高崎線 高崎線の概要

高崎線

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/06 14:59 UTC 版)

高崎線
高崎線を走行するE231系1000番台
(2021年3月 行田駅 - 吹上駅間)
基本情報
通称 上野東京ライン湘南新宿ライン[注釈 1]
日本
所在地 埼玉県群馬県
種類 普通鉄道在来線幹線
起点 大宮駅
終点 高崎駅
駅数 19駅
電報略号 タカセ[1]
路線記号 JU(東京 - 大宮間[注釈 2]
開業 1883年7月28日
所有者 東日本旅客鉄道(JR東日本)
運営者 東日本旅客鉄道(JR東日本)
日本貨物鉄道(JR貨物)
使用車両 使用車両を参照
路線諸元
路線距離 74.7 km
軌間 1,067 mm
線路数 複線
電化区間 全線
電化方式 直流1,500 V
架空電車線方式
閉塞方式 自動閉塞式
保安装置 ATS-P
最高速度 120 km/h
路線図
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起点の大宮駅から東北本線列車線上野駅東京駅方面へ直通運転を行っており、旅客案内上の運転系統名としては東京駅 - 高崎駅間を指す[2][注釈 3]

なお、広義では高崎線と並行している上越新幹線(大宮駅 - 本庄早稲田駅 - 高崎駅間)も高崎線に含める場合もある(詳細は後述)が、本項では在来線としての高崎線全般の概要や沿革などについて記述する。

概要

高崎線は、大宮駅東北本線宇都宮線)から分岐し、群馬県内最大のターミナル駅である高崎駅までを結ぶ、東京の近郊路線の一つである。国道17号中山道)とほぼ並行し、一部区間を除き同じ市町村を経由している。上野駅 - 熊谷駅間は1883年明治16年)に日本最古の私鉄であった日本鉄道の最初の営業区間として開業した、日本国内の鉄道の中でも古い路線の一つであり、路線としては東北本線の大宮駅以北よりも歴史が古い。路線名は日本鉄道が国有化された後の1909年(明治42年)に定められた。路線名には高崎市や高崎駅の「高崎」を冠し、管轄は大宮駅構内を除きJR東日本高崎支社であるが、経路上の大部分(大宮駅から神保原駅まで)は埼玉県内であり、籠原運輸区および高崎車両センター籠原派出所がある籠原駅を起終点として東京方面へ向かう列車が多く、高崎線の南部では埼玉県と東京間の通勤・通学などの地域輸送に機能が偏重している。

全線が旅客営業規則の定める「東京近郊区間」、およびIC乗車カードSuica」の首都圏エリアに含まれている。旅客案内などに用いられるラインカラーは、首都圏地区の東海道線や宇都宮線(東北本線中距離列車の路線愛称)と同様、普通列車の車体色の一部であるオレンジ)である[注釈 4]

2024年現在のダイヤでは、全定期列車が東北本線の大宮駅以南に乗り入れ、うち約7割の列車は東北本線の列車線(宇都宮線)を経由し上野駅、さらにその多くは「上野東京ライン」として東京駅を経由して東海道線(一部はさらに伊東線)の駅を始発・終点とする。また、残りの約3割は「湘南新宿ライン」として、東北貨物線を経由して田端駅付近から山手貨物線池袋駅新宿駅渋谷駅経由で東海道本線に乗り入れており、起点の大宮駅を始発・終着とする列車はなくなっている[注釈 5]。一方、終点である高崎駅からは、全体の2割程度が上越線へ乗り入れ、さらに上越線の新前橋駅から両毛線(普通・快速アーバン)、渋川駅から吾妻線(特急のみ)へ直通する列車も存在する。このほか、倉賀野駅 - 高崎駅間には八高線が乗り入れている。

管轄の高崎支社は、JR東日本における「首都圏エリア」ではなく[3]、地方支社扱いであるが、前述のような運行形態でほぼ全列車が首都圏エリア内に乗り入れている点や、Suicaの初期導入区間から既に含まれている点[4]、防災訓練の内容など、高崎線は準首都圏エリアのような扱いとなっている[注釈 6]

