西山事件 影響

西山事件

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/23 17:13 UTC 版)

影響

毎日新聞は1966年の新社屋移行の際に無理な部数拡大作戦をとったことで販売500万部を達成したが、借入金が急増し自転車操業に陥っていた、その中で起きた西山事件により朝日新聞、読売新聞から読者の切り崩しを受け、30〜40万人ほどの読者を失ったことが、さらなる経営悪化の一因になったとされる。さらに当時は新聞各社で購読料の値上げが必要になった際、独占禁止法違反を避けるため大手紙のどこかが輪番で先行値上げする不文律があり、オイルショック翌年の1974年の値上げに毎日新聞は50%超の大幅値上げを強いられたことでさらに部数が急減。さらに経営が悪化した[10]。1977年(昭和52年)に、債務超過に陥って新旧分離を余儀なくされた。

当時週刊新潮編集部員だった亀井淳によると、新潮社のキャンペーンは極めて好評で、一般読者から無数の激励があったばかりか、毎日新聞社の内情を知らせる情報が次々にもたらされたという。亀井は「この経験で、週刊新潮は言論によるテロリズムの効果と、その商業的な骨法を会得したのだと思う」と振り返っている[11]

政治部記者が職務上接点のある野党の国会議員に情報をリークしたことが特に問題視されたことから、この事件以降、メディアにおいて日本国政府の不祥事は政治部ではなく、社会部が担当するようになった[要出典]リクルート事件が代表的な例である。

米国の公文書公開以降の動き

沖縄返還協定の密約のうち、もう片方の当事者であるアメリカ合衆国政府では、密約の存在を示す文書は既に機密解除され、アメリカ国立公文書記録管理局にて公文書として閲覧可能であるが、日本国政府(自民党政権)は、2009年平成21年)まで『密約文書の存在を否定』し続けて来た[12]

2005年4月25日に西山は「密約の存在を知りながら違法に起訴された」として国家賠償請求訴訟を提起したが、2007年3月27日の東京地方裁判所で加藤謙一裁判長は、「損害賠償請求の20年の除斥期間を過ぎ、請求の権利がない」とし訴えを棄却、密約の存在には全く触れなかった。

原告側は「20年経過で請求権なし」という判決に対し「2000年の米公文書公開で初めて密約が立証され、提訴可能になった。25年経って公文書が公開されたのに、それ以前の20年の除斥期間で請求権消滅は不当」として控訴した。密約の存在を認めた当時の外務省アメリカ局長・吉野文六を証人申請したが、東京高等裁判所は「必要なし」と却下した。

2008年2月20日、東京高裁での控訴審(大坪丘裁判長)も「20年の除斥期間で請求権は消滅」と、一審の東京地裁判決を支持し、控訴を棄却した。ここでも密約の有無についての言及はなかった。判決後の会見で西山は、「司法が完全に行政の中に組み込まれてしまっている。日本が法治国家の基礎的要件を喪失している」と語った。

原告側は上告したが、2008年9月2日に最高裁第三小法廷(藤田宙靖裁判長)は上告を棄却し、一審・二審の判決が確定した[13]。3日後の朝日新聞の社説は、「政府が国民にうそをつき続ける」と書いた。

2008年(平成20年)9月、西山を支持するジャーナリスト有志が外交文書の情報公開を外務省と財務省に求めたが、10月2日「不存在」とされた。これにより、西山側は提訴[14][15]。2010年(平成22年)4月、東京地方裁判所は文書開示と損害賠償を命じる一審判決が下った。判決では行政機関が文書を保有していたことの立証責任は請求者側に義務があるとしたが、過去のある時点において文書が保有されたことを立証できれば、特段の事情がない限り不開示決定の時点でも文書を保有していると判断できるとした。

2011年(平成23年)9月、東京高等裁判所は外務・財務両省が徹底した調査でも文書が発見されなかったことなどを考慮し、文書が廃棄されるなどした可能性も否定できないことは、特段の事情にあたり、不開示決定の時点で文書があったとは認められないとし、文書開示と損害賠償を認めない判決を下した。

