自然主義文学 自然主義文学の概要

自然主義文学

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/16 04:31 UTC 版)

写実主義文学(リアリズム文学)が発展して生まれたもので、唯物論的世界観・自然主義的決定論とペシミズム、現実性を重視し架空性を排除した精密な客観描写、人生の暗黒面の描写を避けないこと、作品における社会関係の存在、といった特徴があるが、後ろ二つの特徴は批判的リアリズムと共通している[3]。自然主義文学の定義はかなり多様であり、代表と見られる作家も、ゾラ、ゾラを師と仰いだモーパッサンらメダン・グループ、ゴンクール兄弟を中心に、その外側にフロベールドイツ自然派、次にバルザックイプセン、その外側にトルストイドストエフスキーまで同心円状に分布され、批評家が己の解釈に従って半径を定め、切り取って提示している[3]。自然主義文学をリアリズム文学と同義語的に用いる傾向も一般的に見られる[3]

フランス

19世紀後半のフランスで、エミール・ゾラを中心に起こり、ヨーロッパ各国に広がった。当時すでに時代遅れになっていたロマン主義への反動として起こった[1]。19世紀には、18世紀の観念的な小説に代わり、バルザックに始まる描写、主に環境の描写を取り入れた小説が最も発達し、実証主義的風潮のなか、その傾向は自然主義小説において特に強まった[4]。1850年代に始まったフランスの写実主義文学(リアリズム文学)は、次第に発達し、1870年代には自然主義文学と呼ばれ、以後20年ほど盛り上がりを見せた[5]。フランスの文芸における自然主義の特徴は、1850年代に始まるフランス写実主義文学の極端な誇張に加えて、実証主義精神に一層自覚的であったことである[5]

アメリカ文学者の渡辺利雄は、リアリズムの一面を徹底させたヨーロッパの自然主義の特徴を「現実の醜い一面をあくまでも暴き出すが、自然主義はさらにそれが人間の内面の遺伝的な要素と外面的な環境によって生じた、人間にはどうしようもない結果であると決定論的に断定する。そして、それを試験管の中の化学反応を必然の結果として冷静かつ客観的に観察する科学者のように感情や、価値判断を加えずに描き出す。」と説明している[6]

背景

実証主義は、18世紀のディドロに代表される百科全書派あたりに源を発するもので、文芸の分野では、スタンダールバルザックからフローベールを経て、ゾラへとつながっている[5]

哲学者のテーヌ、医師のベルナールのふたりが、ゾラに実証主義精神を最も強く鼓吹した人物で、この両者の実証主義の核にあたるのは、「宇宙のあらゆる現象が先行諸原因によって厳密に決定されている」と考える決定論(デテルミニスム)的思考である[5]。これは、一切を「因果の必然」によって説明しようとする近代科学の世界観に基いている[5]。精神科医のベネディクト・モレルが説いた、より低次で非文明的な状態に退化していく傾向を持つ悪性の遺伝的特質を持つ人間がおり、生育環境や自然環境の影響で遺伝が発現して「変質者(デジェネレ)」となり、この正常な人間からの逸脱である「変質(デジェネレッサンス)」は遺伝によって受け継がれ、代を重ねることで累積し、徐々に悪化してその血筋が絶滅に至るという変質論の影響を受けている[7]

概要

自然主義文学は、1865年前後のゾラや、エドモンジュールのゴンクール兄弟の小説にその最初の表現がみられる[1]。ゾラは1868年に『テレーズ・ラカンフランス語版』二版の序文で自然主義宣言を行い、以来ゾラを中心とするグループができ、一つの潮流になっていった[1]。ゾラは人間の行動を、遺伝、環境から科学的、客観的に把握しようとし、バルザックの「人間喜劇」に着想を得て「ルーゴン=マッカール叢書」と呼ばれる作品群を企画し、貧しい夫婦の転落を描いた『居酒屋』(1877年)、美しい女優(『居酒屋』の主人公夫婦の娘)が男たちを次々破滅に追い込み、自らも悲惨な最期を遂げる『ナナ』(1880年)等の中で、自らの論を実践した[8]。『居酒屋』が出版されると、この文芸運動は時代を席巻し、アレクシスフランス語版セアールフランス語版エニックフランス語版ユイスマンスモーパッサンドーデといった作家たちが生まれた[1]。ゾラは1880年に『実験小説論』で、人生は実験であり、作家はいわば、実験室の中の科学者として、作品の中の人物たちを客観的に観察するのだという考え方を打ち出し、人間は置かれた環境だけでなく、知・情の発達成長が遺伝に大きく左右されると主張し、自然主義理論を体系的に展開した[8][6]。同年ゾラは、メダン英語版にあるゾラの別荘に集まっていたモーパッサン、ユイスマンといった若い小説家たちと共に、普仏戦争をテーマに、徹底した反戦思想を貫く小説を持ち寄り、中編小説集『メダンの夕べフランス語版』を出版した[9]。本書は、牧歌的な村が突如戦場となり、恋人たちが犠牲になる姿を描いたゾラの完成度の高い小品「水車小屋の攻撃フランス語版」や、普仏戦争の中、娼婦が避難の際にたまたま同道したブルジョアや貴族、成金、宗教者達に利用され、敵国将校との性交を強いられ、尊厳を踏みにじられる哀れな姿を描いた、モーパッサンの「脂肪の塊」を収録しており、自然主義文学を強く印象付けた[1][9]

フランスの自然主義文学は、ゾラらの作品により注目を集め、海外にも影響を与えるようになった[6]。「因果律」を最重要視する因果決定論、いわば科学的決定論は、ゾラだけでなく、19世紀後半の写実主義作家や自然主義作家達の常識となり、以降の小説作法の強烈な縛りとなっていった[5]