広く公表されていないが、当路線では中間駅各駅にテーマカラーが設定されている。これは同線の駅の多くがJR型配線であるためその識別であると推測できる。テーマカラーはホーム屋根の柱にワンポイントで入り、ベンチもそのテーマカラーと同系色のものが設置されている[6][7]

2016年3月10日より、大宮駅・上尾駅・熊谷駅・高崎駅を除く全駅で一斉に早朝時間帯始発から6:30までの無人化(インターフォン遠隔案内)と、それに伴うみどりの窓口・指定席券売機の営業時間変更[8]およびエスカレータの運転時間短縮が実施された(行田駅など既に実施済みの駅も他駅に合わせて時間が変更された)。

高崎線内に終日無人駅はないものの、前述の主要駅を除く全駅の早朝無人化の実施、業務委託駅の拡大(JR東日本ステーションサービスに委託、2021年3月時点で高崎線内の2/3の12駅および大宮駅・高崎駅の一部業務[9])など、業務効率化が進んでいる。

線路名称と新幹線

1909年明治42年)10月の『明治42年鉄道院告示第54号』によって公布された「国有鉄道線路名称[10][11]で、高崎線は「東北線の部」(略称:東北線)[注釈 7]の一部として制定された。1982年(昭和57年)11月に上越新幹線が開業、その際新幹線は並行在来線の別線扱いとされ、上越新幹線の大宮駅 - 高崎駅間は高崎線の別線扱いとなり[12][13]国鉄分割民営化後に制定された「JR線路名称公告」でもその扱いが引き継がれている[注釈 8]

歴史

建設の経緯

高崎線を工事した当時の役員と作業員(1883年)

日本初の私鉄である日本鉄道の第1期線として、1883年明治16年)に後に東北本線の一部となる区間を含む上野 - 熊谷間で仮営業を開始したのが始まりである。

日本では1872年(明治5年)に初の実用鉄道路線として新橋 - 横浜間を開業し、その優位性が注目されていた。当時の日本は貿易赤字解消の外貨獲得を目的とした殖産興業政策として、生糸織物等の製品の輸出を推進しており、養蚕業製糸業の盛んな群馬県から、貿易港である横浜港まで運ぶ手段が必要とされていた。また、東京京阪神間を結ぶ主要鉄道と位置付けられた「中山道鉄道」の第1区を形成する計画でもあった(後に東京 - 京阪神間を結ぶ鉄道の岐阜以東は東海道経由へと変更され、東海道本線計画へ転じた)。

当時の新橋の北には、江戸時代からの市街地が広がっており、また神田から板橋にかけての台地の勾配を避けるため、台地の縁にあり、寛永寺の広大な売却地を利用できる上野をターミナルとした[注釈 9]。上野 - 高崎間の路線には、「王子 - 赤羽 - 大宮 - 鴻巣 - 熊谷 - 高崎」という英国人技師ボイル案と、「千住 - 岩槻 - 忍[注釈 10] - 熊谷 - 高崎」というアメリカ人技師クロフォード案の二案があった。当時の鉄道局長官井上勝がボイル案を採用し、現在の経路となった[16]

しかし、政府財政の窮乏のために建設は進まず、民間資金(当時は主に貴族や旧大名など華族の出資)の導入によって鉄道建設を促進するために、株式会社である「日本鉄道」が設立され、国に代わって建設を行い[17]、日本鉄道の最初の路線(第1期線)として、また日本初の「民営鉄道」として、1883年(明治16年)に上野 - 熊谷間が開業した。開業時の開設駅は上野駅王子駅浦和駅上尾駅鴻巣駅熊谷駅で、現在は中距離列車の停車しない王子駅も含まれていた一方、現在の起点である大宮駅はまだなかった。

1884年(明治17年)に高崎駅、前橋駅まで延長され、全通した。高崎まで開通した同年6月25日には、明治天皇臨席のもと上野駅で開通式が行われ、この際に明治天皇は上野 - 高崎間を往復乗車した[17]1885年(明治18年)に第2期線(後の東北本線)の分岐駅として、浦和 - 上尾間に大宮駅が開設された。また、同年には赤羽(王子 - 浦和間)から官営鉄道の品川を結ぶ路線(現在の山手線埼京線)が開業し、群馬と横浜を結ぶ当初の計画が実現した。

