足利銀行 足利銀行の概要

足利銀行

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2014/07/20 03:19 UTC 版)

株式会社足利銀行
The Ashikaga Bank, Ltd.
Ashikaga Bank Headquarters 2013-07-17.jpg
本店(2013年)
種類 株式会社
市場情報 非上場
本社所在地 日本の旗 日本
栃木県宇都宮市桜四丁目1番25号
設立 1895年(明治28年)9月25日
業種 銀行業
金融機関コード 0129
SWIFTコード ASIKJPJT
事業内容 預金業務、貸出業務、有価証券売買業務・投資業務、為替業務など
代表者 代表執行役頭取 松下正直
(平成26年6月26日就任)
資本金 1,350億円
(平成25年3月31日現在)
発行済株式総数 13億4,052万株
(平成25年3月31日現在)
純利益 単体:246億44百万円
(平成25年3月31日現在)
純資産 単体:2,439億93百万円
(平成25年3月31日現在)
総資産 単体:5兆3,686億84百万円
(平成25年3月31日現在)
決算期 3月31日
主要株主 足利ホールディングス 100%
主要子会社 足利信用保証株式会社
外部リンク 足利銀行
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足利銀行のデータ
店舗数 152
貸出金残高 3兆7,752億20百万
預金残高 4兆7,821億56百万
特記事項:
(平成25年3月31日現在)
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概要

栃木県と県内25市町の指定金融機関である[注 1]。本拠地の栃木県を含む北関東地域一帯に98の本支店と49の出張所があり、同銀行の貸出金シェアは栃木県内で約5割、中小企業向けでは約8割に達する"ガリバー銀行"である。栃木県に次ぐ拠点数の埼玉県内については北部(秩父鉄道線沿線)と南部(中山道日光街道沿い)に集中して出店している。

バブル経済期に北海道拓殖銀行などと同じく地場でのリゾート開発や、本拠地外である東京での法人融資を拡大し、不良債権が増加。拓銀・山一長銀など大手金融機関の破綻が相次いだ1998年(平成10年)前後の金融不況は乗り越えたものの、その後の金融再生プログラムにおいて繰延税金資産の資産計上監査を厳密化した結果、債務超過であることが判明[1]。同年11月に特別危機管理銀行に指定され事実上の経営破綻となる。2002年には定期預金ペイオフが解除されているが、金融システムへの影響を懸念して預金保険機構が全株式を強制取得し一時国有化となり、定期預金ペイオフは回避された。

産業再生機構と連携した企業再生支援などによる不良債権処理の進捗や、栃木県内の一部の支店をリテール業務に特化した出張所への格下げ転換などによる経営のスリム化を進め、2008年(平成20年)7月に、預金保険機構が足利ホールディングスへ売却し、一時国有化が解消され、破綻処理は完了した。

歴史

初代本店

逃げの足銀

1895年(明治28年)9月25日、24歳の荻野万太郎が初代頭取として、当時の足利町(現足利市)の繊維業者を中心に創設された。以後、両毛地区を基盤に発展する。

当時より地元密着・堅実経営で知られ、地元の繊維産業に対する融資は手形割引を中心とする短期貸出により行われた。また融資に際しては、不動産担保は忌避され、担保物権の現金化が迅速に行える棚卸資産担保が好まれた。不渡手形が生じた貸出先があると、行員が昼夜交代で会社の前に張り込み、棚卸資産を手に入れようとする他の債権者を追い払い、素早く処分したため、他行からは「逃げの足銀」「石橋をたたいても渡らない」と言われた。

川崎銀行三菱銀行の前身)から派遣された亀山甚が実質的に経営の指揮をとり地方銀行としては最初に1914年(大正3年)5月には東京支店を開設して情報収集機能を強化した。また、東京川崎財閥との提携では大不況の到来を察知し、1920年(大正9年)、融資額の実に3分の1を回収し、その後の昭和金融恐慌による貸倒被害を最少限に抑えた。

