西山事件
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2013/01/20 08:58 UTC 版)
| 最高裁判所判例 | |
|---|---|
| 事件名 | 国家公務員法違反被告事件 |
| 事件番号 | 昭和51(あ)1581 |
| 昭和53年5月31日 | |
| 判例集 | 第32巻3号457頁 |
| 裁判要旨 | |
| 報道機関が、公務員に対し、秘密を漏示するようにそそのかしたからといって、直ちに当該行為の違法性が推定されるものではなく、それが真に報道の目的からでたものであり、その手段・方法が法秩序全体の精神に照らし相当なものとして社会観念上是認されるものである限りは、実質的に違法性を欠き、正当な業務行為である。当初から、秘密文書を入手するための手段として利用する意図で女性の公務員と肉体関係を持ち、同女が右関係のため被告人の依頼を拒み難い心理状態に陥ったことに乗じて秘密文書を持ち出させたなど、取材対象者の人格を著しく蹂躪した本件取材行為は正当な取材活動の範囲を逸脱するものである。 | |
| 第一小法廷 | |
| 裁判長 | 岸盛一 |
| 陪席裁判官 | 岸上康夫、団藤重光、藤崎萬里、本山亨 |
| 意見 | |
| 多数意見 | 全員一致 |
| 意見 | なし |
| 反対意見 | なし |
| 参照法条 | |
| 国家公務員法100条1項、国家公務員法109条12号、国家公務員法111条、裁判所法3条1項、憲法21条1項、刑法35条 | |
目次 |
概要
第3次佐藤内閣当時、米リチャード・ニクソン政権との沖縄返還協定に際し、公式発表では米国が支払うことになっていた地権者に対する土地原状回復費400万ドルを、実際には日本政府が肩代わりして米国に支払うという密約をしているとの情報をつかみ、毎日新聞社政治部の西山が日本社会党議員に漏洩した。
政府は密約を否定。東京地方検察庁特別捜査部は、西山が情報目当てに既婚の外務省事務官に近づき酒を飲ませ泥酔させた上で性交渉を結んだとして、情報源の事務官を国家公務員法(機密漏洩の罪)、西山を国家公務員法(教唆の罪)で逮捕した。これにより、報道の自由を盾に取材活動の正当性を主張していた毎日新聞は、かえって世論から一斉に倫理的非難を浴びることになった。
裁判においても、起訴理由は「国家機密の漏洩行為」であるため、審理は当然にその手段である機密資料の入手方法に終始し、密約の真相究明は検察側からは行われなかった。西山が逮捕され、社会的に注目される中、密約自体の追及は完全に色褪せてしまった。また、取材で得た情報を自社の報道媒体で明白に報道する前に一国会議員に流して国会における政府追及材料とさせたり、ニュースソースの秘匿が不完全だったために情報提供者の逮捕を招いたことも、ジャーナリズムの上で問題となった。
経緯
第3次佐藤内閣の1971年、日米間で結ばれた沖縄返還協定に際し、「アメリカが地権者に支払う土地現状復旧費用400万ドル(時価で約12億円)を日本政府がアメリカに秘密裏に支払う[1]」密約が存在するとの情報を、西山は女性事務官に酒を飲ませて泥酔させた上で半ば強制的に肉体関係を結び、その関係を基に外務省極秘電文のコピーを盗み出させ、これを得た。これは蔵相福田赳夫と米財務長官デヴィッド・M・ケネディとの会談内容であった[2]。表向きの返還交渉は外相愛知揆一と米国務長官ウィリアム・ピアース・ロジャーズ(en)が行ったが、細かい金のやりとりは福田とケネディが交渉に当たった。人目を避けるため、福田とケネディはバージニア州のフェアフィールドパークにある密談のための施設で交渉した。その結果、日本は米国の施設引き渡し費用、および終戦直後の対日経済援助への謝意として、3000万ドルを支払った。西山が知るところとなった400万ドルはその一部であった。
