阿部知子
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2013/05/19 14:10 UTC 版)
| 生年月日 | 1948年4月24日(65歳) |
|---|---|
| 出身地 | 東京都目黒区 |
| 出身校 | 東京大学医学部 |
| 学位・資格 | 医学士 医師 |
| 前職 | 千葉徳洲会病院長 |
| 所属委員会 | 厚生労働委員会 予算委員会 |
| 世襲 | 無 |
| 選出選挙区 | 比例南関東ブロック(神奈川12区) |
| 当選回数 | 5回 |
| 所属党派 | (社会民主党→) (無所属→) (日本未来の党→) (日本未来の党 (政治団体)) みどりの風 |
| 会館部屋番号 | 衆議院第1議員会館303号室 |
| ウェブサイト | 衆議院議員 阿部知子 |
目次 |
経歴・活動 [編集]
1948年東京都目黒区に生まれる。未熟児で体が弱く幼稚園には通えなかった。お茶の水女子大学附属高等学校を経て、1974年東京大学医学部卒業(東大紛争の最中に入学し社会主義同盟に参加していた)。
1977年から稲田登戸病院小児科に勤務する。1980年から国立小児病院神経科、1983年から東京大学医学部附属病院小児科に勤務していた。1993年から1994年まで、米国メイヨークリニック疫学部に留学。1999年から2000年まで、千葉徳洲会病院院長。2000年からは湘南鎌倉総合病院非常勤勤務(新生児から思春期の子どもを診療)。
佐高信らも在籍した「フロント (社会主義同盟)」、八代英太、田英夫らが結成したミニ政党「MPD・平和と民主運動」、その後、田が党首を務めた「平和・市民」や横浜市会などに議席を持つ「市民の党」などに加わる。
社会民主党時代 [編集]
2000年6月、第42回衆議院議員総選挙に社会民主党公認で神奈川県第12区から出馬し、選挙区では落選するも比例南関東ブロックで復活し初当選した。神奈川県では県医師会からの公認を得ている。当選後も湘南鎌倉総合病院で毎月1回、非常勤の勤務医として外来を担当している。
社民党議員の中では政策審議会長で執行部の一員ではあるものの、2007年11月の社民党党首選告示に際しては唯一の立候補者であった福島瑞穂の推薦人に大半の党所属国会議員が名を連ねる中、阿部は推薦人にならず、「護憲のみに偏重した現在の党の活動は改めるべき」と注文をつけ、党内では現実路線を訴えた。
現在も非常勤で小児科医として医療に携わっているため、医師不足の問題や、高齢者医療(後期高齢者医療制度)などに対して積極的な発言を行っている。その主張は以下の著作に詳しい(2008年刊「赤ちゃんを産む場所がない!?」、2008年刊「どうなる!? 高齢者の医療制度」保坂展人との共著)。
また、1998年参院選と2005年衆院選では自由連合から推薦を得ている。2009年衆院選では国民新党からの推薦も得たが、民主党との候補者調整が不調に終わり、小選挙区(神奈川12区)では、47,538票と1万票以上、前回と比べ上乗せしたものの当選を逃し、比例南関東ブロックからの4回目の復活当選となった。
日本未来の党結党 [編集]
2012年11月15日、社民党を離党する考えを表明した。離党にあたり改めて、党首選が1996年の改名以後一度も行われない閉鎖的な社民党の体質を批判した。11月23日公式サイトで当面無所属となる意向を表明したが、11月27日に滋賀県知事の嘉田由紀子が結成を発表した「日本未来の党」に参加する意向を表明[1]し、翌28日に総務省へ政党としての届出をした際における所属議員に名を連ねた[2]。30日に発足した同党神奈川県連の代表に就任した[3]。12月1日、党副代表に就任[4]。
同年12月に行われた第46回衆議院議員総選挙では「未来の党」候補として出馬、神奈川県第12区では落選したが、比例南関東ブロックで5回目の復活当選を果たした[5]。その後、日本未来の党から嘉田とともに離党し、新たに設立された同名の政治団体の共同代表に就任した。2013年1月20日、政治団体としての未来の党結成総会で嘉田の代表辞任と阿部の代表就任が正式了承された[6]。
