豊饒の海 第三巻・暁の寺

豊饒の海

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/09 06:12 UTC 版)

第三巻・暁の寺

暁の寺
訳題 Temple of Dawn
作者 三島由紀夫
日本
言語 日本語
ジャンル 長編小説
発表形態 雑誌連載
初出情報
初出新潮1968年9月号-1970年4月号
刊本情報
出版元 新潮社
出版年月日 1970年7月10日
装幀 村上芳正
総ページ数 341
シリーズ情報
前作 奔馬
次作 天人五衰
ウィキポータル 文学 ポータル 書物
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執筆期間は第一部が1968年(昭和43年)7月から1969年(昭和44年)4月までで[20]、第二部は1970年(昭和45年)2月まで[29]

『暁の寺』の取材のため、三島はインドバンコクに行くが、ガンジス川ベナレスを見て、〈インドでは宗教が生きています。あれだけ宗教がナマナマしく生きてゐる国は見たことがありませんね〉と語っている[36]

ジン・ジャンのモデルには、タイからの留学生で22歳の東大経済学部に学んでいたスワンチットという美人学生を留学生会館で小島千加子(雑誌『新潮』の三島担当編集者)の協力によって選び、一度三島邸で面会したものの、その後に一晩東京の街で会う約束をすっぽかされたまま、彼女が帰国してしまったために作品の内容もそれに沿ったものに変更されていったという[37]。また、ドイツ文学者・今西康のモデルは澁澤龍彦で、久松慶子のモデルは朝吹登水子白洲正子を足して二で割ったものだと三島は小島に語ったという[37][注釈 5]

標題の『暁の寺』は、バンコクにあるワット・アルンラーチャワラーラームから来ている。

あらすじ

第一部 - 時代は1941年(昭和16年)から終戦の1945年(昭和20年)まで。

47歳の本多は訴訟の仕事で、かつて清顕と親交のあったシャム(タイ)の王子と、そのいとこの故郷であるバンコクに来ていた。そこで彼は、日本人の生まれ変わりであると主張する7歳の王女・月光姫(ジン・ジャン)と出会う。月光姫は本多を見ると懐かしがり、黙って死んだお詫びがしたいと言った。彼女は勲が逮捕された日付も、清顕と松枝邸の庭園で門跡に会った年月も正確に答え、明らかに生まれ変わりを証明していたが、後日の姫とのピクニックでは、脇腹に黒子はなかった。それから本多はインドへ旅行し、そこで深遠な体験をする。そして、インドの土産を月光姫に献上し、本多にすがって泣く姫との別れを惜しみながら日本へ帰国する。帰国2、3日後、日本とアメリカとの戦争が始まる。
インドの体験と親友の生まれ変わりに触発され、仏教の輪廻転生唯識の世界にも足を踏み入れた本多は、戦争中、様々な宗教書を読みあさり研究に没頭する。ある日、仕事の用件のついでに松枝邸跡に足をのばしてみると、そこは焼跡になっていたが、偶然にも老いさらばえた蓼科に会う。本多は聡子に会いたいと思ったが戦局のきびしさでままならなかった。

第二部 - 時代は終戦後の1952年(昭和27年)と、15年後の1967年(昭和42年)。

58歳の本多は戦後、土地所有権を巡る裁判の弁護の成功報酬で多額の金を得て、富士の見える御殿場に土地を買い別荘を建てた。隣人には久松慶子という50歳前の有閑婦人がいて、本多の友人となる。別荘の客には他に、かつて勲と恋仲であり、勲の計画を父・飯沼へ密告した歌人・鬼頭槙子や、その弟子・椿原夫人、ドイツ文学者・今西康らがいた。しかし、本多が一番待ち望んでいた客は日本に留学して来た18歳のジン・ジャンであった。
5年前の1947年(昭和22年)に本多は、皇族の籍を失った洞院宮治典王が開業した骨董屋で、かつて学習院の寮でシャム(タイ)の王子・ジャオ・ピーが紛失した初代・月光姫の形見の指環を発見して買い取り持っていた。これを日本に留学している二代目の月光姫(ジン・ジャン)に渡すため、本多は別荘に彼女を招くが、その日、姫は来ず、十日以上経って漸く東京で会うことができた。幼い時、勲の生まれ変わりだと主張していたことを何も憶えていないとジン・ジャンは言う。美しく官能的に成長した姫に本多は魅了され、年齢不相応の恋心を抱く。そして、ジン・ジャンに執心し翻弄され、別荘のプールに招いた彼女の脇腹に黒子が無いことを確かめた。その夜、本多は別荘の部屋に泊まったジン・ジャンを覗き穴から覗くが、そこに見たものは、慶子と裸で抱き合う同性愛レズビアン)行為の最中の光景だった。そして、その脇腹には3つの黒子があった。驚いていたのもつかの間、やがて別荘が火事になり、別の部屋に泊まっていた今西と椿原夫人が死亡してしまう。帰国したジン・ジャンもその後、消息を絶ってしまった。
15年後の1967年(昭和42年)、73歳の本多は米国大使館に招かれ、その晩餐会の席上でジン・ジャンにそっくりの夫人に会う。その夫人はジン・ジャンの双生児の姉であり、妹は20歳の時に庭でコブラに腿を噛まれ死んだと本多に告げる。

