缶詰 歴史

缶詰

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/07/23 08:10 UTC 版)

歴史

瓶詰から缶詰へ

フランスナポレオン・ボナパルト遠征における食料補給の問題に悩まされ、その懸賞に応えた同国のニコラ・アペールにより1804年、長期保存可能な瓶詰めが発明された[14]。だがガラス瓶は重くて破損しやすいという欠点があった。

ビン詰めの欠点を改善するため、1810年イギリスのピーター・デュランド (Peter Durand) が、金属製容器(ブリキ缶)に食品を入れる「缶詰」を発明した[15][16]。これにより、食品を長期間保存・携行することが容易になった。ただし、初期のものは殺菌に問題があり、たびたび中身が発酵して缶が破裂するという事故を起こしている(これは後に改良された)。また、密封用のはんだが多量に含まれており、食べた人が鉛中毒で死亡する事故もあった。

1812年には、ブライアン・ドンキン(Bryan Donkin)とジョン・ホール(John Hall)がデュランドの特許を基にイギリスに世界初の缶詰工場を建設、翌1813年から陸海軍に納入を開始した[17]。当初は手作業によって封をはんだ付けしていたため、一人当たり1日に60~70個しか生産できなかった[17]1833年にはフランスのアンシルベールによって、缶の蓋の周りをはんだ付けし、熱で溶かして缶を開ける方式が考案された。

缶詰は、初期には主に探検家の携行食や船舶用の非常食軍用食として活用された。特にアメリカ合衆国南北戦争で多く利用された。後に一般向けにも製造されるようになり、現在では、災害対策用の備蓄用食品(非常食)としても利用されている。

缶切りの発明

当初、缶切りは発明されず、開封には金鎚(のみ)が用いられ[注 2]、戦場では斧で切ったり銃剣でこじ開けたり、銃で撃って開けたりした[16]。そのため、内容物が固形物に限られ、液状のドリンク類は入れられなかった。1858年、アメリカのエズラ・J・ワーナーにより缶切りが発明されると、液体なども入れられるようになり、内容物のバリエーションが広がった。さらに、その後、缶切りが無くても開けられる様にイージーオープンエンドが発明された。

19世紀の末に缶詰の生産が軌道に乗り、キャンベルハインツのスープのように日常食となり得る品質の製品が現れ始めると、缶詰食は一種のステータスシンボルとなった[18]

日本の缶詰

陸上自衛隊の缶詰食(戦闘糧食I型、通称「缶飯」)

日本での初めての製造は、明治4年(1871年)に長崎県で、松田雅典(まつだ・がてん)によってフランス人レオン・デュリー(Leon Dury)[19]の指導の下、イワシ油漬の缶詰の試作が行なわれたとされている[13](この段階では缶詰という言葉は存在していない)。

本格的な生産が始まったのは1877年(明治10年)10月10日北海道石狩市で石狩缶詰所が創業したことによる。初期にはアメリカ人Ulysses S.TreatとTrescott Swert[19]の指導の下、サケ缶が製造されていた。このことから日本缶詰協会はこの日、10月10日を缶詰の日と定めている。当初は缶詰は管詰と綴られた。

明治時代には、主に日本国外向けの輸出用、国内向けには軍需用として生産されていたため、庶民には普及しなかった。当時の缶詰の価格は、1缶が20から35銭で、白米1が7.65銭であったことから、いかに高価な食品であったかがわかる[20]

1905年(明治38年)に大日本缶詰業連合会が設立されて研究が進み、年間5千トンほど輸出するようになり、第一次世界大戦後の1921年から25年にかけては年間生産量も約2万トンから7万トンへ飛躍的に増加した[21]

国内で本格的に普及するきっかけは、1923年大正12年)の関東大震災以降で、アメリカから送られた支援物資に缶詰が用いられたことによるものとされる。

満州事変前後からは外貨獲得のための輸出用や軍用に回されるようになり、1939年には生産量約34万2300トン(1712万函、2億8367万円)、輸出量は17万3000トン(867万函、2億5000万円)を記録した [22][注釈 1]