2013年5月17日、国会内でみどりの風の谷岡郁子代表と記者会見し、同党に入党することを明らかにした[7]。
主な役職経験 [編集]
- 社会民主党政策審議会長
- 2007年12月の社民党の役員選考委員会で、福島党首は阿部を執行部から外し、辻元清美(前政審会長)を再び政審会長に起用する考えであったが、辻元が固辞したため、結局阿部を政審会長に留任させた[8][9]。2012年11月に社民党を離党したことにより解職される。
- 適切な医療を実現する医師国会議員連盟 幹事(2011年 - )
- 原発ゼロの会 事務局・世話人(2012年 - )
- 日本未来の党代表
- 嘉田が代表を辞任したことに伴い、新代表に就任。
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- ^ “12神奈川衆院選:日本未来の党、県内6人参加や賛同 民主や維新の集票に影響か/神奈川”. 神奈川新聞. (2012年11月28日) 2012年11月28日閲覧。
- ^ “日本未来の党が設立届 飯田氏「小沢氏は無役」”. 日本経済新聞. (2012年11月28日) 2012年11月28日閲覧。
- ^ “日本未来の党6人で県連立ち上げ、代表に阿部氏就任/神奈川”. カナロコ(神奈川新聞). (2012年11月30日) 2012年12月1日閲覧。
- ^ (日本語) “山田氏ら3人副代表に=未来【12衆院選】”. 時事ドットコム (2012年12月1日). 2012年12月2日閲覧。
- ^ “12神奈川衆院選:「原発やめられる」、12区・阿部知子さん(未来)”. カナロコ(神奈川新聞). (2012年12月17日) 2012年12月17日閲覧。
- ^ “嘉田氏の代表辞任了承=未来の党”. 時事ドットコム. (2013年1月20日) 2013年1月21日閲覧。
- ^ カナロコ (2013年5月17日). “阿部氏がみどりの風へ、「日本型環境政党に育てる」/神奈川”. 神奈川新聞社 2013年5月18日閲覧。
- ^ 中日新聞 2007年12月23日 http://www.chunichi.co.jp/s/article/2007122301000079.html
- ^ 朝日新聞 2007年12月23日 [1]
- ^ 第161回国会 厚生労働委員会 第2号(平成16年10月27日(水曜日)) 前略~『私は、本年、ちょうど明年にかけて戦後六十年の節目を迎えておる中で、ぜひとも尾辻大臣に、やはり国の責任として、あるいは立法をもって、この遺骨の収集ということをきっちりと私どもの政治の中に位置づけていただきたいと思います』~後略 と発言
- ^ 『朝鮮学校差別問題で院内集会/国会議員など日本人士も参加、180余人 〝許さない!子どもたちへの差別〟』(朝鮮新報)
- ^ 2007年1月26日Jcastニュース
- ^ 2009年衆院選時朝日新聞アンケート回答
- ^ 衆議院請願情報
- ^ http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/174/0004/17403260004005c.html
- ^ 国会議員署名これまでと今後の展望 - 空港はいらない静岡県民の会
- ^ 「社民党の異端児」阿部氏がみつめる理想と現実。
- ^ 神奈川. カナロコ 3月11日(日)6時0分配信
- ^ カナロコ 11月16日(金)5時0分配信
- ^ 朝日新聞、産経新聞(共に関西版)2004年12月25日。刑事手続きでは送検されず、裁判は民事のみとなった。2009年10月28日、元秘書は名誉毀損で反訴。
固有名詞の分類
阿部知子に関連した本
- 家事名人の生活整理術 (講談社プラスアルファ文庫) 塚本 知子 講談社
- 思春期外来診療室 阿部 知子 学陽書房
- 見てわかる0~12か月赤ちゃん育児BOOK―毎日のおせわがなんでもわかる 成美堂出版
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