縄文人 縄文人の概要

縄文人

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/08/16 21:11 UTC 版)

縄文人と縄文犬の復元模型(国立科学博物館の展示)

概略

旧石器時代後の、約1万6,500年前の紀元前145世紀から約3,000年前の紀元前10世紀にわたる縄文時代の文化は、概ね現在の日本に分布していた。そのため、この地域に居住していた縄文土器を作る新石器時代人を縄文人と見ることが出来る[1]

この縄文人は時期によって異なるが地域ごとに4-9のいくつかの諸集団に別れていたと考えられている[2]。日本列島(旧石器時代のこの海域は後述のように、現在とは相当に異なった海岸線を持っていた)に居住していた後期旧石器時代の人々が、後に縄文文化と総称される文化形式を生み出し、日本における縄文人諸集団が出現したと推測されている。

形質的特徴

縄文時代晩期人の男性の頭骨(レプリカ)。宮野貝塚(岩手県)出土。国立科学博物館の展示[3]
縄文時代後・晩期人の女性の頭骨(レプリカ)。蝦島貝塚(岩手県)出土。国立科学博物館の展示[3]

縄文人の形質的な特徴を一般的に表すと、次のようになる。まず身長は平均して成人男性で155センチ前後、成人女性で150センチ弱。いわゆる彫りが深い顔立ちであり眉間が突き出しているが、一方で鼻の付け根が引っ込んでいる。眉毛は濃く、目は大きめで、まぶたは二重、唇はやや厚めで顎の骨が発達している。

こうした特徴を持つ人々が日本列島に出現した時期は、最終氷期の最寒冷期(紀元前160世紀すなわち1万8000年前に氷河が堆積して海水面が最も低くなり、オホーツク海から北海道に歩いて渡れるようになった時期)が終わった後と見られる。ただし、既に日本列島に居住していた後期旧石器時代人の形質が変化したものなのか、列島外から移住してきた人々の影響があるのかは不明である[4]

日本列島に住む人々の形質は、弥生時代以降現代に近いものに変化していくが、これについて列島外から移住してきた人々の遺伝的影響を重視する見解と、生活習慣の変化を重視し、列島外からの遺伝的影響は比較的限定されたもので、縄文人の系統はそのまま現代日本人につながっているとする見解がある。

縄文人のルーツ

形質人類学から見た縄文人のルーツ

形質人類学の分野では、化石人骨が比較的多く見つかっている東南アジア日本列島の旧石器時代人との類似を指摘する研究が多い。

これまでに出土した化石人骨と縄文人の関係を見ると、縄文人に最も近いとされているのは沖縄島出土の港川人(およそ1万8000年前)であるが、形質面から見ると縄文人は港川人の次の段階とまでは言えず、両者の間には更に1つか2つのミッシングリンクがあると考えられている[5]港川人の頭骨はワジャク人に近く、柳江人や山頂洞人(中国)にはそれほど似ていない為、少なくとも琉球弧の縄文人の祖先は環太平洋方面から来たのではないかと考えられている[6]

分子人類学から見た縄文人のルーツ

父系のルーツ

父系のルーツを辿ることができるY染色体ハプログループは、数万年にわたる長期的な追跡に適しており、1990年代後半から研究が急速に進展した。それに伴い、現代日本人は従来考えられてきたよりも色濃く古モンゴロイド的縄文人の血を引き継いでいる事が判明してきた。

崎谷満の分析では、日本人は主にY染色体ハプログループD1bの縄文系とハプログループO1b2弥生系を起源とする事が明らかになった。ハプログループD系統はYAP型(YAPハプロタイプ)ともいわれ、現代アジアにおいて支配的なO系統C2系統とは分岐から7万年以上経ており、最も近縁であり同じYAP型であるE系統とも6.5万年前に分岐した非常に孤立的な系統であると言える。このハプログループD1bアイヌ人沖縄人・本土日本人の3集団に多く見られるタイプであり、朝鮮半島中国人漢民族)には全く見られない。このハプログループD1bはアイヌ人の88%に見られる事から、D系統はかつての縄文人(古モンゴロイド)のものであると考えられている。但し縄文人のハプログループがD1bだけだった訳ではなくC1a系統もあったことが知られているが、多数派として現在まで伝わったハプログループがD1bだといえる[7]

