鹽竈神社 摂末社

鹽竈神社

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/30 09:57 UTC 版)

摂末社

境内末社

以下の4社は、楼門を入って左手に朱塗木造銅板葺屋根の雨覆を掛けられ並んで鎮座している。明治維新前後に書かれたと言われる『鹽竈社神籍』[10]では社内摂社であるとしている。

  • 神明社
  • 八幡社
  • 住吉社
  • 稲荷社

境外末社

御釜神社

東参道(裏参道)入口の鳥居から南に約100m行った塩竈市中心部の商店街にある境外末社北緯38度18分58.44秒 東経141度01分4.35秒)。

「塩竈」と言う地名の由来となった鹽竈神社の神器「神竈」を安置している。

この他に、鹽竈神社の表坂向かい側・融ヶ岡の際には祓戸社(はらえどのやしろ)という小さな石祠が鎮座している。祭神として祓戸四柱大神を祀る社で、昔は祓戸社で身を清めてから鹽竈神社へ参拝したといい、また夏越の大祓の神事がこの石祠の前で行われていたという。現在、夏越と大晦日の大祓式は、志波彦神社の手水舎の南側にある「祓所」前で催行されている。

十四末社

文献によれば鹽竈神社には14の境外末社があるとされる。14と言う社数は同じであるが、文献によって記載されている神社が異なるので、以下の一覧にまとめた。『鹽社由来追考』[10]の説①は、延宝6年(1678年)の春に太守君(この時の仙台藩主は四代綱村)の命により古老に尋ねて記録した、と同書に記載がある。また、説②では神社数は13しかない。社名、鎮座地は『別当法蓮寺記』[10]または記載文献による。◎はその文献で十四末社とされている神社。

社名 鎮座地 記載文献
別当
法蓮寺記
鹽社由来追考 鹽竈社
神籍
説① 説② 説③
青木明神 宮城郡塩竈村内白坂    
奏社明神 宮城郡市川村
浮島明神 宮城郡浮島村
冠川明神 宮城郡岩切村
南宮明神 宮城郡南宮村
小刀明神 宮城郡澤音村
梅宮明神 宮城郡塩竈村内吉津
柏木明神 宮城郡笠神村
東宮明神 宮城郡東宮濱
曲木明神 宮城郡籬島  
桂島明神 宮城郡桂島 ◎(松崎明神と記載有)
鼻節明神 宮城郡花淵濱
赤沼明神 宮城郡塩竈村内白坂  
荒脛巾明神 宮城郡市川村  
吉田明神 宮城郡吉田濱  
北宮明神 宮城郡春日村  
松島明神 不明    
大根明神 花淵沖の海中    
大臣明神 宮城郡浮島村    
春日明神 宮城郡春日村    
志波彦明神 宮城郡春日村      

