縄文人 縄文人の概要

縄文人

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/16 15:00 UTC 版)

概略

旧石器時代後の、約1万6,500年前の紀元前145世紀から約3,000年前の紀元前10世紀にわたる縄文時代の文化は、概ね現在の日本に分布していた。そのため、この地域に居住していた縄文土器を作る新石器時代人を縄文人と見ることが出来る[2]。平均身長は男性が160cm弱、女性は150cm弱でがっしりとしており、彫りの深い顔立ちが特徴で、世界最古級の土器を作り、約5000年前の縄文中期には華麗な装飾をもつ火焔(かえん)土器を創り出すなど独自の文化を築いた[1]。東南アジアに起源をもつ人々ではないかと考えられてきたが、父系・母系両方の遺伝情報が入った核DNA解析の結果(三貫地貝塚人骨、船泊遺跡縄文人骨)、東ユーラシアの人々の中では遺伝的に大きく異なる集団であることが判明した[1]。北海道や東北の縄文人は、本州や九州の縄文人とは明らかに異なっており、本州と九州の縄文人は、現代の東アジア人に似ていたとされる[3][4]

なお、もともと新石器時代という概念はヨーロッパを対象とした考古学における概念で農耕の存在を重視するものだったため、1960年代からしばらくの間は縄文文化は新石器文化に分類されていなかった。

この縄文人は時期によって異なるが地域ごとに4から9のいくつかの諸集団に別れていたと考えられている[5]。日本列島(旧石器時代のこの海域は後述のように、現在とは相当に異なった海岸線を持っていた)に居住していた後期旧石器時代の人々が、後に縄文文化と総称される文化形式を生み出し、日本における縄文人諸集団が出現したと推測されている。

形質的特徴

縄文時代晩期人の男性の頭骨(レプリカ)。宮野貝塚(岩手県)出土。国立科学博物館の展示[6]
縄文時代後・晩期人の女性の頭骨(レプリカ)。蝦島貝塚(岩手県)出土。国立科学博物館の展示[6]

彫りが深くて二重まぶた、眉や髭が濃い、沖縄県民やアイヌのような「濃い顔」が特徴。耳垢が湿っている。下顎が頑丈。がっしりしていて、平均身長は男性で160cm弱[7]

こうした特徴を持つ人々が日本列島に出現した時期は、最終氷期の最寒冷期(紀元前160世紀すなわち1万8000年前に氷河が堆積して海水面が最も低くなり、オホーツク海から北海道に歩いて渡れるようになった時期)が終わった後と見られる。ただし、既に日本列島に居住していた後期旧石器時代人の形質が変化したものなのか、列島外から移住してきた人々の影響があるのかは不明である[8]

3,800年前の縄文人女性の全ゲノム解析によると、縄文人サンプルは、太陽の下で長時間過ごすと肝斑を発症するリスクが高く[9][10]、同じく2018年に北海道の礼文島から出土した3800年前の縄文人女性のゲノム情報をもとに顔を復元したところ、その女性の肌の色は現代の日本人よりもやや黒く、髪は細く繊細で、目の色は明るい茶色だった[11]

2015年に科学雑誌ネイチャー に掲載されたジナムらによるゲノムワイド一塩基多型(SNP)データ比較を用いた研究では、北海道の縄文人サンプルは、ヨーロッパ人(そしておそらく他の集団においても)の顔の特徴に影響を与えることが以前の研究で知られている2つの遺伝子を含むいくつかの遺伝子座で本土の日本人とは異なることが判明した[12]

近藤ら(2017)は、日本の縄文時代集団の地域的な形態学的・頭蓋計測学的特徴を分析し、それらが形態学的に異質であり、東北から南西に沿って連続的に差異を示すことを明らかにした。彼らは、「縄文時代の頭骨は、特に脳頭蓋において、日本列島を横断する北東から南西への地理的な連続変異を識別可能なレベルで示し、北海道と沖縄のサンプルはその両極端に位置する、とし、以下のシナリオは、注意深く仮定することができると結論づけた:(a)縄文人の集団形成は、西日本(沖縄や九州地方)ではなく、東日本または中部日本で進行したようである。(b)九州の縄文人は、小規模で孤立した集団の歴史を持っている可能性がある。(c)北海道の縄文人の集団の歴史は、深く根を下ろし、かつ/または長期的な外来遺伝子の流れの影響を受けた可能性がある[13]