1944年(昭和19年)までの戦時統合にて、県内6行を合併・12行を営業譲受し、一県一行となる現在の足銀が発足した。これ以降、歴代頭取は日本銀行出身の遠田淳・藤松正憲・関根太郎、日本興業銀行出身の岡一雄と、4代続けて東京財界出身者によって占められたが、彼らは、東京にて昭和金融恐慌を直接経験した世代であり、漫然たる融資を常に諌め足銀伝統の「地元密着・堅実経営」の姿勢を崩さなかった。1967年(昭和42年)、本店を県都・宇都宮市に移転し、現在に至る。

生抜き頭取

しかし、プロパー行員からは"生抜き頭取"を望む声はかねてから強く、そんな中で衆目を集めていたのが向江久夫であった[2]

向江は、もともと鹿児島県出身、陸軍幼年学校から陸軍士官学校卒で終戦時には陸軍大尉。後に東京大学法学部に入学し在学中に高等文官試験司法科に合格したが、終戦時に陸軍将校であったため公職追放により法曹界には入れなかった。1947年(昭和22年)、27歳の時に日銀理事の紹介で足銀に入行し、陸軍士官・東大卒・司法試験合格という華麗なる経歴は、1948年(昭和23年)に全国銀行協会懸賞論文で一位入選したことで、「足銀に向江あり」と全国に知れ渡り、将来の頭取候補と言わしめられるようになる。

その後、入行10年目の37歳で大阪支店長、39歳で東京支店長、1965年(昭和40年)には43歳の若さで取締役に就任(ちなみに、自宅は東京都内に構え役員就任以後は本店のある宇都宮に単身赴任をしていた)、1978年(昭和53年)には満を持して、初の生抜き頭取(当時の呼称は社長、その3年後に頭取へ変更)に就任し、1997年(平成9年)に会長を退くまで19年に渡りワンマン経営者として足銀に君臨する。

1970年代に北朝鮮に対するコルレスバンクとなり、同国と日本の銀行間での海外送金業務を取り扱いを開始。

バブル経済

バブル経済に差し掛かると向江頭取の号令により、当時の足銀は行内で「鶴翼作戦」(の胴体が栃木、頭は仙台・郡山、右翼が茨城、左翼は群馬・埼玉、そして尾は、東京・名古屋・大阪を指したという)と呼ばれる融資拡大路線を展開する。後に、"融資効率化"と称して審査部門と新規営業部門を統合する本部機構改革を行い、野放図な融資姿勢を鮮明にする。

1975年(昭和50年)に93ヶ店だった店舗数は、20年後には212ヶ店と2倍以上に増加し、1985年(昭和60年)に2兆3000億円だった貸出金は1995年(平成7年)には4兆8000億円となった。当時の中曽根民活によるリゾート法の追い風もうけ、建設業不動産業から鬼怒川温泉那須ゴルフ場といった地元観光業、パチンコ店飲食店などに過剰融資を行った。地元で賄い切れない融資額は埼玉・東京に流れ、一時、東京支店の貸出残高が本店営業部を抜き、都内支店(東京・渋谷・日本橋・新宿新都心・赤羽)の貸出金総額は1兆円を超えた。つまり、地銀でありながら地元の北関東で集めた資金を東京他県外で運用していたことになる。さらに、足銀本体以外にも系列ノンバンクである北関東リース(宇都宮)・足銀ファクター(宇都宮)・足銀リース伊勢崎市)・あしぎん抵当証券大宮市)を通じて過剰な不動産融資を積極的に行った。当時、これに疑問を呈する向きは少なく、逆に「地銀の雄」「地銀の住友銀行」などと賞賛された。1989年(平成元年)7月、向江は全国地方銀行協会副会長に就任、翌年には足銀の預金順位は地銀第5位となり栄華を極めていた。