1877年(明治10年)3月21日、鹽竈神社と密接不離の関係にあった鼻節神社、冠川神社、伊豆佐比売神社の3社が国幣中社志波彦神社・鹽竈神社の摂社に定められた。


注釈

  1. ^ 押木耿介『鹽竈神社』(学生社、2005年(平成17年)6月)では、冠川(かんむりがわ)と言う呼び名を、志波彦神が降臨した川 = 神降川(かみふりがわ)が転訛したものであるとする説を紹介している。
  2. ^ 押木耿介『鹽竈神社』(学生社、2005年6月)では、塩土老翁神の幸御魂とする説の他、“物のシワ”すなわち国土の端を意味するところから北限の神とする説を紹介している。
  3. ^ 押木耿介『鹽竈神社』(学生社、2005年6月)によれば縦5尺横6尺。
  4. ^ 嵯峨天皇御代の弘仁3年(812年)7月10日に従二位神階が昇叙されたことが『類聚国史』に記されている、とする文書がある。しかしながら、『日本後紀』の弘仁3年の条にそのような記録は無い。『類聚国史』は六国史の抜粋であるから、当然、親本となる『日本後紀』に同じ記載が無ければならない。『鹽竈神社史』においてもこの点を指摘したうえで、国史に神階昇叙の記録が無いことを怪しんだ者が偽書を作成したのではないか、と推測している。
  5. ^ 押木耿介『鹽竈神社』(学生社、2005年6月)では、正税からの祭祀料支出と神階昇叙が無いことに対し、国家のやや相反する鹽竈神社への崇敬の意味はどう解すべきか、と疑問を投げかけている。
  6. ^ 左経記』および『日本紀略』における寛仁元年(1017年)10月2日の条の記述による。鹽竈神社の名が出ているのは『左経記』の方である。また『左経記』には納められた神宝が記載されており、その内容は紫綾蓋1蓋、平文野剣1腰、赤漆弓1張、箭(矢)4筋、平文鉾1本、五寸鏡1面、平文麻桶1口、平文線柱1本であったと記している。『鹽竈神社史』では、この大神宝使派遣と『吾妻鏡文治6年(1190年)の記述とを合わせ、当社が奥州第一の大社と言えるのではないかと評している。ちなみに 薗田 稔 高橋政宣 編 『神道史大辞典』(吉川弘文館、2004年7月)には、大神宝使とは由緒ある諸社に対し天皇即位の由を奉告するため大神宝大幣帛を奉る使いで、中世には派遣が途絶えてしまったとの説明がある。
  7. ^ 「文治燈篭」または「文治鉄燈」と呼ばれ、現在も左右宮拝殿前にある。はじめは九輪、風鐸、露盤が屋上に架せられていたが、長い年月を経たことによる損傷で現在はない。藤原秀衡の三男である和泉三郎忠衝より寄進されたことが扉の碑文に記されている。松尾芭蕉の『おくのほそ道』に、鹽竈神社を訪ねてこの鉄燈を見た芭蕉が、最後まで源義経に付き従った和泉三郎忠衝に対し「義勇の士」として思いを馳せたことが記述され、広く知られるようになった。文化13年(1816年)の名所案内 『陸奥名碑略』 において松尾芭蕉が訪ねた場所として紹介され、また天保11年(1840年)には小池曲江が『芭蕉翁見文治燈図』を描くなどしている。
  8. ^ 『鎌倉遺文』661号 『将軍家政所下文』に「将軍家政所下 陸奥国竹城保◆ 可早任先例引募一宮塩竈社臨時祭料田弐町伍段事」とある。◆は欠損により文字が読めない部分。
  9. ^ 竹城保は平安末期より宮城郡から独立した陸奥国府の特別行政区で、いくつかの鹽竈神社社領があったと考えられている。現在の松島町高城を中心とした地域。
  10. ^ 大塚統子『「一宮記」の諸系統 -諸本の書誌的考察を中心に-』では、『大日本国一宮記』は卜部宿禰奥書の『諸国一宮神名帳』を基に『延喜式神名帳』の式内社を強く意識して編纂されたため、式外社の鹽竈神社は記載から外されたのではないかと考察している。大塚統子『「一宮記」の諸系統 -諸本の書誌的考察を中心に-』は 一宮研究会編『中世一宮制の歴史的展開 下:総合研究編』(岩田書院、2004年12月)に所収。
  11. ^ 大林太良『私の一宮巡詣記』(青土社、2001年9月出版)では論社を整理するため、式内社では無く『大日本国一宮記』にも掲載されていない鹽竈神社を自分の巡詣対象から外すこと、鹽竈神社は近世以降の一宮と言われていることを述べている。
  12. ^ 橘三喜が著した『諸国一宮巡詣記』によると、橘三喜は現在の宮城県黒川郡大和町方面へ先に足を延ばした後、延宝6年(1678年)6月9日に松島に至り瑞岩寺や五大堂などを観光、その日の暮れに塩竈に入った。翌6月10日鹽竈神社へ詣で、縁日の御供をしていた宮司に由来を尋ねたが知る人は無かったと記録している。また、創建時期についても綏靖天皇の御代とも、仲哀天皇の御代とも伝えられていると言われた、と記録している。この記述から、四代藩主綱村元禄6年(1693年)に鹽竈社縁起を編纂させるまで、宮司も由来をはっきり知らなかったことがわかる。また、6月10日の記述には、鹽竈明神の添書きに「奥州一宮宮城郡鹽竈大明神高彦根命」と記載されている。『諸国一宮巡詣記』は佐伯有義編『神祇全書 第2輯』(皇典講究所、1907年2月)に所収。
  13. ^ 寛永21年(1644年)8月14日の二代藩主忠宗黒(墨)印状により安堵された社領。しかしながら、高橋正己『鹽竈神社旧社家の歴史』(鹽竈神社旧社家献膳講、1981年12月) によれば、初代藩主政宗留守氏時代の社領を没収したうえで改めて寄進しており、寄進された社領は元の知行高を遥かに下回ったとしている。二代藩主忠宗の黒(墨)印状は鹽竈神社所蔵。

出典

  1. ^ 鹽竈神社御由緒「社殿の不思議」(陸奥国一宮 塩釜神社)
  2. ^ 磯前順一神道と公共性 : パネル「宗教の公共性とは何か : 国家神道から考える」」『宗教研究』第87巻別冊、日本宗教学会、2014年3月、p. 25。ISSN 2188-3858
  3. ^ 日本三代実録』の記述による。
  4. ^ a b 歴史をひもとく 1「岩切の古城/寺・神社」(仙台市市民センター)
  5. ^ 『鹽竈神社』学生社、昭和47年8月1日初刷発行、187頁。 
  6. ^ 吾妻鏡』の文治6年(1190年)の条の記述による。
  7. ^ a b 2 自然環境 地形・地質 図2-1 埋立状況(塩竈市)
  8. ^ 塩竈市の水道の歴史(塩竈市)
  9. ^ 文化財建造物の説明は「新指定の文化財」『月刊文化財』471号、第一法規、2002による。
  10. ^ a b c 志波彦神社鹽竈神社社務所 編『鹽竈神社史』(志波彦神社鹽竈神社社務所、1930年〈昭和5年〉12月)に所収。
  11. ^ 〈塩釜神社勝画楼〉江戸期の旧書院 塩釜市が無償で譲り受け現地保存へ河北新報』、2017年9月14日。
  12. ^ 塩竃神社(宮城県東京事務所)






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