長野放送 概要

長野放送

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/09 16:48 UTC 版)

概要

事業所

本社・演奏所
支社
支局(すべて長野県内に所在)

資本構成

企業・団体の名称、個人の肩書は当時のもの。出典: [5][6][7][8]

2021年3月31日

資本金 発行済株式総数
300,000,000円 600,000株
株主 株式数 比率
フジ・メディア・ホールディングス 264,000株 44.00%
北野建設 060,000株 10.00%
信濃毎日新聞 059,000株 09.83%

過去の資本構成

沿革

  • 1962年昭和37年)3月 - 長野県第2波の免許申請受付開始。県内からは『長野テレビジョン放送』『テレビ長野』『長野放送』、県外からは『長野読売テレビ放送』『長野毎日放送』『長野中日テレビ』『長野サンケイテレビジョン放送』、そして1965年(昭和40年)4月に申請した『長野朝日放送』[注釈 3]の、計8件の申請があった。これを受け、当時の西沢権一郎長野県知事の斡旋により、一本化調整が進められた[10]
  • 1967年(昭和42年)
  • 1968年(昭和43年)
  • 1969年(昭和44年)
    • 2月1日 - 中継車を導入[15]
    • 3月28日 - この日の信濃毎日新聞朝刊の別紙面にて、開局を告げる全面カラー紙面「長野放送開局 PR特集」を発行。[16][17]
      • この時点でのロゴは、シアン色の『N』の中に白色の『NBS』の文字が入ったロゴであった。[16]
      • 当紙面の7ページに、開局前の主調整室に装備されている設備(マスター(主調整卓)、APC用コンピューター、2インチカラーVTR(東芝アンペックス社製 VR-1200[18])、カラーフィルムカメラ、音声自動スポット編集機)が、写真付きで公開される。[19]
    • 4月1日 - 開局。地上アナログテレビ放送の本放送開始[20]。FNNに加盟。当時は美ヶ原親局と松本、岡谷諏訪、飯田、善光寺平の4中継局の体制であった[16]。開局当時のカラー化率はゴールデン67%、全日22%で、当時は県内で最もカラー化が進んでいた[21]
    • 5月 - 初代本社社屋完成[22]
      • サービス放送開始時から本放送開始初期までは、スタジオと外装が未完成だった。
    • 8月1日 - 電電公社マイクロ回線の上り線が開通。『小川宏ショー』『3時のあなた』などがNBSからの全国中継が可能となった[15]
    • 10月1日 - この日発足したFNSに加盟。同時に佐久平、戸倉上山田の2中継局を新設[16]。名古屋支局を東海テレビ放送4階に開設[23]
    • 10月3日 - 開局後初の本格的な自社制作番組『200万人の広場 チャンネルU』が放送開始(1972年(昭和47年)3月まで)[24]
  • 1970年(昭和45年)
    • 2月1日 - 天気予報をカラー化[23]
    • 3月31日 - カラー化率が全日46.8%、ゴールデン81.7%となる[25]
    • 5月 - 自社カラー送出装置が完成。これに伴い、中継部分等を除く自社ローカル番組がカラー化される[注釈 7]
    • 6月1日 - 「奥さま4時です」全面カラー化。自社制作の生番組をカラーで放送するのは県内の民放局では初[25]
    • 9月 - 自社ローカル取材によるニュースフィルムがカラー化される[21]
  • 1971年(昭和46年)5月1日 - 諏訪支局を諏訪文化会館内に開設[26]
  • 1972年(昭和47年)2月28日 - 連合赤軍あさま山荘事件で犯人逮捕・連行の瞬間を、キー局のフジテレビと協力してスクープ撮影をして、FNNを通じて、全国に生放送した[注釈 8]
  • 1973年(昭和48年)
    • 4月2日 - カラー中継車導入。初仕事は長野市雲上殿からの満開の桜の生中継であった[27]。これにより、自社送出番組のカラー化が完了する。
    • 12月1日 - 飯田支局を開設[28]
  • 1975年(昭和50年)3月31日 - 毎日放送制作の番組が腸捻転ネット解消により信越放送に移行。代わって朝日放送制作の番組が放送されるようになる(1980年(昭和55年)9月30日まで)。
  • 1977年(昭和52年)
  • 1978年(昭和53年)3月18日 - 本社別館が完成。報道局が別館に移転し以降自社制作のニュース番組はここから放送するようになる[30]
  • 1979年(昭和54年)4月1日 - ENG搭載のミニ中継車を導入[31]
  • 1980年(昭和55年)
    • 6月21日 - アナログ・テレビでの音声多重放送の実用化試験放送のサービス放送を開始(SBCと同日)。[32]
    • 7月1日 - アナログ・テレビでの音声多重放送の実用化試験放送を正式に開始(SBCと同日)。[32]
    • 10月1日 - テレビ信州(TSB)の開局に伴い、テレビ朝日の番組の大部分が姿を消し、フジテレビ系列のフルネット局となる(ただしテレビ朝日の一部の番組は、その後も数年間番組放映権買いという形で購入し、それらを同時ネットまたは時差放送していた)。