不正融資

後の経営破綻後、銀行に損害を与えた不正融資として預金保険法116条1項に基づき、当時の経営陣に対して損害賠償訴訟が起こされたものとして次の2案件がある。

  • 埼玉県荒川村(現:秩父市)の荒川観光開発株式会社。1988年に地元の土木業らが設立し会員制ゴルフ場を建設していたが、バブル崩壊によりゴルフ会員権販売による土地取得費の回収すら困難な状況となった。しかし、1993年12月に当時の専務2名が十分な担保を取らずに建設資金92億円の追加融資を決定した(融資総額119億円)。1998年11月に会員権700万円の「秩父キングダムカントリークラブ」として開業したが不良債権化した[3]
  • 煉瓦窯旧下野煉化製造会社煉瓦窯が重要文化財に指定されている1888年創業の株式会社シモレン(野木町)。生コンなど建築材料の製造・販売を本業としていたが、1992年前後に当時の社長が乗馬クラブ事業へ進出を決定。足銀は採算性や資力を考慮せず過剰融資(約100億円)を行い、1994年に入会金1千万円の「ロイヤルホースライディングクラブ[4]」として開業した。
シモレンは乗馬クラブ開業による赤字を隠蔽するために粉飾するようになり、1999年に同社は足銀に謝罪。これを受け、足銀は他の取引金融機関に対しては粉飾を秘匿とし、同社に約100億円の融資枠を設定した。後に、2000年9月に秘匿のまま他の金融機関に同社の手形を引受けさせて融資額を減少させるよう中央青山監査法人の担当会計士が融資第2部長らに助言し、足銀の2001年3月期決算でシモレンの不良債権を隠蔽しつつ中央青山は監査の適正意見を表明していた事が2005年10月28日になって報道されている[5]

これらは2004年に掲載した読売新聞東京本社栃木県版での特集記事に詳しく記されている(出典[6][7])。

経営危機と地元の支援

バブル崩壊後に無理な拡大路線が災いし不良債権が増加。1994年3月期決算では、破綻先債権額は632億円にも上った。こうした経営不安から1997年(平成9年)秋には取り付け騒ぎが発生、親密であった東京三菱銀行(現・三菱東京UFJ銀行)から1,000億円にのぼる資金調達やリストラ策公表、地元取引先の支援などで沈静化するまでに同年9月末の総預金は5兆3,740億円は、1年後には5兆856億円に急減し3,000億円近くもの預金が流出した。

  • 1999年(平成11年)から2000年(平成12年)にかけ計3回にわたり総額1350億円の公的資金投入を受け、同年11月には自己資本の増強をめざし6000万株の優先株(1株額面500円、計300億円)を発行。
  • 2001年(平成13年) 不良債権処理を進め2003年(平成15年)3月期決算にV字回復を目標とする経営改善計画「あしぎん改善計画 プロジェクトA」を発表。
  • 同年8月に地元財界人を中心に行内に経営諮問委員会を設置したが、景気低迷もあって健全化計画は思うように進まなかった。2002年(平成14年)3月期決算予想は1101億円の大幅純損失となり[8]、優先株も無配とした(同期に北陸銀行岐阜銀行も追従し、整理回収機構を通じて金融庁の議決権行使を受けている)。
  • 2002年(平成14年)1月に約300億円の普通株増資を行った(1株114円)。なお、一連の増資で栃木県および県内12市が総額10億2000万円の株を公的資金で引き受けた。

2000年(平成12年)12月に親密融資先の上野百貨店(負債総額164億円)が会社更生法を申請。2001年(平成13年)10月には不正融資の舞台となったシモレンが民事再生法を申請し(足銀の不良債権額約130億円、翌年破産宣告)倒産した。

2002年(平成14年)に『北朝鮮による日本人拉致疑惑』がマスコミで取り上げられるようになると、同年4月に北朝鮮向けコルレス業務を取扱が少ない事を理由に打ち切った。同年9月の日朝首脳会談以降、日本と北朝鮮を繋ぐ手段として万景峰号と並ぶ形でコルレス業務がクローズアップされるようになったが、マスコミが取り上げたタイミングでは前出の通り既に取りやめていた。

2003年(平成15年)3月には子会社・北関東リースとの株式移転金融持株会社あしぎんフィナンシャルグループ」を設立し、同社の完全子会社となったが[9]、これは同3月期に単体で赤字だった同銀行の優先株復配を果たす目的なのが明白であり、多くの批判を受けた。