縄文人のルーツ

形質人類学から見た縄文人のルーツ

かつてアイヌはコーカソイドではないかと考えられていたことがあるように、縄文人も形質的にコーカソイドに類似するとの研究[14] もあるものの、形質人類学の分野では、化石人骨が比較的多く見つかっている北東アジアと日本列島の旧石器時代人との類似を指摘する研究が多い。

これまでに出土した化石人骨と縄文人の関係を見ると、縄文人に最も近いとされているのは沖縄島出土の港川人(およそ1万8000年前)であるが、形質面から見ると縄文人は港川人の次の段階とまでは言えず、両者の間には更に1つか2つのミッシングリンクがあると考えられている[15]。また、港川人の頭骨はワジャク人に近く、柳江人山頂洞人(中国)にはそれほど似ていない為、少なくとも琉球弧の縄文人の祖先は環太平洋方面から来たのではないかとの見方がある[15]

一方で、縄文人は旧石器時代のシベリア南部の集団に由来するとする研究もある[16][4]

瀬口(2014)によると、先史時代の縄文人は、日本へのさまざまな移動ルートを使用して、多様な旧石器時代の人口から派生した[4]

この点で、縄文の生物学的アイデンティティは異質であり、縄文として知られている共通の文化に属している可能性のある多様な人々を示している可能性がありえる。
Seguchi 2014

2017年の近藤修による頭骨測定の研究では、縄文人はかなり異質であることがわかった。「南縄文人」と「北縄文人」は大きく異なっていた。九州、四国、本州の「縄文人南部」は、現代の東アジア人(「モンゴロイド」)とほとんど同じだったが、「縄文人北部」は異なる表現型を持っていた。縄文人の大多数は古代東アジア人の子孫だが、北海道の縄文人は異なる遺伝的祖先を持っているようである。北海道縄文人と本州縄文人の間には遺伝子流動の証拠がある[13]

分子人類学から見た縄文人のルーツ

父系のルーツ

父系のルーツを辿ることができるY染色体ハプログループは、数万年にわたる長期的な追跡に適しており、1990年代後半から研究が急速に進展した。日本人はY染色体ハプログループD1a2aの縄文系とハプログループO1b2弥生系が最多の頻度を示し、埴原和郎らが唱えた「二重構造モデル」とも一致する結果となった。Y染色体ハプログループD1a2aは現代の日本の民族集団(大和民族琉球民族アイヌ民族)に見られ、日本列島の本土と奄美群島琉球列島及び千島列島の3地域に多く見られるタイプである。また、Y染色体ではなくゲノムワイドの解析にもとづき「三重構造モデル」を提議する説もある[17]

国外では韓国ミクロネシアティモール島などで低頻度にみられる。

このハプログループD1a2aはアイヌ人の75%に見られることから、D系統はかつての縄文人(旧石器時代のシベリア)のものであると考えられている。但し縄文人のハプログループがD1a2aだけだった訳ではなくハプログループC1a1も縄文人由来と考えられている[18][19]

ハプログループDの分布
東アジアのY染色体ハプログループ移動図

ハプログループD系統はYAP型(YAPハプロタイプ)ともいわれ、現代アジアにおいて支配的なO系統C2系統とは分岐から7万年以上経ており、最も近縁であり同じYAP型であるE系統とも6.5万年前に分岐した系統である。現在D系統は、日本列島以外で高頻度の地域はチベット[20][21]アンダマン諸島[22] しかない。ハプログループDは、現代の東アジア人とシベリア人に近い「東アジアのハイランダーズ」(古代チベット人)に関連していて、縄文時代後期に増加し、C1a1、K、Pなどの以前の縄文時代の系統に大きく取って代わったとされる[23][24]