1972年、日本社会党の横路孝弘と楢崎弥之助は西山が提供した外務省極秘電文のコピーを手に国会で追及した。この事実は大きな反響を呼び、世論は日本政府を強く批判した。政府は外務省極秘電文コピーが本物であることを認めた上で密約を否定し、一方で情報源がどこかを内密に突き止めた[3]。首相佐藤は西山と女性事務官の不倫関係を掴むと、「ガーンと一発やってやるか」(3月29日)と一転して強気に出た。西山と女性事務官は外務省の機密文書を漏らしたとして、4月4日に国家公務員法(守秘義務)違反の疑いで逮捕、起訴された。
当初は他紙も、西山を逮捕した日本政府を言論弾圧として非難し、西山を擁護していたが、佐藤は「そういうこと(言論の自由)でくるならオレは戦うよ」「料理屋で女性と会っているというが、都合悪くないかね」(4月6日)と不倫関係を匂わせてはねつけ、さらに4月8日には、参議院予算委員会で「国家の秘密はあるのであり、機密保護法制定はぜひ必要だ。この事件の関連でいうのではないが、かねての持論である」と主張した。『週刊新潮』によって不倫関係がスクープされ、当時の東京地検特捜部の検事佐藤道夫が書いた起訴状に2人の男女関係を暴露する「ひそかに情を通じ、これを利用して」という言葉が記載されて、状況が一変したといわれる。起訴状が提出された日、毎日新聞は夕刊に「本社見解とおわび」を掲載、その中で「両者の関係をもって、知る権利の基本であるニュース取材に制限を加えたり新聞の自由を束縛するような意図があるとすればこれは問題のすりかえと考えざるを得ません。われわれは西山記者の私行についておわびするとともに、同時に、問題の本質を見失うことなく主張すべきは主張する態度にかわりのないことを重ねて申述べます」としたが、実際は以後この問題の追及を一切やめた[4]。
その後は『週刊新潮』が「“機密漏洩事件…美しい日本の美しくない日本人”」という新聞批判の大キャンペーンを張った他、女性誌、テレビのワイドショーなどが、西山と女性事務官が双方とも既婚者でありながら、西山は肉体関係を武器に情報を得ていたとして連日批判を展開し、世論は一転して西山と女性事務官を非難する論調一色になった。裁判においても、審理は男女関係の問題、機密資料の入手方法の問題に終始した。
裁判
公判では女性事務官は求刑された罪状を全面的に認めた上で、改悛の情を訴え、西山の有罪を目指す姿勢を取った。社会党や市川房枝が女性事務官に無実を争う援助を申し出、女性事務官が断ったことも検察側は論告求刑で改悛の表れと主張した。西山側は密約の重大性と報道の自由を主張し、男女関係に踏み込むことは基本的に避けた。逆に、検察は直接の罪状である書類持ち出しについては触れず、女性事務官が西山にそそのかされたことを主張するのに専念した。検察側証人は、密約については「記憶にありません」、また「守秘義務」を理由に一切答えなかった。西山が女性事務官に対して「君や外務省には絶対に迷惑をかけない」と言いながらそれを反故にしたことや、女性事務官に取材としての利用価値がなくなると態度を急変させ関係を消滅させたことを女性事務官が証言したことで[5]、西山の人間性が問題視された。西山側は積極的に男女関係は争わなかったが、1973年10月12日の最終弁論で女性事務官とは対等の男女の関係であり、西山が一方的に利用したものではないと西山の高木一弁護人は反論した。しかし、女性事務官やその夫からは「夫がいかにも私のヒモであるかのような表現を繰り返した。夫は激怒した。そして、男のメンツにかけても離婚の決意をせざるを得なくなった」[6]と週刊誌で批判された。実際は「ヒモ」やそれに類する発言はなかったのだが、西山側は法廷外での発言を避けたので、女性事務官夫妻の主張のみが大々的に報じられることになった[7]。一方、大島渚は二人が逮捕された後の1972年4月14日付毎日夕刊で「言論の自由というような抽象的な問題に立戻ってはいけない。佐藤首相の人間的反応にふりまわされてはいけない。問題は、あくまで佐藤内閣が私たちに何をしたかだ。知る権利などというのは自明のことだ。極秘資料のスッパ抜きに次ぐスッパ抜きを! 今こそ日本中を、スッパ抜きした極秘資料でもってあふれかえさせること。(以下略)」と述べている。
