隼人とは? わかりやすく解説

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隼人

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/09 03:13 UTC 版)

隼人(はやと)とは、古代日本において、阿多大隅(現在の鹿児島県本土部分)に居住したとされる人々[1]


注釈

  1. ^ 風土が異なる事からとされる[21]。地理的・風土的孤立から九州南部は、弥生文化の普及が遅れ、現在でも血液指数・指紋指数が特殊な数値を示し、身長が低いなどの人類学的特徴があり、これゆえにインドネシア系種族と見る説も出た[8]
  2. ^ 日本書紀』に隼人が門番を務め、その時、悪霊から門を守る為、大きく吠える事が記されている。
  3. ^ 『日本書紀』天武朝(7世紀末)の記述として、隼人が朝廷で相撲を取った記述があるが、大和の相撲と異質であったとは記されていない。天武天皇11年(682年)、大隅隼人と阿多隼人が相撲を取り、大隅隼人が勝ったという記述や、持統天皇9年(695年)、飛鳥寺の西の木の下で、隼人が相撲を取り、民衆が観戦したという記録がある。
  4. ^ 『古事記』『日本書紀』に「代々朝廷で舞っていた」と記され、民俗だけでなく、中央政権にとって服従の示しとして認知されていた舞を、「有名であった」とする表現に問題はないと考えられる。
  5. ^ 小山修三国立民族学博物館)が数理的に推計した結果では、古墳時代土師器時代)の列島人口は約540万人とされる[32]奈良時代に至っても日本の総人口は600万に満たない(近代以前の日本の人口統計も参照)事からも、隼人の人口は総人口の100分の1前後と想定される。
  6. ^ 正倉院に保存されている現在の京田辺市大住周辺住民の課税記録『山城国隼人計帳』によると、大隅隼人が大部分を占め、一部阿多隼人が混在していた事が分かる。
  7. ^ 地下式横穴墓」は日向・大隅・薩摩にまたがるが、「地下式板石積石室墓(現在では板石積石棺墓)」はほとんど薩摩地方に限られている。この事から考古学者の小田富士雄は、前者が隼人に広く普及した墓制であり、後者は阿多隼人独特の墓制と推測した[48]
  8. ^ 西北九州弥生人は、この地方の縄文人が弥生文化を取り入れた事でそのまま弥生人へと移行したと考えられている[53]
  9. ^ 森浩一も『古代史を解く『鍵』』(pp.190-191)で当論文から内陸隼人を縄文系に近く、沿岸隼人を渡来系ではと解している。また、『肥前国風土記』で五島列島に隼人に似た人々がいたとする記述も、内陸隼人と同様に骨格上から西北九州弥生人にルーツを求めるのであれば、一定の説明はつく。
  10. ^ 先述のように、地下式横穴墓出土遺物などの古墳時代資料を用いた隼人研究は今日支持されていないことにも留意すべきである。
  11. ^ 『古事記』に、ホデリの命が頭を下げ、「私はこれからのちは、あなた様の昼夜の守護人(もりびと)となってお仕えいたしましょう」と申し、それで今日に至るまでホデリの命の子孫たる隼人は、その海水に溺れた時の様々のしぐさを絶える事なく、演じて、宮廷にお仕え申しているのである、とある[57]
  12. ^ 「隼人が乱舞をして宮廷に仕える事の起源説明」とあり、隼人舞はその種族の独自の舞であるのを溺れる様の真似と説明した、と記す[58]
  13. ^ コノハナサクヤヒメ伝説がバナナ型神話の類型とし、これが大和の『古事記』に導入された[59][60][要ページ番号]