なお、当時の弥生人や現代東アジアにおいて支配的なO系統は、ウラル系N系統コーカソイド系において最多的なR系統などと近縁であり、縄文人アイヌ等のYAP型(D系統、E系統)とは全く異なるグループである。

以上のことから縄文人から自然進化的に弥生人が派生したという説は完全に否定されている。

日本列島にD系統の人々が入ってきたのは数万年前の最終氷期と考えられている。その証拠として、日本人のD系統にのみ見られる多くのSNPの発生があげられる。SNPは突然変異により発生する確率的な事象であるから、発生数によって時間の経過が分かるのである。日本固有のD1a2a系統はその発生から3.5-3.7万年ほどたっているとされ[25]、考古学から求められる日本列島に最初に現生人類集団が到来した時期と一致している。

長らく縄文人の人骨よりY染色体ハプログループは分析されてこなかったが、北海道礼文島の船泊遺跡(縄文時代後期前葉から中葉(約3,800~3,500年前))から出土した人骨・船泊5号のY染色体ハプログループがD1a2a2a(D-CTS220)であることが判明した[26]。これにより「ハプログループD1a2aは縄文系である」という従来よりの仮説に一つ近づいたが、検証したのは長い縄文時代の中期のたった一人である為、時代、地域共に広範囲での多数の検証が期待される。

とりわけハプログループC1a1は拡散年代と縄文文化開始の時期が一致しており、今後の研究いかんによっては初期の縄文人の主要なDNAとなる可能性がある。C1a1は日本人固有であり、現在の日本ではおよそ5%の頻度で発見されている。

母系のルーツ

父系のルーツを辿れるY染色体ハプログループに対し、ミトコンドリアDNAハプログループは母系のルーツを辿ることができる。ただし、ミトコンドリアDNAは稀に男性のDNAが混じることや、人間より検証個体の多いネズミのDNA測定では、ハプログループの分岐や時期が事実とは全く異なっていたから、あくまでもY染色体DNA等、他の資料と共に考察する必要がある。
ミトコンドリアDNA(母系)の分析によって縄文人のルーツの一角が解明され、日本固有のハプログループM7aや南方系と共通の遺伝子を持つハプログループBFを持つことが知られている。宝来聡の研究によると、「東南アジアの少数民族から日本列島に位置する琉球弧人やアイヌまでが共通の因子を持つ」とされ、形質人類学においてはこれらの人々が縄文人と最も近いとされることから、縄文人のルーツは東南アジアの旧石器時代人との見方が可能である[27]

これらを裏付けるように、国立科学博物館人類研究部 の篠田謙一らの研究では、鹿児島県霧島市上野原遺跡の縄文人(25,000年前)から同様にハプログループM7aが検出され、縄文人は、現在は海底に沈んでいる東南アジア・フィリピン沖のスンダランドが起源で、北上して南九州に到達し、大隅半島西北部の小高い台地にある上野原遺跡と呼ばれる「最古のムラ」から日本列島全域へM7a系統の縄文人が拡散したと想定している。このM7a系統は、縄文時代にすでに北海道へも到達していたことが明らかとなっている。

さらに2010年までに沖縄県石垣島白保竿根田原洞穴遺跡から発掘された、旧石器時代の人骨を国立科学博物館が分析した結果、国内最古の人骨(約2万-1万年前)とされた4点のうち2点はハプログループM7aであることが明らかとなった[28]

しかしながら、溝口優司は、5万年から6万年前にインドを経由し東南アジアで放散した東アジア人全体の祖先[29] の中から日本列島に到達したグループは複数存在し、東南アジアから北上する過程で台湾南西諸島を経由し日本列島に到達した場合もあれば、一度北上し1万5千年前にバイカル湖周辺で寒冷地適応した後に南下し朝鮮半島や中国から日本列島に移住した場合、バイカル湖を経由せずに大陸を海岸沿いに北上し、ブリヤートあたりから南下したルートが存在すると考えると、日本列島の遺伝的勾配をうまく説明できるという説を唱えている[30]。この説の要点は東アジアグループの成立年代が6万年前であり、バイカル湖で寒冷地適応したグループがアフリカから中央アジアを経由したわけではないので、宝来や篠田の説とも矛盾しない。

