関口誠人 関口誠人の概要

関口誠人

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/13 08:36 UTC 版)

関口 誠人
生誕 (1959-05-02) 1959年5月2日(64歳)
出身地 日本東京都世田谷区
ジャンル フォーク
J-POP
職業 シンガーソングライター
担当楽器 ギター
活動期間 1982年 - 1987年
2008年 - 2009年(ココナッツボーイズ、C-C-B)
1987年 - (ソロ)
レーベル ポニーキャニオン(1988年 - 1992年)
Luxury Records(2003年 - )
共同作業者
公式サイト 関口誠人 超個人的日記 

来歴

C-C-Bのメンバーとして参加した最後のコンサートツアー『TOUCH and GO』の最終日、1987年4月6日のよみうりランドEASTでのステージを以って脱退(C-C-Bは1989年に解散するまで4人で活動を続けた)。脱退直後からラジオパーソナリティ、俳優、短編小説執筆、漫画原作などソロ活動を開始する。また、C-C-B時代に所属していたポリドールレコード(現:ユニバーサルミュージック)からポニーキャニオンに移籍した。
  • 1988年2月21日、シングル「東京・Lovers Map」でソロ歌手としてデビュー。同年3月4日より渋谷公会堂を皮切りにライブツアー・"TOUR FOLK SONG"を行う。1992年にポニーキャニオンから離れる。
  • 1990年代に入り、C-C-Bの元メンバーと幾たびかユニットを組んで単発ライブを行った。また、テレビ番組の企画で一時的にC-C-Bの元メンバーとして演奏を披露することもあった。それらとは別に単独でC-C-Bの名義を使用してライブやイベントを行うこともある。
  • 2008年、渡辺英樹笠浩二とともに正式にC-C-B名義を掲げて再結成。カバー・アルバムをリリースし、テレビ出演やライブツアーも行ったが2009年に入ってから一切活動はなく、事実上解散となった。以来、C-C-Bの他のメンバーと共演をしていない(C-C-Bのメンバー(解散時の4人)は2015年にライブを行っている)[注釈 1]
  • 2018年、デビュー35周年、ソロデビュー30周年を迎えた。