経営破綻

2003年(平成15年)3月期決算に関して、金融庁の立ち入り検査が同年9月2日から11月11日までの長期間行われた。10月には夕刊フジが“政府が国有化検討している危ない地銀”として数回報道[10]するもゴシップの域を出なかったが、11月12日にウォール・ストリート・ジャーナルが“日本政府が足利銀行に公的資金注入を検討している”旨のスクープを報道[11]した(足銀側と政府首脳の竹中平蔵小泉純一郎はいずれも否定)。日本の夕刊紙・週刊誌も14日以降相次いで危ない地銀として経営破綻の虞を名指しで報じるようになった[12]。11月17日にムーディーズが政府の支援を受ける方向に入った足銀の預金格付けの引き上げを検討と報じられると、11月19日にあしぎんFG株価は100円を突破するなど乱高下するようになる[13]。11月22日、同月25日予定としていた2003年9月期中間決算発表を“金融庁検査が延びた”事を理由に延期することを発表[14]、この時点で破綻は現実味を帯びるようになった。

11月27日、金融庁が検査結果を通知し、繰延税金資産計上が過大であるとして2003年3月期時点で債務超過であると認定(この時点では非公表)。会計監査を担当する中央青山監査法人(後のみすず監査法人)と協議するも、2003年9月期の中間決算において繰延税金資産を計上しないよう通告[1]した。これを受け、翌11月28日午前には日経新聞朝刊・ロイターが『政府、足利銀行へ公的資金投入へ 処理方式は現段階では未定』などとスクープ記事を配信し、東証はあしぎんFG株を売買停止としたが、あしぎんFG側は憶測に基づく記事として否定し、同日13時30分から売買再開となった。しかし、同日の夕刊には『足利銀行に公的資金 政府、最終調整 金融庁検査で3月期債務超過[15]』などと一面記事になり、NHKニュースでも同日午後には『足利銀行への公的資金投入問題 栃木県知事 県民も冷静な対応を』と報じた。

そして11月29日(土曜日)早朝、金融庁の検査結果が2003年3月期決算時点で債務超過であったことが公となり、自主経営を断念せざるを得ない状態となった旨がニュース番組や新聞各紙の朝刊で報じられる。一部の行員は朝に職場へ召集させられ、預金保険法102条第1項の3号措置を受ける事を通告させられたという。その後、本店での取締役会で足銀ならびにあしぎんFGの9月期中間決算を承認。21時から小泉純一郎内閣総理大臣を議長とする金融危機対応会議首相官邸で開催され、2001年(平成13年)に制定された預金保険法102条第1項の3号措置による一時国有化特別危機管理)が決定された。これに伴い、足利銀行および上場親会社のあしぎんフィナンシャルグループ会社更生法東京地裁へ申請し、名実ともに経営破綻した。同日23時に本店で記者会見を開き、日向野善明頭取ら経営陣が総辞職した。

3号措置および特別危機管理銀行の発動は初で、全国地方銀行協会加盟の(第1)地方銀行の破綻も現状唯一である(2011年時点)。

栃木県財界および森山眞弓ら地元選出国会議員は、預金保険法102条第1項の1号措置(いわゆる「りそな銀行方式」、預金保険機構の増資による資金注入でそのまま存続できる)を要請していた[16]。しかし、りそな銀行の場合は自己資本比率の極端な低下という財務状況であったが[16]、当行は金融庁検査の段階で債務超過自己資本比率がマイナス)が認められていた為、破綻処理とそれによる株主責任を選ばざるを得なくなった(政府には株主を救済せよという声が寄せられた)[16]。足利銀行単体の2003年(平成15年)3月期決算の自己資本比率は(粉飾による見かけ上)4.54%だったが、特別危機管理決定後の金融庁の検査で、233億円の債務超過と認定された。

(出典:「シリーズ検証 足銀破たん」読売新聞東京本社栃木版)

同年12月に預金保険機構の指名により横浜銀行出身の池田憲人が頭取に就任[16][17]。また、預金保険機構が完全親会社のあしぎんFGから当行全株式を強制的に取得し、足銀とあしぎんFGは資本上無関係となった。

破綻後

預金は全額保護で引出請求も従前通り行われるため、ATM休日稼働日の11月30日(日曜日)および最初の窓口営業日となる12月1日以降、目立った取り付け騒ぎは発生しなかった。しかしながら破綻により、法人自営業者向けを中心とした不良債権の一部を整理回収機構が取得(債権譲渡)し、新規融資が停止された上で同機構から融資先へ強引な債権回収が行われる等、北海道拓殖銀行の事例と同じく本拠地の地域経済への影響が見られた。特にバブル期の過剰融資で改築・開業し、営業不振となっていた日光那須などの旅館・ホテル業では影響が深刻であり、産業再生機構の再生支援案件以外は殆どが倒産に追いやられ、競売により他者が不動産を獲得するパターンが続出した。ゴルフ場においても1980年代のバブル期前後に開業した施設は預託金返還時期到来と重なった事で、他社への売却による清算や倒産による経営断念が見られた。