現在も上野駅を列車運行上の起点とし、さらに現在では別路線の両毛線の駅となっている前橋駅への直通列車も設定されているのは、当時の起終着駅に由来するが、開業時の前橋駅は利根川の西岸、現在の新前橋駅付近にあった。この駅は、地元で内藤分停車場あるいは内藤ステーションと呼ばれていた(詳しくは「前橋駅」および「両毛線」の項を参照)。小山から両毛鉄道が西進し、現在の前橋駅まで開業すると同時に、日本鉄道も利根川を渡る線路を敷設して現在の前橋駅まで延伸開業し、旧前橋駅は廃止された(現在の新前橋駅は上越南線との分岐駅として1921年(大正10年)に開業した)。

路線名の変遷

高崎線は、日本鉄道が上野 - 熊谷間を開業した当時、日本鉄道では第一区線とされ[18]、政府官報では上野熊谷間汽車とされたが、旅客案内上は仲仙道汽車と案内されることもあった[19]

1894年(明治27年)12月発行の『汽車汽船旅行案内』には、当線を「上野 - 赤羽 - 大宮 - 高崎と経て直江津線に連絡し前橋まで至って両毛線に連絡する線」とし、中仙道線と案内している[20]

1906年(明治39年)に、日本鉄道が鉄道国有法により買収・国有化され、本路線も官設鉄道に編入された。3年後の1909年(明治42年)10月12日公布の国有鉄道線路名称(明治42年鉄道院告示第54号)により公式に大宮 - 高崎間を「高崎線」と定め、両毛線や日光線水戸線等と同じく東北本線を幹線とする「東北線の部」に属する一線として位置付けられた[18][19]

優等列車の沿革

全国に鉄道網が拡大するなかで、高崎線は首都圏新潟県東北地方日本海側および長野県北陸地方とを結ぶ大動脈に成長し、上越線・信越線の特急・急行列車が高崎線内を多数通過していた。

第二次世界大戦後、高度経済成長期に国鉄電化が進んだことで、優等列車の電車化が行われ、上越線の「とき」や信越本線の「あさま」に加え、羽越本線系統の「いなほ」や北陸本線系統の「白山」・「はくたか」といった多数の特急列車が運転されており、当線を含めた上野 - 新潟間のルートでは最高速度120km/hでの運転が行われていた。また、これらのほかに比較的運転日の多い季節・臨時特急として、中軽井沢行きの「そよかぜ」、万座・鹿沢口行きの「白根」、スキー臨時列車で石打行きの「新雪」が存在した。

車両も、特急は「こだま形」181系に、碓氷峠越えの189系、北陸へ向かう485系、急行も165系169系457系といった車両が投入されて、一時代を築いた。

しかし、1982年昭和57年)11月15日上越新幹線開通で、上越線系統の列車群が新幹線へ移る形で廃止され、次いで1997年平成9年)10月1日北陸新幹線(高崎駅 - 長野駅間)の先行開業により、信越線系統の広域輸送も新幹線に譲り、新幹線の恩恵を受けにくい吾妻線(「草津」)、両毛線方面(「あかぎ」)等への中距離特急が運転されるのみとなり、このうち、上越線水上への特急(「谷川」、のちの「水上」)は利用者減少により臨時列車化された。

夜行列車については、北陸方面とを結ぶ寝台特急「北陸」、秋田青森方面とを結ぶ寝台特急「あけぼの[注釈 11]のほか、北陸方面へ運転される臨時急行「能登」が高崎線を経由した。急行「能登」はJRに残った数少ない急行列車であったが、2010年(平成22年)3月13日のダイヤ改正で臨時列車に変更された。同改正では寝台特急「北陸」が廃止され、「あけぼの」も2014年(平成26年)3月15日のダイヤ改正で臨時列車に変更された[21]

詳細は、以下の各項目を参照。

通勤路線化

1932年(昭和7年)に東北本線の大宮以南が電化され、のちの京浜東北線に相当する電車系統が運転開始されていたが、戦後の高度経済成長により、高崎線沿線にも団地が造成され、人口が急増した。1952年(昭和27年)に全線が電化されてから、国鉄は80系や、後に3ドアの115系といった電車を投入して通勤需要に応えた。