アリゾナ大学のマイケル・F・ハマー (Michael F. Hammer) のY染色体分析でもYAPハプロタイプD系統)が研究されて、チベット人も沖縄人同様に50%の頻度でこのYAPハプロタイプ(D系統)を持っていることが分かった[8][9][10]

現在世界でD系統は極めて稀であり、日本人以外では、東アジアの一部に低い頻度で観察されるほかは、遠く西に離れたチベット人やアンダマン諸島のジャラワ族オンゲ族[11]に高頻度に見られるのみである。ただし同じD系統とは言え、チベット人はD1aであり、サブグループの異なるD1bの縄文人とは4万年程前に分岐しているため、近縁とは言えず明確に区別される。
なお、当時の弥生人や現代東アジアにおいて支配的なO系統は、ウラル系N系統コーカソイド系において最多的なR系統などと近縁であり、YAP型(D系統、E系統)とは全く異なるグループである。以上のことから縄文人から自然進化的に弥生人が派生したという説は完全に否定されている。

日本列島にD系統の人々が入ってきたのは数万年前の最終氷期地続きの時代と考えられている。その証拠として、日本人のD系統にのみ見られる多くのSNPの発生があげられる。SNPは突然変異により発生する確率的な事象であるから、発生数によって時間の経過が分かるのである。日本固有のD1b系統はその発生から3.5-3.7万年ほどたっているとされ[12]、考古学から求められる日本列島に最初に現生人類集団が到来した時期と一致している。

長らく縄文人の人骨よりY染色体ハプログループは分析されてこなかったが、北海道礼文島の船泊遺跡(縄文時代後期前葉から中葉(約3,800~3,500 年前))から出土した人骨・船泊5号のY染色体ハプログループがD1b2a(D-CTS220)であることが判明した[13]。これにより「縄文人はハプログループD1bに属す」という従来よりの仮説が完全に実証されたことになる。

母系のルーツ

父系のルーツを辿れるY染色体ハプログループに対し、ミトコンドリアDNAハプログループは母系のルーツを辿ることができる。ただし、ミトコンドリアDNAは稀に男性のDNAが混じることや、人間より検証個体の多いネズミのDNA測定では、ハプログループの分岐や時期が事実とは全く異なっていたから、あくまでもY染色体DNA等、他の資料と共に考察する必要がある。
ミトコンドリアDNA(母系)の分析によって縄文人のルーツの一角が解明され、日本固有のハプログループM7aや南方系と共通の遺伝子を持つハプログループBFを持つことが知られている。宝来聡の研究によると、「東南アジアの少数民族から日本列島に位置する琉球弧人やアイヌまでが共通の因子を持つ」とされ、形質人類学においてはこれらの人々が縄文人と最も近いとされることから、縄文人のルーツは東南アジア旧石器時代人との見方が可能である[14]

これらを裏付けるように、国立科学博物館人類研究部 研究主幹の篠田謙一らの研究では、鹿児島県霧島市・上野原遺跡の縄文人(25,000年前)から同様にハプログループM7aが検出され、縄文人は、現在は海底に沈んでいる東南アジアフィリピン沖のスンダランドが起源で、北上して南九州に到達し、大隅半島西北部の小高い台地にある上野原遺跡と呼ばれる「最古のムラ」から日本全国M7a系統の縄文人が拡散したと想定している。このM7a系統は、縄文時代にすでに北海道へも到達していたことが明らかとなっている。

さらに2010年までに沖縄県石垣島白保竿根田原洞穴遺跡から発掘された、旧石器時代人骨国立科学博物館が分析した結果、国内最古の人骨(約2万-1万年前)とされた4点のうち2点はハプログループM7aであることが明らかとなった[15]

