長良川
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/24 13:06 UTC 版)
歴史
- 1534年(天文3年):大洪水で井水口が破堤して井川(現長良川)を形成。
- 1611年(慶長16年):大洪水で方県郡長良村崇福寺前へ流入して新川(古々川)を形成。
- 1754年(宝暦4年)2月 - 1755年(宝暦5年)5月:江戸幕府の命令により、薩摩藩が長良川と揖斐川の油島締め切り工事(宝暦治水)を行う。
- 1766年(明和3年):江戸幕府より、長州萩藩と岩国藩及び小浜藩に御手伝普請が命じられる(明和治水)。
- 1912年(明治45年):オランダ人技師ヨハニス・デ・レーケの指導により、木曽川・長良川・揖斐川の木曽三川分流工事完成(明治改修)。
- 1921年(大正10年):木曽川上流改修工事(大正改修)が着工。
- 1939年(昭和14年)3月:長良川改修工事により、2つの分派川が締め切られる。
- 1959年(昭和34年)9月:伊勢湾台風による洪水被害。
- 1960年(昭和35年):台風11号・12号・16号による洪水被害。
- 1961年(昭和36年):梅雨前線豪雨および第2室戸台風による洪水被害。
- 1973年(昭和48年):河渡・鏡島改修工事着工
- 1976年(昭和51年)9月12日:9.12水害。長良川下流部(安八郡安八町)で堤防決壊(台風17号)。
- 1995年(平成7年)7月6日:長良川河口堰運用開始(竣工は1994年)。
- 1999年(平成11年)9月15日:長良川上流部(郡上郡白鳥町、当時)で堤防決壊(台風16号)。
- 2002年(平成14年)7月10日:長良川上流部(郡上郡白鳥町、当時)で堤防決壊(台風6号)。
- 2004年(平成16年)10月20日:台風23号による洪水被害。
旧名
江戸時代以前は各流域で異なる名前で呼ばれていた。現在の「長良川」という名称は、大きな洪水により川が長良村を流れるようになって付けられたとされる[10][11]。
- 上ノ保川(源流部 - 郡上市八幡町)
- 郡上川(郡上市八幡町 - 美濃市)
- 伊奈波川、井川、新川(岐阜市周辺)
- 墨俣川(大垣市墨俣周辺)- 平安時代後期の墨俣川の戦い、江戸時代の街道美濃路の資料などに見られる。
- 長柄川(名所絵『木曽街道六十九次』での表記)
古事記・日本書紀に記載されている「藍見川」[12] が、長良川の旧称という説がある。
かつての流路
長良川中流域の従来の河筋は、山県郡中屋で武儀川を合流して西へ流れ、太郎丸、高富、梅原を経て伊自良川を合流し、方県郡岩利で南流して交人、今川、折立、黒野を経て同郡木田村に至り、津保川の下流(後の長良古川)を合わせて南流し、尻毛、江口を経て、墨俣で境川(旧木曽川)と合流していた[13][14]。
天文3年9月6日(1534年10月13日)の大洪水で、激流が中屋村から陸地を押し破り、戸田、側島を貫通して各務郡芥見まで新川を形成して津保川と合流し、二川一大河となって方県郡長良村に至り、厚見郡早田村字馬場で井水口を押し破って新川(井川、現・長良川本流)を形成し、早田、今泉、若木、池ノ上、東島、江口等の諸村を貫通した[13][14]。また、この洪水以前は長良川の河道は厚見郡鏡島村東部を流れ、江崎村の東を経て下奈良村に至っていたが、この洪水後は今の川筋になったとされる。
慶長16年8月12日(1611年9月18日)の洪水で、長良村崇福寺前で決壊して方県郡鷺山、正木の南を流れる新川(後の長良古々川)を形成して本流筋となったが、漸次その河道が埋まるようになり、元禄、寛永の頃には水は主に井川に流れるようになった[15]。寛永13年8月6日(1636年9月5日)の洪水で井川が本流筋になると、長良古川と長良古々川には洪水の時にのみ分流することとなった[16]。
1921年(大正10年)に始まる内務省木曽川上流改修工事の一環として1933年(昭和8年)から井川(長良川本流)河道の拡幅工事と長良古川・長良古々川の分派口締め切り工事が行われて1939年(昭和14年)3月31日に竣功し、長良川中流域の河道は現在の姿になった。