  • 1981年(昭和56年)4月 - 16mmフィルムによる取材・番組制作を廃止。これにより、全面的に生放送かVTRを使った取材・番組制作に完全移行する。
  • 1983年(昭和58年)6月 - アナログ・テレビの音声多重放送の本放送の免許を取得(SBCと同時)。これに伴い、同放送が本放送に切り替わる。[33]
  • 1984年(昭和59年)
    • 7月2日 - 旧本館裏に現在の本社社屋が完成し移転。初代本社社屋は後に取り壊され前庭となる[34]
    • 12月1日 - コーポレートアイデンティティ(CI)導入、ロゴを変更[34]。1994年(平成6年)9月頃に文字中の斜線が消滅し現在のロゴに。ちなみに和文ロゴはデザイナーの大高猛が制作した。
  • 1985年(昭和60年)5月10日 - 前年12月に完成していた本社社屋内多目的ホール『NBSホール』オープン[35]
  • 1993年平成5年)頃 - ソニー製のD2方式によるデジタルVTRを導入。
  • 1996年(平成8年)4月27日 - 長野県更埴市(現・千曲市)で発生した山火事の消火活動の取材のため、飛行していた自社所有のヘリコプター(朝日航洋に運航委託)が、同じく取材飛行中のテレビ信州チャーターのヘリコプター(東邦航空所属)と長野市篠ノ井横田の上空で衝突し、墜落する事故が発生。自社所有ヘリコプターに搭乗していた機長及びカメラマン計2名全員が死亡[注釈 9][36]
  • 1998年(平成10年)10月25日 - この日から『スーパー競馬』の放送を開始[37]。当初はGI級競走に限っての放送だったが翌年の1999年(平成11年)10月24日から通年放送となる。[38]
  • 2005年(平成17年)
    • 6月10日 - 地上デジタルテレビ放送の予備免許を取得(長野のNHK、他の民放テレビ3局も同時に取得)[39]
    • 10月1日 美ヶ原送信所から、地上デジタルテレビ放送の試験電波を発射する(地デジ送信機は東芝製)。
    • 11月7日 - 地上デジタルテレビ放送開始に伴い、マスター(主調整室)をデジタル・アナログ統合型に更新(東芝製)。
  • 2006年(平成18年)
    • 地上デジタルテレビ放送のサイマル放送試験に先立ち、スタジオのハイビジョン化工事が完了。
    • 7月1日
      • 地上デジタルテレビ放送のサイマル放送の試験を開始(長野県内の民放初)。
      • 局初の正式キャラクターとして「ベスト犬 ハチポ」が登場する。
    • 9月25日 - 地上デジタルテレビ放送の本免許を取得(長野の他の民放テレビ3局も同日に取得)[40]
    • 10月1日
  • 2007年(平成19年)
  • 2008年(平成20年)11月3日
    • 翌年4月の開局40周年に先立ち、同じ翌月の12月16日に開局40周年を迎えるフジ系のNST新潟総合テレビと共同で両局開局40周年特番の共同制作「スマイル・これだね!」をNSTと同時に生放送を行う。これを機に、同局とは毎年1回(10月下旬か11月上旬)、同番組の共同制作を行う様になる[注釈 12]
    • NBSのコーナー 天気予報・今日の俳句・あなたのベストショットで使われるヴァーチャルスタジオのデザインが変更される。
  • 2009年(平成21年)5月14日 - WEBサイト(ホームページ)の名称が、「ハチポワールド」となる(2017年(平成29年)2月15日の同サイトの完全リニューアル前まで)。
  • 2011年(平成23年)
  • 2012年(平成24年)5月7日 - 5月18日 - フジテレビの平日のお昼の番組『知りたがり!』の時間帯[注釈 13]に、自局初のデータ放送を使ってのNBSローカル独自のプレゼント・キャンペーンを行う(尚、同番組がない12日・13日は不実施)[注釈 14]
  • 2017年(平成29年)2月15日 - WEBサイト(ホームページ)を完全リニューアルし、全ページSSL通信となり、尚且つ、PC、スマホ、タブレットの全形態対応型となる[44]
  • 2019年(平成31年・令和元年)
    • 1月1日 - 3か月後に迎える開局50周年に伴い、「きっといいこと with NBS」をキャッチ・フレーズに、開局50周年プロジェクトがスタートする[45]
    • 4月1日 - 開局50周年。
    • 5月10日 - 同年3月21日に放送された、ローカル送出番組『働き方改革から始まる未来』について、放送倫理・番組向上機構(BPO)の第137回放送倫理検証委員会にて、「CMと誤解を招きかねず放送基準に抵触する疑い」ということで、同番組の審議入りを決定[46][47][48]
    • 10月7日 - 前述のローカル送出番組『働き方改革から始まる未来』について、放送倫理・番組向上機構(BPO)の放送倫理検証委員会は、同番組において、放送倫理違反があったという、委員会決定を発表[49][50][51][52][53][54][55]
  • 2022年(令和4年)
    • 6月27日 WEBサイト(ホームページ)をリニューアル[56]