また北海道の縄文人はハプログループN9bが最多でM7aは少なく、東北地方の縄文人も似た傾向を示している。このことから縄文人のルーツは一つではなく複数あったと考えられる。

その他の遺伝子

縄文人の起源には複数の説がある。一部の説は東南アジアを、別の説は北東アジアを可能性のある起源であるとしている。一方、他の説は東アジアそのものを起源としている。最新の遺伝学的研究は、縄文人はユーラシア大陸各地の集団によって形成された、としている[4][31][24]。2014年の遺伝学的及び形態学的研究を概観した論文でも縄文人が複数の起源を持つ事が示唆されている[4]

縄文人は、世界各地の集団と比較した場合、アフリカ人、ヨーロッパ人、サフール人(オーストラリア-メラネシア)、アメリカ先住民の集団よりは比較的東アジア人の集団に近い。ヒトゲノム多様性プロジェクト(英語: Human Genome Diversity Project(HGDP)のデータを用いた全ゲノムに渡るSNP(一塩基多型)の比較においても、三貫地貝塚から出土した縄文人集団は現代東ユーラシア人全てと遠く離れており、その特異性が示された。東ユーラシア人内における三貫寺縄文人集団の特異性は、ヨーロッパ人やアフリカ人と比べても同様であった。日本列島のアイヌ、本土日本人、琉球諸島の集団、そして北京の中国人(CHB28)を三貫寺の縄文人と比較した統計分析の場合、第一主成分でアイヌと三貫寺縄文人が他の集団と分けられた。三貫寺縄文人に最も近かったのはアイヌで、次いで琉球諸島の集団、そして本土日本人であった[32]

今日ではほとんどの科学者は縄文人はユーラシア大陸の複数の集団の子孫であると考えている。標本の得られた縄文人の系統群は、東アジア人を含む他の人類集団と遺伝的に距離がある。しかし、東アジアの沿岸部の集団との共通点も一部ある。その集団は本土日本人、ウリチ人、朝鮮人、台湾先住民である[33]。縄文人は漢民族に代表される大陸のアジア人集団と比較的古い時期に分かれ、それは約3万8000年前から約1万8000年前までの間とみなすことができた。縄文人は遺伝的には漢民族と比較した場合、日本列島のみならず、ロシア沿海州ウリチ族、朝鮮半島台湾フィリピンなど東アジアの沿岸部等の方に近いことが判明し、こうした要素を持つ人たちが大陸沿岸部に分散する中で一部が日本列島へ渡ってきた可能性が高そうだが、現状では日本列島の縄文人が大陸沿岸部に広がった可能性も否定できない[26]

縄文人(IK002)を含む古代および現在の個人の主成分分析(PCA)[34]

2020年に行われた全ゲノムの解析においては、縄文人の起源に関する更なる情報が示された。縄文人は様々なルートで日本に移住した様々な古代の人類集団の子孫である事が分かった。縄文人は主に現在まだ標本の得られていない古代北ユーラシアの集団、そして様々な東アジアに関連した集団から形成されている。この遺伝学的解析の結果が示すのは、旧石器時代に既に日本において異なる集団間の混血が起こり、その後も絶え間なく東アジア沿岸部からの遺伝子の流入があり、その結果多様性のある集団となり、弥生人が到来する前に均質化した、という事である。チベット高原からの遺伝子の流入も検出され、ハプログループD1a2a (Y染色体)と関連している。このグループは縄文時代後期になって初めて日本における優勢なハプログループとなった。KとFの系統は、縄文時代初期に存在していたが、CとDに取って代わられたことが示唆されている。伊川津貝塚から出土した縄文人の標本一体、及びチベット高原の古代の標本の分析からは、両者の間には部分的な共通祖先が発見されただけであった。これは古代チベット高原の集団及びチベット・ビルマ語派の集団に関連するハプログループDが拡散する際に、正の遺伝的ボトルネックが起きたことを示している。遺伝的証拠から、ヒマラヤ山脈付近の東アジアの源流集団が、縄文時代の日本の集団に祖先をもたらしたことが示唆され、古代の東南アジア人への祖先の寄与は少なかった。著者らは、このことは旧石器時代に中国南部または中部を通って日本へ内陸移動したことを示唆していると結論づけた [35][36]