登場人物

第一部

本多繁邦(47 - 51歳)
第三巻・第一部の主人公。弁護士の仕事でバンコックに行き、薔薇宮で勲の生まれ変わりと思える幼いタイの王女と対面する。
ジャントラバー姫(ジン・ジャン)(7歳)
タイの王女・月光姫。パッタナディド殿下(ジャオ・ピー)の末娘。殿下は娘に、かつて死に別れた恋人の名を付けた。ジン・ジャンは勲の過去世を憶えている。
菱川
タイでの通訳兼案内人。芸術家崩れ。依頼人の五井物産の経費で贅沢な朝食やワインを飲み食いする。本多に嫌われる。
蓼科(95歳)
元・綾倉家の聡子付きの女中。旧松枝邸の焼跡の敷地で、本多と偶然会い、生卵をもらう。

第二部

本多繁邦(58歳。73歳)
第三巻・第二部の主人公。弁護の仕事で成功し、御殿場に別荘を建てる。ジン・ジャンの肉体見たさにプールや覗き穴を作る。
ジャントラバー姫(ジン・ジャン)(18歳)
成長と共に過去世の記憶がなくなる。美しく官能的になり本多を魅了する。本多がプールで見たときは黒子が無かったが、部屋で覗いたときは脇腹に3つの黒子があった。
久松慶子(49歳)
本多の別荘の隣人で本多の友人となる。離婚経験のある有閑婦人。包容力のある性格で日本人離れした体格。のちに同性愛者とわかる。
本多梨枝
本多の妻。腎臓の持病がある。ジン・ジャンと夫との仲を疑い嫉妬するが、慶子には嫉妬しない。
鬼頭槇子(52、3歳)
歌人。かつて勲の計画を飯沼に密告した勲の恋人。自分の目の前で、椿原夫人と今西が性行為をするのを観察する。
椿原夫人(52、3歳)
鬼頭槇子の弟子。戦争で亡くした息子・曉雄のことばかり口にする。
今西康(40歳くらい)
ドイツ文学者。今西証券の次男坊で裕福な独身生活を送っている。蒼白な長身で神経質な顔立ち。小ばかにしていた椿原夫人と深い仲となり心中する。
新河元男爵(73歳)
老いてもパーティー好きだが、その皮肉に毒がなくなる。
新河夫人・訽子
老いてますます自分のことしか語ろうとしない。
飯沼茂之(63歳)
勲の父。終戦直後に自刃を試み失敗した傷を本多に見せに来る。生活に困窮し、2年前にみねと離婚する。
志村克己(21歳)
慶子の甥。慶応大学生。本多がジン・ジャンの裸体見たさに、慶子に依頼し呼んだ手の早い軽薄な青年。
ジン・ジャンの双生児の姉(33歳)
ジン・ジャンとよく似ている。米国大使館の晩餐で本多に会い、ジン・ジャンの死を知らせる。