- ^ 木曽三川の概要、国土交通省中部地方整備局 木曽川下流河川事務所
- ^ 長良川直轄河川改修事業 説明資料、国土交通省中部地方整備局 木曽川上流河川事務所・木曽川下流河川事務所、2020年2月13日、2頁
- ^ 第1回 木曽三川下流域自然再生検討会 流域の概要と木曽三川下流域の河川環境について、国土交通省中部地方整備局 木曽川下流河川事務所、2009年2月16日、5頁
- ^ 地理院地図(ウエブ地図) 国土地理院
- ^ 長良川(中流域) - 環境省選定 名水百選
- ^ 安藤萬寿男「輪中に関する二,三の考察(1)」『水利科学』第115号、水利科学研究所、1977年6月、1-15頁、NAID 220000009654。
- ^ 史跡岐阜城跡保存管理計画書 第3章 岐阜城跡の調査、岐阜市、2014年4月24日、60-63頁
- ^ 国土交通省 中部地方整備局. “KISSO Vol.18” (PDF). 2022年9月2日閲覧。
- ^ a b 国土交通省 中部地方整備局. “KISSO Vol.60” (PDF). 2022年9月2日閲覧。
- ^ 木曽三川について、国土交通省中部地方整備局
- ^ 岐阜県の河川名の由来 - ウェイバックマシン(2016年10月19日アーカイブ分)、国土交通省中部地方整備局 木曽川上流河川事務所
- ^ 天若日子命の葬儀のさい、天若日子命と間違えられた阿遅志貴高日子根神が怒り、破壊して蹴飛ばした喪屋が美濃国藍見川上流の喪山となったという。喪山は現在の美濃市(旧・大矢田村)の喪山であり、喪山天神社がある。
- ^ a b 『再版 美濃氣候編』附録「美濃往古以来ノ天災地変概禄」、岐阜縣岐阜測候所、1914年3月31日、4頁
- ^ a b 『長良川北治水略記』、1-2頁
- ^ 『長良川北治水略記』「河川変遷図」注記
- ^ 『長良川北治水略記』、4-5頁
- ^ [清流・長良川](39)鏡岩水源地 金華山地下、潤いたたえ(連載)=愛知、讀賣新聞2004年7月1日朝刊28面、読売新聞中部本社
- ^ 6.長良川 - 環境省
- ^ 暑い日を涼やかに。長良川の名水を使った夏のドリンク、長良川STORY
- ^ ペットボトル水「清流 長良川の雫(しずく)を製造しました - ウェイバックマシン(2005年11月17日アーカイブ分)、岐阜市上下水道事業部
- ^ 第5位 清流 長良川の雫、環境省 名水百選ポータル
- ^ a b c d e f g 世界農業遺産 清流長良川の鮎 - 岐阜県・世界農業遺産「清流長良川の鮎」推進協議会
- ^ “北緯35度46分8.7秒 東経136度56分12.7秒”. ウォッちず. 国土地理院. 2013年1月5日閲覧。
- ^ a b “東海北陸自動車道 4車線化工事位置図” (PDF). 中日本高速道路. 2013年1月5日閲覧。
- ^ “北緯35度40分2.1秒 東経136度57分12.4秒”. ウォッちず. 国土地理院. 2013年1月5日閲覧。
- ^ “5.長良川 今昔筏場の風景と清流を巡る旅” (PDF). 長良川鉄道レール&ウオーク. 郡上地域活性化協議会. 2013年1月5日閲覧。
- ^ “長良川リバーマップ 深戸-美並苅安”. YHAラフティング. 2013年1月5日閲覧。
- ^ “北緯35度35分51.9秒 東経136度56分41.8秒”. ウォッちず. 国土地理院. 2013年1月5日閲覧。
- ^ “プレストレスト技術協会賞受賞作品の紹介”. プレストレストコンクリート工学会. 2013年1月5日閲覧。
- ^ “北緯35度5分47.2秒 東経136度40分37.5秒”. ウォッちず. 国土地理院. 2013年1月5日閲覧。
- ^ “揖斐川橋(その1)” (PDF). PC設計NEWS. 三井住友建設. 2013年1月5日閲覧。
- ^ “水生生物の保全に係る環境基準の類型指定について” (PDF). 環境省. p. 122. 2013年1月5日閲覧。
- ^ 第7章 岐阜市の自然 - 岐阜市
- ^ ぎふめぐりマップ 広域コース、岐阜市、2014年7月
長良川と同じ種類の言葉
固有名詞の分類
- 長良川のページへのリンク