輪島大士 エピソード

輪島大士

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/17 02:05 UTC 版)

エピソード

  • 子供の頃から自分の名前をサインで練習していた。このことから、輪島が本名に愛着を持っていて四股名を付けたくなかったとする資料もある[44]。横綱昇進時には「横綱の責任の重さはわかっているが、これまでのペースで気楽にいきます。親方と話合ったが改名は考えていません」[14]と話した。横綱昇進後も四股名を付けなかったのは本名と同じ市名の輪島市のPRの案件があったためとされる。
  • 日大相撲部に入学する時に上京してきて、ある食堂の会計をツケですませようとしたが断られたため、「石川県では有名人やお役人は、初めてでもツケが利くんですよ」と言いながら渋々金を払った。
  • 十両になった時に羽織のたたみ方が分からないので、同じ一門である佐渡ヶ嶽部屋の琴乃富士(輪島より4学年下で当時は幕下以下。のち前頭5枚目まで昇進)に「先輩。どうやってたたむのか、教えてくださいよ」と頼んだ。
  • 十両を4場所で通過したが、この時期には負け越したり、番付運の悪さに泣かされたりした。後者については1970年9月場所、西十両6枚目で13勝2敗・十両優勝を決めたにもかかわらず、翌場所東十両筆頭に据え置かれるという不運も経験した。十両の定員が28人となった1967年5月場所以降、十両で13勝を挙げた力士が翌場所も十両に据え置かれたケースは12回発生したが、同場所の輪島のケースは最も高い地位で「13勝据え置き」となった記録である。
  • 大関昇進伝達式では「謹んでお受け致します」と言ったところで口上を度忘れしてそれ以上言えなくなるというハプニングを引き起こしている[45]
  • 現役時代の私生活の派手さ、豪快さについては自ら「銀座は高速のサービスエリアみたいなもの」と表現している[46]
  • 1973年5月場所、大関時代の輪島は途中から縁起をかついで14日目までひげを剃らずに土俵へ上がった。この無精ひげについては場所後の横綱審議委員会で委員の一人、高橋義孝(ドイツ文学者、のち委員長)から「見苦しい、相手も不愉快だろう」と苦言を呈した[12][47]。後の2019年2月26日、日本相撲協会は力士規定によって力士のひげを禁止することを正式に通達している[48]。この横審では同じく委員の前田和三郎からも「人格上の問題はないか」との質問も出た[12]
  • 1973年11月場所、12日目の貴ノ花戦では手のひらを負傷(右手人差指中指間裂傷)したものの勝利した。しかし、この傷のため満足な相撲が取れず、13日目は北の富士に外掛けで敗れ、連勝が27でストップ。連勝途切れたこともあり休場し、14日目は不戦敗、15日目は休場[49]。優勝して登場した輪島は、インタビューで「私は今幸運に酔っている。幸運の女神様、来年もまた私のそばに来てください」ととんでもないコメントを残す。なお、大相撲の歴史上、休場したものの優勝した力士は他に1989年3月場所の千代の富士(14勝1不戦敗)だけであり、星取表に「休」を含む優勝者は、この時の輪島だけである。
    • この時について輪島は「千秋楽に病院で男子ゴルフの『ダンロップフェニックス』の放送を見ていたら、テロップでいきなり、〈輪島優勝〉と出て驚いたよ。看護師が“理事長から電話です”というから、てっきりタニマチのゴルフ場の理事長かと思って出たら、相撲協会の理事長だった。『これから大銀杏結って来てほしい』といわれて慌てて会場に向かったんだ」と冗談を言っている[46]
  • 現役時代を通してスタミナ面が課題であり、そのため1974年7月場所前には精を付けようと泥鰌を3匹一気飲みしたことがある[50]
  • 1974年7月場所前、稽古を終えた輪島は記者から質問をされた。同年5月場所前の靖国神社奉納相撲の時に北の湖が「輪島の力は落ちた。大受は大関からも落ちるぜ」と怪童らしくこだわりも遠慮もない言葉を口にしたが、これがある週刊誌に掲載され、それを見た輪島が怒っているのでは?という内容の質問であった。ところが輪島は「オレ、知らないよ。新聞も雑誌も読まないからな」と答えた。その一方で「だけど、北の湖だってもうじき糖尿病でガクッだぜ」と肩を落とす真似をして見せ、北の湖が放ったとされる言葉に対して反撃を加えた[50]
  • 現役時代に、横綱ながらも週刊ポストに「輪島の美女対談。」と称する対談コーナーを持ち、当時の人気アイドル達を招いて、かなりくだけたトークを繰り広げ話題になった[注釈 18]が、一方で「品が無さ過ぎる」というクレームもかなり来た[注釈 19]と言われ、同コーナーは打ち切られている。
  • 地方巡業の時、ホテルに泊まる時は、ベッドを使わず、畳を持ち込んで寝ていた。「腰のことを考えたら」という理由だった[51]