古代シベリアからの遺伝子流入は北海道の北方縄文人にも検出され、後に北海道から本州北部(東北)にも遺伝子流入した[35][36]。2021年、北海道の古代の人口集団は、縄文人と旧石器時代の北ユーラシアに土着した「終末期後期旧石器人」(TUP人)から形成されたことが確認された。東アジアから紀元前15,000年頃に渡来した縄文人と、それ以前に渡来した「終末期後期旧石器時代北ユーラシア人」とが融合して、北海道の縄文人が形成された[37]。2020年のガクハリらも同様に、古代北ユーラシア人(マリタ遺跡のMA-1サンプルによってサンプル化された)、または類似のグループから北日本への遺伝子流入の可能性を指摘しており、これはシベリアの細石刃文化の導入と明らかに関連づけることができる、とした[34]。Cookeらによる2021年の全ゲノム分析。現在分析されているすべての縄文人サンプルと他の集団との系統発生関係を再評価し、縄文人の系統は紀元前15,000年から2万年の間に現代の東アジア人から分裂し、外部の集団から大部分が孤立したと結論付けた。著者らはその後、縄文人が後期旧石器時代の大陸の人々と接触したかどうかを分析した。分析によると、縄文人は、古代北ユーラシア人としても知られる、ヨーロッパに深く関係する北シベリアの旧石器時代後期旧石器時代のヤナRHSサンプルに関連する集団から混合物を受け取り、最終氷期最盛期以前に北ユーラシアに広まった。現代の日本人の間で推定される縄文人の祖先は、平均9.31%と推定されている[17]

2020年にケンブリッジ大学出版局が発行したある研究では、縄文人は均質ではない集団であり、弥生人が移民するよりも古い紀元前6,000年前頃に北東アジア人の移民があり、その集団が大平山本遺跡などの初期の土器文化に代表される縄文時代草創期の文化をもたらした、と示唆している。その研究者たちは更に、弥生人の到来の前にオーストロネシア人が日本の南端(特に先島諸島)にいた可能性について言及している[38]

2022年にメリンダA.ヤンが行ったアジアの人々に関する論文のレビューでは、縄文人は「東アジアおよび東南アジア」(ESEA)系統の他の人々と密接に関係していることがわかった。このESEAの血統は、現代の東アジアおよび東南アジアの人々、シベリアの先住民、アメリカ大陸の先住民の祖先の一部であり、そして古代のホアビニアン英語版の血統と田園洞人のサンプルを含んでいる。ただし、オーストラリア人やヨーロッパ人とは異なる。縄文人は、古代の中国南部(Longlin)のサンプルと同様に、ホアビニアンの血統と田園洞人のサンプルと比べて、9,000-4,000年前の東アジアの北部と南部の沿岸部からのサンプルに近いが、その中では外れた位置にある[39]

HLA IおよびHLA II遺伝子とHLA-A、-B、および-DRB1遺伝子頻度の分析からは、アイヌとアメリカ大陸の先住民、特にトリンギットなどの太平洋岸北西部の集団との類似性がみられ、アイヌ民族とアメリカ先住民のグループの主な祖先は、南シベリアの旧石器時代の集団にまで遡ることができると示唆された[40]

縄文時代のさまざまなサンプルの人口ゲノムデータは、紀元前1万5000年頃に他の東アジアの人々から分岐したことを示している。しかし現在の典型的なモンゴロイドとは差異が大きい。また、縄文時代の様々なサンプルから得られた集団ゲノム学的データは、彼らが3万年から2万年前に他の東アジアの人々と分岐したことを示している。紀元前15,000年から20,000年にかけて日本列島に移住した後、彼らは外部からの遺伝子の流入からほぼ隔離された[41][42]