2014年(平成26年)7月14日、最高裁判所第二小法廷は「特段の事情」について文書の内容や性質、作成経緯、保管体制などに応じて個別具体的に検討すべきとし、その上で密約文書については、過去に作成されたとしても、不開示決定時点まで保有されていたことまでは推認できないと結論づけ、上告を棄却し、密約文書を不開示とした政府の決定を妥当だとする判断を下した。原告側は「これでは都合の悪い情報は廃棄してしまえば公開しなくてもいいということになる。ひどい判決だ」と語り、同判決を批判した[16]

さらに、アメリカの公文書公開によって、400万ドルのうち300万ドルは地権者に渡らず、米軍経費などに流用されたことや、この密約以外に、日本が米国に合計1億8700万ドルを提供する密約、日本国政府が米国に西山のスクープに対する口止めを要求した記録文書などが明らかになっている[17]

2009年(平成21年)9月16日、自公連立政権から代わった民社国連立政権鳩山由紀夫内閣が成立した。外務大臣に就任した岡田克也は外務省に、かねて計画していた情報公開の一環として、密約関連文書を全て調査の上、公開するよう命令した。これにより設置された調査委員会が2010年(平成22年)3月、全てについて密約及び密約に類するものが存在していた事を認めた。岡田は同年5月、作成後30年を経過した外交文書については、全て開示すべき事を定めた。

その後も菅直人内閣において引き続き事件の見直しが試みられたが、11月に発生した尖閣諸島中国漁船衝突映像流出事件以降は尻すぼみとなった。

2012年(平成24年)12月16日投開票の第46回総選挙で自民党・公明党が大勝し、再び自公連立政権に戻った。2013年(平成25年)、自公による第2次安倍内閣特定秘密保護法案を提出した。森雅子国務大臣消費者及び食品安全、少子化対策、男女共同参画担当相)は10月22日の記者会見で、同法案で処罰の対象となる「著しく不当な取材」について質問され、「西山事件の判例に匹敵するような行為だと考えております。」と答えた[18][19]。同法は、12月6日成立した。

アメリカのナショナル・パブリック・ラジオは、特定秘密保護法の論評で本事件にも触れ、「日本の裁判所は、報道の自由についての裁判で、報道機関側に有利な判決を下したことはない。唯一の判例である1978年の最高裁判決は、国家安全保障を理由にジャーナリスト(=西山太吉)の有罪判決が確定された。彼(西山)が公開した情報は、アメリカ合衆国では機密指定を解除されていたのだが」と論評している[20]

FRIDAY』が2013年12月13日号において「「西山事件で人生壊れた」〈外務省機密漏えい〉女性事務官の夫がスクープ告白」という記事を掲載[21]。この中で、女性事務官の現在を報道した。それによると、(取材当時)離婚後に再婚し現在は83歳。77歳の再婚相手によると3年前に脳梗塞で倒れ、時どき意識が混濁することがあるとのことである。