しかし、激増する人口に追い付かず、一方で長距離列車の需要も拡大したため、線路容量は限界に達した。その上、国鉄は1960年代から赤字経営が常態化し、新型車の投入を抑え、通勤車両の不足分を急行型165系等の2ドア車両で代替して、混雑が慢性化した。また国鉄は労使関係も悪化を続け、労働組合は列車の運行を労働争議(遵法闘争など)の手段に用いたことから、利用者の不満が爆発し、1973年(昭和48年)の上尾事件首都圏国電暴動へ至った。この事件の後、国鉄は115系の追加投入を行い、朝夕ラッシュ時は3ドア車両が15両編成で行き交う光景が日常的なものとなったが、線路容量はこれ以上拡張できなかった。

1982年(昭和57年)の上越新幹線開業は、高崎線の線路容量問題を根本的に解決するものであり、1985年(昭和60年)の新幹線上野乗り入れにより、高崎線の特急・急行は大きく削減され、輸送体系は普通列車主体へ大きく変わった。さらに1997年平成9年)の北陸新幹線長野開業により、日中の長距離列車は全廃され、東京と群馬県を結ぶ少数の特急のみとなり、わずかに残った夜行列車も後に廃止された。

車両も、1980年代末に投入された211系3000番台はオールロングシートで定員を拡大し、2000年代に投入されたE231系からはロングシート主体(一部ボックスシート)かつ4ドアを採用した一方で、211系共々、後に2階建てグリーン車も組み込み、着席需要に応えた。また115系は日中に7両や8両の編成が残っていたが、211系とE231系により「グリーン車付き10両か15両」に統一し、続くE233系も踏襲している。

運用面でも、開業以来、上野発着を主体としてきたものを、国鉄分割民営化後に貨物線を転用することで、副都心の池袋駅新宿駅へ乗り入れ、都心方面への需要を分散させた。これは2000年代に湘南新宿ラインへ成長し、東海道本線への直通運転を開始する一方、高崎・前橋以北への普通列車の直通は段階的に廃止された。2015年(平成27年)の上野東京ライン開業によって、東海道本線との全面的な直通運転が始まり、高崎線は東京と信越・日本海を繋ぐ路線から、首都圏を縦貫する路線へと大きく変化している。

通勤新線乗り入れ計画

東北新幹線建設の際、地元住民への見返りとして計画された通勤新線(東北本線のバイパス支線:赤羽駅 - 武蔵浦和駅 - 大宮駅)は、元々は大宮駅からは北進し宮原駅より高崎線へ乗り入れる計画が立てられていた。そのため、新線は中・長距離列車が通過することを前提に設計され、高崎線内でも大宮駅 - 宮原駅間において、乗り入れの連絡線(複々線)用地の取得が行われた。しかし、新線沿線に設置予定だった車両基地の用地買収が困難となり、急遽、田園地帯を走る川越線を電化し、その沿線に川越電車区(現・川越車両センター)を設置して代替とした。よって、通勤新線は川越線乗り入れの形に変更となり、1985年に埼京線の名で開業した。

その後、高崎線乗り入れの実質的な代替となる貨物線経由による池袋駅・新宿駅乗り入れ(現在の湘南新宿ライン)の運行を開始した。

民営化後もしばらくは、取得した用地が残され、2000年前後にさいたま市との合併協議を行っていた上尾市は、これを利用した埼京線もしくは京浜東北線の上尾駅延伸を合併の見返りとして要求していたが破談した。なお、現在は用地の多くは再転用可能な駐車場のほか、一部は再転用困難な住宅施設にも転用されている。