  • 同門の隆三杉(後に小結に昇進、17代常盤山)がまだ序二段だった頃、隆三杉が五木ひろしのファンであることを知った輪島は、「お前が十両になったら五木ひろしに会わせてやる」と隆三杉に言った。それから3年後、隆三杉が十両に昇進して勝ち越しを決めた時、輪島は約束通り、五木ひろしのディナーショーのチケットを隆三杉に与えた。隆三杉は憧れの五木ひろしに会えたことよりも、横綱でありながら下っ端の序二段だった自分との約束を忘れずに守ってくれた輪島の誠実さに感激したという[52]
  • 横綱時代の付け人だった三杉磯(7代峰崎)は、3代木村銀治郎の著書「大相撲と鉄道」中の対談で輪島について「いや、いい人なんだけどね、人に無関心だから」と話している。巡業のとき、通常は着流しと染め抜き、替えを二枚ほどと肌襦袢などで荷物をまとめるところを、分からないため持っているものを全部持っていきほとんど使わなかったという[53]
  • 安芸乃島(9代高田川)は「輪島さんは変わった人。他の部屋の親方は、新弟子なんか相手にしないけど、かわいがってくれた。反物をくれたりもした」「横綱なのに、いばりちらしたりしない。人間的にすごい。亡くなった親方(元貴ノ花)と相通じるものがあったのかもしれない」と輪島の人柄について語った[54]
  • 長男の輪島大地は2017年第99回全国高等学校野球選手権大会天理高等学校投手として、準々決勝の明豊高校戦でリリーフでの登板を果たした[55]
  • 後年、元大鳴戸親方の高鐵山孝之進が、大相撲の八百長問題を告発した際に、輪島の行った八百長行為についても告発したが、その際人間性について「とにかくデタラメな男」「金と女にだらしない」と酷評した。八百長についても「輪島は(普段の豪遊の影響もあって)金がないため、横綱、大関では一般的な、金銭による星の「買取」が出来ず、その場所で負けてもらった分を翌場所で自分が負ける事で返す「貸し借り」で八百長を行っていた。」と暴露している。しかし、輪島の実力自体は否定しておらず、星の貸し借りが出来たのも「前場所で借りた星をいくつか返しても、ガチンコで横綱を維持する最低ラインである10勝を挙げる自信があったからだ。」としており、自身の対戦経験からも「本当に強かった。」「14回しか優勝できなかったのが不思議」と評している。
  • 2019年7月に出版された「真・輪島伝 番外の人」(武田頼政著)では、元妻・五月の一人称で元妻側から見た輪島の姿が書かれている。五月は輪島との結婚を不安に思っていたが、父の花籠から「あいつだって髷を切れば変わるさ、決して悪いやつじゃないんだから」と説得されて結婚に至ったという[56]
    • 戦後は、巡業の勧進元として暴力団関係者が関わることもあった。師匠の11代花籠も山口組3代目組長の田岡一雄の助力を受けていたという。そのような過去の因習もあり、輪島と結婚前に共政会理事長の山田久のもとに挨拶に行ったと述懐されている[57]
    • 元妻は「輪島の金銭感覚や職業倫理は相撲社会の来し方とはまったく関係ありません。もちろん山田会長からの薫陶などでもありません」「生まれながら大きくズレていたようにしか思えない」とまで述べている。しかし11代花籠に可愛がられて育ち、両親が大変な苦労をして大きくしてきた部屋を中島家以外の者に継がせるのは嫌だろうと察していたという[58]。部屋を継ぐつもりで結婚したが、結婚指輪はレンタルで挙式・新婚旅行は後援会やテレビ局の経費で行われ、結婚費用で輪島が身銭を切ることは無かったという[59]
  • 事実上の破門と呼べる年寄株を巡る事件に関して、本人はパット・オコーナーが自身にプロレスの指導を施していた頃、記者に対して料亭の経営に困った妹を助けるためにやったので後悔していないと答えていた。プロレスのアメリカ遠征に行った際は、相手を心配させまいと現地での生活を楽しんでいることをアピールするために部屋の中でラジオを最大音量で流しながら国際電話で日本に向けて通話した。また、プロレス引退から数年後のある時、親友の貴ノ花に関するネガティブな情報を記者が聞き出そうとすると「よくわからないけど、貴ノ花はそんなことするやつじゃないよ」と、親友を守るために頭から頑なに否定した[60]
  • 同郷で大相撲・プロレス界で同僚だった天龍源一郎は後年、「ミーハーだけど憎めない人で、みんなに好かれていた」「とにかく頑強で、プロレスラーのえげつない攻撃にも根を上げることがなかった」と回想している[61]
  • 自身の死去の際に若者頭の花ノ国は引退後の話として「ビートたけしさんと島田洋七さんと一緒に飲んで朝5時に部屋に戻って、そのまま、芸人さんにまわしを着けさせて大笑いしていた」と親方時代も豪快だったと明かした[43]
  • 12代花籠時代、先代次女との関係が短期間で破綻して以降、現役時代と同様に部屋と隣接する日大相撲部の合宿所で生活していたという。