2023年2月24日、当事者であった西山太吉が心不全のため、北九州市の介護施設で死去した[22]。91歳没。

時系列

佐藤=ニクソン共同声明~最高裁判決まで

  • 1969年11月21日 - 佐藤=ニクソン共同声明で「核抜き、本土並み」の沖縄返還を約束
  • 1971年5月18日頃 - 西山が「従前それほど親交のあつたわけでもなく、また愛情を寄せていたものでもない前記Aをはじめて誘つて酒食を共にしたうえ、かなり強引に同女と肉体関係をも」つ(最高裁判決原文より。「A」の部分は実際は実名)[23]
  • 1971年5月22日以後 - 「再び肉体関係をもつた直後に、前記のように秘密文書の持出しを依頼して懇願し、同女の一応の承諾を得、さらに、電話でその決断を促し、その後も同女との関係を継続して、同女が被告人との右関係のため、その依頼を拒み難い心理状態になつたのに乗じ、以後十数回にわたり秘密文書の持出しをさせていた」(最高裁判決原文より)[23]
  • 1971年6月11日 - 西山が疑惑をにおわせる署名入り記事(ただし、核心は紙面化せず)
  • 1971年6月 - 福田赳夫外務大臣が「裏取引は全然ありません」と国会で答弁。
  • 1971年6月17日 - 日米間で沖縄返還協定調印。
  • 1971年6月28日 - 西山が渡米。「沖縄返還協定が締結され、もはや取材の必要がなくなり、同月二八日被告人が渡米して八月上旬帰国した後は、同女に対する態度を急変して他人行儀となり、同女との関係も立消えとな」る(最高裁判決原文より)[23]
  • 1971年11月17日 - 衆議院沖縄返還協定特別委員会で強行採決
  • 1972年3月27日 - 衆議院予算委員会で社会党議員の横路孝弘楢崎弥之助が政府説明と正反対の内容の外務省極秘電文を公開。密約の存在を追及。
  • 1972年3月30日 - 外務省の内部調査で、女性事務官が「私は騙された」と泣き崩れて西山に機密電信を手渡したことを自白。
  • 1972年4月4日 - 国家公務員法111条(秘密漏洩をそそのかす罪)違反で西山が女性事務官とともに逮捕される。
  • 1972年4月5日 - 毎日新聞は朝刊紙上で取材活動の正当性を主張。他紙も同調。
  • 1972年4月15日 - 東京地方検察庁検察官佐藤道夫が起訴状に「ひそかに情を通じ…」と記載。同日夕、毎日新聞夕刊が「本社見解とおわび」を掲載。
  • 1972年5月15日 - 26年ぶりに沖縄復帰。
  • 1972年6月 - 佐藤栄作首相が退陣会見で内閣記者団と衝突。「テレビ、前に出て下さい。新聞記者とは話したくない」発言が出る。7月総辞職
  • 1974年1月30日 - 一審判決。女性元事務官に懲役6月・執行猶予1年、西山には無罪判決。毎日新聞退職。
  • 1974年12月 - 佐藤栄作ノーベル平和賞を受賞
  • 1976年7月20日 - 二審判決。西山に懲役4月・執行猶予1年の有罪判決。西山側が上告。
  • 1978年5月30日 - 最高裁判所が上告棄却。西山の有罪が確定。

米国の公文書公開以降

  • 2000年5月 - 我部政明琉球大学教授と朝日新聞が、アメリカ国立公文書記録管理局で、25年間の秘密指定が解かれたアメリカ公文書類の中に、密約を裏付ける文書を発見。西山がスクープした400万ドル以外に日本が1億8700万ドルをアメリカ合衆国に提供する密約が記されていた[17]
  • 2002年 - 「日本国政府が、400万ドルという数字と日米間の密約が公にならないように神経をとがらせていて、メディアの追及に対して米国側に同一歩調をとるように要求してきている」と記載された、1976年6月のアメリカ国家安全保障会議文書が公開。6月、川口順子外務大臣が「事実関係として密約はない」(記者会見)「かつて〔2000年〕河野洋平外務大臣が吉野(文六)元アメリカ局長に密約の有無を確認したところ、吉野氏は、密約は無いと回答したと聞いている」(国会答弁)、福田康夫官房長官が「密約は一切ない」(記者会見
  • 2005年4月 - 西山が「国家による情報隠蔽・操作が容易にできることを裁判を通じて国民の前に明らかにする」として国家賠償請求を東京地方裁判所に提訴。
  • 2006年2月8日 - 北海道新聞の取材に対して、吉野が日本側当事者として密約の存在を初めて認めた。一方、安倍晋三官房長官は「まったくそうした密約はなかった」と同月、記者会見で主張。
  • 2007年3月27日 - 東京地方裁判所で加藤謙一裁判長は「損害賠償請求の20年の除斥期間を過ぎ、請求の権利がない」として西山の訴えを棄却、密約の存在には全く触れなかった。原告は控訴。
  • 2007年5月 - 沖縄タイムスが、米公文書から日本国政府が米国に支払った400万ドルのうち300万ドル以上が権利者に支払われず、アメリカ陸軍経費に流用されていた事実を発見。
  • 2007年12月 - 高村正彦外務大臣が「歴代外務大臣が答弁しているように密約はございません」と国会で答弁。
  • 2008年2月20日 - 二審東京高等裁判所の大坪丘裁判長は「20年の除斥期間で請求権は消滅」として原告敗訴とした。密約の有無についての言及はなし。
  • 2008年9月2日 - 最高裁判所第三小法廷(藤田宙靖裁判長)は、原告の上告を棄却し、一審・二審の判決が確定。7日、作家や研究者、ジャーナリストら63人が連名で行政機関の保有する情報の公開に関する法律に基づき、沖縄返還をめぐり日米両政府間で交わされた密約文書3通(米公文書では開示されている)の開示を、外務省と財務省に請求。外務・財務両省は10月2日、対象文書の「不存在」を理由に不開示を決定。