特殊な例になるが、第二次世界大戦時の金属供出を受けて開発された陶製代用品には缶詰も含まれており、蓋付きの陶製容器をゴムで密封したものが「防衛食」という名称で当時は多く流通した。だが、缶詰にする食料自体が欠乏し、やがて製造は打ち切られた[23]。なお、戦後60年以上経過したものを開封してみても、中の食品の品質に問題はなかったという[24]

戦後は大日本缶詰貿易協会が閉鎖機関に指定され缶詰企業の整理統合も行われたが、1970年代には年間生産量約100万トン、年間輸出量約30万トンにもなった [22]。しかしながら、昭和51年(1976年)から昭和52年(1977年)にかけて決定された200海里漁業専管水域の設定により、それら缶詰の輸出は壊滅的な打撃を受け、約60年の歴史を閉じることとなった[25]

日本での缶詰の消費量は、日本缶詰びん詰レトルト食品協会によれば406万トン(2017年推計)であった。ただし、缶コーヒー、果汁飲料の缶ドリンクを含むが、缶ビール炭酸飲料スポーツドリンク類は除かれている。250g缶相当で一人あたり127缶、ドリンク類を除くと33缶である[26]レトルトパウチなどの売り上げが伸びており、缶詰の消費量は若干減少傾向にある。


注釈

  1. ^ ストラバイト胃酸で溶けるため無害。
  2. ^ そのため、缶には「のみとハンマーで開けてください(Cut round on the top near the outer edge with chisel and hammer)」と注意書きがされていた[17]
  3. ^ 商品名の「平成」は元号の「平成」(へいせい)と地名の「平成」(へなり)をかけたものである。