しかしながら、溝口優司は、5万年から6万年前にインドを経由し東南アジアで放散した東アジア人全体の祖先[16]の中から日本列島に到達したグループは複数存在し、東南アジアから北上する過程で台湾南西諸島を経由し日本列島に到達した場合もあれば、一度北上し1万5千年前にバイカル湖周辺で寒冷地適応した後に南下し朝鮮半島や中国から日本列島に移住した場合、バイカル湖を経由せずに大陸を海岸沿いに北上し、ブリヤートあたりから南下したルートが存在すると考えると、日本列島の遺伝的勾配をうまく説明できるという説を唱えている[17]。この説の要点は東アジアグループの成立年代が6万年前であり、バイカル湖で寒冷地適応したグループがアフリカから中央アジアを経由したわけではないので、宝来や篠田の説とも矛盾しないが、溝口の説はあくまで仮説の域であり、確証となる根拠は皆無である。

いっぽう尾本惠市崎谷満などの分子人類学者は東アジアへの人類到達はヒマラヤ山脈の北方を経由したとする「北回り説」を唱えている。崎谷は著書[18]において、ミトコンドリアDNAY染色体といった分子人類学的指標、旧石器時代の石刃技法という考古学的指標、成人T細胞白血病ウイルスやヘリコバクター・ピロリといった微生物学的指標のいずれにおいても、東アジアのヒト集団は北ルートから南下したことを示し、南ルートからの北上は非常に限定的であったと述べている。崎谷はハプログループM7aは東南アジアではなくシベリア南部-極東で誕生したとしている。この説が正しいとすれば、縄文人の祖先もまた出アフリカ後にアルタイ山脈付近、朝鮮半島を経由して日本列島にやってきた人々の子孫であり、縄文人のスンダランド起源説は完全な誤りということになる。

また北海道の縄文人はハプログループN9bが最多でM7aは少なく、東北地方の縄文人も似た傾向を示している。このことから縄文人のルーツは一つではなく複数あったと考えられる。

考古学から見た縄文人のルーツ

日本列島に居住した後期旧石器時代人を縄文人の直接の祖先と見た場合、問題となるのは、これら日本列島の後期旧石器時代人はどこから来たのかという点である。石器の形式に注目してみると、後期旧石器時代の日本列島にはナイフ型石器と細石刃という、同じ用途に用いられる2種類の石器が存在していた。

ナイフ型石器は大陸では出土例が無いもので、日本列島で独自に発達したものと考えられ、鹿児島県上野原遺跡の調査などから発見されている鹿児島県上野原遺跡

しかし、珍しい例外としては、細石刃はバイカル湖周辺に起源を持つもので、日本列島に伝播したのはおよそ2万年前、宗谷海峡経由で北海道にもたらされた。細石刃が東北や北陸に伝わるのはおよそ1万5000年前である。つまり、この時期に北東アジア方面から細石刃の技術を持った少数の人々(ハプログループC2(C-M217)らが北方からも日本列島に移動してきたことになるという。

ATLのレトロウイルス

縄文人に関連する遺伝子として、ATLのレトロウイルス (HTVL-I) がある。このウイルスは成人T細胞白血病 (ATL) を引き起こす原因として発見されたもので、HTLVは京都大学ウイルス研究所教授の日沼頼夫によって研究が進められた。

日本人にはこのウイルスキャリアが多数存在することは知られていたが、東アジアの周辺諸国ではまったく見出されていない。いっぽうアメリカ先住民やアフリカ、ニューギニア先住民などでキャリアが多いという特徴をもつ。日本国内の分布に目を転じてみると、九州南部と長崎県に多いのが目立つ。そして沖縄アイヌに特に高頻度で見られ、四国南部、紀伊半島の南部、東北地方太平洋側隠岐五島列島などの僻地や離島に多いことが判明した。九州、四国、東北の各地方におけるATLの好発地域を詳細に検討すると、周囲から隔絶され交通の不便だった小集落でキャリアは高率に温存されている。東京、大阪など大都市で観察される患者の90%以上は九州などに分布するATL好発地帯からの移動者で占められていた。 このウイルスの感染機構は生きた感染リンパ球と非感染リンパ球の接触で起こり、空気や通常接触では感染せず、体液(血液、母乳、精液など)が主な感染源になる。自然感染の経路としては母児間の垂直感染と男女間の水平感染に限られることになる。特に夫から妻への感染が多く逆はほとんど観察されない。