政権交代へ

  • 2009年3月14日 - 岡田克也・民主党副代表、「やりたいのは情報公開。政権交代が成ったら隠している物を全部出す、日本国政府がどれだけ嘘を言ってきたか解る」と発言[24]
  • 2009年3月18日 - 西山他25人、不開示処分取り消しと文書開示、慰謝料を請求する「沖縄密約情報公開訴訟」(以下「密約訴訟」)を提起。8月、吉野を12月に証人として呼び、尋問することが決定[25]
  • 2009年7月11日 - 2001年4月1日の行政機関の保有する情報の公開に関する法律施行に先立ち、2000年に中央省庁各所で書類処分が行なわれたが、量は外務省が頭抜けて多く、しかも、廃棄された書類のなかには密約関係のものも含まれていた疑いがあることを『朝日新聞』がスクープ[26][27][注釈 8]
  • 2009年8月30日 - 第45回衆議院議員総選挙。自民党が下野、民主党中心の民社国連立政権となる。
  • 2009年9月17日 - 鳩山由紀夫内閣外務大臣に就任した岡田克也、非核三原則の裏で結ばれた日米核持ち込み密約問題 と、朝鮮半島有事における作戦行動に関する密約に加えて、沖縄返還協定の密約も調査公表するよう外務省・藪中三十二事務次官に指示。期限は11月末まで[29][30]。20日、『サンデープロジェクト』内で、外部の有識者による調査(関係者からの聞き取り、アメリカでの調査)を10月下旬から開始、また外交文書の公開についても、外務省内のみで決めていたのを見直し、きちんと定めたい旨言明。
  • 2009年11月28日 - 岡田、「日米密約調査に関する有識者委員会」設置を決定。座長は北岡伸一東京大学教授。
  • 2009年12月1日 - 密約訴訟に原告側証人として出廷した吉野が、これまでの発言を撤回。「過去の歴史を歪曲するのは、国民のためにならない」と証言し、密約が存在する事実[31]、密約文書に「BY」(=Bunroku Yoshino)、交渉相手だったアメリカのリチャード・スナイダー公使が「RS」(=Richard Snyder)と署名した事を認める[32][33]
  • 2009年12月22日 - 佐藤榮作元内閣総理大臣私邸から、佐藤=ニクソン共同声明における、核密約と繊維問題に係る覚書文書(秘密合意議事録)が発見され、佐藤家が保管していることが判明した[34]若泉敬によれば、ウエストウイング・オーバルオフィス隣接の小部屋(「書斎」と思われる)で、佐藤とニクソンの二人きりで署名したものが、佐藤によって持ち去られたに違いないという。
  • 2010年2月16日 - 密約訴訟、結審。判決は4月9日に言い渡し予定[35]。岡田外相、密約調査結果の公表について「3月中には」と衆議院予算委員会で答弁。平岡秀夫の質問に対し[36]
  • 2010年2月27日 - 西山、訴訟支援集会で「最大の密約は6500万ドルの米軍施設改良工事費だ」「1ドル分も返還協定書に記載されていない。外務省の予算項目を変えて潜り込ませて、国会の審議ではフリーパスだった」と発言。我部も「日米の共犯で米軍基地が残った。密約がその共犯関係を押し隠している」[37]
  • 2010年3月9日 - 「密約」問題に関する有識者委員会、原状回復費の肩代わりほか4つの密約について岡田外相に報告書提出。原状回復費の肩代わりの合意及び出費について、文書化はされていないものの、日本側からの3億2000万ドルのうち、400万ドルについて原状回復費に手当てするなどについて日本側の認識があったとして「広義の密約」にあたるとした。