舞台化

おもな刊行本

  • 『暁の寺(豊饒の海・第三巻)』(新潮社、1970年7月10日) NCID BN04808436
    • 装幀:村上芳正。布装(赤絹装)。貼函。紫色帯。341頁。帯(裏)に三島の『小説とは何か』より抜粋された「読者へ」と題した文章。
    • ※ 私家限定本(総革装。天金。見返しマーブル紙使用)4部あり。
  • 文庫版『暁の寺(豊饒の海・第三巻)』(新潮文庫、1977年10月30日。改版2002年11月15日)
    • カバー装幀:池田浩彰。解説:森川達也
    • ※ 改版2002年より、カバー改装:新潮社装幀室
  • 新装版『暁の寺(豊饒の海〈三〉)』(新潮社、1990年9月10日)
  • 英文版『Temple of Dawn―The Sea of Fertility』(訳:Cecilia Segawa Seigle、D.E. Saunders)(Knopf、1973年10月。他多数)

注釈

  1. ^ 今日では「豊かの海」と訳されることが多いが、三島がこの題を付した当時は「豊饒の海」と訳されていた[1]
  2. ^ 浜松中納言物語』は、美しい中納言が許されぬ悲恋に嘆いた末、亡父がの第三王子に生まれ変わっているとの夢を見て船出してゆくという〈夢と転生〉の王朝文学である[10]。その主題は、〈もし夢が現実に先行するものならば、われわれが現実と呼ぶもののはうが不確定であり、恒久不変の現実といふものが存在しないならば、転生のはうが自然である〉という考えが貫かれている[11]
  3. ^ この最後の〈バルタザールの死〉というのは、正確には「バルダサール」で、プルーストの短編『バルダサール・シルヴァンドの死』の主人公のことである。プルーストは、インドに向かう船を窓越しに眺めながら、村の鐘の音に過去の記憶を思い出し幸福な臨終を迎えるバルダサールを描いている[17]
  4. ^ 手紙の続きは、以下のように綴られている。〈それはさうと、昨今の政治状勢は、小生がもし二十五歳であつて、政治的関心があつたら、気が狂ふだらう、と思はれます。偽善、欺瞞の甚だしきもの。そしてこの見かけの平和の裡に、症状は着々と進行し、失つたら二度と取り返しのつかぬ「日本」は、無視され軽んぜられ、蹂躙され、一日一日影が薄くなつてゆきます。戦後の「日本」が、小生には、可哀想な若い未亡人のやうに思はれてゐました。良人といふ権威に去られ、よるべなく身をひそめて生きてゐる未亡人のやうに。〉[28]
  5. ^ 小島千加子によれば、三島は今西康のことを、「あれは誰が見たって澁澤龍彦だってことが分っちゃうだろ。だから、わざと背を高く、たかーくしてあるんだよ」と言ったとされる[37]
  6. ^ 三島は、取材や想が熟さないところは後回しにして、書けるところから書く方法を取り、8月24日頃に最終回部分(第26-30章)を概ね書き上げ、原稿のコピーを新潮社の出版部長・新田敞に渡している[2][29]。また8月11日に下田東急ホテルに滞在中の三島を訪ねてきたドナルド・キーンに終結部の原稿を示したが、キーンは遠慮して読まなかったという[38]
  7. ^ 三島があえて〈十九年前〉と登場人物に言わせ、作品発表から遡った昭和天皇人間宣言の年を暗示させているともとれる箇所がある[66]
  8. ^ 三島は『文化防衛論』で、「日本文化は、本来オリジナルとコピーの弁別を持たぬ」と論じている[65]
  9. ^ 三島は『春の雪』執筆中の1966年(昭和41年)10月時点、「僕は人間がどうやって神になるかという小説を書こうと思っています。藤原定家のことです」と林房雄との対談で語っているため[14]
  10. ^ 時代設定は1974年(昭和49年)時点であるので、この60代の老人と、生きていればその時点で49歳の三島とは年齢的には符合はしていない。
  11. ^ その際、夫人との会話で日本のことが話題となり、日本のエネルギーは西洋のテクノロジーと東洋の伝統とが衝突し合って生れているのではないか、と夫妻で考えた。ヨーロッパはロマンチックの世界で過去の歴史が色濃く残り時代遅れの観があり、一方、アメリカは魂不在で体温の感じられないテクノロジーの国で、インドは優れた精神文化を重んじつつも、飢餓に苦しんでいる、とコッポラは考察し、それらの国々と比して、日本が唯一、「物質文化と精神文化」「陰と陽」「右脳と左脳」「たくましさとしなやかさ(男性度と女性度)」を兼ね備えて共存し合っている国だと語っている[75][76]。そして次回作を日本で撮ることを計画した[75][76]

出典

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