年表

日本鉄道時代の新設駅のうち、()内は国有化後の線路名称制定時に他路線(東北本線・両毛線)の所属となった駅

  • 1883年明治16年)
    • 7月28日 【開業】日本鉄道 上野 - 熊谷 【駅新設】(上野・王子・浦和・)上尾・鴻巣・熊谷
    • 10月21日 【延伸開業】熊谷 - 本庄 【駅新設】深谷・本庄
    • 12月27日 【延伸開業】本庄 - 新町 【駅新設】新町
  • 1884年(明治17年)
    • 5月1日 【延伸開業】新町 - 高崎 【駅新設】高崎
    • 8月20日 【延伸開業・全通】高崎 - 前橋 【駅新設】(前橋)
  • 1885年(明治18年)
    • 3月1日 【駅新設】(赤羽・)桶川・吹上
    • 3月16日 【駅新設】大宮
  • 1889年11月 両毛鉄道、前橋まで開業。両毛鉄道に接続するため、前橋駅を移設
  • 1894年(明治27年)5月1日 【駅新設】倉賀野
  • 1897年(明治30年)11月15日 【駅新設】神保原
  • 1906年(明治39年)11月1日 【買収・国有化】日本鉄道 → 官設鉄道
  • 1908年(明治41年)5月1日 【信号所新設】加茂宮
  • 1909年(明治42年)
  • 1918年大正7年)8月16日 【信号所新設】本宿
  • 1922年(大正11年)4月1日 【信号所 → 信号場】加茂宮・本宿
  • 1927年昭和2年)
    • 8月9日 【複線化】加茂宮(信) - 上尾
    • 10月15日 【複線化】上尾 - 桶川
    • 11月20日 【複線化】大宮 - 加茂宮(信)
  • 1928年(昭和3年)
    • 2月1日 【複線化】桶川 - 本宿(信)
    • 3月30日 【複線化】鴻巣 - 吹上
    • 5月1日 【複線化】倉賀野 - 高崎 [22]
    • 6月1日 【複線化】本宿(信) - 鴻巣 [22]
    • 7月1日 【複線化】吹上 - 熊谷 [22]
    • 8月1日 【信号所 → 駅・改称】本宿 → 北本宿
    • 12月26日 【複線化】深谷 - 岡部 [22]
  • 1929年(昭和4年)
    • 5月1日 【複線化】熊谷 - 籠原
    • 7月10日 【複線化】籠原 - 深谷
    • 8月6日 【複線化】本庄 - 神保原
  • 1930年(昭和5年)
    • 5月16日 【複線化】神保原 - 新町
    • 6月12日 【複線化】岡部 - 本庄
    • 10月15日 【仮信号所新設】小野(八高北線の分岐点)
    • 10月16日 【複線化】新町 - 倉賀野
  • 1931年(昭和6年)7月1日 【仮信号所 → 信号場】小野
  • 1943年(昭和18年)10月1日 【操車場新設】高崎
  • 1947年(昭和22年)
    • 1月22日 【信号場廃止】加茂宮
    • 4月1日 【電化】高崎(操) - 高崎( - 水上)
    • 9月15日 カスリーン台風による豪雨で各地に被害。北本宿 - 鴻巣間で土砂崩れ、吹上 - 熊谷間で冠水、深谷 - 岡部間でなどの被害[23]
  • 1948年(昭和23年)7月15日 【駅新設】宮原(旧加茂宮信号場の位置)
  • 1952年(昭和27年)4月1日 【電化】大宮 - 高崎(操)
  • 1961年(昭和36年)
  • 1966年(昭和41年)7月1日 【駅新設】行田
  • 1973年(昭和48年)3月13日 朝のラッシュ時間帯に国鉄労働組合(国労)などの労働組合員による遵法闘争で大幅に乱れたダイヤに怒った利用客が暴動を起こし、上尾駅を始め桶川駅・北本駅・鴻巣駅・熊谷駅などで車両や駅設備等を破壊(上尾事件)。翌月の首都圏国電暴動とあわせて輸送改善のきっかけとなる。
  • 1979年(昭和54年)10月1日 【駅新設】(貨)熊谷貨物ターミナル
  • 1982年(昭和57年)11月15日 上越新幹線開業
  • 1984年(昭和59年)11月3日 【駅新設】北鴻巣
  • 1987年(昭和62年)4月1日 【承継】東日本旅客鉄道(第1種)・日本貨物鉄道(第2種)
  • 1988年(昭和63年)12月17日 【駅新設】北上尾
  • 1993年平成5年)10月3日:大宮 - 宮原間にATS-Pを導入[24]
  • 1997年(平成9年)10月1日 北陸新幹線 高崎 - 長野先行開業。在来線特急「あさま」・「白山」廃止
  • 2001年(平成13年)
  • 2004年(平成16年)
  • 2005年(平成17年)12月10日 新前橋電車区検修部門を高崎車両センターと統合。乗務員区を高崎運輸区・新前橋運輸区に改組。
  • 2012年(平成24年)9月1日 211系電車の置き換えを目的に、E233系電車が営業運転開始。
  • 2014年(平成26年)3月14日 寝台特急あけぼのがこの日発車、翌日到着分をもって定期運用から引退した。また、211系もこの日限りで運用を終了した。
  • 2015年(平成27年)3月14日 東京 - 上野駅間の東北本線の列車線が復活し、上野駅発着列車の多くが上野東京ラインとして東京駅経由で東海道線へ直通運転開始。
  • 2016年(平成28年)3月15日 午前3時55分ごろ、籠原駅構内で漏電による火災が発生した。また、それによる信号装置の焼損により、3月17日までの間、熊谷 - 岡部間で終日運転を見合わせ、それ以外の区間では本数を減らして運行し、東海道線との直通運転は中止となった。
  • 2017年度末 深谷駅・岡部駅・本庄駅へ15両編成列車の乗り入れを可能にし、輸送障害時に籠原駅での連結・切り離し作業を省略する対応を開始(定期列車の本庄駅までの15両編成列車乗り入れ設定有無の言及なし)[25]
  • 2021年令和3年)3月13日:ダイヤ改正により通勤快速を廃止[26]

