豊饒の海 謎

豊饒の海

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/09 06:12 UTC 版)

『豊饒の海』は、多様な解釈を誘うような細部の仄めかしがあったり、をつく人物がいたり、物語自体が本多の認識にすぎなかった、あるいは、転生者が贋物ではないか、など様々な読み方が可能で、謎に満ちている作品である[3][63]

例えば、勲の母・みねが息子の顔を見て、〈飯沼と似てゐるやうでもあり、似てゐないやうでもある〉と思う場面など、勲の実父が松枝侯爵でもある可能性が仄めかされ、ジン・ジャンの死亡日が明確でなく確認できないこと、また、安永透は天人の死を意味する〈天人五衰〉となっていくため、本物の可能性もあると佐藤秀明は解説している[3]

作中では、安永透は贋者だと久松慶子(本多の友人)が断定しているが、村松剛によると、作者の三島は、透が贋者か本物かは分かりにくく不明にしているとテレビで述べていたという[72][25]。また村松剛は、透が作中(第13章と第5章)で〈光明があり、閃光が走つた〉記憶(『奔馬』で勲の瞼の裏に昇った〈日輪〉)と、自分がそこから来たと確信する〈薔薇いろに花ひらいた幻の国土〉(『暁の寺』のタイ)という2度の過去世を見ていることと、第24章の透の手記で、ある雪の日に窓から外を眺めている中で、老人が落したの屍骸が〈女ののやうにも思はれ出した〉と書いてある描写に触れ、この光景は『春の雪』で剃られた、聡子の髪の幻(前世の記憶)を見たということだと解読している[72][25]。鴉の屍骸のようなものを落すこの老人は、話の筋と無関係に唐突に出てくるが、この黒いベレー帽の老人が、本多が公園で覗きをする箇所でも出てくることが指摘されている[73]

作中において、この黒いベレー帽の老人が誰で何を意味しているのかは不明であるが、柏倉浩造は、この人物は未来の三島本人であると憶測し、ヒッチコックのように登場させていると解釈している[73][注釈 10]。また柏倉は、本多の瞼から飛翔した三羽の黒い鳥や、三つの黒いほくろ、鬘のような黒い鴉の死骸、清顕や勲が猟銃で鳥を撃つ場面や、今西と椿原夫人が〈黒いレエスのブラジャー〉を拾って捨てる場面などを関連させて意味を考察している[73]


注釈

  1. ^ 今日では「豊かの海」と訳されることが多いが、三島がこの題を付した当時は「豊饒の海」と訳されていた[1]
  2. ^ 浜松中納言物語』は、美しい中納言が許されぬ悲恋に嘆いた末、亡父がの第三王子に生まれ変わっているとの夢を見て船出してゆくという〈夢と転生〉の王朝文学である[10]。その主題は、〈もし夢が現実に先行するものならば、われわれが現実と呼ぶもののはうが不確定であり、恒久不変の現実といふものが存在しないならば、転生のはうが自然である〉という考えが貫かれている[11]
  3. ^ この最後の〈バルタザールの死〉というのは、正確には「バルダサール」で、プルーストの短編『バルダサール・シルヴァンドの死』の主人公のことである。プルーストは、インドに向かう船を窓越しに眺めながら、村の鐘の音に過去の記憶を思い出し幸福な臨終を迎えるバルダサールを描いている[17]
  4. ^ 手紙の続きは、以下のように綴られている。〈それはさうと、昨今の政治状勢は、小生がもし二十五歳であつて、政治的関心があつたら、気が狂ふだらう、と思はれます。偽善、欺瞞の甚だしきもの。そしてこの見かけの平和の裡に、症状は着々と進行し、失つたら二度と取り返しのつかぬ「日本」は、無視され軽んぜられ、蹂躙され、一日一日影が薄くなつてゆきます。戦後の「日本」が、小生には、可哀想な若い未亡人のやうに思はれてゐました。良人といふ権威に去られ、よるべなく身をひそめて生きてゐる未亡人のやうに。〉[28]
  5. ^ 小島千加子によれば、三島は今西康のことを、「あれは誰が見たって澁澤龍彦だってことが分っちゃうだろ。だから、わざと背を高く、たかーくしてあるんだよ」と言ったとされる[37]
  6. ^ 三島は、取材や想が熟さないところは後回しにして、書けるところから書く方法を取り、8月24日頃に最終回部分(第26-30章)を概ね書き上げ、原稿のコピーを新潮社の出版部長・新田敞に渡している[2][29]。また8月11日に下田東急ホテルに滞在中の三島を訪ねてきたドナルド・キーンに終結部の原稿を示したが、キーンは遠慮して読まなかったという[38]
  7. ^ 三島があえて〈十九年前〉と登場人物に言わせ、作品発表から遡った昭和天皇人間宣言の年を暗示させているともとれる箇所がある[66]
  8. ^ 三島は『文化防衛論』で、「日本文化は、本来オリジナルとコピーの弁別を持たぬ」と論じている[65]
  9. ^ 三島は『春の雪』執筆中の1966年(昭和41年)10月時点、「僕は人間がどうやって神になるかという小説を書こうと思っています。藤原定家のことです」と林房雄との対談で語っているため[14]
  10. ^ 時代設定は1974年(昭和49年)時点であるので、この60代の老人と、生きていればその時点で49歳の三島とは年齢的には符合はしていない。
  11. ^ その際、夫人との会話で日本のことが話題となり、日本のエネルギーは西洋のテクノロジーと東洋の伝統とが衝突し合って生れているのではないか、と夫妻で考えた。ヨーロッパはロマンチックの世界で過去の歴史が色濃く残り時代遅れの観があり、一方、アメリカは魂不在で体温の感じられないテクノロジーの国で、インドは優れた精神文化を重んじつつも、飢餓に苦しんでいる、とコッポラは考察し、それらの国々と比して、日本が唯一、「物質文化と精神文化」「陰と陽」「右脳と左脳」「たくましさとしなやかさ(男性度と女性度)」を兼ね備えて共存し合っている国だと語っている[75][76]。そして次回作を日本で撮ることを計画した[75][76]

出典

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  9. ^ 「私の近況――『春の雪』と『奔馬』の出版」(新刊ニュース 1968年11月15日号)。35巻 2003, pp. 295–296
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