美能幸三 美能幸三の概要

美能幸三

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2014/10/19 03:18 UTC 版)

広島抗争の中心人物の一人であり、後にそのいきさつを描いた『仁義なき戦い』の原型となる獄中手記を書いた人物である。詳細は広島抗争、『仁義なき戦い』の項を参照。

生涯

大正15年(1926年)7月、広島県呉市に生まれる。父親は退役軍人で海軍工場に勤め、母親は小学校の教員だった。中学2年で退学し毎日ぶらぶらとしていたが昭和17年に海軍に志願し昭和20年(1945年)11月18日、南方戦線より復員した。呉に帰郷後は遊び人に身を投じ昭和22年(1947年)5月末、呉駅前で、友人に怪我をさせた旅のヤクザを射殺した。この罪の服役中、刑務所で悪魔のキューピーこと大西政寛と出会い、兄弟の杯を交わす。大西に山村組に入ることを薦められ、山村辰夫に保釈金を積んでもらい保釈、すぐに山村組の若衆になった。このときの若頭は佐々木哲彦である。

商売がうまく、次第に力をつけていった山村は名門土岡組が目障りに感じるようになる。土岡組の大西を巧みに引き込んだりして、弱体化を図り、昭和24年9月、遂に土岡組長土岡博暗殺を企てて美能を鉄砲玉に仕立てた。美能は土岡に重傷を負わせたが結局暗殺に失敗した。山村はこの不始末に激怒、美能に再出撃を命じたが美能は実行しなかった。10月に自首し昭和34年まで服役した。

出所後は山村組幹部として力をつけるが広島抗争では破門され敵陣営の打越側につく。抗争が激化している昭和38年(1963年)7月5日、広島県警に別件逮捕、仮釈放を取り消され網走刑務所で服役。この間に「仁義なき戦い」の原作となった手記を執筆する。1970年(昭和45年)9月、出所。すぐに引退し堅気となる。説得され週刊サンケイ(現・SPA!)で「仁義なき戦い」連載と映画化を了承する。

平成22年(2010年)3月17日、死去。83歳。

著書

  • 『極道ひとり旅』 サンケイ新聞社出版局

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書籍

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