須藤克三
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須藤 克三(すとう かつぞう、1906年(明治39年)10月30日 - 1982年(昭和57年)10月18日[1])は、日本の教育者・児童文学者。山形県宮内町(現:南陽市)出身。教員、編集者を経て山形新聞社論説委員兼文化部長を歴任。また山形県芸術文化会議会長、山形県県民芸術祭運営委員長などを務め、戦後の同県における教育文化活動の主軸を担った。さらに無着成恭を見いだした。
注釈
- ^ 当時の時代状況として、朝鮮戦争の勃発によって米ソ対立が激化し、冷戦が先鋭化していた。日本とソ連が鳩山訪ソによって国交を回復するのは1956年である。
- ^ 当時、市町村の教育委員会は教職員の人事権も握っていた。
出典
- ^ 『須藤克三』 - コトバンク
- ^ 『戦後史のなかの生活記録運動 : 東北農村の青年・女性たち 』p.107
- ^ 『戦後史のなかの生活記録運動 : 東北農村の青年・女性たち 』p.108
- ^ 『戦後史のなかの生活記録運動 : 東北農村の青年・女性たち 』p.109
- ^ 『遠い「山びこ」 : 無着成恭と教え子たちの四十年 』p.98 - 99
- ^ 『遠い「山びこ」 : 無着成恭と教え子たちの四十年 』p.20
- ^ 『遠い「山びこ」 : 無着成恭と教え子たちの四十年 』p.99
- ^ 『遠い「山びこ」 : 無着成恭と教え子たちの四十年 』p.29
- ^ 『遠い「山びこ」 : 無着成恭と教え子たちの四十年 』p.53
- ^ 「山びこ 山芋 人間教育の軌跡 34 空白への挑戦」『朝日新聞』夕刊 1990年12月19日
- ^ 『遠い「山びこ」 : 無着成恭と教え子たちの四十年 』p.251 - 255
- ^ 『遠い「山びこ」 : 無着成恭と教え子たちの四十年 』p.263 - 270
- ^ 『遠い「山びこ」 : 無着成恭と教え子たちの四十年 』p.289 - 290
- ^ 『遠い「山びこ」 : 無着成恭と教え子たちの四十年 』p.294 - 296
- ^ 『遠い「山びこ」 : 無着成恭と教え子たちの四十年 』p.429
- ^ 『遠い「山びこ」 : 無着成恭と教え子たちの四十年 』p.448 - 452
- ^ 『遠い「山びこ」 : 無着成恭と教え子たちの四十年 』p.420
- ^ 『遠い「山びこ」 : 無着成恭と教え子たちの四十年 』p.471
- ^ “齋藤茂吉文化賞受賞者1-10回”. 山形県. 2019年8月10日閲覧。
- ^ 「山びこ 山芋 人間教育の軌跡 12 空白への挑戦」『朝日新聞』夕刊 1990年11月16日
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