人物

  • 歯科医の子息で、三人兄妹の次男として出生し、何不自由ない幼少期を世田谷区成城で過ごす。しかし関口が小学校の入学式当日の朝、結核を患っていた父が急逝[1]。同級生たちよりも一週間ほど遅れて通学を始めた。一人だけ編入生のような気後れを感じていたところに、父を亡くしたことへの同級生の心無い言葉に傷つき、クラスにはなかなか馴染めなかった。やがてその意識は大きくなり、たびたび登校拒否をするようになる。中学に進学してからも、学校に対する苦手意識が消えることはなかった(近年になって、中学二年生の時、仮病を使って休んだことが原因で虫垂炎と誤診され開腹手術されてしまったこと、不良との交流、C-C-B時代は高校を卒業しているとしていたが、実は中学卒業後、母の知人の会社に就職したことなどを告白している。その頃の感情や体験をモチーフに幾つか楽曲を作っている)。
  • 少年期には宗教(エホバの証人)に傾倒してその教えを強く言い含める母に抗えず、集会に参加したり教義を写した冊子を個別訪問販売した経験のある元宗教2世である[1][2]。10代半ばにはバプテスマを受けている。しかし、学校での行動や友人関係も制限されることに憤りを覚え、暫くのち教会が禁じている世俗に興味を示すようになる。17歳になる頃、教えを守らない素行不良者として排斥(脱会)された[2]。その頃に母の体がガンに侵されていることが分かったが、最期まで教義を守り続ける意思を示したため治療方法が限られ、関口が20歳のときに他界した[3][1][注釈 2]。脱会した後も、幼少期に刷り込まれた終末思想がトラウマとなっているという[4]。また、肉体に意図的な傷を刻むことを禁じる教えを受けていたため、タトゥーに興味はあるものの未だに実行に移せずにいる。しかし、ピアスは1983年頃に渡辺英樹と一緒にあけている(場所は新宿アルタの男子トイレ。同ビルの店舗でピアッサー付きのピアスを購入し、即実行に移した。しかし、緊張のあまり間違えて右耳にあけてしまったという。渡辺曰く「絶対にワザとウケを狙って右にあけたと思う」)。その後、ソロになって暫くして右の乳首にボディピアスを開けた(現在は閉じている)。
  • 音楽好きの兄の影響で、小学生の頃には既にアコースティック・ギターに触れていた(後述に記されているが、エレキギターは不得手であった)。
  • C-C-B時代の愛称「ゴム」は、関口の自宅に遊びに来ていたメンバーの笠が、部屋に無造作に置かれていたコンドームの箱を菓子の箱と間違えて「食べていいか?」と聞いたところ、関口が笠をからかって「食べられるならどうぞ」と勧めたことが発端。箱を開けて真相を知った笠はそれ以降、関口を「ゴムくん」と呼ぶようになり浸透してしまった。その後、C-C-Bが売れて歌番組などに出演した際にその愛称の由来を尋ねられると「ゴムのように柔軟性が…」など、当たり障りない後付けの理由を述べることがあった(そのたびにメンバーは失笑したりほくそ笑んでいた)。
  • 80年代初め、芸能関係者が多く出入りしていたレストランゼスト キャンティーナ原宿店」(2006年閉店)でアルバイトをしていた。顔馴染みになった音楽業界の関係者に自作の曲の入ったカセットテープを渡したりするなど、音楽で身を立てられるよう積極的にアプローチをしていた。時を置かずして、親しくなったビクターレコードの関係者を通じ、渡辺英樹を紹介された。
  • 中森明菜五木ひろし羽野晶紀など、他のアーティストへの楽曲提供も多数あり、新人をプロデュースしたこともある。また、音楽の専門学校でボイストレーニングや作詞、作曲理論などを教える講師をしていた時期もある。
  • 既婚者(結婚2回・離婚1回を経験)。
  • 2007年3月に心筋梗塞を発症して入院をしたことを告白)[注釈 3]。後遺症を懸念していたが、声質や発声(呂律)に多少の違和が生じたものの、ギターを弾く手指の神経などに問題は残らなかった。心臓への負担を回避すべくダイエットを開始。イメージキャラクターを務める(2008年当時)健康食品を併用し、その食生活や体重の変化などの経過を企業ウェブサイト内でブログとして公開していた。ダイエット企画スタート時の体重は、若い頃の50kg台から約20kg以上増加していること、また、2008年3月の頃は体重78kg・体脂肪率37%であったことを明かしている。しかし、減量の兆しが見え始めた2008年12月頃からダイエットを無断で休止。周囲の声を受けて2009年9月に再開したものの、同年11月以降ブログは更新されず、結果を出すことなく企画終了となった(後にブログはリンク切れ)。
  • 髪を派手な色に染めていたのはC-C-Bがブレイクして人気が安定した時期までで、それ以降は自然な髪色を通している。そのため2008年のC-C-B再結成時には80年代のブレイク当初の印象=カラフルな髪色を思い起こさせる緑色にカラーリングを施したカツラを製作した。アーティスト写真やプロモーションビデオなどで使用しているが、ライブなどで使用することは基本的にはなく、テレビ出演時や取材などで必要と判断した場合のみ使用した。2011年になって衣装やカツラの使用は事務所からの強要であり、不本意であったと吐露している。
  • 若い頃と現在とのルックスのギャップを自らイジり、トークでは進んでボケ役を買って出ることが多い。一方で、C-C-Bの音楽性やファンを嘲笑する発言をするなど自虐ネタの範疇を超えている言動が多い。
  • 2010年7月8日、アナフィラキシーショックを起こし呼吸困難に陥り救急搬送された。早急な処置がされたため大事には至らず翌日には快復をした。アレルギーなどの検査を受け、後日、豆乳に対して食物アレルギー反応が強いことが判明した(ただし、すべての大豆製品に反応が出るわけではないという)[5][注釈 4]
  • 2014年8月2日、ライブ会場にて体調を崩したため病院へ救急搬送され、数日入院した。
  • 2017年3月7日、体調不良のため月末までのスケジュールを全てキャンセルし、検査入院をする旨を公式ブログ及びSNSを通じて明らかにした(その後、体調回復とともに復帰)。同年6月6日、ワイドショー「バラいろダンディ」(TOKYO MX)の街頭インタビューに一般人として出演。“C-C-B在籍時、ギターを弾いているふり(当て振り)をしていた”と発言して物議を醸した。放送翌日、自身のブログで“「Romanticが止まらない」がヒットした頃はギターが上手くなかったため。現在は教則本を出せるまで上達している”と釈明した[6]
  • 2018年6月28日、『関口誠人(ex.C-C-B)新作ミニアルバム制作プロジェクト』クラウドファンディング目標金額を大幅に超え157%達成。
  • 2019年末、アルコール性肝疾患を発症。それまではウイスキーをストレートで1日にボトル2本のペースで飲むような生活を続けており、糖尿病や肥満、初期の鬱病など併発していた。これを機に生活習慣の改善を試みているが、一進一退を繰り返している。
  • 2021年夏頃から音楽活動と並行して、イラスト制作やオリジナルキャラクターを描いたグッズの販売を活発に行うようになる。
  • 2021年12月10日、同年11月中旬に体調を崩し[注釈 5]、入院していたことをSNSを通じて報告。翌11日、ラジオのレギュラー番組「関口誠人のspicy night」の出演が体調が整わないことから儘ならないため、年内に一度終了することを明らかにした。2022年4月9日、体調回復に伴い同番組を再開した。