  • 2010年4月9日 - 密約訴訟判決。東京地裁(杉原則彦裁判長)は「国民の知る権利を蔑ろにする外務省の対応は、不誠実と言わざるを得ない」[38] として外務省の非開示処分を取り消し、文書開示(本当に存在しないなら“いつ” “誰の指示で” “どの様に”処分されたのかも)と、原告一人当たり10万円の損害賠償を国に命令[39]
    • 西山は文京区民センターでの講演『知る権利は守られたか』でこの判決を「歴史に残る判決」と評価し、「われわれが裁判を起こして今回の判決を導き出していなければ、外務省の外部有識者委員会による報告書が密約問題に関する唯一の解明文書となり、国民の知る権利は封殺されていただろう」と述べた[40]。行政訴訟では一審で勝訴したものの、事件には関係ないため自身の有罪判決は変わらないが、再審請求は「全く考えていません」と述べた。
  • 2010年4月22日 - 外務省、密約訴訟の開示命令判決に対し控訴。「保有していない文書についての開示決定を行うことはできない」[41]
  • 2010年5月 - 外務省、2009年9月の外務大臣発言に基づき、公文書公開に関する規則を決定。作成後30年経過したものは開示する旨定める。
  • 2010年12月7日 - 外務省、沖縄返還60年安保関連の外交文書を、12月22日に公開することを決定[42]。公開された文書により『アメリカ合衆国連邦政府が負担すべき米軍基地の施設改良費6500万ドルの肩代わり密約』が存在していたことが判明[43]
  • 2011年1月30日 - 沖縄密約情報開示訴訟原告団、「市民による沖縄密約調査チーム」を結成。日本側に残っている文書とアメリカ国立公文書記録管理局保管の文書を突き合わせて、欠落・廃棄部分は何か究明を目指す。
  • 2011年2月18日 - 西山と事務官が逮捕された直後の1972年4月5日、駐米大使・牛場信彦が外務大臣・福田赳夫に宛てた公電で、アメリカ側の反応を報告していた事が判明。国務次官ウラル・アレクシス・ジョンソンに電話を入れ“事件でアメリカ側が気分を害したとすればまことに遺憾、再発防止に努める”と謝罪、ジョンソンからは謝罪を了とし「極めて手際良く処理された」と評価されたという[44]
  • 2011年5月17日 - 密約情報開示訴訟控訴審結審、9月29日判決。「政府が文書はあったが廃棄済みで存在しないと言っているからそれを信じるしかない」との趣旨で原告逆転敗訴。原告側は上告。外務省に対し公開質問状を提出、回答を要求[45]

自民党政権復帰後

  • 2012年12月16日 - 第46回衆議院議員総選挙が実施され、自民党が第一党奪還。
  • 同年12月26日 - 第2次安倍内閣が発足。
  • 2013年12月13日 - 日本国政府が特定機密指定した事項について最長60年の開示保護を行い、内容を探知し公表した者を処罰する「特定秘密の保護に関する法律」(特定秘密保護法)が制定される。
  • 2014年7月14日、密約情報開示訴訟上告審判決で、最高裁第二小法廷は上告を棄却し、密約文書を不開示とした日本国政府の決定を妥当だとする判断を下した。9月1日、渡邉恒雄読売新聞グループ本社会長兼主筆は「秘密保全のための法制の在り方に関する有識者会議」で『甘言を弄して女性に国家機密を盗ませたのは事実である。言論の自由ということとはいささか違うという気がする』と西山太吉を事実上批判した[46]
  • 2023年2月24日、西山太吉が心不全のため亡くなる(満91歳没)。