本社社屋関係

  • 1967年昭和42年)12月22日 - 創立事務所を長野市南石堂町の長栄ビル7階に設置[11][57]1968年(昭和43年)3月18日の設立後は本社事務所として使用[57]
  • 1968年(昭和43年)
    • 7月13日 - 長野市岡田町の県蚕業試験場跡地にて初代社屋の地鎮祭[12]
    • 12月20日 - 初代社屋(2階建て鉄筋コンクリート作り延床面積1,988.23m2)の一部(主調整室)が完成[58]。この時点では建物内部もコンクリートの地肌がむき出しになっている状態で、アナブースには机すらなく、床に直接マイクが置かれているだけの状態であった[57]
  • 1969年(昭和44年)
    • 3月2日 - 本社事務所が南石堂町から岡田町の初代社屋に移転[15]。この時点で内装全てが完成。
    • 5月 - 外装工事が完了し初代本社社屋が完成[22](鉄塔には旧ロゴの「NBS」を象った青いネオンサインが縦に付いていた)。
  • 1977年(昭和52年)8月8日 - 別館の建設に着手[30]
  • 1978年(昭和53年)3月18日 - 鉄筋コンクリート3階建て、延床面積1,268m2の本社別館が完成[30]
  • 1983年(昭和58年)11月 ‐本社新社屋着工[59]
  • 1984年(昭和59年)7月2日 - 現在の本社社屋本館(4階建て一部5階建て、床面積3,269m2)が完成。初代本社社屋は取り壊され1985年春までに前庭となる[注釈 15][60]
  • 1985年(昭和60年)5月10日 - NBSホールがオープン[35]
社史関係

