過去の鉄道に関する日本一の一覧
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列車・運行
最長距離特急列車(新幹線を除く)
- 昼行列車 ()は、列車が交代した理由。
- 夜行列車 距離は営業キロ。()は、列車が交代した理由。
- 1958年(昭和33年)10月1日 - 1960年(昭和35年)7月19日 「はやぶさ」 東京 - 鹿児島間 1496.8km(西鹿児島-鹿児島の区間運用廃止)
- 1960年(昭和35年)7月20日 - 1965年(昭和40年)9月30日 「はやぶさ」 東京 - 西鹿児島間 1493.6km(「富士」が西鹿児島まで区間延長されたため)
- 1965年(昭和40年)10月1日 - 1980年(昭和55年)9月30日 「富士」 東京 - 西鹿児島間 1574.2km(宮崎 - 西鹿児島の区間運用廃止)
- 1980年(昭和55年)10月1日 - 1989年(平成元年)12月1日「はやぶさ」 東京 - 西鹿児島間 1493.6km(「トワイライトエクスプレス」運行開始)
- 1989年(平成元年)12月2日 - 2015年(平成27年)3月12日「トワイライトエクスプレス」 大阪 - 札幌間 1508.5km(廃止)
- 2015年(平成27年)3月13日 - 2016年(平成28年)3月20日「北斗星」「カシオペア」 上野 - 札幌間 1214.7km(廃止)[注 1]
最長距離急行列車
- 1956年11月ダイヤ改正-1975年3月ダイヤ改正前 「高千穂」日豊本線経由東京 - 西鹿児島(現在の鹿児島中央)間 運行距離(営業キロ)1595.9km (1965年10月ダイヤ改正で特急「富士」が運行区間を日豊本線経由で同じく西鹿児島駅まで延長するまでは特急も含め単独最長)。
最長距離普通列車
- 1956年11月のダイヤ改正当時 東海道本線・山陽本線東京 - 門司間運行の111・112列車(東海道本線区間で夜行運転、運行区間の営業キロは1102.8km。「ムーンライトながら」の項目も参照)
- 日本海縦貫線では大阪 - 青森間には羽越線を夜行で走る511・512列車、北陸線と奥羽線で2夜行になる513・514列車が存在。
- 1961年10月のダイヤ改正後 511・512列車 日本海縦貫線大阪 - 青森間 運行距離(営業キロ)1055.6km
- 1968年10月のダイヤ改正後 421・422列車 東北本線奥羽本線経由上野 - 青森間 運行距離(営業キロ)756.8km
- 1971年10月のダイヤ改正後 228列車 東北本線常磐線経由青森発上野行き 運行距離(営業キロ)750.3km
- 1972年3月のダイヤ改正後 535列車 大阪発新潟行き 運行距離(営業キロ)600.7km
- 1972年10月のダイヤ改正後 824列車 門司発福知山行き 運行距離(営業キロ)595.1km
- 上越新幹線開業に伴うダイヤ改正直前の1982年10月における、国鉄の長距離運行普通列車上位5位は以下のとおりである。
- 2012年3月17日のダイヤ改正以前 山陽本線の1725M(岡山駅 → 下関駅運行 運行距離384.7km)が最長であったが同改正で廃止された。
- 2012年3月17日のダイヤ改正から2015年3月15日のダイヤ改正以前 山陽本線の371M(岡山駅 → 新山口駅運行 運行距離315.8km 2014年3月のダイヤ改正以前は広島駅からは3481Mとして運行していた)
- 2015年3月15日のダイヤ改正で371Mが徳山止まりとなったため、最長は滝川駅発釧路駅行き根室本線2429D(308.4km)となった。
- その後、2016年3月26日のダイヤ改正で岡山駅発下関駅行きが復活したが、2017年3月4日のダイヤ改正で岡山駅発が可部線緑井駅行きに、下関行きが糸崎駅発369Mにそれぞれ縮小。
- これにより時刻表上の最長列車は滝川駅発釧路駅行き2429Dとなったが、根室本線が平成28年台風第10号の影響で2018年現在も運休中のため、糸崎駅発下関駅行き369Mが2018年現在乗車できる最長の普通列車となった。
- 2019年のダイヤ改正(3月16日)で369Mが岩国止まりとなったため、最長は敦賀駅発米原駅経由播州赤穂駅行き新快速(北陸本線-東海道本線-山陽本線-赤穂線) (275.5km)となった。しかし敦賀発の4両編成は米原で8両編成の後ろに連結され、姫路で切り離され前の8両編成のみが播州赤穂へ向かうため全区間を走破する車両はない。
最高速度
新幹線を除く。基本的に狭軌(軌間1,067mm)路線が対象。
試験運転時
- 1954年12月15日 129km/h C62 17が東海道本線木曽川橋梁で記録(狭軌における蒸気機関車世界最高速度)[6]
- 1957年9月27日 145km/h 小田急3000形電車 (初代)第2編成が東海道本線三島 - 沼津間において記録(当時狭軌世界最高速度)[7][8]
- 1959年7月31日 163km/h こだま形(151系電車)による高速度運転試験で東海道本線島田 - 藤枝間で記録(同上)[9]
- 1960年11月21日 175km/h 架線試験車クモヤ93が島田 - 藤枝間で記録(同上)[10]
- 1985年11月26日 179.5km/h 国鉄381系電車が湖西線 安曇川-永原間で記録。
注釈
- ^ 「北斗星」は2015年8月22日までの運行。
出典
- ^ 西崎さいき『珍駅巡礼』イカロス出版、2010年、103頁。
- ^ 『ギネスブック'88』講談社、1988年、p.298
- ^ 鉄道ものしり王国(編) 2013, pp. 182–183.
- ^ a b c d e f g h i j 小島芳之「鉄道山岳トンネルの建設」(PDF)『Railway Research Review』第70巻第10号、鉄道総合技術研究所、2013年10月、28 - 31頁、2013年10月30日閲覧。
- ^ リニア・鉄道館 編『リニア・鉄道館 SCMAGLEV and Railway Park Official Guidebook』2011年、12-14頁。
- ^ 吉川文夫『小田急 車両と駅の60年』大正出版、1987年、87頁。0025-301310-4487。
- ^ 生方良雄、諸河久『小田急ロマンスカー物語』保育社、1994年、79頁。ISBN 4586180293。
- ^ 星晃『回想の旅客車』上、P.89。なおこの時の編成は、B3・B4編成から中間のサロを抜いた6両編成であった。『こだま高速度試験』 (JICC) として映像化もされている。
- ^ 『鉄道ピクトリアル』1989年8月号、P.13。川崎車輌の試作台車、OK-4形を使用。
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