越前国
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/08/23 00:45 UTC 版)
国内の施設
国府
国府は現在の越前市にあったとされる。遺構は見つかっておらず、未だ確定には至っていない。越前市役所(越前市府中)付近では平安時代初期の柱穴や「国寺」等の墨書銘土器が見つかっており、同地が国府跡となる可能性が指摘されている[5]。
国分寺・国分尼寺
- 越前国分寺跡
- 創建時の遺構は所在未詳。護国山国分寺(越前市京町、北緯35度54分13.97秒 東経136度9分52.34秒 / 北緯35.9038806度 東経136.1645389度)が法燈を伝承する。
尼寺跡も未詳。
神社
- 総社:総社大神宮 (越前市京町、北緯35度54分11.94秒 東経136度9分54.39秒 / 北緯35.9033167度 東経136.1651083度)
- 一宮:氣比神宮 (敦賀市曙町、北緯35度39分17.85秒 東経136度4分28.92秒 / 北緯35.6549583度 東経136.0747000度)
なお、二宮を劔神社(丹生郡越前町織田、北緯35度57分28.19秒 東経136度3分19.44秒 / 北緯35.9578306度 東経136.0554000度)とする説があるが、中世史料はなく不詳[7]。三宮以下は未詳。
注釈
出典
- ^ a b “江戸時代に越前国、若狭国だった地域で、現在は福井県ではないところはどこか。”. レファレンス協同データベース. 国立国会図書館 (2007年11月13日). 2022年11月1日閲覧。
- ^ 橘礼吉「白山麓の越境出作り一文書に見る白峰村白峰の事例-」『石川県白山自然保護センター研究報告』第24巻、石川県白山自然保護センター、1997年、44頁。
- ^ <距離的にはまずまず近いが、冬場は峻厳な木の芽峠が雪で閉ざされる。しかし、敦賀平野のみはこの域外、近畿側にあるという複雑な国情となっている。
- ^ いにしえの歴史と文化が息づく・・・ 自然に恵まれたまち、越前市
- ^ "越前国の中心「国府」解明か 越前市第2庁舎跡に平安の柱穴"(中日新聞、2016年3月1日記事)。
- ^ 『中世諸国一宮制の基礎的研究』(岩田書院、2000年)pp. 332-334。
- ^ 『中世諸国一宮制の基礎的研究』(岩田書院、2000年)p. 334。
- ^ “金持ち県第1位は商才に長ける「福井県」”. SANKEI BIZ (2017年8月6日). 2019年1月11日閲覧。
- 越前国のページへのリンク