注釈

  1. ^ Nippon Broadcasting System。長野放送のS(複数形)と異なりニッポン放送のSは単数形。
  2. ^ ただし、2016年時点では、下記の通りフジ・メディア・ホールディングスと地元紙の信濃毎日新聞の出資比率が増加した一方、中日新聞と産経新聞の出資比率が減少した。
  3. ^ 現在の『長野朝日放送』とは無関係。
  4. ^ 当時のUHF第1次チャンネルプランに基づくもので、この日は他にも新潟総合テレビ(NST)、テレビ静岡(SUT)等にも、予備免許が交付された
  5. ^ サービス放送期間を民間放送史上例を見ない3か月余と長めに設定したのは、開局までに1台でも多くコンバーターを取り付けてもらい、長野放送のテレビを見てもらうという狙いがあった[14]
  6. ^ サービス放送初日は、11時56分より社歌(NBSの歌)を流した後『只今からサービス放送を開始致します NBS長野放送』と画面が表示され、『JOLH-TV、JOLH-TV ただいまからサービス放送を開始します』と師田栄一アナウンサーのナレーションが流れた後、サービス放送最初の番組である、フジテレビからのネット番組『お昼のゴールデンショー』に接続した[14]。ちなみにカラー放送としての最初の番組は、翌21日19時からの『戦え! マイティジャック』(同じくフジテレビからのネット)だった。
  7. ^ これにより、ネット受けを含むカラー化率が急速にアップする。当時UHFでは、ネット受けで精一杯といわれていただけに大いに注目された。
  8. ^ a b NHK-BS2「BSスペシャル 青春TVタイムトラベル 第2回『1972年2月28日 テレビの一番長い日~ニュース映像の衝撃 連合赤軍浅間山荘事件に関係したTVマンたちの一日』(1992年10月31日放送、NHKクロニクルにも記載)」にて、その瞬間のVTR映像が再放送され、それを撮影した、当時のフジテレビのカメラマンの証言が放送された。NBSは、その時の中継車等の中継関係で協力した。同番組は、NHKの番組「NHKアーカイブス」の2012年(平成24年)2月26日放送にて、時間を短縮編集させて再放送された。(URL https://web.archive.org/web/20121111074337/https://www.nhk.or.jp/archives/nhk-archives/past/2011/120226.html )
  9. ^ テレビ信州チャーターのヘリコプターに搭乗していた機長、報道記者ら計4名も全員死亡した[36]
  10. ^ ちなみに、地デジの本放送での初放送番組は、『通販DJ』だった。
  11. ^ ちなみにここで言うFNS主要局は、以下の通り。フジテレビ、北海道文化放送仙台放送東海テレビ関西テレビテレビ新広島テレビ西日本
  12. ^ 2008年(平成20年)の初回は、NSTのスタジオをメインに各中継を結ぶ生放送だったが、翌年からは、製作局はその年によって異なり、製作を行わない方は、制作協力の方に廻る様になっている。
  13. ^ 当番組は、この年の4月から14時開始に移行した。フジテレビを始めとする一部の局では、第2部の15時52分まで放送しているが、NBSでは、大半のネット局と同様、第1部のみの14時から14時58分まで放送だが、NBSでは編成上、15時までの放送扱いとなっている。
  14. ^ 同番組時間中に、ワンセグを除く通常の12セグメントの地上波に於けるデータ放送で、キーワードを表示し、視聴者がネット又は携帯にてその日の17時まで応募。毎日5名ずつ、計50名に各々5千円が当たるというもの。
  15. ^ 前庭は市民の憩いの場になるよう構成されており、中央にはアントワーヌ・ポンセ氏の彫刻作品『ウバツゥバ』が配置されている。
  16. ^ 18:45.30 - 18:55はフジテレビ『Live News イット!』をネット。
  17. ^ ローカルセールス枠の関係で『坂上どうぶつ王国』を不定期に遅れネットにするための代替編成。
  18. ^ 18:00 - 18:30は、多くのフジテレビ系列局で『ミュージックフェア』を放送しているが、NBSでは1981年9月で放送を打ち切られた。ただし、一部地域ではフジテレビ東海テレビテレビ静岡のいずれかを受信すると『ミュージックフェア』が視聴可能。
  19. ^ 2023年4月より第1部からのネットを開始した。
  20. ^ 都合により2019年6月26日から7月17日までグータンヌーボ2に差し替えられていた。
  21. ^ 2019年10月 - 12月の期間は木曜 25:30 - 26:30に拡大されていた。
  22. ^ 編成の都合などで放送がない時は「NBSフォーカス∞信州」またはNST新潟総合テレビとの共同制作番組「スマイル・これダネッ!」を放送。ただし、当日の深夜または後日放送の場合あり。
  23. ^ スポーツ中継などで短縮、休止あり。
  24. ^ 2006年秋のローカル枠降格までは同時ネットで放送、2013年4月14日にネット再開。
  25. ^ 以前は土曜または日曜の昼に不定期で放送されていたが、2022年5月14日から現在の時間に遅れネットでの放送を開始。
  26. ^ 過去にTSB→abn→SBCの順に遅れネットで放送した実績があるため、当局でのネット開始により長野県内の民放4局すべてで放送経験を持つこととなった。
  27. ^ 2015年4月19日よりネット再開。
  28. ^ スポーツ中継などで休止または放送日時変更あり。
  29. ^ 2作目はフジテレビ製作、途中まで同時ネット。3作目・4作目は県内未放送。
  30. ^ 2018年1月3日 - 1月6日 (1月2日 - 1月5日深夜) にまとめて放送。
  31. ^ 2018年9月まではBSジャパン
  32. ^ 1969年10月の中継局設置当初は44chであった[16]
  33. ^ 1969年10月の中継局設置当初は12ch(VHF)であった[16]
  34. ^ これらの局がそれを導入するようになったのは、主にこの事件の直後から翌年にかけてのことである。ちなみにNBSは、1973年の3月末頃に導入した。