また、当行をメインバンクとする11企業が産業再生機構へ再生支援を申請しているが、当該企業と連名で支援を申請した金融機関は当行が最多である。主な支援入り案件はホテル四季彩(日光)やあさやホテル、金谷ホテル観光(鬼怒川温泉ホテル・名古屋金谷ホテル[18]等)、関東自動車、栃木皮革が挙げられる[19][20]

経営責任

2005年(平成17年)2月に足利銀行(池田頭取)は、貸倒引当金の過小引当てや繰延税金資産の水増しなど不正会計、荒川観光開発とシモレンに対する不正融資、2001年3月期決算における優先株の違法配当により銀行に損害を与えたとして預金保険法116条に基づき、向江久夫・元会長ら歴代頭取3名を含む元役員13人を相手取り総額46億円の損害賠償請求を宇都宮地方裁判所に3件提訴した。

2007年(平成19年)9月および2008年(平成20年)3月、柳田美夫元頭取ら元役員9人とは個人資産のうち当面の生活資金としての100万円分以外を処分し賠償に充てることで一部和解が成立(処分財産の無い1名に対しては自己破産申請により免責)。和解調書には"重大な任務懈怠があった"として経営責任を認める文言が明記された。

荒川観光開発への追加融資では賠償請求権を譲受した整理回収機構が足銀に損害を与えたとして、実行役の元専務2名に対して損害賠償訴訟を提起し、2010年(平成23年)3月に宇都宮地裁が整理回収機構へ18億円の支払いを命じる判決[21]を下した。被告人は上訴するも同年12月の二審東京高裁で棄却され賠償が確定した[22]。本件に対しては向江の監督責任も問われ、2009年3月に遺族が責任を一部認め、7000万円の賠償を整理回収機構に支払うことで和解している。

経営陣に対する刑事事件としての立件も検討されたが、経営陣が違法配当を部下に意図的に指示した証拠が得られず、また当時は業界内で繰延税金資産の計上に関する指針が明確でなかったとする専門家の意見があったため、刑事事件として立件されなかった。

粉飾決算を見過ごしたとして中央青山監査法人と担当会計士に対しても損害賠償請求を提訴していたが、2007年7月、足銀側が2億6500万円の和解金を受け取ることで和解が成立した[23]

一時国有化離脱へ

2006年(平成18年)11月2日、金融庁は受け皿(スポンサー)に求める基本的な条件を提示し、受け皿候補の公募を宣言した。 その後2段階の審査を経て、翌年9月21日に同庁は受皿の最終審査に入ることを発表、同年11月22日までに受皿候補より同行の企業価値評価を含む譲受条件等の提出を受けた。

二次選考を通過したスポンサー候補は次の通り

このうち野村連合と地銀連合が出資額などで一騎打ちとなり、それ以外は資力や経済界の反発で落選となった。当初は地銀連合が有力視されていたが、2008年(平成20年)3月14日、金融庁は足利銀行を野村グループ連合が設立する足利ホールディングスへの売却を内定した[24][25]。株式譲渡額は1200億円。

一般的に破綻した銀行がスポンサーを得て再建する場合、新たに設立した銀行へ譲渡するか承継銀行に吸収されることにより銀行名が事実上改称されるのが通例であるが(北海道拓殖銀行わかしお銀行東京スター銀行等)、当行のケースでは新生銀行あおぞら銀行などと同じく創業時の法人格のまま親会社が異動するのみとなり、商号については足利ホールディングス側の意向で地域におけるネームバリュー等を考慮し、現行名を維持する方向となった。

2008年(平成20年)7月1日、当行の株式を足利ホールディングスが取得したことで傘下に入り、特別危機管理体制から解放された[26][27]。  




  1. ^ 真岡市常陽銀行と2年毎の輪番制、高根沢町栃木銀行を指定。
  2. ^ あしぎんポイントサービス100ポイント以上のみ月5回無料。
  3. ^ 既存会員向けにはあしぎんカードが引き続きサポート業務を行っている。
  4. ^ 2002年(平成14年)1月に過去のCM出演者の捜索をテーマとした、日本テレビ改編期特番でも取り上げられている。