出典

  1. ^ a b c d e 原口耕一郎「隼人と日本書紀」名古屋市立大学 博士論文乙第1891号、2018年、NAID 500001430756 
  2. ^ 次田 1977, p. 205.
  3. ^ 武田 1969, p. 69.
  4. ^ 宝賀寿男「天孫族の列島内移遷」『古代氏族の研究⑬ 天皇氏族 天孫族の来た道』青垣出版、2018年。
  5. ^ a b 日本史教育研究会 2001, p. 62.
  6. ^ 鐘江 2008, p. 95.
  7. ^ a b 近藤, 藤沢 & 小田 1973, p. 163.(参考論文はこれより古いと見られる)
  8. ^ a b 武光 1999, p. 223の脚注.
  9. ^ a b c 襲国日本国語大辞典 デジタル大辞泉https://kotobank.jp/word/%E8%A5%B2%E5%9B%BD-554978 
  10. ^ a b 熊襲 くまそコトバンクhttps://kotobank.jp/word/%E7%86%8A%E8%A5%B2-55947 
  11. ^ a b 門脇 & 森 1995, p. 186.
  12. ^ a b 笹山 1975, p. 不明.
  13. ^ 武光 1999, p. 223.
  14. ^ 中村 2001.
  15. ^ 門脇 & 森 1995, pp. 196.
  16. ^ 中村 1993.
  17. ^ a b 永山 2009.
  18. ^ 宮原 2014, pp. 118–121(原論文発表、1986年)
  19. ^ 永山 2009, pp. 240.
  20. ^ 門脇 & 森 1995, pp. 183–184(pp.184に波邪の国は隼人と解し、邪古は「ヤク」であり、屋久島を指し、多尼は「タネ」であり、種子島であると述べている。)
  21. ^ 近藤, 藤沢 & 小田 1973, p. 158.
  22. ^ a b 加藤 1991, p. 98.
  23. ^ 加藤 1991, p. 99.
  24. ^ 山中ほか 1992, p. 45.
  25. ^ 茂山 1979, pp. 3–20.
  26. ^ 群馬県古墳時代研究会 1995, pp. 27–28.
  27. ^ 文化庁 1997.
  28. ^ 門脇 & 森 1995, p. 197.
  29. ^ 門脇 & 森 1995, pp. 197–198.
  30. ^ 大阪府立近つ飛鳥博物館 2004, p. 26.
  31. ^ 森本 2012, p. 110.
  32. ^ 森 1986, p. 131.
  33. ^ 山中ほか 1992, pp. 43-44.(p.45に南山城を隼人の居住地とも記す)
  34. ^ 加藤 1991, p. 97.
  35. ^ 鹿屋市 1967上巻ではこの説が採用されている。
  36. ^ 中村 2019, pp. 117–118.
  37. ^ 中村 2019, pp. 118.
  38. ^ 下山 1995.
  39. ^ 宮崎考古学会 1998.
  40. ^ 永山 1998, pp. 10–11.
  41. ^ a b c 原口 2008.
  42. ^ a b c 橋本 2009.
  43. ^ a b c 原口 2011.
  44. ^ a b c 白石 2012, p. 20.
  45. ^ 乙益 1970.
  46. ^ 上村 1984.
  47. ^ 門脇 & 森 1995, pp. 184–185.
  48. ^ 近藤, 藤沢 & 小田 1973, p. 163.
  49. ^ 門脇 & 森 1995, p. 187.
  50. ^ 橋本 2012, p. 142.
  51. ^ 橋本 & 藤井 2007, p. 12.
  52. ^ a b 松下 1990.
  53. ^ 上田正昭他『日本古代史の謎再考』学生社〈エコール・ド・ロイヤル 古代日本を考える〉、1983年、52頁。ISBN 4311410018 
  54. ^ 橋本 2012, pp. 139–146.
  55. ^ 文化庁 2008.
  56. ^ 谷畑 & 宮代 2005.
  57. ^ a b 次田 1977, p. 205.(2001年版)
  58. ^ 武田 1969, p. 69脚注.
  59. ^ 松村武雄『日本神話の研究』第二巻[要文献特定詳細情報]
  60. ^ 大林 1961, p. 不明.
  61. ^ 熊谷 2001, p. 288.
  62. ^ a b c 上田 1983, p. 33.
  63. ^ 武光 1999, p. 233.
  64. ^ 角林 1998, pp. 15–31.
  65. ^ 石上 1987.






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