出典

  1. ^ a b c d e 日本民間放送連盟『日本民間放送年鑑2023』コーケン出版、2023年11月30日、341頁。 
  2. ^ a b 株式会社長野放送 第56期決算公告
  3. ^ 基幹放送事業者の議決権保有状況等 地上系放送事業者 - 総務省電波利用ホームページ 2023年11月3日閲覧
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  5. ^ 日本民間放送連盟『日本放送年鑑'78』洋文社、1978年12月、191頁。 
  6. ^ 日本民間放送連盟『日本民間放送年鑑'92』コーケン出版、1992年11月、276頁。 
  7. ^ 日本民間放送連盟『日本民間放送年鑑2003』コーケン出版、2003年11月、296頁。 
  8. ^ 日本民間放送連盟『日本民間放送年鑑2021』コーケン出版、2021年12月10日、336頁。 
  9. ^ 長野放送 取締役相談役
  10. ^ 『長野放送二十年の歩み』(1989年5月25日、長野放送発行)33 - 34頁。
  11. ^ a b c d e f g 『長野放送二十年の歩み』(1989年5月25日、長野放送発行)80頁。
  12. ^ a b c d e f 『長野放送二十年の歩み』(1989年5月25日、長野放送発行)81頁。
  13. ^ a b 『長野放送二十年の歩み』(1989年5月25日、長野放送発行)29pより。
  14. ^ a b 『長野放送二十年の歩み』(1989年5月25日、長野放送発行)29頁。
  15. ^ a b c 『長野放送二十年の歩み』(1989年5月25日、長野放送発行)82頁。
  16. ^ a b c d e f 『長野放送二十年の歩み』(1989年5月25日、長野放送発行)153pより。
  17. ^ 信濃毎日新聞 1969年3月28日 朝刊 別紙面「長野放送開局 PR特集」(信濃毎日新聞データベースにて閲覧)
  18. ^ 信濃毎日新聞 1969年3月28日 朝刊 別紙面「長野放送開局 PR特集」P.4 東芝アンペックス社広告(信濃毎日新聞データベースにて閲覧)
  19. ^ 信濃毎日新聞 1969年3月28日 朝刊 別紙面「長野放送開局 PR特集」P.7(信濃毎日新聞データベースにて閲覧)
  20. ^ ちなみに、開局初日の最初の番組は、8時45分からの『朝の歌謡曲』だった。
  21. ^ a b 『長野放送二十年の歩み』(1989年5月25日、長野放送発行)40頁より。
  22. ^ a b 『長野放送二十年の歩み』(1989年5月25日、長野放送発行)67頁より。
  23. ^ a b 『長野放送二十年の歩み』(1989年5月25日、長野放送発行)83頁より。
  24. ^ a b 『長野放送二十年の歩み』(1989年5月25日、長野放送発行)36、83頁より。
  25. ^ a b 『長野放送二十年の歩み』(1989年5月25日、長野放送発行)153pより。
  26. ^ 『長野放送二十年の歩み』(1989年5月25日、長野放送発行)84頁より。
  27. ^ 『長野放送二十年の歩み』(1989年5月25日、長野放送発行)85頁より。
  28. ^ 『長野放送二十年の歩み』(1989年5月25日、長野放送発行)86頁より。
  29. ^ 『長野放送二十年の歩み』(1989年5月25日、長野放送発行)89頁より。
  30. ^ a b c 『長野放送二十年の歩み』(1989年5月25日、長野放送発行)75 - 76頁より。
  31. ^ 『長野放送二十年の歩み』(1989年5月25日、長野放送発行)91頁より。
  32. ^ a b 信濃毎日新聞 1980年6月30日 夕刊 P.8 テレビ欄 「SBC・NBSの音声多重放送 あすから本格開始 記念番組を編成しPR」(信濃毎日新聞データベースにて閲覧)
  33. ^ 信濃毎日新聞 1983年9月23日 朝刊 P.2「TSBにも免許 音声多重放送」の記事に記載。(信濃毎日新聞データベースにて閲覧)
