近江商人 近江商人の概要

近江商人

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/19 13:55 UTC 版)

近江商人(初代細田善兵衛)の絵

概要

近江全域から万遍なく商人が生まれたわけではなく、商人が多く輩出した地域には偏りがあり、また地域によって活動時期・進出地域・取り扱い品目などに違いがある[2][3]

北陸道東山道東海道などの主要街道が通る近江では、街道沿いに定期市やが早くから発生し、中世より商業活動が活発であった。中世に活躍した商人集団には、九里半街道を通って若狭国方面へ行商に出かけた五箇商人(小幡[注釈 1]・八坂[注釈 2]・薩摩[注釈 3]・田中江[注釈 4]・高島南市[注釈 5]の5村)と、八風街道千種街道を通って伊勢国桑名へ行商した四本商人(小幡・保内[注釈 6]・沓掛[注釈 7]・石塔[注釈 8]の4村。鈴鹿山脈を越えて商いを行ったため「山越商人」とも呼ばれる)が挙げられる[7]。とりわけ得珍保延暦寺荘園)を拠点とした保内商人の活動が近江商人の前駆となっている。

江戸時代に入ると近江出身の商人は徐々に活動地域や事業を日本全国に拡大させ、中には朱印船貿易を行う者も現れた。鎖国成立後は、京都大坂江戸の三都へ進出して大名貸や醸造業を営む者や、蝦夷地で場所請負人となる者もあった。幕末から明治維新にかけての混乱で没落する商人もあったが、西川のように社会の近代化に適応して存続・発展した企業も少なくない。今日の大企業の中にも近江商人の系譜を引く会社は多い。

その商才を江戸っ子や同業者から妬まれ、伊勢商人とともに「近江泥棒伊勢乞食」と蔑まれたが、実際の近江商人は神仏への信仰が篤く、規律道徳や陰徳善事を重んずる者が多かった。様々な規律道徳や行動哲学が生み出され、各商家ごとに家訓として代々伝えられた。成功した近江商人が私財を神社仏閣寄進したり、地域の公共事業投資したりした逸話も数多く残されている。天保の大飢饉仙台藩の農地復旧に貢献した日野商人の中井新三郎は住民らからも慕われ、神社にまつられた[8]

一方で、蝦夷地でアイヌを漁業に酷使し、江戸幕府箱館奉行所に「非道がある」と改善を命じられた藤野家のような例もあった[9]

当時世界最高水準の複式簿記の考案(中井源左衛門・日野商人)[10]や、契約ホテルのはしりとも言える「大当番仲間」制度の創設(日野商人)、現在のチェーン店の考えに近い出店・枝店の積極的な開設など、近江商人の商法は徹底した合理化による流通革命だったと評価されている。

近江商人の思想・行動哲学

  • 三方よし
“三方”とは売り手・買い手・社会全体のこと。売り手の都合だけで商いをするのではなく、買い手が心の底から満足し、さらに商いを通じて地域社会の発展や福利の増進に貢献しなければならない。
三方良しの理念が確認できる最古の史料は、1754年に神崎郡石場寺村(現在の東近江市五個荘石馬寺町)の中村治兵衛が書き残した家訓であるとされる。これを伊藤忠商事創業者・伊藤忠兵衛 (初代)が広めたという[11]。ただし、「三方よし」は第二次世界大戦後の研究者が分かりやすく標語化したものであり、昭和以前に「三方よし」という用語は存在しなかった[12]
  • 始末してきばる
「始末」とは無駄にせず倹約することを表すが、単なるケチではなくたとえ高くつくものであっても本当に良いものであれば長く使い、長期的視点で物事を考えること。また「きばる」とは本気で取り組むこと。
  • 利真於勤
利益はその任務に懸命に努力した結果に対する「おこぼれ」に過ぎないという考え方であり、営利至上主義の諫め。
  • 陰徳善事
人知れず善い行いをすることを言い表したもの。自己顕示や見返りを期待せず人のために尽くすこと。

※近江商人の成り立ちに関し「(松尾)芭蕉の教導訓示によりて出来たもの」と言う勝海舟の談話が残されている。[13]


注釈

  1. ^ 現在の東近江市五個荘小幡町。
  2. ^ 現在の彦根市八坂町。
  3. ^ 現在の彦根市薩摩町。
  4. ^ 現在の近江八幡市田中江町。
  5. ^ 現在の高島市安曇川町田中。
  6. ^ 現在の東近江市今堀町周辺。
  7. ^ 現在の愛荘町沓掛。
  8. ^ 現在の東近江市石塔町。

出典

  1. ^ 『図解日本の「三大」なんでも事典』76頁77頁
  2. ^ 発祥の地、三方よし研究所、2016年7月9日閲覧。
  3. ^ 近江商人の特徴、東近江市近江商人博物館・中路融人記念館、2016年7月9日閲覧。
  4. ^ 八幡商人、近江商人ゆかりの町連絡会、2016年7月9日閲覧。
  5. ^ 日野商人、近江商人ゆかりの町連絡会、2016年7月9日閲覧。
  6. ^ 湖東商人、近江商人ゆかりの町連絡会、2016年7月9日閲覧。
  7. ^ 近江商人とは 近江商人のルーツ・小幡商人、東近江市近江商人博物館・中路融人記念館、2016年7月9日閲覧。
  8. ^ 館腰神社・弘誓寺”. www.city.natori.miyagi.jp. 名取市. 2022年4月30日閲覧。
  9. ^ 駒井正一:近江商人の功罪両面見て◇「三方よし」の裏でアイヌ民族酷使 先祖の足跡たどる◇日本経済新聞』朝刊2019年11月15日(文化面)2019年11月28日閲覧
  10. ^ 小倉栄一郎『江州中井家帳合の法』
  11. ^ 近江商人と三方よし 伊藤忠商事
  12. ^ 三方よし研究所 情報誌「三方よし」36号
  13. ^ 講談社学術文庫刊『氷川清話ISBN 4-06-159463-X
  14. ^ 歴史を紀行する(文春文庫) 2010/2/10 司馬遼太郎 (著)P59
  15. ^ 東近江市近江商人博物館”. e-omi-muse.com. 2023年2月18日閲覧。






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