死去に際してのエピソード

  • 死去に際して、プライベートでも交流のあったデーモン閣下は「ここ1年くらいは『人に会いたがっていない』ということだった。闘病のためやつれた姿を見せたくないとのことだったので、吾輩も何かの誘いをしたりなどは遠慮していた。気にはしながら見舞状を出したりはした」と明かした[62][63]
  • 角界からは、第52代横綱・北の富士(12代九重、NHK専属解説者)[64]、第57代横綱・三重ノ海(14代武蔵川・相撲協会元理事長、相撲博物館館長)[65]、第61代横綱・北勝海(8代八角・理事長)[66]、第62代横綱・大乃国(12代芝田山・広報部長)[67]、現役力士では遠縁にあたる[68]師匠が輪島の日大相撲部の後輩である豊響[69][70]そして親交のあった白鵬の夫人[71][72][73]が弔問に訪れている。
  • 葬儀委員長は、子どもの頃から50年以上の付き合いがあり輪島の現役時代の後援会長であった加賀屋グループの小田禎彦会長が務めた[74][75]。この人物は角界から離れて以降も輪島を支え続けており、輪島の故郷七尾市に記念館の創設を計画しているとコメントしている[76]
  • 不祥事での退職に関わる師匠夫人の悲劇もあり、死去に際し相撲協会から正式のコメントは出なかった。しかし、共に現役時代を過ごしたり親交のあった元親方たちが取材に応じている。同時期に横綱を張り引退後も食事をする仲であった第57代横綱三重ノ海の石山五郎は相撲協会時代や不祥事があった当時のエピソードを交えたコメントをしており、その破天荒さを「番外の人」と評した[77][78]。輪島から7個の金星を獲得した元関脇高見山(12代東関)の渡辺大五郎は「輪島さんは体の大きい私が相手でも逃げない。まともに来るからやりやすかったのかもしれないね。北の湖、千代の富士、輪島……、戦った横綱がどんどん亡くなる。寂しいですよ」と亡き横綱を偲んだ[79]。第52代横綱北の富士は「下手から投げを打つ力士は大成しないと言われていたが、それを破った最初だろう」と評し、「気のいい男」「元気なうちにもういっぺん飲みたかった」と輪島の死を悼んでいる[80]