  34. ^ a b 『長野放送二十年の歩み』(1989年5月25日、長野放送発行)129頁より。
  35. ^ a b 『長野放送二十年の歩み』(1989年5月25日、長野放送発行)144頁より。
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  63. ^ 2020年4月~ NBS基本番組表
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  66. ^ a b c d e f g 『長野放送二十年の歩み』(平成元年5月25日発行)175ページ。
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  68. ^ 『長野放送二十年の歩み』(1989年5月25日、長野放送発行)37pより。
  69. ^ 2000年7月20日、2006年4月12日 信濃毎日新聞 テレビ欄
  70. ^ 1992年11月17日、1993年5月18日 信濃毎日新聞 テレビ欄
  71. ^ 2003年5月21日、2004年4月21日 信濃毎日新聞 テレビ欄
  72. ^ 2004年4月28日、2005年5月11日 信濃毎日新聞 テレビ欄
  73. ^ 1979年10月16日、1980年4月15日 信濃毎日新聞 テレビ欄
  74. ^ 1976年6月24日、1977年4月15日 信濃毎日新聞 テレビ欄
  75. ^ 1977年4月22日、12月2日 信濃毎日新聞 テレビ欄
  76. ^ 1978年2月23日、11月23日 信濃毎日新聞 テレビ欄
  77. ^ 1989年10月22日、1990年10月14日 信濃毎日新聞 テレビ欄
  78. ^ 1992年5月1日、10月23日 信濃毎日新聞 テレビ欄
  79. ^ 2006年4月6日、2012年3月29日 信濃毎日新聞 テレビ欄
  80. ^ マスカットナイト」・「マスカットナイト・フィーバー!!!」・「恵比寿マスカッツ横丁!」の3番組は長野県では放送されていない。
  81. ^ 『長野放送二十年の歩み』(平成元年5月25日発行)175ページ
  82. ^ バトルフィーバーJ』はTSBで時差ネットで放送
  83. ^ 1976年5月24日、11月8日 信濃毎日新聞 テレビ欄
  84. ^ 1979年12月12日、1980年10月13日 信濃毎日新聞 テレビ欄
  85. ^ 1973年10月9日、1974年10月1日 信濃毎日新聞 テレビ欄
  86. ^ 1975年7月27日、1976年1月18日 信濃毎日新聞 テレビ欄
  87. ^ 1976年1月25日、1977年4月10日 信濃毎日新聞 テレビ欄
  88. ^ 1979年9月27日、1980年9月11日 信濃毎日新聞 テレビ欄
  89. ^ 1980年5月11日、9月21日 信濃毎日新聞 テレビ欄
  90. ^ 1973年10月5日、1980年8月29日 信濃毎日新聞 テレビ欄
  91. ^ 1975年10月4日、1976年10月16日 信濃毎日新聞 テレビ欄
  92. ^ 1980年4月1日、8月8日 信濃毎日新聞 テレビ欄
  93. ^ 1969年4月6日、9月28日、1969年10月5日、1972年10月1日 信濃毎日新聞 テレビ欄
  94. ^ 開局後最初の放送。
  95. ^ 1976年1月14日、6月16日 信濃毎日新聞 テレビ欄
  96. ^ 信濃毎日新聞 1978年2月18日、1980年10月6日、1981年2月7日 テレビ欄
  97. ^ 1974年11月13日、1975年5月14日 信濃毎日新聞 テレビ欄
  98. ^ a b c NHKウィークリーステラ1997年6月13日号全国アナウンサー名鑑
  99. ^ 『長野放送二十年の歩み』(1989年5月25日、長野放送発行)133頁。
  100. ^ a b 『長野放送二十年の歩み』(1989年5月25日、長野放送発行)133頁より。






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