出典

  1. ^ a b 竹中平蔵 2006, p. 129.
  2. ^ 47NEWS 向江久夫氏死去 元足利銀行頭取」『共同通信』 2006年11月18日
  3. ^ 2005年に会員が株式会社秩父の杜カントリークラブを設立し、法的整理を行わず荒川観光開発から施設を取得することに成功し営業継続中。
  4. ^ シモレンの経営悪化により2000年に閉鎖。2006年に古河市のプラスチック製造加工業・北進産業により「渡良瀬北斗乗馬倶楽部」として再開業するも2012年10月に再び閉鎖され、同年12月から「クレイン栃木」として営業中。
  5. ^ 「中央青山会計士が足利銀に助言」朝日新聞東京本社 2005年10月28日
  6. ^ 検証 足銀破たん 第2部「向江時代」
  7. ^ 検証 足銀破たん 第3部「不透明な融資」
  8. ^ 足利銀行「経営健全化計画」の履行状況に関する報告書(平成13年12月)” (日本語). 2013年8月12日閲覧。
  9. ^ 47NEWS足利銀が持ち株会社設立 優先株の配当原資確保へ」『共同通信』 2002年2月9日
  10. ^ 「関東の某有名地銀、金融庁が国有化準備首相、総選挙にも決断? 債務超過なら破綻処理」夕刊フジ 2003年10月21日
  11. ^ 「あしぎんFGへの公的資金注入を検討中=米AWSJ紙」 時事通信 2003年11月13日
  12. ^ 足利銀行から始まる地銀大整理!週刊現代 2003年11月
  13. ^ 「あしぎんが100円回復 ムーディーズの格上げ検討が刺激に」株式新聞 2003年11月19日
  14. ^ 「あしぎんに検査結果を通知 監査法人と決算を協議へ」共同通信 2003年11月22日
  15. ^ 読売新聞東京本社 2003年11月28日夕刊
  16. ^ a b c d 竹中平蔵 2006, pp. 131-132.
  17. ^ a b 47NEWS 足利銀新頭取に池田氏 横浜銀の元最高人事責任者」『共同通信』 2003年12月16日
  18. ^ 2006年に売却され、三井アーバンホテル名古屋を経て、2013年からホテルマイステイズ名古屋栄となっている。
  19. ^ 47NEWS 日光のホテル四季彩支援 産業再生機構」『共同通信』2004年6月4日  
  20. ^ 47NEWS 関東自動車の支援を決定 機構、足銀取引先で3件目」『共同通信』 2004年11月26日
  21. ^ 足利銀訴訟で18億円賠償命令 元専務2人に宇都宮地裁 47NEWS下野新聞) 2010年3月18日
  22. ^ 足利銀元専務ら二審も賠償命令 ゴルフ場開発融資 47NEWS(下野新聞) 2010年12月1日
  23. ^ 民事提訴事件の一部和解について”. 足利銀行 (2007年7月2日). 2011年11月10日閲覧。
  24. ^ 足利銀行受け皿に野村陣営、再上場に向けた課題」『東洋経済オンライン』 2008年3月24日
  25. ^ 足利銀行の受け皿決定が半年以上遅れた“真相” 」『週刊ダイヤモンド』  2008年3月24日
  26. ^ a b 47NEWS 新生足利銀がスタートへ 国有化終了、野村傘下で」『共同通信』 2008年7月1日
  27. ^ a b 特別危機管理の終了ならびに役員の異動および増資の完了について (PDF) 株式会社足利銀行 平成20年7月1日
  28. ^ a b 新システムの稼働開始について (PDF) 株式会社足利銀行 平成23年7月19日
  29. ^ セブン銀行ATM・イーネットATMサービス変更のお知らせ
  30. ^ あしぎんATM営業時間延長のお知らせ
  31. ^ ITpro 足利銀がNTTデータの地銀共同センターに参加へ、IBMからリプレース」『日経コンピュータ』 2008年4月4日


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