注釈

  1. ^ 現在は女性事務官の名前を秘匿する者も散見されるが、当時は本人が自ら各種マスメディアに登壇して多くの発言を重ねており[2]、澤地久枝は著書『密約 外務省機密漏洩事件』に実名で記している。
  2. ^ アメリカが負担する義務があったが、アメリカ合衆国議会は反対していた。
  3. ^ 専務取締役の編集主幹と東京本社編集局長を解任した。当時の西山の直属上司である政治部デスクは、のちにフリージャーナリスト政治評論家として活動する三宅久之である。
  4. ^ 前述の川端の自殺と絡めたもの。
  5. ^ しかし、西山の弁護人の反対尋問で、「(個人的な間柄が切れたのは)九月十四、五日ごろだということですが、それに間違いないでしょうか」と聞かれると、「もっと早い時期ではなかったかと記憶しているんですけれども、わたくしの記憶違いかも知れません」と答えている。
  6. ^ 『週刊新潮』1974年2月7日号、女性事務官「私の告白」。他、『週刊ポスト』2月15日号、『女性セブン』2月20日号、『女性自身』3月22日号でも女性事務官の夫が同様の主張をした。
  7. ^ 例外として、西山側の証人となった渡邉恒雄による「「西山事件」の証人として…渡辺恒雄/××さん「聖女」説にみる論理的矛盾」(『週刊読売』1974年2月16日号)がある。記事原文は実名
  8. ^ 2010年12月には、外交文書公開により、原本か写しかは不明だが密約関係の機密扱い訓電3通が焼却処分されていた事が判明した[28]
  9. ^ 預金は6000万ドルまたは現に通貨交換した額のいずれか大きいほうの金額。1億1200万ドル相当の供与にあたる。
  10. ^ Summation of Discussion 1971年6月12日 スナイダー公使の発言「沖縄返還協定第4条3項に基づく土地の原状回復補償費の「自発的支払い」に関するこれまでの議論を参照し、最終的金額は不明であるが、現在の我々の理解では、400万ドルになるだろうことに留意する」
    佐藤栄作がアメリカ側に補償を求めていたところ交渉が難航したため、国民に説明しやすいように「自発的に支払う」と書くことで妥協に至ったもの。実際は肩代わりであるし、アメリカ側ではそのように説明されなくてはならなかったので、協定とは別に秘密文書が作成された。