以上より、日沼はこのウイルスのキャリア好発地域は、縄文系の人々が高密度で残存していることを示していると結論付けた[19]。HTLVはかつて日本列島のみならず東アジア大陸部にも広く分布していたが、激しい淘汰が繰り返されて大陸部では消滅したようである。弥生時代になってウイルス非キャリアの大陸集団が日本列島中央部に多数移住してくると、列島中央部でウイルスが薄まっていったが、列島両端や僻地には縄文系のキャリア集団が色濃く残ったものと考えられる。


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  1. ^ 藤尾慎一郎『縄文論争』講談社、2002年、88-89ページ。 なお、もともと新石器時代という概念はヨーロッパを対象とした考古学における概念で農耕の存在を重視するものだったため、1960年代からしばらくの間は縄文文化は新石器文化に分類されていなかった。
  2. ^ 藤尾、前掲書、66ページ
  3. ^ a b 縄文人の頭骨の特徴 国立科学博物館
  4. ^ 藤尾、前掲書、110-111ページ
  5. ^ 藤尾、前掲書、94-100ページ
  6. ^ 同上
  7. ^ 崎谷満 (2005.8). “『DNAが解き明かす日本人の系譜』”. 科学 (勉誠出版). 
  8. ^ 道方しのぶ『日本人のルーツ 探索マップ』平凡社新書,2005年,61頁
  9. ^ Michael F. Hammer (2005) (PDF). Dual origins of the Japanese: common ground for hunter-gatherer and farmer Y chromosomes. The Japan Society of Human Genetics and Springer-Verlag. http://www.eva.mpg.de/genetics/pdf/Japan.pdf 2007年1月19日閲覧。. 
  10. ^ University of Pittsburgh, Jomon Genes - Using DNA, researchers probe the genetic origins of modern Japanese by John Travis
  11. ^ Kumarasamy Thangaraj, Lalji Singh, Alla G. Reddy, V.Raghavendra Rao, Subhash C. Sehgal, Peter A. Underhill, Melanie Pierson, Ian G. Frame, Erika Hagelberg(2003);Genetic Affinities of the Andaman Islanders, a Vanishing Human Population ;Current Biology Volume 13, Issue 2, 21 January 2003, Pages 86–93 doi:10.1016/S0960-9822(02)01336-2
  12. ^ Shi, Hong; Zhong, Hua; Peng, Yi; Dong, Yong-li; Qi, Xue-bin; Zhang, Feng; Liu, Lu-Fang; Tan, Si-jie; Ma, Runlin Z; Xiao, Chun-Jie; Wells, R Spencer; Jin, Li; Su, Bing (October 29, 2008). "Y chromosome evidence of earliest modern human settlement in East Asia and multiple origins of Tibetan and Japanese populations". BMC Biology (BioMed Central) 6: 45. doi:10.1186/1741-7007-6-45. PMC 2605740. PMID 18959782. Retrieved November 21, 2010
  13. ^ 神澤ほか(2016)「礼文島船泊縄文人の核ゲノム解析」第70回日本人類学大会[1]
  14. ^ 藤尾、前掲書、101ページ
  15. ^ 『白保竿根田原洞穴:旧石器人骨からDNA…国内で最古』”. 毎日新聞 (2013年12月2日). 2013年12月2日閲覧。