ディスコグラフィー

シングル

  1. 東京・Lovers Map/FOLK SONG-2(1988年2月21日、ポニーキャニオン
  2. FOLK SONG/雨の満塁ホームラン(1988年7月6日、ポニーキャニオン)
  3. New Town Child/悲しみのマリア(1988年11月2日、ポニーキャニオン)
  4. TALKING MAN/LOVE SONG(1989年6月21日、ポニーキャニオン)
  5. ノー、ノー、ボーイフレンド/Angel Game(1989年10月21日、ポニーキャニオン)
    ダイヤックス「POPIO」CMソング(1989年)
  6. 天河伝説殺人事件/宝島(1991年2月14日、ポニーキャニオン)
    映画「天河伝説殺人事件」主題歌
  7. たまゆら/少しだけ永遠を(1991年7月21日、ポニーキャニオン)
    関西テレビ系「不思議サスペンス」 ※テーマ曲
  8. 砂の暦/悪党(1992年1月21日、ポニーキャニオン)
    関西テレビ系「六つの離婚サスペンス」 ※テーマ曲
  9. 魂のレベル〜スゴカタ2/スターダスト・シンドローム/唇ベイブ/Just like 西遊記〜reloaded(2006年12月11日)
  10. 青空/永久に咲かぬ花(2009年9月11日)※2013年3月7日にリニューアルバージョンリリース
  11. 僕はキスをしたんだ(2010年9月21日)
  12. NoSong NoMomotaro/冒険のススメ#プライベートマッスル(セルフカバー)(2011年3月3日)
  13. TAMAGO(2012年5月3日)
  14. さよならの無い世界(2017年11月8日)

スタジオ・アルバム

その他

  • オリバー ニューヨーク子猫ものがたり(1990年・日本公開版)
    • ヒューイ・ルイスが歌った同映画の主題歌『Once Upon a Time in New York City』の日本語カバー『いつかニューヨークの街で』を歌唱している。
  • GUITAR & SONGS カセットテープ版(2000年・全作品作詞・作曲:関口誠人)
    1. 笑う天使
    2. 銀色の月
    3. 父の風景
    4. DAVID
  • GUITAR & SONGS CD-R版(2004年・全作品作詞・作曲:関口誠人)
    1. 笑う天使
    2. 銀色の月
    3. 父の風景
    4. DAVID
    5. 夏の幻

ビデオ

  • ノー、ノー、ボーイフレンド(1989年12月6日・プロモーションビデオ&ライブ映像)
    1. ノー、ノー、ボーイフレンド
    2. FOLK SONG
    3. 東京・Lovers Map
    4. TALING MAN
    5. マグカフェ
  • Makoto Sekiguchi Live 2003-2004(2004年8月・江古田マーキーでのライブDVD)
    1. シェイクハンドDX
    2. 幻モーターバイク
    3. FOLK SONG-2
    4. Money Frower
    5. 僕と彼女の森
    6. 17才のジャングル
    7. アダムとイヴ
    8. 悪戯美人
    9. 悲しみのマリア
    10. パジャマクエスチョン
    11. ミセスディープキス
    12. バライゾン
    13. フラワー
    14. 演歌After Hour
    15. 流星のラストデート
    16. マリー世界は美しい
    17. JUST LIKE 西遊記

著書ほか


出典

  1. ^ a b c "「母は輸血を拒否したまま死んだ」 願った延命、葛藤続けた40年". 特集 宗教とこども. 毎日新聞社. 16 April 2023. 2023年4月17日閲覧
  2. ^ a b 関口誠人Twitter 2022年12月23日付
  3. ^ "C-C-B元メンバーの関口誠人「エホバの証人の2世信者でした」「母は輸血拒否したまま…」". 東スポWEB. 東京スポーツ新聞社. 17 April 2023. 2023年4月17日閲覧
  4. ^ 関口誠人Twitter 2022年12月23日付
  5. ^ 実行しますね”. 関口誠人オフィシャルブログ (2010年7月11日). 2016年3月14日閲覧。
  6. ^ 元C-C-B関口誠人が街頭インタビューに一般人として登場!視聴者もビックリ”. アサジョ (2017年6月10日). 2021年9月25日閲覧。

注釈

  1. ^ 渡辺、笠の死去後に行われた『お別れの会』(追悼ライブに相当)には不参加
  2. ^ C-C-B在籍中にアルバム収録曲『流星のラストデート』の制作秘話として「19歳の時に他界した母を思い…」と述べていた。
  3. ^ 病床で「もう一度C-C-Bとして活動したい。ずっと思い続けてくれたファンに音楽を通じて感謝を伝えなければ、自分の人生に悔いが残ると強く思った」と述べている(2008年のC-C-B再結成の経緯のひとつ)。
  4. ^ 爆報! THE フライデー」2016年3月11日放送にて本人の弁(ただし、実際に倒れた日付と放送で述べた日付に誤差が生じている)。
  5. ^ 関口は「心の闇に埋没していた」と吐露した。


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