注釈

  1. ^ 東海道線直通列車のみ。
  2. ^ 運行系統としての高崎線の路線記号で、宇都宮線と共通
  3. ^ 東北本線内では東北本線の中距離電車「宇都宮線」と線路設備を共有し、車両も共通運用であるが、別の系統として案内され、場面によって「宇都宮線・高崎線」などと併記される。
  4. ^ 宇都宮線と明示的に区別する必要がある場合は、宇都宮線が緑色を用い、当路線がラインカラーと同様のオレンジを用いている(詳細は、宇都宮線#概要を参照)。
  5. ^ 逆に宇都宮線側に、大宮駅始発・大宮駅終着が1本ずつ残っている。
  6. ^ ただし、子ども見守りサービス「まもレール」の導入区間に含まれておらず導入見込みもない[5]など、首都圏エリア他社管内と差別化されている部分も少なくない。
  7. ^ 東北本線(各支線と東北新幹線を含む)を中核とする鉄道路線群の総称名。本路線の他常磐線上越線などが系統路線として抱合されている[10][11]
  8. ^ なお、高崎駅 - 新潟駅間は、高崎駅 - 長岡駅間が上越線、長岡駅 - 新潟駅間が信越本線のそれぞれ別線扱いとなり、線路名称では「東北線」の高崎線に〔大宮 - 高崎〕・上越線に〔高崎 - 上毛高原 - 長岡〕、「信越線」の信越本線に〔長岡 - 燕三条 - 新潟〕と記載[12][13]され、名称公告ではJR東日本の高崎線・上越線・信越本線にそれぞれ前述の区間が記載された。なお、「日本国有鉄道の事業等の引継ぎ並びに権利及び義務の承継等に関する基本計画」[14](JR事業基本計画)および国土交通省鉄道局監修の『鉄道要覧』では、上越新幹線は独立した路線として記載されている[15]
  9. ^ 新橋と上野が結ばれたのは関東大震災後の1925年大正14年)である。
  10. ^ 行田市。なお現在の高崎線も行田市域を経由しているが、この地域はかつての忍町ではなく、開業後まもなく成立した太井村の村域であった。行田市の中心駅は旧忍町内にあった秩父鉄道行田市駅の方であり、行田市編入後の1966年(昭和41年)に高崎線行田駅が開業する前までは、行田市駅が「行田」駅を名乗っていた。
  11. ^ 「あけぼの」は、もともと東北本線・奥羽本線経由で運行されていたが、奥羽本線の山形新幹線秋田新幹線共用化に伴う標準軌化で同線を経由できなくなり、代替経路として高崎線・上越線・羽越本線経由で運行されていた。
  12. ^ 2014年11月から、ATOS導入区間で放送案内の更新が実施されている。
  13. ^ 現在は排水路として利用。現在の元荒川は直線化された。
  14. ^ ただし、鶴見線武蔵白石駅と同じで高崎線側も場内信号機、出発信号機があるため、高崎線乗務員の乗務用時刻表の駅名欄に記載されている。
  15. ^ ただし、ダイヤの乱れた時は籠原駅 - 本庄駅間も15両編成で運行されることもある。
  16. ^ このため、群馬県は関東地方では唯一、在来線で15両編成の列車の運行が行われていない都道府県となっている(新幹線は12両編成)。
  17. ^ 特急列車がかつては14両で運行されていた関係で、籠原駅(全列車通過)より先の特急停車駅の新町駅・高崎駅・新前橋駅のホーム有効長は14両分となっている。深谷駅1番線・本庄駅もかつては14両分であったが、2018年4月より15両対応となった。