  16. ^ The HUGO Pan-Asian SNP Consortium (December 2009). “Mapping Human Genetic Diversity in Asia”. Science 326 (5959): 1541-1545. doi:10.1126/science.1177074. 
  17. ^ 溝口優司 (2010.04). “日本人形成論への誘い─シナリオ再構築のために”. 科学 (岩波書店). 
  18. ^ 崎谷満『DNA・考古・言語の学際研究が示す新・日本列島史』(勉誠出版 2009年) 
  19. ^ 日沼頼夫 (1998) 「ウイルスから日本人の起源を探る」『日本農村医学会誌』,46(6),908-911
  20. ^ 藤尾慎一郎『縄文論争』講談社、2002年、45-48ページ
  21. ^ 現在では、ブリテン島など新石器時代には殆ど農耕を行っていなかった地域もヨーロッパに存在したことが知られている(藤尾、前掲書、188-191ページ)。
  22. ^ およそ2万年前の後期旧石器時代の遺跡から神津島産の黒曜石が発見された例も多い。代表的なものとして東京都練馬区の比丘尼橋遺跡、同調布市の野川遺跡、相模原市の橋本遺跡などがある。ただしこの時期の海岸線は現在のものとは大きく違っており、伊豆諸島の利島から神津島までは一つの大きな島であった(橋口尚武編『海を渡った縄文人』小学館、1999年、6-7ページ)。
  23. ^ 橋口尚武編『海を渡った縄文人』小学館、1999年および橋口尚武『黒潮の考古学』同成社、2001年等
  24. ^ 荒俣宏・篠遠喜彦『楽園考古学』
  25. ^ ただしこうした説を唱える者は歴史学や人類学、考古学の専門家の中には存在しない。詳細はエクアドルの歴史を参照。
  26. ^ 古代の日本においては蝦夷(エミシ)、11世紀から12世紀にかけての日本では胡(エビス)、13世紀以降の日本人は蝦夷(エゾ)と呼んだ(佐々木馨『アイヌと「日本」』山川出版社、2001年、12-13ページ)。
  27. ^ 熊谷公男『蝦夷の地と古代国家』山川出版社、2004年、16-17ページ
  28. ^ 平山祐人『アイヌ史のすすめ』北海道出版企画センター、2002年
  29. ^ 小野有五『自然のメッセージを聴く』北海道新聞社、2007年
  30. ^ 熊谷、前掲書、5-6ページ
  31. ^ 門田誠一「朝鮮三国時代における硬玉製勾玉の消長」『古代東アジア地域相の考古学的研究』2006,学生社
  32. ^ 橋口、前掲書、52ページ
  33. ^ 橋口、前掲書、53ページ
  34. ^ 橋口、前掲書、10-21ページ
  35. ^ 橋口、前掲書、52-53ページ
  36. ^ 別の可能性として、黒潮本流のルートが一時的に変化し、八丈島の南に移っていたのではないかとも考えられている(橋口、前掲書、59ページ)
  37. ^ これより以前に湯浜人と呼ばれる人々が八丈島と神津島の間を行き来していたが、湯浜人の出自はまだはっきりしておらず、本州島から伊豆諸島に渡った集団であるかどうかもよく分かっていない。
  38. ^ 本節では島と島の間の航行が特に問題となる為、現在の九州地方で最大の島を特に九州島と表記し、九州島周辺の離島と分けて取り扱う。
  39. ^ 橋口、前掲書、55-57ページ
  40. ^ 橋口、前掲書、152-153ページ
  41. ^ 長浜浩明『韓国人は何処から来たか』
  42. ^ 堤隆は旧石器時代の神津島での黒曜石採取については、丸木舟を建造出来るような石器が存在しなかったことから考えて、カヤックのようなスキンボートを使用したのではないかと指摘している(堤隆『黒曜石3万年の旅』NHKブックス、2004年、93ページ)
  43. ^ ほとんど舷側が無い、サーフィンのロングボードに近いもの。例えばさいたま市の膝子遺跡出土の縄文後期と推測される丸木舟群の中には、残存長4.2メートル、残存幅45センチで舷側が殆ど無いものが含まれている(橋口、前掲書、161-162ページ)。
  44. ^ 本節の典拠は橋口、前掲書、158-172ページ
  45. ^ 堤隆『黒曜石3万年の旅』NHKブックス、2004年、96-97ページ
  46. ^ 柴田治呂 (1991) 『カムイから神へ』 筑摩書房
  47. ^ 縄文語の発見






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