一審・二審
一審判決で西山は無罪となり、女性事務官は懲役6ヶ月、執行猶予1年の刑を受けた。女性事務官は無罪を争わなかった以上、有罪判決は避けられないものだったが、このことが女性事務官へのさらなる同情と、西山への反発を生んだ。西山は一審判決後に失職し、その他大手メディアも「密約の有無」という問題から撤退し[8]、沖縄密約についての政府の責任追及は完全に蚊帳の外に置かれた。女性事務官夫妻は離婚に追い込まれ、2人は週刊誌で西山への批判を繰り返した。
裁判においては、検察側は国家機関による秘密の決定と保持は行政府の権利及び義務であると前提付けた上で、報道の自由には制約があると主張し、国家公務員法の守秘義務は非公務員にも適用されると主張した。また、報道の自由がいかなる取材方法であっても無制限に認められるかが争われたが、前掲の理由により検察側が控訴した控訴審では西山に懲役4月執行猶予1年、女性事務官に懲役6月執行猶予1年の有罪判決が下された[9]。
最高裁
最高裁は、「当初から秘密文書を入手するための手段として利用する意図で女性の公務員と肉体関係を持ち、同女が右関係のため被告人の依頼を拒み難い心理状態に陥つたことに乗じて秘密文書を持ち出させたなど取材対象者の人格を著しく蹂躪した本件取材行為は、正当な取材活動の範囲を逸脱するものである」「報道機関といえども、取材に関し他人の権利・自由を不当に侵害することのできる特権を有するものでない」と判示し、西山の取材活動について違法性と報道の自由が無制限ではないことを認めた[9]。なお、一審判決後、西山は毎日新聞を退社し、郷里で家業を継いだ。
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- ^ アメリカが負担する義務があったが、アメリカの議会は反対していた。
- ^ 福田赳夫 『回顧九十年』 岩波書店(原著1995年3月)、pp. 182-185。ISBN 9784000028165。
- ^ 西山が機密文書をコピーする際に取材源を秘匿しなかったため、漏洩元が女性事務官であることはすぐに露呈した。
- ^ なお、当時の西山の直属の上司(政治部デスク)は現政治評論家の三宅久之である。
- ^ しかし、西山の弁護人の反対尋問で、「(個人的な間柄が切れたのは)九月十四、五日ごろだということですが、それに間違いないでしょうか」と聞かれると、「もっと早い時期ではなかったかと記憶しているんですけれども、わたくしの記憶違いかも知れません」と答えている。
- ^ 『週刊新潮』1974年2月7日号、女性事務官「私の告白」。他、『週刊ポスト』2月15日号、『女性セブン』2月20日号、『女性自身』3月22日号でも女性事務官の夫が同様の主張をした。
- ^ 例外として、西山側の証人となった渡邉恒雄による「「西山事件」の証人として…渡辺恒雄/××さん「聖女」説にみる論理的矛盾」(『週刊読売』1974年2月16日号)がある。記事原文は実名
- ^ “沖縄返還35年目の真実 〜政府が今もひた隠す"密約"の正体〜”. ザ・スクープスペシャル. テレビ朝日 (2006年12月10日). 2010年1月24日閲覧。
- ^ a b 最高裁判所第一小法廷判決 1978年5月31日 、昭和51(あ)1581、『国家公務員法違反被告事件』。
- ^ 亀井 週刊新潮「50年」と沖縄密約報道
- ^ ヤメ記者弁護士(ヤメ蚊); 共同著作者 (2008年8月23日). “沖縄返還秘密合意を裏付ける文書を9月早々、公開請求!”. 情報流通促進計画 by ヤメ記者弁護士(ヤメ蚊). 2008年8月23日閲覧。
- ^ “元毎日記者の敗訴確定=「西山事件」賠償訴訟-最高裁”. 時事通信社. (2008年9月2日) 2008年9月6日閲覧。
- ^ “「密約」文書の公開請求/県内外記者ら63人/沖縄返還3通指定”. 沖縄タイムス. (2008年9月3日) 2008年9月3日閲覧。