  18. ^ 後に発車時間の記載に変更。また、後に高崎線に加え、常磐線各駅停車および成田線も同様の形態になっている。
  19. ^ a b 大宮駅 - 赤羽駅間は東北貨物線を走行。
  20. ^ ただし、日中と同様に前橋駅まで快速運転を行う快速も存在したほか、高崎駅 - 前橋駅間で各駅停車になる快速(井野駅停車)も存在した。
  21. ^ 2018年3月16日まではそれぞれ二宮・小田原発
  22. ^ 事実上2日後の15日より
  23. ^ 籠原駅を9時台に発車する1本を除く。
  24. ^ 品川行きは平日3本、休日4本。大船行きは平日朝1のみ。2017年10月14日のダイヤ改正により、同16日より運行開始。
  25. ^ 2021年5月現在 平日朝 藤沢駅 8:11発 上野駅行きのみ
  26. ^ 沼津発高崎線直通の設定は無し。
  27. ^ 熱海発列車の15両編成での運転距離は高崎線 - 東海道線直通系統では上野東京ライン・湘南新宿ラインを通じて最長。2018年4月より、深谷駅(1番線) - 岡部駅 - 本庄駅間のプラットホームが15両対応となったが、同駅間を15両編成のまま運行する定期列車は存在しない。
  28. ^ 2021年3月のダイヤ改正で上野発23時45分過ぎの下り終電は高崎行きから籠原止まり(0:59着)に短縮された。また、高崎駅への終電は上野23:25発となり、終点の高崎着は、1:14 となっている。
  29. ^ a b ただし、現在でもダイヤが乱れた場合には一部区間を運休にする形で大宮・池袋・新宿発着の列車が運行される場合がある。
  30. ^ 『JTB時刻表』2000年3月号では上野発伊勢崎行き、渋川行きとも記載されているが、同2002年12月号では上野発伊勢崎行き823Mは横川行きに、渋川行き899Mは籠原行きに運転区間が変更され、両駅行きともなくなっている。
  31. ^ 『JTB時刻表』2001年4月号では下り新前橋行き最終普通列車985Mは井野駅通過、同2002年12月号では同駅停車となっている。
  32. ^ 平日朝の深谷発は全区間で15両で運転。
  33. ^ 2015年3月14日から運用復帰。
  34. ^ a b この貸し出しは2006年2月に小山車両センターにE231系が追加導入されるまで続いた。その後、2006年3月18日改正から同年7月8日改正にかけて、同年1-2月に落成した小山車の一部が、2008年2月には一時的に小山車付属編成1本がそれぞれ国府津車両センターに貸し出され、当該編成は高崎線(湘南新宿ライン)の国府津車運用にも使用された。なお、貸し出し以外でもダイヤの乱れや車両トラブルなどの理由により小山車が国府津車運用に使用されたり国府津車が小山車運用に使用されることが突発的にあった
  35. ^ 現在のE231系・E233系では原則籠原駅(及び各路線の郊外駅)での増解結であるが、この時代は上野駅での増解結も行われており、15両編成で到着した上り列車2本からそれぞれ5両ずつ切り離し、それらを1つに結合することで10両編成を作り、合わせて10両編成3本として、下り列車に使用するといった柔軟な運用も行われていた。
  36. ^ 1972年3月15日-同年10月1日

出典

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