関羽
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関 羽(かん う、? - 建安24年12月初旬(220年1月)[1])は、中国後漢末期の武将。字は雲長(うんちょう)。もとの字は長生。司隷河東郡解県(現在の山西省運城市塩湖区解州鎮常平村)の人。子は関平・関興。孫は関統・関彝。
注釈
- ^ 詳細は不明だが、出身地が中国最大の塩湖である解池に近いため、塩の密売に関わっていたという伝説が残る。また地元・山西省の伝承では、暴利をむさぼる塩商人を殺し、官吏に追われ幽州に逃げ、姓名を変えて「関羽」と名乗ったとも言われる[4]。
- ^ 山西省の研究では、関羽は劉備より年上ながら、劉備を兄として仕えたといわれている[4]。
- ^ 『魏書』によると、関羽が徐州を治めたという。
- ^ 三国時代は呉の支配下にあったため、「呉寿」と改称され、西晋で「漢寿」に戻された。蜀漢の漢寿は益州広漢郡の葭萌県を改称したもので、別の地名。
- ^ 実際は襄陽には楽進が駐屯しており、関羽は赴任していない
- ^ 『三国志』蜀志「先主伝」によると、劉備の牙爪となる武臣として、張飛・馬超と共に関羽の名がその筆頭にあがっている。
- ^ この『三国志』の記述から膨らませたと思われる民間伝承に、「関三小姐(あるいは関銀屏)」の存在がある。彼女はその通称の通り関羽の三女とされ、関羽死後に李恢の子の李遺に嫁いでいる。この説話に基づき、李恢の出身地である建寧郡兪元県(現在の澄江市)には夫婦の墓が存在している。
- ^ 「虎の娘を犬の子にやれるか」との発言が『演義』等に見られるが、正史には見られない。ただし、注に引かれた『典略』によると、孫権は関羽に救援を申し出ていながら、わざとゆっくり兵を進めさせた。そこで関羽は「狢子」と孫権を罵倒したため、孫権は下手に出て陳謝したという。「狢子」は、江東など南方の住人に対する蔑称の一つである。
- ^ この記事を引いた裴松之は、関羽を襲撃した呂蒙は密かに兵を進めたが、援軍を送る約束をしていたならそのようにする必要はなかったとして、この記事の信憑性に疑問を呈している。
- ^ 『三国志』呉志「呉主伝」によると、孫権の側から曹操に対し、関羽を討つ申し出があったこととなっている。
- ^ 『三国志』呉志「呉主伝」によると閏10月
- ^ 『蜀記』によると、関羽と徐晃は旧知の間柄で、再会して世間話を交わしたという。
- ^ 『三国志』呉志「呂蒙伝」によると、孫権は朱然と潘璋に命じて関羽の退路を塞がせたとある。また同書「呉主伝」によると、章郷で潘璋の部下の馬忠が関羽・関平・趙累を捕虜としたという。
- ^ 『蜀記』によれば、孫権は関羽を部下として使いたいと考えたところ、側近に「曹操は彼を殺さなかった為に、遷都まで考える事態となった」と進言され、諦めたという記述が残る。だが裴松之は、「正史の記述から、関羽は臨沮で即座に斬殺されており、おそらく江陵にいたであろう孫権に同意を求める事は不可能だろう」と推測している。また、『三国志』呉志「諸葛瑾伝」注によれば、裴松之は「孫権は関羽を討伐したことにより、後漢王室の為に尽くすという大義名分は失われた」と評している。
- ^ 「繆」は「武功がならなかった」という意味で、荊州失陥を批判する意味合いになる。「穆」ならば「徳を広め表裏がない」という意味。ただし、程敏政の説によると、「繆」が「穆」の同義として使われたことがあったという。ちくま学芸文庫版の日本語訳では、この説に従い「繆」の字に「ぼく」の振り仮名を振ってある。
- ^ 『蜀志』「関羽伝」には「言笑自若(げんしょうじじゃく)」との表現があり、これは「泰然自若」の同義の四字熟語になっている。
- ^ 『花関索伝』では胡金定。
- ^ この部分は後から挿入された可能性が高く[3][18]、全篇に渡って「関公」と表記されることが多い『三国志平話』との関連性が考えられる。
出典
- ^ 『三国志』呉志「呉主伝」
- ^ 井波律子 (1994), p. 110.
- ^ a b 渡邉義浩 (2011a), pp. 7–8.
- ^ a b c d 今泉恂之介 (2000).
- ^ 『三国志』蜀志「張飛伝」
- ^ 『三国志』魏志「趙儼伝」
- ^ 『新唐書』巻七十五下 宰相世系表
- ^ 『江表伝』
- ^ 『魏志』「龐徳伝」
- ^ 『季漢輔臣賛』
- ^ 陳壽 (中国語), 三國志/卷36#.E9.97.9C.E7.BE.BD, ウィキソースより閲覧。
- ^ 長尾直茂 (2019), pp. 69–110(初出は長尾直茂 2002)
- ^ 長尾直茂 (2019), pp. 323–350(初出は長尾直茂 1999a)
- ^ 長尾直茂 (2019), pp. 351–388(初出は長尾直茂 1999b)
- ^ 長尾直茂 (2019), pp. 389–411(初出は長尾直茂 2004)
- ^ 長尾直茂 (2019), pp. 473–496(初出は長尾直茂 2001)
- ^ 中西進・厳紹璗編『日中文化交流史叢書 第6巻・文学』p349以降(大修館書店、1995年。ISBN 446913046X)
- ^ 渡邉義浩 (2011b), p. 88.
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