北海道、陸自訓練中
- ^ 20170604 90式戦車と音楽隊の共同演奏@真駒内駐屯地 - Youtube
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