自然主義文学は、社会の病悪を主なテーマに、社会、特に貧しい下層の環境を舞台に、そこに生きる人々を登場人物に、人間の醜さ、異常な面を強調し、克明に、酷薄に描いたが、露悪的で厭世的な傾向を強め、人々の反感を買った[1]。ゾラの作品は、猥雑、露骨だと批判を受け、彼が1887年に、貧しく陰鬱な農村を舞台に、零細な土地に異常なまでに執着し奪い合う貧農たちの、素朴で貪欲、悲惨な動物的生き様、醜い人間の獣性を描いた『大地フランス語版』を出版すると、彼の弟子たちも反旗を翻し、自然主義を離れた[1][10]。ゾラ自身も社会主義的理想主義に転身し、フランスの自然主義文学は1880年代の終わりから急速に衰退した[1]

思想

自然主義文学の小説作法の下敷きとなったのが、決定論的思考である[5]。人間の意志や行動は様々な要因によって決定されるという決定論は、十八世紀の主流の考え・価値観であった「人間の理性への信仰」を否定する[8]。理性を否定された人間は、主体性を失った現象にすぎず、生命を持った存在というより、一個の物体であるといえる[8]。そうなると、理性よりも感性が台頭し、理性の力で抑えられていた人間生来の本性、性欲・物欲といった欲望が表面化すると考えられ、自然主義文学では、どぎつく生々しい欲望の葛藤が描かれる[8]

平野信行は、「自然主義の自然とはまさにそうした『本性』『本能』の意であって、その意味では、自然主義は『本性(能)主義』と称されてしかるべき特質を有しているのである。」と述べている[8]。暗い、悲観的な思想であると言える[8]

批評

批評家ポール・ブールジェは、自然主義文学全盛期と同時代の『現代心理論集』の中で、ゾラやゴンクール兄弟の文学を「観察の文学」と呼び、その文学の特徴や厭世観の源を探った。彼らの文学は、外的環境の描写を重視し、内的世界をイメージする想像力を生かさず、登場人物の個性や意志の力をないがしろにしていると述べている[11]。こうした特徴は、一般的に、自然主義文学に対して指摘されている[11]。環境に支配され逆らうことができない、意志のない人間の物語は、必然的に、人生の悲しさ、努力の虚しさが多く描かれ、読者を意気消沈させ、メランコリーの印象を与える[11]

また、作品から作者の主観的性格を排除しようとしているにもかかわらず、鋭敏な感覚を持った作家が注意深く環境を見ることで、むしろ作家の個人的・主観的性格が作品に導入されており、自然主義文学に作家同様に神経質で傷つきやすい登場人物が多いのはそのためだという[11]

環境の影響を分かりやすく描くために、平均的で英雄的でない人物にしようと特殊性を取り除いていくうちに、没個性が行きすぎ、普通人ですらない、抽象的な存在になってしまうことがある[11]

またブールジェは、観察に基づく描写の重視という手法自体に注目し、そこにペシミズムが生まれる「心理学」的必然性があると主張している[4]。自己や他者、社会を観察し分析し続けることは、人間に自然に生じる考え方や感じ方、感性を枯渇させ、人生の土台である「無意識」を破壊する[4]。こうして人間の力が減退することで、自然主義文学に見られる憂い、メランコリー、ペシミズムが生じるのだという[4]

その他ヨーロッパ

世界各国の文学に大きな影響を与えた。イギリスのハーディ、ロシアのボボルイキン英語版コロレンコチェーホフ、ノルウェーのイプセンビョルンソン、スウェーデンのストリンドベリ、デンマークのヤコブセンポントピダン、オランダのクペールス、ベルギーのルモニエ英語版、スペインのクラリン英語版等の著名な作家・劇作家がいる[1]

イタリア

ドイツ


  1. ^ a b c d e f g h i j k 加藤尚宏. “自然主義(文芸)”. 日本大百科全書(ニッポニカ) コトバンク. 2023年3月7日閲覧。
  2. ^ a b c d e f g h i j k l 折島 2021, pp. 14–15.
  3. ^ a b c 谷口 1974, pp. 34–35.
  4. ^ a b c d 田中 1999, pp. 43–46.
  5. ^ a b c d e f g 常岡 1992, pp. 37–40.
  6. ^ a b c d e f 渡辺 2007, pp. 123–124.
  7. ^ フォーヴェル 2021, p. 95.
  8. ^ a b c d e f g 平野 1976, pp. 471–472.
  9. ^ a b 工藤庸子. “メダン派”. 日本大百科全書(ニッポニカ) コトバンク. 2023年3月8日閲覧。
  10. ^ 工藤庸子. “ゾラ”. 日本大百科全書(ニッポニカ) コトバンク. 2023年3月8日閲覧。
  11. ^ a b c d e 田中 1999, pp. 39–43.
  12. ^ 高取 1988, pp. 65–66.
  13. ^ a b 水野 2021, p. 13.
  14. ^ a b c d e f g 高取 1988, pp. 70–71.
  15. ^ a b c d e f g h i 渡辺 2007, pp. 123–126.
  16. ^ a b 渡辺 2007, pp. 126–129.
  17. ^ a b 高取 1988, pp. 62–63.
  18. ^ 高取 1988, pp. 62–64.
  19. ^ 高取 1988, pp. 63–64.
  20. ^ 高取 1988, pp. 63–65.
  21. ^ 高取 1988, pp. 69–70.
  22. ^ a b 高取 1988, pp. 71–73.
  23. ^ 藤村作 編『日本文学大辞典 1』 p.9 新潮社 1934年10月 [1]
  24. ^ 二葉亭四迷 コトバンク
  25. ^ 斎藤昌三『書斎随歩』 p.113 書物展望社 1943年 [2]


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