出典

  1. ^ 沖縄返還密約事件を追って――封印を解く歴史ドキュメンタリー
  2. ^ 週刊新潮広告
  3. ^ a b 土江真樹子 著「沖縄返還密約事件を追って 封印を解く歴史ドキュメンタリー」、筑紫哲也佐野眞一野中章弘徳山喜雄 編『職業としてのジャーナリスト』岩波書店、2005年、58-67頁。ISBN 4-00-026397-8 
  4. ^ 春原昭彦『日本新聞通史 1861年−2000年』新泉社、2003年、300-301頁。ISBN 4-7877-0308-0 
  5. ^ 沖縄密約認め、「捨て得」不問にした司法 みせかけの民主主義の下で:朝日新聞デジタル”. 朝日新聞デジタル (2022年5月13日). 2023年2月27日閲覧。
  6. ^ a b c 最高裁判所第1小法廷判決 1978年5月31日 、昭和51(あ)1581、『国家公務員法違反被告事件』。
  7. ^ 福田赳夫『回顧九十年』岩波書店(原著1995年3月)、pp. 182-185頁。ISBN 9784000028165 
  8. ^ 岩垂, 弘 (2006年11月15日). “第2部 社会部記者の現場から 第98回 外務省公電漏洩事件”. もの書きを目指す人びとへ ――わが体験的マスコミ論――. E'con FutureNetworks. 2023年6月14日閲覧。
  9. ^ 沖縄返還35年目の真実 〜政府が今もひた隠す"密約"の正体〜”. ザ・スクープスペシャル. テレビ朝日 (2006年12月10日). 2010年1月24日閲覧。
  10. ^ 河内孝『新聞社 破綻したビジネスモデル』新潮社、2007年、22-23頁。ISBN 9784106102059 
  11. ^ 亀井 週刊新潮「50年」と沖縄密約報道
  12. ^ ヤメ記者弁護士(ヤメ蚊); 共同著作者 (2008年8月23日). “沖縄返還秘密合意を裏付ける文書を9月早々、公開請求!”. 情報流通促進計画 by ヤメ記者弁護士(ヤメ蚊). 2008年8月23日閲覧。
  13. ^ “元毎日記者の敗訴確定=「西山事件」賠償訴訟-最高裁”. 時事通信社. (2008年9月2日). http://www.jiji.com/jc/zc?k=200809/2008090200761 2008年9月6日閲覧。 
  14. ^ “「密約」文書の公開請求/県内外記者ら63人/沖縄返還3通指定”. 沖縄タイムス. (2008年9月3日). http://www.okinawatimes.co.jp/news/2008-09-03-M_1-027-1_001.html?PSID=73ce6f983400fe9f1ec375245581fdfb 2008年9月3日閲覧。 
  15. ^ “沖縄密約文書「不存在」外務・財務省”. 琉球新報. (2008年10月4日). http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-136813-storytopic-3.html 2010年1月24日閲覧。 
  16. ^ 沖縄密約文書の開示請求を棄却」『ビデオニュース・ドットコム』、2014年7月14日。2023年6月14日閲覧。
  17. ^ a b シリーズ「言論は大丈夫か」第13弾“国のウソ、回避する司法””. サンデー・プロジェクト. テレビ朝日 (2008年8月24日). 2010年1月24日時点のオリジナルよりアーカイブ。2010年1月24日閲覧。
  18. ^ 内閣府 森内閣府特命担当大臣記者会見要旨 平成25年10月22日
  19. ^ 『毎日新聞』内田久光 秘密保護法案:森担当相「処罰対象は西山事件に匹敵」 2013年10月22日 23時20分(最終更新 10月23日 12時21分)
  20. ^ Lucy Craft (2013年12月31日). “Japan's State Secrets Law: Hailed By U.S., Denounced By Japanese” (英語). ナショナル・パブリック・ラジオ. http://www.npr.org/blogs/parallels/2013/12/31/258655342/japans-state-secrets-law-hailed-by-u-s-denounced-by-japanese 2016年10月8日閲覧。 
  21. ^ FRIDAY(フライデー) 12/13号 (発売日2013年11月29日)”. 富士山マガジンサービス. 2023年6月14日閲覧。
  22. ^ 元記者の西山太吉さんが死去 91歳 沖縄返還めぐる「密約」報じる - 朝日新聞デジタル 2023年2月25日
  23. ^ a b c 最高裁・高裁判決理由文による。
  24. ^ 「岡田・民主副代表:沖縄返還時密約、政権取れば公開」毎日新聞2009年3月15日
  25. ^ “沖縄密約開示訴訟:吉野文六氏出廷へ、12月に証人尋問”. 毎日新聞. (2009年8月26日). オリジナルの2009年8月29日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20090829231500/mainichi.jp/area/okinawa/news/20090826rky00m040005000c.html 