- ^ “沖縄密約文書「不存在」外務・財務省”. 琉球新報. (2008年10月4日) 2010年1月24日閲覧。
- ^ a b “シリーズ「言論は大丈夫か」第13弾“国のウソ、回避する司法””. サンデー・プロジェクト. テレビ朝日 (2008年8月24日). 2010年1月24日時点のオリジナルよりアーカイブ。2010年1月24日閲覧。
- ^ a b c 最高裁・高裁判決理由文による。
- ^ “沖縄密約開示訴訟:吉野文六氏出廷へ、12月に証人尋問”. 毎日新聞. (2009年8月26日)
- ^ “機密文書、溶かして固めてトイレットペーパーに 外務省”. 朝日新聞: p. 1. (2009年7月11日)
- ^ “機密文書、溶かして固めてトイレットペーパーに 外務省”. 朝日新聞: p. 2. (2009年7月11日)
- ^ 2010年12月には、外交文書公開により、原本か写しかは不明だが密約関係の機密扱い訓電3通が焼却処分されていた事が判明した。沖縄返還密約の文書焼却か 痕跡示すメモ発見 朝日新聞2010年12月23日
- ^ “岡田外相、「核密約」調査を命令 日米会談でも説明へ”. 朝日新聞. (2009年9月17日) 2010年1月24日閲覧。
- ^ 遠藤誠二; 坂口明 (2009年9月18日). “日米核密約 新局面へ”. しんぶん赤旗 (日本共産党) 2010年1月24日閲覧。(外務大臣命令「いわゆる『密約』問題に関する調査命令について」の全文あり)
- ^ “日米密約:「歴史歪曲は国民の損失」吉野さん声詰まらせ”. 毎日新聞. (2009年12月2日)
- ^ “沖縄密約「文書に署名した」 元外務省局長、法廷で証言”. 朝日新聞. (2009年12月1日) 2009年12月1日閲覧。
- ^ 池田龍夫 (2009年12月27日). “大詰めの「沖縄返還密約文書開示訴訟」”. マスコミ9条の会ブログ. 2010年1月24日閲覧。
- ^ “核密約文書、佐藤元首相邸に……”. 読売新聞. (2009年12月22日) 2009年12月22日閲覧。
- ^ 沖縄密約訴訟:東京地裁で結審…判決は4月9日毎日.jp
- ^ 核密約調査:岡田外相「3月に結果」毎日.jp
- ^ 沖縄返還、最大密約は施設工事費 講演で西山太吉氏共同通信2010年2月27日
- ^ 沖縄返還「密約」文書、東京地裁が開示命じる読売新聞2010年4月9日
- ^ 沖縄返還文書 日米密約の存在認め開示命令 東京地裁朝日新聞2010年4月9日
- ^ 密約開示判決 「歴史に残る」 西山さん改めて講演で強調(毎日新聞 4月10日21時6分配信)
- ^ 読売新聞 (2010年4月22日). “沖縄密約訴訟、判決不服として国が控訴”. 2010年4月23日閲覧。
- ^ 沖縄返還・安保改定などの外交文書公開へ 外務省22日 朝日新聞2010年12月7日
- ^ 密約暴いた西山元記者「やっと出たか…」 外交文書公開 朝日新聞2010年12月22日
- ^ 西山事件「手際よく処理」 米が日本の対応評価 東京新聞2011年2月18日
- ^ 貴省に対する公開質問書の提出及び回答要請に関する件―密約情報公開訴訟原告共同代表より玄葉光一郎外務大臣宛 News for the People in Japan
- ^ Mitsuyaku: Gaimushô kimitsu rôei jiken (Internet Movie Database)
- 1 西山事件とは
- 2 西山事件の概要
- 3 影響
- 4 映画・テレビなど
- 5 外部リンク
固有名詞の分類
西山事件に関連した本
- 少年事件―暴力の深層 (ちくま文庫) 筑摩書房
- 機密を開示せよ――裁かれる沖縄密約 西山 太吉 岩波書店
- 沖縄密約―「情報犯罪」と日米同盟 (岩波新書) 西山 太吉 岩波書店
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