またヨーロッパ人古代北ユーラシア人に関連する北シベリアの遺跡(ヤナRHS遺跡(英語: Yana Rhinoceros Horn Siteから出土した人骨(Yana_UP)から検出された遺伝子が、分析された縄文人のサンプルで検出され、北海道の縄文人の北部のサンプルでより高い頻度で検出された[17]。しかし、縄文人とヤナ人の間には同数値が検出されたが、わずかな有意差しかなかった。より質の高い古代サンプルを用いた更なる検証研究が必要である。今後の研究、特に古シベリア人と古代中央アジア人の追加サンプルは、ヤナ人と縄文人の間の潜在的な遺伝的つながりの理由を解明するのに役立つと思われる[43]

考古学から見た縄文人のルーツ

日本列島に居住した後期旧石器時代人を縄文人の直接の祖先と見た場合、問題となるのは、これら日本列島の後期旧石器時代人はどこから来たのかという点である。石器の形式に注目してみると、後期旧石器時代の日本列島にはナイフ型石器と細石刃という、同じ用途に用いられる2種類の石器が存在していた。

ナイフ型石器は大陸では出土例が無いもので、日本列島で独自に発達したものと考えられ、鹿児島県上野原遺跡の調査などから発見されている。

一方で、細石刃バイカル湖周辺に起源を持つもので、日本列島に伝播したのはおよそ2万年前、宗谷海峡経由で北海道にもたらされた。細石刃が東北や北陸に伝わるのはおよそ1万5000年前である。つまり、この時期に北東アジア方面から細石刃の技術を持った少数の人々(ハプログループC2(C-M217)らが北方からも日本列島に移動してきたことになるという。また華北・朝鮮半島経由で九州に、さらには西南日本に伝播してきた細石器もあり、最古の出土物から1.6-1.5万年前に伝播したものと考えられているが、もっと遡るという説もある[44]


注釈

  1. ^ 現在では、ブリテン島など新石器時代には殆ど農耕を行っていなかった地域もヨーロッパに存在したことが知られている(藤尾(2002), p. 188-191)
  2. ^ およそ2万年前の後期旧石器時代の遺跡から神津島産の黒曜石が発見された例も多い。代表的なものとして東京都練馬区の比丘尼橋遺跡、同調布市の野川遺跡、相模原市の橋本遺跡などがある。ただしこの時期の海岸線は現在のものとは大きく違っており、伊豆諸島の利島から神津島までは一つの大きな島であった(橋口(1999), p. 6-7)。
  3. ^ ただしこうした説を唱える者は歴史学や人類学、考古学の専門家の中には存在しない。詳細はエクアドルの歴史を参照。
  4. ^ 古代の日本においては蝦夷(エミシ)、11世紀から12世紀にかけての日本では胡(エビス)、13世紀以降の日本人は蝦夷(エゾ)と呼んだ(佐々木馨『アイヌと「日本」』山川出版社、2001年、12-13ページ)。
  5. ^ 別の可能性として、黒潮本流のルートが一時的に変化し、八丈島の南に移っていたのではないかとも考えられている(橋口(1999), p. 59)
  6. ^ これより以前に湯浜人と呼ばれる人々が八丈島と神津島の間を行き来していたが、湯浜人の出自はまだはっきりしておらず、本州島から伊豆諸島に渡った集団であるかどうかもよく分かっていない。
  7. ^ 本節では島と島の間の航行が特に問題となる為、現在の九州地方で最大の島を特に九州島と表記し、九州島周辺の離島と分けて取り扱う。
  8. ^ 堤隆は旧石器時代の神津島での黒曜石採取については、丸木舟を建造出来るような石器が存在しなかったことから考えて、カヤックのようなスキンボートを使用したのではないかと指摘している(堤隆『黒曜石3万年の旅』NHKブックス、2004年、93ページ)
  9. ^ ほとんど舷側が無い、サーフィンのロングボードに近いもの。例えばさいたま市の膝子遺跡出土の縄文後期と推測される丸木舟群の中には、残存長4.2メートル、残存幅45センチで舷側が殆ど無いものが含まれている(橋口(1999), p. 161-162)。

出典

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