出典

  1. ^ 当時の輸出政策では、1938年に民需向けの綿布の製造が禁止されて輸出に回され、国内では代用品としてレーヨンが販売されるようになったこともあった。
  1. ^ a b c 日本食品保蔵科学会『食品保蔵・流通技術ハンドブック』(建帛社 2006年)p.38
  2. ^ a b 空気や鉱物入りも 日本全国「食べられない缶詰」を集めてみた 太田出版Webマガジン「OHTABOOKSTAND」(2015年6月29日)2022年8月30日閲覧
  3. ^ a b c d e f 缶詰、びん詰、レトルト食品Q&A(生産・消費)”. 日本缶詰協会. 2013年3月6日閲覧。
  4. ^ 黒川勇人『缶詰本』26頁
  5. ^ a b c d e f g h 日本食品保蔵科学会『食品保蔵・流通技術ハンドブック』(建帛社 2006年)p.39
  6. ^ a b c d e 『Cook料理全集9 かんづめ料理と冷凍食品』(千趣会 1976年)p.176
  7. ^ a b c d かんづめハンドブック 6.缶詰の特徴”. 日本缶詰協会. 2013年3月2日閲覧。
  8. ^ 「東京でもスズを検出 かん詰トマトジュース」『朝日新聞』朝刊1969年(昭和44年)8月29日12版14面
  9. ^ 「モモカン詰のスズ溶け 給食の200人中毒 新潟の小学校」『朝日新聞』朝刊1970年(昭和45年)3月7日12版15面
  10. ^ じか火で缶詰加熱やめて 日本製缶協会 有害物質溶け出る恐れ」『読売新聞』朝刊2023年7月19日くらし面(2023年7月23日閲覧)
  11. ^ 缶詰ハンドブック 日本缶詰協会(2009年8月22日閲覧)
  12. ^ @警視庁警備部災害対策課. "災害時、プルトップ型ではない缶詰を道具が何もない状態で開けるには、どうすればいいでしょうか。それには缶詰のふたのフチを、コンクリートやアスファルトにこすりつけて下さい。缶詰のふたは構造上フチの接合部分が削れると取れるようになっています。女性や子供の方でも簡単にできますよ。" (ツイート). Twitterより2018年10月18日閲覧
  13. ^ a b 管野浩編『雑学おもしろ事典』(日東書院 1991年)p.38
  14. ^ 「日本缶詰協会、缶詰誕生200年で記念事業、発明者メニュー5品を復元」『日本食糧新聞』2004年4月23日
  15. ^ 谷川英一『罐詰の科学』生活社、1949年。 
  16. ^ a b フジテレビトリビア普及委員会『トリビアの泉〜へぇの本〜 6』講談社、2004年。 
  17. ^ a b c 金属缶の誕生(製缶技術の変遷・金属缶の歴史)”. 日本製缶協会. 2016年8月22日閲覧。
  18. ^ ジャネット・クラークソン著 富永佐知子訳『スープの歴史』(原書房、2014年)pp.102-106
  19. ^ a b 日本缶詰協会監修『缶詰ラベル博物館』2002年6月、p.2
  20. ^ 日本缶詰協会創立80周年記念 缶詰業界の歩みと団体の活動」日本缶詰協会 2007年(2010年9月11日閲覧)
  21. ^ 日本缶詰協会 2007a.
  22. ^ a b 日本缶詰協会 2007b.
  23. ^ 戦時中に製造された陶磁器製品(2)
  24. ^ テレビ東京系列『開運!なんでも鑑定団』2017年8月1日放送
  25. ^ 『日本缶詰検査協会二十五年史』1980年5月
  26. ^ 日本缶詰びん詰レトルト食品協会 (2018年8月3日). “03. 缶詰、びん詰、レトルト食品の国内消費はどれくらいですか?”. 公益社団法人日本缶詰びん詰レトルト食品協会HP. 2020年3月18日閲覧。
  27. ^ a b 缶詰、びん詰、レトルト食品Q&A (表示)”. 日本缶詰協会. 2013年3月6日閲覧。
  28. ^ a b c 食品保健研究会(編) 1989, p. 168.
  29. ^ 食品保健研究会(編) 1989, p. 172.
  30. ^ a b c d 食品保健研究会(編) 1989, p. 169.
  31. ^ 食品保健研究会(編) 1989, pp. 169–170.
  32. ^ a b c d 食品保健研究会(編) 1989, p. 170.
  33. ^ 食品保健研究会(編) 1989, pp. 170–171.
  34. ^ a b c d 食品保健研究会(編) 1989, p. 171.
  35. ^ 食品保健研究会(編) 1989, pp. 171–172.
  36. ^ 摩周湖レストハウス、 - 株式会社 弟子屈町振興公社 - 2021年12月18日閲覧。
  37. ^ Original Canned Air From Prague、Dieline、2011年4月1日。(「プラハの空気」の缶詰を紹介)
  38. ^ レファレンス事例詳細 東京都江戸東京博物館図書室 「大東京名物・空気の缶詰」とはどんなもので、いつ頃発売されたのか? レファレンス協同データベース、2021年10月16日(更新)
  39. ^ Hong Kong `airs' captured - in a can デザレット・ニュース英語版(1997年5月30日)
  40. ^ あの平成村で「平成の空気」を採取し、缶詰にして販売!「日本平成村」2019年4月22日(月)に公開作業実施 株式会社ヘソプロダクション PRTIMES(2019年4月18日)
  41. ^ 灰缶詰~ハイ!どうぞ!~垂水市 2021年5月19日(更新)。
  42. ^ カフェで旅館で 執筆催促「自宅には誘惑が…」カンヅメで集中毎日新聞』夕刊2022年8月27日(社会面)2022年8月30日閲覧
  43. ^ 大雪で電車に缶詰、JRはホテルのキャンセル料など支払うの?共同通信NEWSmart(2022年8月30日閲覧)
  44. ^ 大雪直撃で県内大荒れ、交通網乱れ相次ぐ山形新聞(2013年2月25日)
  45. ^ アルミニウムリサイクルに関するお話 - アスカ工業





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