  26. ^ “機密文書、溶かして固めてトイレットペーパーに 外務省”. 朝日新聞: p. 1. (2009年7月11日). http://www.asahi.com/politics/update/0711/TKY200907100424.html 
  27. ^ “機密文書、溶かして固めてトイレットペーパーに 外務省”. 朝日新聞: p. 2. (2009年7月11日). http://www.asahi.com/politics/update/0711/TKY200907100424_01.html 
  28. ^ 沖縄返還密約の文書焼却か 痕跡示すメモ発見」『朝日新聞』、2010年12月23日。2023年6月13日閲覧。オリジナルの2011年10月1日時点におけるアーカイブ。
  29. ^ “岡田外相、「核密約」調査を命令 日米会談でも説明へ”. 朝日新聞. (2009年9月17日). http://www.asahi.com/politics/update/0917/TKY200909160442.html 2010年1月24日閲覧。 
  30. ^ 遠藤誠二; 坂口明 (2009年9月18日). “日米核密約 新局面へ”. しんぶん赤旗 (日本共産党). http://www.jcp.or.jp/akahata/aik09/2009-09-18/2009091803_01_1.html 2010年1月24日閲覧。 (外務大臣命令「いわゆる『密約』問題に関する調査命令について」の全文あり)
  31. ^ “日米密約:「歴史歪曲は国民の損失」吉野さん声詰まらせ”. 毎日新聞. (2009年12月2日). オリジナルの2009年12月4日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20091204124900/mainichi.jp/select/world/news/20091202k0000m010098000c.html 
  32. ^ “沖縄密約「文書に署名した」 元外務省局長、法廷で証言”. 朝日新聞. (2009年12月1日). http://www.asahi.com/politics/update/1202/TKY200912010530.html 2009年12月1日閲覧。 
  33. ^ 池田龍夫 (2009年12月27日). “大詰めの「沖縄返還密約文書開示訴訟」”. マスコミ9条の会ブログ. 2010年1月24日閲覧。
  34. ^ “核密約文書、佐藤元首相邸に……”. 読売新聞. (2009年12月22日). オリジナルの2009年12月25日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20091225111627/www.yomiuri.co.jp/politics/news/20091222-OYT1T00775.htm 2009年12月22日閲覧。 
  35. ^ 沖縄密約訴訟:東京地裁で結審…判決は4月9日 毎日.jp
  36. ^ 核密約調査:岡田外相「3月に結果」 毎日.jp
  37. ^ 沖縄返還、最大密約は施設工事費 講演で西山太吉氏 共同通信2010年2月27日
  38. ^ 沖縄返還「密約」文書、東京地裁が開示命じる 読売新聞2010年4月9日
  39. ^ 沖縄返還文書 日米密約の存在認め開示命令 東京地裁 朝日新聞2010年4月9日
  40. ^ 密約開示判決 「歴史に残る」 西山さん改めて講演で強調(毎日新聞 4月10日21時6分配信)
  41. ^ 読売新聞 (2010年4月22日). “沖縄密約訴訟、判決不服として国が控訴”. 2010年4月23日閲覧。
  42. ^ 沖縄返還・安保改定などの外交文書公開へ 外務省22日 朝日新聞2010年12月7日
  43. ^ 密約暴いた西山元記者「やっと出たか…」 外交文書公開 朝日新聞2010年12月22日
  44. ^ 西山事件「手際よく処理」 米が日本の対応評価 東京新聞2011年2月18日
  45. ^ 貴省に対する公開質問書の提出及び回答要請に関する件―密約情報公開訴訟原告共同代表より玄葉光一郎外務大臣宛 News for the People in Japan
  46. ^ Listening:時流・底流 秘密保護法、有識者会議 評価の一方、懸念の声も 毎日新聞
  47. ^ 西山太吉『機密を開示せよ―裁かれる沖縄密約』(2010年、岩波書店)ISBN 978-4000225809 pp.15-16. pp.30-40.
  48. ^ 密約 外務省機密漏洩事件 - MOVIE WALKER PRESS
  49. ^ Mitsuyaku: Gaimushô kimitsu rôei jiken - IMDb(英語)






固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「西山事件」の関連用語

西山事件のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



西山事件のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの西山事件 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS