郷田真隆
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郷田 真隆(ごうだ まさたか、1971年3月17日 - )は、将棋棋士。棋士番号は195。東京都練馬区出身。大友昇九段門下。いわゆる「羽生世代」の一人。駿台学園中学校・高等学校卒業[1]。
注釈
- ^ このB級1組順位戦(第59期)では、郷田は終盤に2連敗、藤井猛竜王(当時)が2連勝したため、B級1組に昇級したばかりの藤井が大逆転で初のA級入りを果たした。
- ^ 奨励会入会の頃は風車戦法を多用していた。<『将棋世界』1997年7月号付録「全棋士出題 思い出の一手 PART2」、本人解説より>
- ^ ちなみに中原から棋聖のタイトルを奪取した経験のある屋敷伸之は、米長戦6勝4敗・中原戦10勝11敗。米長から名人のタイトルを奪取した経験のある羽生善治は米長戦16勝10敗・中原戦19勝10敗。
- ^ 日本将棋連盟の規定では、遅刻時間の3倍の時間を持ち時間から引き、それにより持ち時間が無くなった場合は不戦敗となる。
出典
- ^ 本校OB郷田九段が棋王奪取 - 駿台学園中学校・高等学校 2012年3月27日
- ^ 平成10年度版「将棋年鑑」(日本将棋連盟)
- ^ 1985年の羽生世代 - 将棋ペンクラブログ・2014年7月30日
- ^ “昇段規定”. 日本将棋連盟. 2019年4月12日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年4月12日閲覧。
- ^ 第72期棋聖戦挑戦者決定トーナメント/五番勝負(日本将棋連盟)
- ^ 第73期棋聖戦挑戦者決定トーナメント/五番勝負(日本将棋連盟)
- ^ 第64期名人戦・順位戦 七番勝負/A級(日本将棋連盟)
- ^ 第65期名人戦・順位戦 七番勝負/A級(日本将棋連盟)
- ^ 第1回大和証券杯ネット将棋・最強戦(日本将棋連盟)
- ^ 第67期名人戦・順位戦 七番勝負/A級(日本将棋連盟)
- ^ 第37期棋王戦挑戦者決定トーナメント/五番勝負(日本将棋連盟)
- ^ 郷田真隆九段、NHK杯初優勝! 矢内女流五段は司会を卒業 - NHKテキストView・2014年5月2日
- ^ 『将棋世界』2014年6月号 p.146 郷田によるNHK杯戦決勝の自戦記。 - なお挑戦者決定戦での3度もの敗退とNHK杯戦の優勝について、郷田は「たまにはいいこともないとね(笑)。」と著している。
- ^ 王将戦中継ブログ(日本将棋連盟)
- ^ 王将戦中継ブログ「久保九段が七番勝負制す」(2018年3月15日)ほか
- ^ NHK杯テレビ将棋トーナメントで対局者として出演したときの感想戦で発言。また、それから数年後、2009年度の竜王戦第2局で立会人を務めた際の前夜祭でも発言している竜王戦中継plus 2009年10月27日の記事。
- ^ 棋士がよみとく「夏の十二番勝負」 #3 勝又清和 文春オンライン 2021年9月12日
- ^ 1990年度NHK将棋講座8月号、編集記事より
- ^ 「将棋マガジン」(日本将棋連盟)1995年9月号
- ^ https://web.archive.org/web/20091212185344/http://www.spopre.com/shogi/070919/01.html
- ^ ニコニコ生放送第70期名人戦第5局1日目の大盤解説より
- ^ 郷田真隆棋王のプロレス - 将棋ペンクラブログ・2012年5月3日
- ^ 郷田九段、プロレスを語る - ニコニコ動画
- ^ 郷田新王将はプロレスファン 新日両国大会観戦で大喜び - スポーツニッポン・2015年4月6日
- ^ 郷田真隆棋聖(当時)「腕前は将棋の棋力でいうとアマ2級くらいです」 - 将棋ペンクラブログ・2015年1月12日
- ^ “将棋界最後の大物独身 郷田王将が結婚!大島優子似8歳下女性と”. スポニチアネックス. (2016年9月1日). オリジナルの2016年9月1日時点におけるアーカイブ。 2016年9月1日閲覧。
- ^ 『近代将棋(1999年7月号)』近代将棋社/国立国会図書館デジタルコレクション、166頁 。
- ^ 郷田真隆九段 600勝(将棋栄誉賞)を達成!(日本将棋連盟)
- ^ 郷田真隆王将、800勝(将棋栄誉敢闘賞)達成!(日本将棋連盟)
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