注釈

  1. ^ そのため、付き人はいるものの、普段の世話を行うことはなく、輪島自身も誰が付き人かを知らなかったという話がある。また、稽古場では、まわしを締めるのを隣接する大学の土俵で行ったほか、地方場所では宿舎ではなくホテルに宿泊していたという。
  2. ^ 後年『大相撲ジャーナル』2014年4月号118頁に寄せられた遠藤の四股名命名を巡る投書には「石川県出身力士は本名のままが好きならしく、輪島、出島は横綱、大関に昇進しても改名しなかった」と輪島の例も出されていた。
  3. ^ 関取昇進前に貴ノ花に食事を奢らせるといった通常極めて無礼と言える態度を取った輪島を貴ノ花は許した。学生時代の輪島と稽古場で対戦して敗れた経験から実力や将来性を評価したためであった。
  4. ^ なお北の湖は、「輪島は左だけでなく右からの攻めも非常に強く、それで左下手投げが決まっていた」と語っている(平成初期のビデオシリーズ「大相撲大全集 昭和の名力士 輪島・北の湖」より)。
  5. ^ 相撲はすり足が基本で「足の裏を地面から離す「走る」行為は基本に反する」という考えからか、ランニングはあまり好まれなかった。他方で琴風は左膝の大怪我に見舞われてから暫くランニングを取り入れたことがあり、記者にその意図を問われた際に自ら「ランニングはリハビリ」と答えたことがある。
  6. ^ 鍋に熱燗2本注いだ北の湖さん ぼそりと「下積みが…」 朝日新聞DIGITAL 2020年9月26日 11時00分 (文・抜井規泰、2021年4月2日閲覧)
    これは歴史上輪島に限ったことではなく、令和期には関取衆の中にも稽古を「練習」と呼ぶような角界の伝統に馴染まない者がいる。
  7. ^ 『相撲』2013年11月号、90頁。せり上がりの際の、「重たい岩をも支える腕の形」という羽黒山の頃まで保たれてきた本質が失われているとして、白鵬日馬富士の土俵入りが批判されている。
  8. ^ 後に貴闘力戦でタイ記録を樹立。
  9. ^ なお、輪島の足の裏は土踏まずが大きく切れ上がった形状をしているため、元来寄られると弱かった。稽古不足の時期にはスタミナが続かないことによりそれが顕著になった。
  10. ^ そのためか千代の富士には一番勝ちたい力士は輪島と名前を挙げられていた。
  11. ^ 1989年3月場所で優勝した千代の富士は14日目の大乃国戦で左肩を脱臼して翌日の千秋楽を休場しているが、不戦敗の扱い。
  12. ^ 2位は、白鵬-日馬富士の10回(平成24年5月場所〜平成25年11月場所)。この間の両者は白鵬4勝-6勝日馬富士。また相星決戦は2回(全勝同士=H24.7、1敗同士=H25.11)。優勝圏内での対戦1回(H24.9)。また、両者横綱同士に限ればこの両者の対戦は7回連続となり、朝青龍-白鵬と並ぶ。なお、輪島-北の湖による千秋楽結び対戦回数は22回あり、-貴乃花の27回に次いで、史上2位。
  13. ^ この止め鋏の際、二子山に付き添い、先代花籠の子息が先代の遺影を持って土俵に上がっている。
  14. ^ 現在(2019年5月時点)の相撲協会の規定でいうところの“退職”に相当
  15. ^ 「輪島は練習しない」というイメージが広がったきっかけは、1987年11月7日に行われた輪島対天龍源一郎の試合においてテレビ解説を務めていた馬場が、「輪島は最初はよかったが、だんだん稽古しなくなりましたね」とコメントしたことも大きい。しかし、件の試合では天龍に徹底的に攻められて戦闘不能に陥るほど、当時輪島の膝の怪我が悪化していた。
  16. ^ 池田雅雄は「相撲」の『質疑応答』で、輪島が事実上、破門されるような形で相撲協会を去った経緯からして、還暦土俵入りが行われることはないであろうという私見を述べていた。ただし、親方となった後に協会を退職した横綱経験者でも、太刀山1937年2月6日)・北の富士2002年2月23日)のように、還暦土俵入りを行った例は存在する。また土俵入りしなくても還暦記念に赤い綱を作製し受取る場合も有るが、輪島は公表されず不明である。
  17. ^ ベースボール・マガジン社刊 『相撲』 2014年11月号(九州場所展望号)37頁によると、高田川が下の名前の読みについて勘違いしていた上に確認を取っても輪島本人がその勘違いに気付かなかったという。
  18. ^ 北の湖も輪島に誘われる形で参加したことがある。
  19. ^ 北の湖は松本ちえこから女性体験を再三聞かれてしどろもどろだったと伝わっている。
  20. ^ 右手人差指中指間裂傷により14日目から途中休場
  21. ^ 北の湖と優勝決定戦
  22. ^ 腰椎及び左膝関節及び左足首関節捻挫・左坐骨神経痛により4日目から途中休場
  23. ^ 腰椎及び左膝関節及び左足首関節捻挫・左坐骨神経痛により3日目から途中休場
  24. ^ 旭國と優勝決定戦
  25. ^ 北の湖と優勝決定戦
  26. ^ 膝関節捻挫・右膝内側側副靱帯損傷により2日目から途中休場
  27. ^ 急性大腸炎により4日目から途中休場
  28. ^ 三重ノ海と優勝決定戦
  29. ^ 腰痛・左手首関節捻挫後遺症により3日目から途中休場
  30. ^ 頸椎捻挫により5日目から途中休場

出典

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    輪島大士プロレス転向記者会見 1986 Japan 実際の映像
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    元横綱輪島が死去 優勝14度、「輪湖時代」築く - 産経ニュース
    元横綱輪島大士さんが死去 70歳、「黄金の左」 - 日刊スポーツ
    大相撲の元横綱・輪島こと輪島大士氏が死去 70歳 輪湖時代を築く - スポニチアネックス
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  81. ^ 石井代蔵「修羅の男」、『大関にかなう』、文春文庫、1988年5月10日、86頁。
  82. ^ 輪島大士 - オリコンTV出演情報


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